『氷点を旅する』
三浦綾子・三浦綾子記念文学館 〔編著〕
北海道新聞社
2004年6月30日 初刷 発行
1963年(昭和38年)に1年がかりで執筆され、翌年、731篇の応募作品の中から1位で選ばれたのが『氷点』。
朝日新聞がプロ・アマを問わずとして募集した1千万円懸賞小説で栄冠を獲得したのが主婦だということがまず話題となりました。
家内も、父親に「この人、雑貨店のおかみさんやと」と見せられた新聞に、お豆腐を持った三浦綾子さんの写真が載っていたのを覚えているそうです。
1964年、7月21日に東京の朝日新聞本社で行われた授賞式に続いて東京・大阪・名古屋・福岡・札幌での受賞記念披露講演には、当時、営林署に勤めていた夫の光世さんは同行しませんでした。
この期間に三浦綾子さんが光世さんに宛てて書いた手紙に「光世さん お元気でしょうか。こんなに長い事離れていると光世さんが私を忘れてはしまわないかと心配でなりません。」と書かれています。
当時、三浦綾子さんは42歳 ・・・すてきなご夫婦だと改めて思いました。
どうか、『氷点』・『続・氷点』、『道ありき』・『塩狩峠』などなど、まだの方はぜひお読みくださいますように。
ところで、賞金の1千万円をこのご夫妻は自分たちのためにはお使いにならなかったそうです。税金が450万円、残りが550万円。この大金を光世さんは(これは危ない)と思ったそうです。聖書に「金銭を愛することは諸々の悪の根である」と書かれていることも思ったそうです。
綾子さんが肺結核から脊椎カリエスを患い13年療養したことで、ご両親が家や土地も手放された恩に報いること、教会に献金すること、多くの恩人に挨拶すること・・・自分たちのためには1銭も使わぬことにしよう
すごいですね。ちなみに当時ご夫妻の住んでおられたのは、光世さんが職場から住宅資金50万円を借りて建てた家で、隙間風が入るためにインクビンのインクが凍るのを突き崩しながら綾子さんは『氷点』の原稿を書き綴られたのだそうです。
旭川が見渡せる高台にある三浦さんご夫妻のお墓には、「神は愛なり」という聖書の言葉と、ご夫妻の短歌が刻まれているそうです・・・ご主人の光世さんは、生きて活躍しておられます。
着ぶくれて吾が前を行く姿だにしみじみ愛し吾が妻なれば
病む吾の手を握りつつねむる夫の眠れる顔も優しと想ふ
『氷点』の初版本の見返しに綾子さんは次のように謝辞を記して光世さんに贈ったそうです。これはその後、作品が本に鳴って出るたびに書かれた百四十九の謝辞の第一号と言えましょう。
神の与え給うた わが夫
三浦光世様へ
いいつくしがたき 感謝と愛を以て この本を捧ぐ 綾子
キリスト教の結婚式では、死が二人をわかつまで と誓約しますが、このお二人は生死を超越して永遠に魂の結ばれているご夫妻だと感じ入っています。
さて、『氷点』に二日続けてふれていますが、ここしばらく雨も降らない、まさに沸点に達しているような暑い日々が続いています。 それでも、どうか、よい日となりますように。
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