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2010年8月31日 (火)

『氷点を旅する』

0003 『氷点を旅する』 

三浦綾子・三浦綾子記念文学館 〔編著〕

北海道新聞社 

2004年6月30日 初刷 発行

   1963年(昭和38年)に1年がかりで執筆され、翌年、731篇の応募作品の中から1位で選ばれたのが『氷点』。

  朝日新聞がプロ・アマを問わずとして募集した1千万円懸賞小説で栄冠を獲得したのが主婦だということがまず話題となりました。

 家内も、父親に「この人、雑貨店のおかみさんやと」と見せられた新聞に、お豆腐を持った三浦綾子さんの写真が載っていたのを覚えているそうです。

 1964年、7月21日に東京の朝日新聞本社で行われた授賞式に続いて東京・大阪・名古屋・福岡・札幌での受賞記念披露講演には、当時、営林署に勤めていた夫の光世さんは同行しませんでした。

 この期間に三浦綾子さんが光世さんに宛てて書いた手紙に「光世さん お元気でしょうか。こんなに長い事離れていると光世さんが私を忘れてはしまわないかと心配でなりません。」と書かれています。

 当時、三浦綾子さんは42歳 ・・・すてきなご夫婦だと改めて思いました。

 どうか、『氷点』・『続・氷点』、『道ありき』・『塩狩峠』などなど、まだの方はぜひお読みくださいますように。

 ところで、賞金の1千万円をこのご夫妻は自分たちのためにはお使いにならなかったそうです。税金が450万円、残りが550万円。この大金を光世さんは(これは危ない)と思ったそうです。聖書に「金銭を愛することは諸々の悪の根である」と書かれていることも思ったそうです。

 綾子さんが肺結核から脊椎カリエスを患い13年療養したことで、ご両親が家や土地も手放された恩に報いること、教会に献金すること、多くの恩人に挨拶すること・・・自分たちのためには1銭も使わぬことにしよう

  すごいですね。ちなみに当時ご夫妻の住んでおられたのは、光世さんが職場から住宅資金50万円を借りて建てた家で、隙間風が入るためにインクビンのインクが凍るのを突き崩しながら綾子さんは『氷点』の原稿を書き綴られたのだそうです。

 旭川が見渡せる高台にある三浦さんご夫妻のお墓には、「神は愛なり」という聖書の言葉と、ご夫妻の短歌が刻まれているそうです・・・ご主人の光世さんは、生きて活躍しておられます。

着ぶくれて吾が前を行く姿だにしみじみ愛し吾が妻なれば

病む吾の手を握りつつねむる夫の眠れる顔も優しと想ふ

 『氷点』の初版本の見返しに綾子さんは次のように謝辞を記して光世さんに贈ったそうです。これはその後、作品が本に鳴って出るたびに書かれた百四十九の謝辞の第一号と言えましょう。

0001

 神の与え給うた  わが夫 

三浦光世様へ

  いいつくしがたき 感謝と愛を以て この本を捧ぐ 綾子

 キリスト教の結婚式では、死が二人をわかつまで と誓約しますが、このお二人は生死を超越して永遠に魂の結ばれているご夫妻だと感じ入っています。

 さて、『氷点』に二日続けてふれていますが、ここしばらく雨も降らない、まさに沸点に達しているような暑い日々が続いています。 それでも、どうか、よい日となりますように。

 

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2010年8月30日 (月)

映画「氷点」

 図書館で、三浦綾子さんが朝日新聞の一千万円の懸賞小説で一位に選ばれて大きな評判となった当時のことが綴られている本を借りてきました。三浦綾子さん・光世さんご夫妻の文章、新聞に『氷点』が連載されての反響、テレビドラマ化、映画化の経緯などが綴られています。この本のことは明日のブログで紹介させていただきます。

 テレビで氷点が放送される時間になると、商店街や銭湯に人の姿がなくなり、フィアンセに電話した男性が「今、氷点を見てるから、あとで」ガチャ、と電話を切られたなど、たいへんな人気だったことも書かれていました。日曜の夜の長寿番組、「笑点」の名前も、この『氷点』に由来しているそうです。

 その本を28日に読み終わりましたら、なんと8月29日(日)の午後に、テレビで、映画「氷点」が放送されたのでした。山本薩夫監督、俳優は若尾文子・船越英二・安田道代・山本圭・森光子・津川雅彦などなど。

 この映画にも出てくる旭川市の針葉樹見本林の一角には三浦綾子記念文学館が建てられています。私はまだ行ったことがありませんが、ここを訪れた私の知人、友人は、皆さんが「行って来ました。いいところですよ」と話してくださいます。

 改めて『氷点』を初めとする三浦綾子さんの著作の数々を読み返そうと思いました。

 ところで、芦田伸介・新珠美千代が出演する連続ドラマ「氷点」がテレビで放送されて大評判になっているとき、原作者の三浦綾子さん・光世さんご夫妻の家庭には、テレビがなかったそうです。

 うーん、そういう生き方こそ、三浦綾子さん・光世さんに学ばせていただくことであるかもしれません。

 さて、今日もよい日となりますように。 

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2010年8月29日 (日)

宵の明星

  暑さはまだ続いています。

  けれど、夜から朝にバトンタッチする時間は遅くなり、そして夕方が宵闇にバトンを渡す時間は早くなってきています。

 秋の訪れはそういうところにもしっかりと現れているのですね。

 久しぶりに、夕明かりの残る空に輝く星を見ました。「宵の明星」 ・・・

♪「一番星 み~つけた」 という気分でした。

 あの星のように、見る人の気持ちを明るくできる光りを発することが出来たらと、ふと思いました。

 「明星」は、確か惑星である金星ですから、自ら光を発しているのではないのですが、それにしても素直に光を受け、それを独占せずに反射しているのはすてきですよね。

 聖書の言葉  

 あなたがたは世の光である

 クリスチャンというのは、周囲の人から言われ始めたニックネームだったようです。イエスキリストに倣って、反射光を放つことが出来たら、それは、身に余るすてきな人生だと思います。

 私など、遠く及ばない小さな存在です。でも、聖書は、次のように語ります。

 あなたがたは世の光です。 丘の上にある町は、夜になると灯がともり、だれにもよく見えるようになります。
 あなたがたの光を隠してはいけません。 すべての人のために輝かせなさい。 だれにも見えるように、あなたがたの良い行ないを輝かせなさい。 そうすれば、人々がそれを見て、天におられるあなたがたの父を、ほめたたえるようになるのです。 マタイによる福音書 5章14節~16節

 ですから、隠れキリシタンのようにならないで、目指しつつ、歩みたいと思います。

 今日は日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 よい日となりますように。 

 

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2010年8月28日 (土)

斧を見る日間(ひま)

 聖書にこんなことばが書かれています。

 斧の切れ味が悪くなると、力ばかりいるようになります。 そんな時には、頭を働かせて刃をとぐことです。

   伝道者の書 10章 10節

  これは、木を切り倒すときに、斧をふるうことばかりに気を取られてしまって、がんばっていること自体はすばらしいのだけれど、ちょっと手を休めて斧をよく観察し、斧をしっかりと研いだら切れ味を取り戻して労力と時間を有効に生かすことが出来るようになるということでしょう。

 実際に斧をふるうことは少なくなりましたが、私たちの毎日の生活にこのことばを適用できる場面はあるように思います。

 以前、「斧を見る日間(ひま)」という題の文章を読んだことがあります。しゃにむに斧をふるうだけでなく、斧自体の具合をしっかりと見る心のゆとりを大切にしようという趣旨の文でした。

 その文章に、ひまの語源は、「日光が差し込む空間」だとあり、印象に残りました。野菜を育てるときにぎっしりと植えてあると、日光が差し込まず、育つ物も育たなくなる ・・・日々の生活も日光をしっかりと受けるゆとりを設けて、しゃにむに行動するだけでなく、本当に大切なことを見極めて歩むことを大事にしよう ・・・ そんな結びが心にしみこんできました。

 明日は日曜日・・・キリスト教会に足を運び、聖書に基づいて語られるメッセージをお受け取りください。きっと、貴重な「斧を見る日間(ひま)」が得られることと思います。

 今日も、よい日となりますように。

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2010年8月27日 (金)

介護予防教室

 公民館で開かれている介護予防教室に講師として招いてくださったので、行ってまいりました。隣接している小学校で定年退職してから4年目になります。お孫さんがその小学校に通っていた方も参加されています。

 暑い日ざしの中をご自分で歩いて参加される方々ですので、お元気です。1911年(明治44年)生まれで、今も現役の医師として活躍しておられる日野原重明医師のこと、そして同じ年に生まれ、詩集『くじけないで』を出版された柴田トヨさんのことなどをお話ししました。

 ◇ 日野原先生の著書から、生きるのが楽しくなる15の習慣を紹介
習慣1   愛することを心の習慣にする
   2   「良くなろう」と思う心をもつ
   3   新しいことにチャレンジする
   4   集中力を鍛える
   5   目標となる人に学ぶ
   6   人の気持ちを感じる
   7   出会いを大切にする
   8   腹8分目より少なく食べる
   9   食事に神経質になりすぎない
  10   なるべく歩く 
  11   大勢でスポーツを楽しむ
  12   楽しみを見いだす
  13   ストレスを調節する
  14   責任を自分のなかに求める
  15   やみくもに習慣にとらわれない 

◇ 柴田トヨさんの詩の朗読

貯金
                           
私ね 人から
やさしさを貰ったら
心に貯金をしておくの

さびしくなった時は
それを引き出して
元気になる

あなたも 今から
積んでおきなさい
年金より
いいわよ

 友人が労作の資料を提供してくださったので、このお二人に関するプリントもお配りすることができました。日野原先生がご自分も出演されて喜びの感想を語っておられた「葉っぱのフレディ」のアメリカ公演のニュースをご覧になっていた方もおられました。

 音楽としては、この小学校の校歌も作曲された井上武士さんの名曲「チューリップ」、同じく「海」、そのほか「青い山脈」、お口の体操もかねて「ビビディバビデブー」「夕日」、結びに「今日の日はさようなら」を歌っていただきました。

 明るい反応、あたたかい拍手・・・ 私自身にとってすてきな介護予防の時間となったことを感謝しつつ思い返しています。

 ありがとうございました。

 さて、今日も、よい日となりますように。


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2010年8月26日 (木)

『深川にゃんにゃん横丁』

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  『深川にゃんにゃん横丁』

 宇江佐真理 著

 新潮社 2008年9月20日発行

  江戸の町、深川に猫が通り道にしている小路があり、いつからかその小路はにゃんにゃん横丁と呼ばれるようになった。

  親身になって町内の世話を焼く雇われ大家の徳兵衛、岡っ引きの岩蔵、書き役の富蔵、そしてこの町内のご意見番と言われているおふよ・・・彼女はずばすばとものを言い、そのくせ見かけによらず世話好きで涙もろい女性 ・・・ この人たちが、住人たちと織りなす人間模様が生き生きと描かれて、読む人を飽きさせません。

 女性が小気味のよい啖呵を切るところが、この作者の作品の特長の一つだと思います。それは、おふよだけでなく、年端もいかない女の子が大人に向かって言いたいことをずいぶんはっきりという場面があります。

 猫もいろいろなところに顔を出します。どんなところに ・・・ それは  いえいえ、それは読んでのお楽しみということで。

 秋の夜だけでなく、暑さで寝苦しい夜も、意外に読書に向いているかも知れません。

 今日も、よい日となりますように。 

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2010年8月25日 (水)

夏の暑さにも負けないで

0007   わが家の庭の水はけを懸念して溝が設けられています。

 その溝にはふたがしてあるのですが、芝生の根が入り込んだりするので時々はふたをはずして手入れすることが必要です。

 最近の暑さに、飛騨育ちの私は少々打たれまして、殊勝に部屋にこもって読書している時間が多かったのですが、驚いたことに、その間に家内は、せっせと上に書いた作業を進めて、溝の脇の草、芝生も綺麗に取り除いたのです。

  暑さに強いとはいえ、せっせと作業した家内に頭が下がります。

  その家内が、畑主任の私に「畑のすぐそばで蜂の巣を見つけたよ」とのこと。 どれどれと足を運ぶと、なるほどアシナガバチの巣がかけられています。

 暗くなって蜂が眠っているときに・・・と思っていると、近所のご主人が「スプレーを掛ければいいよ」と言うが早いか、「家にちょうどあったで」とスプレーをもってきて蜂を撃退。私は、その後、巣を落とし、金ばさみでビニール袋に入れました。

 シシトウをねらうムシたち、そして巣をかけるハチとの闘い ・・・ 不精なためか、心が優しいためか、私はこの闘いにほとんど参加していません。

 なかなか、生活していくということは、たいへんなことですね。特に暑い日が続くときには。

聖書のことば

  あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。   コリント 第一 10章13節

 今日もよい日となりますように。

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2010年8月24日 (火)

『聞き上手は一日にしてならず』

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 『聞き上手は一日にしてならず』

 永江 朗 著 新潮文庫 

平成20年 5月1日 発行

  この表紙にあるプロの聞き手10人と対談して、聞き上手の秘訣を洗い出した労作です。 

 テレビの「徹子の部屋」は、ひとりで司会するトーク番組としては世界最長 だそうです。事前にゲストと打ち合わせしてきたディレクターたちと金曜日に黒柳さんは打ち合わせ・・・一週間に五人のゲストが登場するのですが、ユニセフの仕事もあるので、一週間に六本を月曜、火曜に撮影するのだそうです。

 このゲストひとりについてひとりのディレクターがしっかりと打ち合わせてきたのを黒柳さんは金曜日に順に聴きながら6人のディレクターと打ち合わせるのに休憩時間などを入れて9時間ほどかけるのだそうです。

 このうちあわせで手書きのメモ用紙が、ゲストひとりについて12枚になるとのこと。このうちあわせの他に、ゲストが作家など著作のある人ならば、少なくとも三冊は読んで番組の収録に向かう徹子さん。

 すごいですね。 目次からエッセンスを

 黒柳徹子さん 「人には必ず話がある。人には必ず聞きたいことがある。

 田原総一朗さん 「人が本当に言いたいこと、本音、これをいかに引き出すか」

 河合隼雄さん ・・・「聞くことに始まって、聞くことに終わる」

ベテラン刑事さん ・・・ 「下手な聞き方をしていると、いつまでたっても重要な証言は出てきません」

刑事さん(今後の活動に支障が出るといけないので、名前が記されていません)の話を少し ・・・

 カツ丼 ・・・ これを出すと、利益供与になる。裁判で「カツ丼を食べたかったからその証言をしました」といわれると、自白の信用性がなくなる。実際そういう判例もある。タバコも同じ。

 聞きこみ捜査での質問例

 「変なの見ませんでしたか」  「変なの見ませんよ」 ・・・こういう聞き方は駄目。

 「この時間に誰かに会いませんでしたか」 「お向かいの人が急いで向こうのほうに行った」

  しょっちゅう会っている人は、その人にとっては「変な人ではない」わけで。

 読んでいて、思わず「うーむ」と思いました。

 相手の立場、相手の目線でということは、頭で分かっているつもりでも実際にはそう簡単ではないことを教えられる場面が多くある本です。

 口は一つだが、耳は二つある ・・・ 話す倍は聞きなさいということだ、と何かで読んだことがあります。心がけたいと思います。

 今日も、よい日となりますように。

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2010年8月23日 (月)

黄桃

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  友人から桃をいただきました。岡山産の黄桃です。

 丸ごとの写真を撮ろうと、カメラを取りに行き、食卓に戻りましたら、ご覧のように食べるばかりに姿を変えておりました。

 

  たいへん、美味しくいただきました。手入れされた良い木に実った実だと思います。

 「朝の果物は、金の値打ち。午後は銀で夜は銅」と母から聞きながら育ったなあと思っていると、ごく近いところから、ツクツクボウシの声。

0004

 家内が外に出て写真を撮ってきました。網戸にとまったツクツクボウシがお目にとまりますでしょうか。

 桃のことといい、ツクツクボウシの撮影といい、なかなかすばやい動きの家内です。

 その手際に感心してか、蝉も飛び立たずに見とれていたように思います。

 私が撮りに行ったら、おそらく地響きでツクツクボウシは飛び去っていったことでしょう。

 見習いたいと思います。でも、あまりすばやく動くと私は私らしくなくなってしまうでしょうか。

聖書のことば

 木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。  マタイ 12章 33節

  今日も、よい実を結ぶ日となりますように。

 

 

 

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2010年8月22日 (日)

ムーミン谷づくし

0023  ムーミン童話全集の2から4までを読みました。

 一巻ずつ、コメントを添えて書こうかとも思ったのですが、気を換えて、この三冊の題名を写真で紹介させていただくにとどめることにしました。

  お好きな方はご自分でお読みになるでしょうし、関心があまりない方に何回もこのシリーズが登場するのは興ざめだと思ったからです。

 ※ と、もっともらしく書きましたが、暑い日が続いて文章を書くことに「不熱中症」の症状が出ているのかも知れません。

0024   このシリーズを読んでいて初めて知って、少なからず驚いたのは、この物語の中のムーミンパパが捨て子だったということです。

 ムーミンママとは、ムーミンママが大きな波に乗って来たのを助けたという出会いになっています。そのときもママはハンドバッグを持っていたのでした。

 このママがムーミントロールを育てる構えには、おおらかな中に決然としたものがあって感心させられます。

 ムーミントロールのママに寄せる信頼は、実に大きなものがあります。ムーミントロールだけでなく、登場人物のほとんどがママを信頼しています。

0025   ママは、お皿が割れると、それを嘆くよりも、あまり気に入ってなかったのが割れてよかったと口にして周囲を安心させます。

 腹が座っているというのか、

落ち着いています。

 パパのほうは、まだ建てていない家を熱中するあまりもう実際に建てたと思い込んで、人を案内してきて「それで?」と相手に言われて、まだ地面に図面を書いただけだということに気がついたり、自伝を執筆して読んで聴かせたり、冒険に出かけたがったりしています。  うーん、パパとママの組み合わせは絶妙に思えます。

 ※ あくまでも、物語の中のムーミン家族について書いているのですから、現実の私や私の家族と混同しないでくださいね。 とにかく、これで8冊の内の半分まで来ました。

 今日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

よき日となりますように。

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2010年8月21日 (土)

百合の花

0009  暑い日が続きますが、わが家の近くの自動車道の脇に、ご覧のようにたくさんの白百合が姿を見せてくれています。

 ススキや桜の木もあって、なかなかの景観です。

 この少し上に散歩道もあって、お世話してくださっている方々のおかげで、心地よいふるさととなっています。

 気温は上がりますが、涼しい風が吹くようになってきたようにも思います。

 どうぞ、おすこやかでお歩みください。おいしい食べ物が増える実りの秋もあとしばらくでやってきます。

 聖書のことば

 野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません

  しかし、わたし(イエス・キリスト)はあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。

 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。   マタイ 6章 28節~30節

  

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2010年8月20日 (金)

猛暑 涼夜

0004  やはり暑さがぶり返してきましたね。知り合いの喫茶店で、私としては久方ぶりのかき氷。

  うーん、風味満点。

  こう暑くては、熱中症にならないためにも、水分と涼をとらなくてはいけません。

 ごちそうさまでした。

 日が沈んで、ある病院の夏祭りに出かけました。院長さんもはっぴを着こなして、大活躍。患者さん、ご家族、地域の方、職員の方が混然一体となって盆踊り、夜店などを楽しみました。

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 ある高校の沖縄文化研究会が、若々しくエイサーを披露してくれ、一気に雰囲気が盛り上がりました。

 38度8分を記録したところもあった岐阜県ですが、この夏祭りの会場は、心地よい涼風がふいてました。

 とはいえ、昼間の暑さも残る中で、焼きそばや、たません(煎餅に卵焼きをはさんだもの)などを炎を用いて作ってくださった方々は大変だったと思います。  ありがとうございました。 そしてごちそうさまでした。

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 さて、こういう「ごちそうさまでした」を繰り返していて、果たして私は夏痩せできるのでしょうか。 ・・・ 不思議なことに、このところ、最近数年では一番軽めの数字を体重計が提示してくれる日が続いています。

 とはいえ、数百グラム程度のことですので、油断は出来ませんが、希望を抱いて歩みたいと思います。

  

さて、今日も暑くなりそうです。でも、よい日となりますように。

 

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2010年8月19日 (木)

さっぱりした食事

0022  暑さがぶり返し、さすがに食慾も控えめ・・・ そんな日の夕食に、さっぱりしたメニューが登場しました。

 ゆず酢をまぜたご飯ときゅうりと茗荷、左に見えるのは、生麩を軽く焼いたものです。

 英語で、夕食をサパー 特にさっぱりした料理のときは と、これは私が言うのでなく、中学の時に英語を教えてくださった先生がおっしゃったことです。時には「ザ・クロネコ」など、怪談をしてくださった先生でした。懐かしく思い出します。

 英語の不定詞の勉強に、こんな文章があったことも思い出しました。

We eat to live, not live to eat.

  私たちは生きるために食べるのであって、食べるために生きるのではない。 うーむ、食いしん坊の私の耳に痛いことばです。 けれど、もっと痛いのは、次の言葉です。

聖書のことば  マタイ 4章 4節

『人はパンだけで生きるものではない。

  神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』

 今日も、よい日となりますように。 

 

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2010年8月18日 (水)

長良川

0023  夜は鵜飼が開催される長良川、夏の日中は水遊びを楽しむ人たちでにぎわいます。

 岐阜城がある金華山、そして長良川 ・・・ 40万人の人口のある市で、清流と憩うことができるのは嬉しいかぎりです。

0025  長良橋の少し上流の右岸に足湯がもうけられました。

 下の写真のように、鵜舟仕立てです。機会がありましたら、お楽しみください。足湯は無料です。ありがとうございました。

 足湯が効能を発揮するのに適切なのは3分から10分だそうです。足がきれいになるととてもさっぱりしますね。

 おっと、「足を洗う」という言葉もあるくらいだから、などとは申しません・・・ あっ、言ってしまいました。  今日も、よい日となりますように。

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2010年8月17日 (火)

『ムーミン谷の彗星』

0004 『ムーミン谷の彗星』

 トーベ・ヤンソン 作

 下村隆一 訳

 講談社 

1990年6月23日第一刷発行

2005年5月20日 三十刷発行

 ムーミン童話全集は8巻まであるのですが、その最初に書かれたのが『ムーミン谷の彗星』だとのこと。

 『彗星追跡』という、この本の原話が出版されたのが1946年とのこと・・・ (私が生まれたのがこの年です、いえ、別に自慢しているわけではありませぬ) 

 2009年にテレビのアニメでこのお話は放映されましたので、内容については省略させていただきます。

 後書きに、トーベ・ヤンソンさんの「日本の読者の皆さんへ」という文章が掲載されています。

 その文章の結びのところを紹介させていただきます。

  親愛なる日本の読者のみなさん、フィンランドにあるムーミン谷は、たぶん、あなたが思っているほどあなたのところからへだたってはいないのです。とくに、わたしたちのようにおたがいの国のおとぎ話を読みあっていて、お話がほんとうのことだと信じる者どうしにとってはね。

 そして、ムーミン谷の仲間の物語について、このように書かれています。

 わたしの子ども時代にほんとうにあった楽しいことから題材を得ています。

 わたしは平和な家族をえがいてきました。

 だれもが、うちあけたいと思わなければ、それぞれの秘密を胸に秘めていられます。

 ・・・ ひとことでいえば、だれもがおたがいを、気のとがめるような気分にさせないのです。そしてそのことから得られる自由は、たいせつなことです。

 ・・・ どんなにばかげて見えたとしてもあいての面目を失わせてはいけないという、他人に対する責任もともなっていました。

 家族のみんなは、しばしばまぬけなことをしますが、でも、そのあとで力を合わせてものごとを解決しようと努力するのです。

 ヤンソンさんは、1914年、ヘルシンキで生まれ、お父さんは彫刻家、お母さんは画家だったそうです。

 小さいときから絵が好きで、高等学校のときからスウェーデンのストックホルムの美術学校に留学したとのこと。小さいときは、学校で答えを知っているはずの人(教師)がわざわざ質問してくるのがとても不思議に思える少女だったそうです。

 さて、このシリーズの最後の二冊『ムーミンパパ海へ行く』と『ムーミン谷の十一月』をヤンソンさんは大人向けに書いたのだそうですが、「不思議なことに、この二冊は子どもたちにとって、お気に入りの作品のようです」とヤンソンさん自身が語る受けとめられ方をしているそうです。

 ここまできますと、ムーミンパパのシルエットというタイトルでブログを書かせていただいている私としては、読破するしかありません。楽しく読み続けます。

 今日も、よい日となりますように。 教員試験の二次試験に臨む学生の皆さん、どうか、健康で、育ててきた力を発揮してください。 ベストの自分を出せますように。

 

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2010年8月16日 (月)

トーベ・ヤンソン

 あのムーミンシリーズの作者、トーベ・ヤンソンさんの自伝的な面を含んでいる二冊の本を読みました。

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『彫刻家の娘』 訳者 冨原眞弓1991年11月11日 第一刷 発行

『ソフィアの夏』 

訳者 渡部 翠

1993年11月15日 第一刷発行

 出版社はいずれも、講談社です。

  『彫刻家の娘』には、幼い頃からのヤンソンと家族の写真が掲載され、彫刻家であったお父さんがかわいがっていた猿のポポリーノの写真もあります。

主人公の女の子は(トーベ・ヤンソン自身なのですが、自伝的小説となっていますので)しあわせな子ども時代を送ります。たとえば、こんな文章が「暗闇」という章にあります。

 丸太に火がつくと、ママとわたしは火のそばに大きないすをよせ、アトリエの灯を消す。ママがお話をはじめる。

 「むかしむかし、たいそうかわいい女の子がいました。その子のママは女の子をとってもかわいがっていました・・・・・・」 どのお話の始まりもこうでなければならない。そのあとは適当でいい。あたたかい暗闇にゆったりとやさしい声がひびき、わたしは炎を見つめる。こわいものなんかない。ほかのものはみんなアトリエの外におしやられ、中には入ってこられない。いまだけでなく、これからもずっとだ。

 うーん、幸せな子ども時代ってこういうものだという気がしてきますね。

 この女の子よりひとつ年上で、一年のうちの六日間だけ、おない年になるアルベルトという少年が登場する「アルベルト」の章も魅力的です。

 この少年は、少女に強引に言い張られてしかたなく漕ぎ進んだボートが濃い霧におしよせられて困ったことになっても、「だから言ったじゃないか」などと少女を責めたりせず、何とか窮地から脱しようとするのです。

 アルベルトはいつでもちゃんと始末をつける。なにが起こっても、人がどういう態度をとっても、ちゃんと始末するのはアルベルトなのだ。

 うーん、凛凛しいアルベルトを少しは見習いたいと思います。

 もう一冊の『少女ソフィアの夏』はトーベさんの弟のラルスさんの娘とそのおばあさん・・・つまり、トーベさんのお母さんをモデルにして書かれています。フィンランドの多島海域の小島を舞台とするこの本を作者自身「わたしの書いたもののなかで、もっとも美しい作品」と訳者に語ったそうです。

 フィンランドでガールスカウトを初めて組織したおばあさんは、孫娘が外でテントに寝ることになったとき、自分が初めてテントで寝たとき、どんなだったろうと思いだそうと努めます。でも、悲しいことになかなか思い出せないでいると、外にいることが心細くなった孫娘が(その心細さを気付かれないように気をつけながら)入ってきます。おばあさんは孫娘との会話を通して幼かった自分のその日が思い出されてくる、というような描写がなされています。

 「夏至祭」という章に登場するエーリクソンという小柄で頑丈な老人について、こんなことが書かれているのが印象的でした。

 彼のことを話したり考えたりするときには、目をあげて、遠く海のかなたをながめやるのが、いちばん自然な気がするのだった。 ・・・ エーリクソンは、さまざまな夢をかなえる人だった。でも、自分のためには、なにを見つけていたのだろう。それは、だれもほとんど知らないのだが、みんなが思っているよりずっと少ないにちがいなかった。それでもエーリクソンは、夢さがしをやめなかった。きっと、さがすことそのものが楽しみだったのだろう。

 こうした筆の運び、魅力がありますね。

 ほかには、ユリカモメ島に別荘を建ったときの章「おとなりさん」が興味深く思えました。

 見慣れた水平線の空を大きな角ばった別荘が深くえぐってしまったばかりか、『私有地 上陸禁止』と立て札を立てた社長さんに立腹したおばあさんは、ソフィアとその島に上陸し、果敢に挑戦を始めます。

 そこへ、おりあしく、それまで一度も現れなかった社長さんたちがやってきて、二人のボートも見つけられてしまいます。 さて・・・この先は、読んでのお楽しみ。 (人の悪い書き方をしてすみません。)

 また、こんな二人がよそよそしくなり、相手をさけ、ほとんど憎みあっているような感じになってしまったときのことも書かれています。

 ある晩のこと、ソフィアが手紙を書いて、ドアの下からすべり込ませた。手紙には、こう書いてあった。

『わたしは、あなたに腹をたてています。敬具。ソフィア』

一つのまちがいもなく書かれていた

 ・・・ こういう文章の書けるトーベ・ヤンソンさんがムーミンシリーズの作者のなのです。

 というわけで(どういうわけでしょう)、いよいよ8冊あるムーミンたちの世界を訪れようとしている私、ムーミンパパのシルエットなのでした。

 引用が長くなりましたのに、そしていじわるなところもありましたのにここまでお読みくださって、ありがとうございます。

 さて、今日も、よい日となりますように。

 

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2010年8月15日 (日)

欠けたところを 美しく

Photo   関市の喫茶店 ・・・ めったに行かないのですが、コーヒーのおいしいお店です。

  マイセンの陶器がこの店の特長です。いろいろな花も育てられています。

 お砂糖のポットの受け皿をふと見ますと、金継ぎがされていました。

  新しい物を購入するよりも費用がかかるのでは、と聞いたこともありますが、欠けたところを生かして使い続けるというのもすてきですね。

 映画「初恋の来た道」に金継ぎをして歩く職人が登場する場面があったのを思い出しました。

 このお店には、白いピアノもあるのですが、弾かせていただくには手順があるようです。

聖書の言葉

主(神)は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。  第二コリント 12章9節

  これは、パウロという人が、持病を深く刺さったとげのようにつらく感じ、取り去ってくださるようにと神様に何度も祈ったときに神様が上記のように言われたと書かれている箇所です。

 私たちも、つらいときに神様に願い事をすることがあります。それに対する答えが私たちの願ったそのままに与えられるとは限りません。それでも、パウロのように従順に信頼して歩むとき、金継ぎされた陶器以上に私たちの人生は輝きをはなつかもしれません。

  今日は日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけください。

  よい日となりますように。

 

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2010年8月14日 (土)

気持を晴らしに

0024  孫たちを駅に送った後、すぐに家に帰る気になれなくて、美濃市に出かけました。

 美濃の和紙で造った造形物がそこここに飾られていました。

 行灯のようにも見えますが、紙は厚いようですし、ちょっと聞きそびれました。・・・インターネットで調べたところ、「あかり絵」だそうです。電球がともされると絵がきれいに浮かび上がります。http://www.minokanko.com/20100804154552244.pdf

0029  雨樋も風情がありますね。

 雨が降っていても、ちょっとしたドライブは気を晴らしてくれるものですね。

  帰りには、小止みになって陽光が差してきました。

  また、新しい気持で歩みます。  雨上がり さあ女房と  二人旅  

 いえ、家から20分ほどなのですけれどね。 今日も よい日となりますように。

 0032

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2010年8月13日 (金)

孫とのトランプゲーム

0006  久しぶりに来宅した孫娘とトランプのゲームをしました。

 「神経衰弱」と呼ばれているあのゲーム ・・・ 自分が小さかったときには勝ちをほしいままにしたような記憶があります。

 ところが ・・・ 5歳の孫娘に勝てないのです。 この日、手ほどきをしながら対戦したのですが、ビギナーズラックということばでは片付けられない対戦成績でした。

 私が幼いときの対戦相手はきっと勝ちを譲ってくれていたのだと思います。なんといっても相手は子どもなのですから。

  孫娘に、勝ちを譲らなくても負けてしまうのは、よくいえば、人生に達観しているということでしょうか。いえ、そんな澄み切った境地に達したのではなく、単に物覚えが悪くなっているということです。

 孫とのゲームに負けても、それはかまいませんが、日常の生活に支障が出てこないよう、スケジュールの確認などを夫婦で行うなどして、足元を確かめながらこれからの人生を歩んでまいりたいと思います。

 今日も、よい日となりますように。

 

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2010年8月12日 (木)

大学時代の恩師

 8月11日の記事に、私自身は卒業後、大学を訪れることはほとんどなかったと書きました。

 それは、一つには、専門教科である国語科で卒論も指導いただいた教授が他の大学に移られたということもあります。

 その奥村三ツ雄教授は、方言を専門としておられました。

 奥村先生は、松本清張の『砂の器』で、事件の参考人となる人物が東北弁らしいことばで会話していたことを手がかりに捜査を進めてきた刑事が糸口が見えず、思いあぐねて東北弁に似た方言が使われている地域はないかと方言の研究所を訪問する場面に登場されます。

 その場面で、先生は江戸時代に商業上のやりとりで東北と船が行き来していた中国地方に、それらしいことばがあることを話され、その後捜査すべき地域を示唆を与えられたのです。

 もう一人、大学時代の恩師に「人間を人間たらしめるのが教育であるとするならば、特殊教育(現在は特別支援教育と呼ばれるようになっています)はまさにその原点に位置するものといえます」と、講義の冒頭で力強く述べられた柚木馥先生がおられます。大学で講義するだけでなく、障がいのあるこどもたちが卒業後、働くことの出来る授産施設などを熱心に造られました。

 クッキーとパンを作る施設を訪問させていただきましたら、自ら作業や、製品の配達などもしておられ、そのお姿に胸を打たれました。

 障がいのある方とその家族に、働いてお金を貯めてハワイへ行こうと呼びかけられ、多くの人と力を合わせてみんなで描いた夢を実現された方でもありました。

 こうした恩師・先達に出会いながら、不肖の弟子であり、そして、真摯に学び、よき実践を積む後輩には「出藍の誉れ」と賛辞を呈しているのが、私の歩みです。「それで、おまえ自身はどれほど切磋琢磨し、何を成し遂げてきたのか」と問われたら、小さくなっていることしかできません。

 でも、「人生は、神様からのたった一度きりの招待」ということばがあります。

 その招待に応えて、わずかではあっても自分らしい歩みを築きたいという心だけは大切にしたいと思っています。忍耐強く、このブログを訪れてくださる方々、本当にありがとうございます。

 今日も、よき日となりますように。

  

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2010年8月11日 (水)

青は藍より出でて藍よりも青し

 大学を卒業して、中学校教師二年目を迎えている卒業生が顔を出してくれました。

0002   私自身は、大学を卒業してから、師のもとを訪れるということは特にしませんでしたので、このように丁寧な訪問を受けると感激してしまいます。

  大学の書店に教育実践の本が多く並んでいるので、その書店に足を運ぶのと兼ねてきてくれたとのことです。

  写真のように手土産を携えて訪れるという心遣いには頭が下がります。同僚たちと分かち合うと共に、悩みを抱えて訪れる学生さんもいるので、その心を癒すためにも、用いたいと思います。

 でも、顔を見せて近況を語ってくださること自体がすてきなお土産ですので、次回からはもっと気楽に来てください。

 ますますのご活躍を!

 今日も、よい日となりますように。

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2010年8月10日 (火)

ピアノの音色

 時々「猫が歩いてもピアノは音が出る」というような言い方に出会います。

 理屈としてはそうなのですが、弾く人によって同じピアノでもまったくといってよいほど音色が異なるのは、当然のようなそれでいて不思議なような気がいたします。

 演奏するときの表情は、にこやかに弾くというのはさすがに難しいと思いますが、あまりに深刻な表情で送り出される音は、やはり聴いていて楽しめないように思います。

 辻井伸行ピアニストのCDを買おうかなと思ったのですが、音だけでなく、この人の演奏している姿にも魅力を感ずるので、買うならCDではなく、DVDがいいなと私としては思います。・・・それで今のところ、テレビでこの人の演奏が放送されるのを楽しんでいます。

 学生時代、管弦楽団でトランペットを吹いていた私に、お師匠さんは「くちびるだけでなく体全体を鍛えないと、そして生き方も芯のある生き方をしないと、いい音は出ないよ」と教えてくださいました。

 この方は後に、プロのオーケストラで活躍され、音楽大の教授にまでなった方です。やはり、若いときからプロを目指して研鑽を積んでおられた方は、今、思い出してもよき教えをしてくださったのだなと改めて思います。

 時々、ピアノにふれないですごす日が暑さに負けて出てきたこの夏です。自分の音色を求めて、しっとりとピアノに向かいたいと、比較的涼しい日が訪れるようになって思っています。

 今日も、志の実現に向かって楽しんで研鑽できるよい日となりますように。

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2010年8月 9日 (月)

映画「三十四丁目の奇跡」

 アメリカ映画「三十四丁目の奇跡」は、サンタクロースを名乗る人物が本物のサンタクロースかどうかが、何と裁判所で審議されることになる映画です。

 主演女優はモーリン・オハラ ・・・ 制作されたのが1947年(唱和22年)とのことです。モノクロの96分。クリスマスシーズンの物語ですから季節外れに観たのですが、楽しめました。

 制作されてかなりの年数が経過したので、パブリックドメインというのでしょうか、著作権の保護期間が終わって、値打ちにDVDが作られるようになった作品の一つということのようです。

 ファッションなどは古くなったかも知れませんが、人間模様や心情などは時代が移っても共通することが多いのだと思いました。

 そうそう、子役で出ているのが、ナタリーウッド ・・・ 後にウエストサイド物語のマリア役を演じることになるのですが、この映画に出ているときはまだウエストサイド物語も書かれていませんでしたから、ナタリーウッド自身もそういう役がまわってくることなど知るよしもなかったなどと考えると面白いですね。

 そのナタリーウッドも亡くなりましたが、この映画はそれを作った人たちの思いと共にしっかりとこの世に存在し続けていることに感慨を覚えずにはいられません。

  いやーっ、映画って 本当にいいものですね ・・・ さよなら さよなら さよなら ・・・ などと往年の映画評論家の方たちの顔も浮かんできました。

 さて、今日も、よい日となりますように。 

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2010年8月 8日 (日)

夏祭り

Photo  夕方から、子ども連れの家族が小学校に楽しそうに歩いて行きます。

 そうです。校区の夏祭り・・・かき氷、綿菓子などの夜店も出ていました。金魚すくいコーナーでも歓声が上がっていました。

 たくさんの方々が力を合わせ、交通安全のために立ってくださっている方たちもあります。

0007  民謡クラブの方がよいのどを響かせ、盆踊りの輪も広がり、和やかな雰囲気。

 立秋の夜ということもあってか、涼しげな風、そして長良橋方面の遠花火 ・・・ 日本の夏の情緒、これぞふるさとの夏祭り というところを堪能させていただきました。

 皆様も、暑さ負けしないで、すこやかにお歩みくださいますように。

 さて、一夜明けて、今日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。 よき日となりますように。

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2010年8月 7日 (土)

『字幕の中に人生』

0008  『字幕の中に人生』 戸田奈津子

 白水社  白水uブックス 1997年6月10日 発行 

 筆者は、皆様ご存知の通り、外国映画につける字幕翻訳の達人です。

 ほとんどの国では吹き替えが中心で、字幕スーパーがこれだけ付けられるのは日本だけなのだそうです。

 そのことについて、戸田さんは次のように書いています。

 長い歴史を背負っている言語をまったく異質の日本語で置き換えてしまうのは、考えてみれば無茶な話。吹き替え版には字を読む面倒がない、という利点があるが、原語で外国語に触れる感動には、その利点をはるかに超えるものがあると私は思う。 ・・・ 画面で俳優が自分の声で、その国のことばでせりふをしゃべっている。・・・そこをすり替えてほしくないと願う日本の観客は、それだけ本物志向が強く、リアリティーに敏感だということになろう。

 さすがに卓見だと思います。そして、私は、字幕のよさにはもう一つ ・・・ 聴覚障害のある人が映画を楽しめるという利点があると思います。

 コッポラ監督が日本にきたときにガイド兼通訳を務めたことが縁となって、大作『地獄の黙示録』の字幕を担当してから、映画の字幕の仕事の依頼がたくさんになって、仕事としてやっていけるようになったことなども興味深く読みました。

 1秒に4文字、10字以内×2行以内という制約の中で、観客が映画のリズムに溶け込みながら映画を楽しめるように字幕を付ける苦労にはたいへんなものがあるそうです。

 名台詞と字幕の名翻訳とは異なるということも、この本を読んで学んだことの一つです。

 観客は映画を観にきたのであって、字幕を読みに来たのではない。言い換えれば、字幕はチラッと目を走らせただけで、なんなく内容のつかめる文章でなければならない。本来の目的である画面を楽しむ時間を、観客に与えなければならないのである。

 かたや練りに練ったシナリオのせりふがあり、かたや観客の映画観賞の邪魔にならない限度の字数がある。その中間にはかならずどこかに、限りなく原文に近く、しかも字幕として成り立つ日本語があるはずである。細い細い線のうえに、その線を綱渡りのようにたどってゆく努力が、字幕づくりの基本である。

 戸田さんが「名せりふ」にして「名訳」と書いているのは、映画カサブランカの「君の瞳に乾杯」 ・・・原文は「君を見ながら乾杯」だそうで、テレビで「君の命に乾杯」とアレンジして放映されたら、フアンから抗議が殺到したこともあるのだそうです。

 ただ、たいていは観ている人々がなんの意識もなく読みすごしてしまっている小さなせりふに、翻訳者が「うまくいった!」と一人で満足感にひたるのだそうです。

 うーむ、縁の下の力持ちと申しましょうか、天衣無縫と言うべきでしょうか。

 それぞれの仕事に、それぞれの苦労と喜びが秘められていることを改めて思う一冊でした。

  今日も、よい日となりますように。立秋ですから、これからは「残暑」と呼ぶことになるのですね。おお、食欲の秋が近づいてくる感じです。

  明日は日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 

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2010年8月 6日 (金)

「美」という漢字の成り立ち

  漢字の由来と申しますか、字源をいくつかたどろうとしていて、「美」という漢字の成り立ちをしって嬉しくなりました。

 「美」という漢字は、「羊」と「大きい」の組み合わせ ・・・ つまり、丸々と太った羊は 美しい ということなのだそうです。

 だから、痩身が必ずしもよいという見方・考え方は、昔はあまりなく、むしろ、肉付きのよい、ふくよかさに憧れた時代が確かにあったということなのです。

 昨夜は自制心なく、欲にまかせてたくさん食べたことで落ち込んでいたのですが、なんという変わり身、というか、気持ちの立て直しの早さでしょう。それが持ち味と居直っている感もあるようです。(自分のことなのに何だか第三者的な表現で、すみません。)

 あまり落ち込まず、さりとて、いい気にもならず、適度に節制しながら健康なボディへと鍛えたいと思います。

 「美」という漢字の成り立ち一つで立ち直るムーミンパパでした。

 ちょっと、ヘンゼルとグレーテルの物語の中の、ヘンゼルが魔女によって食べ甲斐のある体形になるのを待たれている場面を自分と結びつけてイメージしないでもありませんが・・・。

 怖い想像はやめにします。

 さて、今日も、よい日となりますように。

 ノーモア ヒロシマ ナガサキ ・・・ 近い間に、世界において核兵器廃絶が実現しますように。 リメンバー ヒロシマ ナガサキ ではなく、ノーモア と訴えているところに 大きな志が込められていることを 思います。

聖書の言葉

 平和をつくりだす人は幸いです。その人は神の子と呼ばれるからです。

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2010年8月 5日 (木)

自制心 夏痩せのために必要なもの

 4日の夜、懇親会がビアガーデンでありました。

 アルコールは口にしなかったのですが、伏兵が潜んでおりました。そうです。2時間食べ放題・飲み放題という大いなるわなです。

 欲が出るのですね ・・・ 帰宅して家内に「明日の朝ご飯はなしにしましょうね」と言われました。私にしてはめずらしく、反論する気にもなれず、明日は三食抜きにしようかと、ある程度本気で考えています。

 おなかは張り詰め、それとは対照的に、気力のほうは何と自制心のない自分なのだろうと落ち込んでおります。

 聖書のことば  箴言23章 2節

 あなたが食欲の盛んな人であるなら、 あなたののどに短刀を当てよ。

 これは、魂胆のある人の食卓に招かれたとき、食卓のご馳走の誘惑から身を守るための戒めのことばなのですが、健康のことを大事に考えるときも生かせるのではないかと思います。 これくらいの覚悟で、「健康に夏痩せ」を実現したいと思います。

  さて、今日も、よい日となりますように。

 

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2010年8月 4日 (水)

剣道

 8月3日夜、テレビで芸能人NO.1を決める番組がありました。ピアノ、剣道と二種目を見ました。

 印象に残ったのは、剣道の長谷川初範三段と深沢二段との試合・・・延長戦に入ってもなかなか決まらなかったこの勝負 ・・・ 感動しました。

 小手を鮮やかに決めて勝ち上がった長谷川初範三段 ・・・雄々しく思いました。決勝戦で、はんにゃの金田二段に面を取られましたが風格を感じました。

 私は、高校の体育の時間で剣道を何時間かしたくらいしか経験がありません。ですから語る資格はありませんが、時代劇や剣豪小説は割合たくさん見たり、読んだりしています。宮本武蔵、伊藤一刀

 それはそうと、私は剣道七段という方と同じ職場に勤めたことがあります。時には新聞紙を筒状に丸めて「隙あり」と打ち込んでみたい気もしました。けれど、そんな悪ふざけをさせない雰囲気、たたずまいが彼にはありました。さすが、一つのことに打ち込んでいる人は、それらしい世界を感じさせるものですね。

 ピアノと剣道の二種目でテレビのスイッチを切るつもりでしたが、その次の種目は卓球でした。三田村邦彦さんが出てきて、芸能界に敵無しと豪語しましたが、5点勝負の4対1とリードされて苦戦 ・・・ そこから挽回して4対4のジュースとしたところは、見応えがありました。しかし、結局対戦相手の猫ひろしが勝ち上がり、ジャストミートと呼ばれる福澤朗と対戦 ・・・ 中学、高校と卓球部だった私としては血が騒ぐところですが、まあここまでにさせていただきます。

 思いましたのは、本業以外にも情熱を傾け、打ち込むものをもっている・・・ 本業を見つけて、それ一本に絞る方も多いでしょうし、本業とできるものに出会った後も、それまでに時間を注いできた何かをも磨き続けるという人もおられるというところに、それぞれの人生の味わいがあるように感じます。

 人間って、一途な生き方もすてきですし、多面体の歩み方もいいですよね。 というような見方をして楽しんでおりました。

 うーん、テレビを見るよりも他に何か為すべきことがあったような ・・・

 それはともかく、今日もよい日となりますように。

  、

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2010年8月 3日 (火)

聖書のことば  -箴言よりー

 聖書は、66巻の書物からなっています。その中に箴言という書物があります。箴言 ・・・1.いましめとなる短い句。格言。2.旧約聖書中の一書。格言・教訓・道徳訓を多く含む と辞書にあります。

 平塚修久という牧師さんが、聖書に分かりやすいコメントを添えて毎日送ってくださる「心のなごむバイブルメッセージ」というメールマガジンがあり、最近はこの箴言をもとに書いておられます。8月3日のこのメールマガジンが印象に残りましたので、紹介させていただきます。

 「 No Bible no bread 」 という言葉があります。

 私は、「聖書読まずに めし、食うな」と訳していますが、体のための食事以上に、魂のかてとして聖書を読みたく思います。

 ・・・正直に申しますと、聖書を読まないあったと日はあってもご飯を忘れる日はかった私です。でも、このメールマガジンのおかげで、走り読みではあっても聖書を読まない日がなくなったかなと思います。

 よろしければ、このメールマガジンを申し込んで、日々、聖書に親しんでくださいますように。 それでは、引用させていただきます。

心がなごむバイブルメッセージVol.666【箴言17章】
-----------------------------------------------------------
17:1 乾いたパンの一片しかなくとも平安があれば/いけにえの肉で家を満たして争うよりよい。
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本章には、心のあり方の大切さを教えてくれる節がちりばめられています。

 心を平安に保つことは、その人だけではなく、家全体に影響を及ぼします。心が落ち着かなければ、家全体も落ち着かなくなるのです。私たちは互いに影響を及ぼし合いながら存在していることを忘れてはなりません。そういう意味では、個人主義はあり得ないのです。

  このメール・マガジンのタイトルを「心がなごむ…」と付けたのも、そういう
心の状態を保って生きていたいという願いがあったからでした。一人の心がなごむことによって他の人の心もなごんでゆく、そんな嬉しい連鎖反応を日々体験していたいものです。

17:22 喜びを抱く心はからだを養うが/霊が沈みこんでいると骨まで枯れる。

 心と身体の相関関係は実に深いものです。喜ぶ心は身体に元気をもたらし、反対に、沈んだ心は骨まで枯らすのです。身体に良いことをすると共に、心の喜びと平安を保つのに良いことを心がけることも大切です。

では、そのために必要なことは何でしょうか。

17:3 銀にはるつぼ、金には炉、心を試すのは主。

 神様は私たちの心を見ておられます。そして、金や銀を炉で精錬するように、私たちの心を精錬して、金や銀よりも純粋で価値あるものにして下さるのです。それゆえ、私たちがなすべきことの第一は、神様に心を向けることです。

17:24 分別のある人は顔を知恵に向け/愚か者は目を地の果てに向ける。

 知恵とは神様を畏れることです(1:7)。いつも神様に顔を向け、心を向けて、神様を畏れ敬い、神様に注目しながら生きていること、知恵と分別はそこから生まれるのです。一方、愚か者は神様に目を向けず、この地上に目を向けます。
 そこには、焦りと争い、不安と恐れがあるだけです。

 私たちの心がいつも神様に向けられて、主の平安と喜びに満たされますように。

  主の恵みと平和が豊かにありますように!
平塚修久牧師

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◎グレースチャペルの礼拝のご案内(http://www.gracechapel2006.com/
  
  ・お茶の水礼拝:土曜日・午後6時半
         (お茶の水クリスチャンセンター5階基督聖協団にて)
  ・市川礼拝:日曜日・午前10時半
         (山崎製パン厚生年金基金会館6階・第1会議室にて)

  この他、毎週聖書の学び会も開催しています。聖書を学びたい、信仰に
  ついて聞きたい、相談したいという方は、いつでもご連絡ください。
    (電話:090-1120-3607、メール:nobhira52@yahoo.co.jp

◎私(平塚牧師)のブログです。ぜひご覧下さい!
 メルマガと一緒にぜひお楽しみ下さい。皆さんのコメントお待ちしています!

 YahooブログURL:http://blogs.yahoo.co.jp/nobhira52

◎ご連絡は、biblemessage66@yahoo.co.jp までどうぞ!

◎聖句は、日本聖書協会の「新共同訳聖書」を使わせていただいています。

※ 引用で、1回分のブログをすますのは気が引けますので、今日、8月3日は自前の記事とこの記事の二つを掲載させていただきます。

 よい日となりますように。

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新鮮 夏野菜

0006  家庭菜園をほそぼそとでも続けていると、ありがたいことに、お近くで野菜を作っておられる方、そして友人から、取り立ての野菜をいただくことがあることです。

 ゴーヤのほろ苦さ ・・・ 夏の夕食には特にいいですね。

 写真では、茗荷が頑張って、「わたしも撮ってよ」という感じで写っています。 

0005   タジン鍋は先日登場させていただきました。今回は、メロンに接ぎ木して特別に作られたというカボチャと同じ方からいただいたタマネギです。

 栽培された方からいただいた新鮮夏野菜特集でした。

  間もなく、暑い日ではあって「残暑」と呼ばれる日々がやってきます。

 秋を楽しみに歩んでまいりましょう。

 今日も.よい日となりますように。

   

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2010年8月 2日 (月)

「借りぐらしのアリエッティ」

 教え子夫妻が、お子さんを連れて見に行ってよかったとの感想でしたから、アニメ映画「借りぐらしのアリエッティ」を見てきました。

 声を担当している樹木希林さんが、何だかそのキャラクターのまんま声優となっていたような気がいたしました。

 公開中の映画についてあれこれ書くのは控えることにいたしますね。その映画を見て出てきましたら、その近くに新しく開店したスーパー銭湯がありました。

 宮崎駿さんの映画を見た後のせいか、何だか「千と千尋」に出てくるお風呂屋さんに似ているような印象を受けました。

0002  いかがですか ・・・ 単に私の気のせいかも知れません。

 ところで、このブログを訪れてくださった方の人数が、8月1日にのべ七万人に達しました。

 8月1日の14時台にアクセスしてくださった方のお一人が七万人目です。

 特に記念品を用意していなくて申し訳ありませんが、訪れてくださっているすべての皆様に心からお礼申し上げます。

 つたないブログですが、どうぞこれからも、よろしくお願いいたします。

 今日も、よい日となりますように。

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2010年8月 1日 (日)

長良川の花火大会

 7月31日(土)夜、長良川の花火大会が開かれました。景観の良いお家からお招きいただきました。

 心づくしのおもてなしにあずかりながら、すてきな花火をフィナーレまで見ることができ、感激いたしました。

0001

 花火を撮るのはなかなか難しいものですね。

 どう考えても(考えなくても)実物の方が美しいのですから、まあ、この写真を何千倍かした美しさを思い浮かべてくださいますように。

 極めて短い時間、夜空に花を咲かせ、消えていく花火 ・・・ その一瞬にどれほどの時間と工夫を込めて花火師のかたたちは花火を作っているのでしょう。

 頭が下がります。一瞬だからこそ、手抜きせず、悔いのない仕事をしよううと丹精込めておられることは想像にかたくありません。

 今日も、よい日となりますように。 今日は日曜日、キリスト教会の礼拝にご出席ください。

 聖書の言葉  第二 コリント 4;18

  私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

 

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