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2010年8月 7日 (土)

『字幕の中に人生』

0008  『字幕の中に人生』 戸田奈津子

 白水社  白水uブックス 1997年6月10日 発行 

 筆者は、皆様ご存知の通り、外国映画につける字幕翻訳の達人です。

 ほとんどの国では吹き替えが中心で、字幕スーパーがこれだけ付けられるのは日本だけなのだそうです。

 そのことについて、戸田さんは次のように書いています。

 長い歴史を背負っている言語をまったく異質の日本語で置き換えてしまうのは、考えてみれば無茶な話。吹き替え版には字を読む面倒がない、という利点があるが、原語で外国語に触れる感動には、その利点をはるかに超えるものがあると私は思う。 ・・・ 画面で俳優が自分の声で、その国のことばでせりふをしゃべっている。・・・そこをすり替えてほしくないと願う日本の観客は、それだけ本物志向が強く、リアリティーに敏感だということになろう。

 さすがに卓見だと思います。そして、私は、字幕のよさにはもう一つ ・・・ 聴覚障害のある人が映画を楽しめるという利点があると思います。

 コッポラ監督が日本にきたときにガイド兼通訳を務めたことが縁となって、大作『地獄の黙示録』の字幕を担当してから、映画の字幕の仕事の依頼がたくさんになって、仕事としてやっていけるようになったことなども興味深く読みました。

 1秒に4文字、10字以内×2行以内という制約の中で、観客が映画のリズムに溶け込みながら映画を楽しめるように字幕を付ける苦労にはたいへんなものがあるそうです。

 名台詞と字幕の名翻訳とは異なるということも、この本を読んで学んだことの一つです。

 観客は映画を観にきたのであって、字幕を読みに来たのではない。言い換えれば、字幕はチラッと目を走らせただけで、なんなく内容のつかめる文章でなければならない。本来の目的である画面を楽しむ時間を、観客に与えなければならないのである。

 かたや練りに練ったシナリオのせりふがあり、かたや観客の映画観賞の邪魔にならない限度の字数がある。その中間にはかならずどこかに、限りなく原文に近く、しかも字幕として成り立つ日本語があるはずである。細い細い線のうえに、その線を綱渡りのようにたどってゆく努力が、字幕づくりの基本である。

 戸田さんが「名せりふ」にして「名訳」と書いているのは、映画カサブランカの「君の瞳に乾杯」 ・・・原文は「君を見ながら乾杯」だそうで、テレビで「君の命に乾杯」とアレンジして放映されたら、フアンから抗議が殺到したこともあるのだそうです。

 ただ、たいていは観ている人々がなんの意識もなく読みすごしてしまっている小さなせりふに、翻訳者が「うまくいった!」と一人で満足感にひたるのだそうです。

 うーむ、縁の下の力持ちと申しましょうか、天衣無縫と言うべきでしょうか。

 それぞれの仕事に、それぞれの苦労と喜びが秘められていることを改めて思う一冊でした。

  今日も、よい日となりますように。立秋ですから、これからは「残暑」と呼ぶことになるのですね。おお、食欲の秋が近づいてくる感じです。

  明日は日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 

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