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2010年8月12日 (木)

大学時代の恩師

 8月11日の記事に、私自身は卒業後、大学を訪れることはほとんどなかったと書きました。

 それは、一つには、専門教科である国語科で卒論も指導いただいた教授が他の大学に移られたということもあります。

 その奥村三ツ雄教授は、方言を専門としておられました。

 奥村先生は、松本清張の『砂の器』で、事件の参考人となる人物が東北弁らしいことばで会話していたことを手がかりに捜査を進めてきた刑事が糸口が見えず、思いあぐねて東北弁に似た方言が使われている地域はないかと方言の研究所を訪問する場面に登場されます。

 その場面で、先生は江戸時代に商業上のやりとりで東北と船が行き来していた中国地方に、それらしいことばがあることを話され、その後捜査すべき地域を示唆を与えられたのです。

 もう一人、大学時代の恩師に「人間を人間たらしめるのが教育であるとするならば、特殊教育(現在は特別支援教育と呼ばれるようになっています)はまさにその原点に位置するものといえます」と、講義の冒頭で力強く述べられた柚木馥先生がおられます。大学で講義するだけでなく、障がいのあるこどもたちが卒業後、働くことの出来る授産施設などを熱心に造られました。

 クッキーとパンを作る施設を訪問させていただきましたら、自ら作業や、製品の配達などもしておられ、そのお姿に胸を打たれました。

 障がいのある方とその家族に、働いてお金を貯めてハワイへ行こうと呼びかけられ、多くの人と力を合わせてみんなで描いた夢を実現された方でもありました。

 こうした恩師・先達に出会いながら、不肖の弟子であり、そして、真摯に学び、よき実践を積む後輩には「出藍の誉れ」と賛辞を呈しているのが、私の歩みです。「それで、おまえ自身はどれほど切磋琢磨し、何を成し遂げてきたのか」と問われたら、小さくなっていることしかできません。

 でも、「人生は、神様からのたった一度きりの招待」ということばがあります。

 その招待に応えて、わずかではあっても自分らしい歩みを築きたいという心だけは大切にしたいと思っています。忍耐強く、このブログを訪れてくださる方々、本当にありがとうございます。

 今日も、よき日となりますように。

  

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