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2010年9月30日 (木)

ショパン・コンクール

 ピアノの詩人、ショパンの生誕200年に当たる今年・・・5年ごとに開催されるショパン・ピアノコンクールは、大きな注目を集めているようです。

 演奏に優劣というのを付けるのは、個人の好み、主観とどう関わるのでしょうね・・・何人もの審査員の総和のようなもので、バランスがとれてくるのかも知れませんけれど、よく分からないところがあります。

 過去には、「あの参加者の演奏が一位じゃないなんて」と抗議して審査員を降りる人が出たことも会ったようです。

 『ピアノの森』(一色まこと・講談社)というコミックスの主人公も、ショパンコンクールに挑戦しているようです。このところ読んでいないので(図書館でも人気で、近刊が書架に現れない状態らしく思われます)、彼がどのようにショパン・コンクールで活躍しているのか分からないのですけれど。

 15日間にわたるコンクール ・・・ まもなく開幕です。優勝者が出ないときもあるようですが、さて、メモリー・イヤーの今年はどうでしょうか。

  志をもって、研鑽を積み、ショパン・コンクールに臨むピアニストたち ・・・結果がどうあれ、その努力の日々が無駄になることはないと思います。磨き上げてきた実力を発揮できますように。

 ともあれ、芸術の秋 ・・・ 今日も、よい日となりますように。 

 

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2010年9月29日 (水)

つるべの綱

 ロープをつないだ桶をおろして井戸の水を汲む ・・・ これがいわゆるつるべ井戸ですね。

 そのロープが短いと、井戸の底の方にある水を汲むことができません。

 これは、いろいろなことに言えると思うのですが、今の私はあるデイサービスセンターを音楽療法の勉強をしている仲間と音楽訪問する日が近づいていますので、もっぱら自分の音楽の力の浅さに目が行きます。

 すてきな曲があっても、それを弾きこなす腕がないと、ロープが短くて深い音楽の泉のよさを汲むことも、伝えることもできないことになります。

 練習あるのみ ・・・ です。 これが結論です。

 自分の未熟さは、練習してぐんぐん伸びる時期にしっかりと練習しなかった報いですが、「それを言っちゃぁ 終しめえよ」(寅さんふう)ですので、たどたどと練習はしていますが、仲間のすばらしさについて書かせていただきます。

 ともに岐阜県音楽療法士を目指している仲間たちの内、今回のデイサービス音楽訪問のために練習しているのは7人です。

 どの人もピアノが弾け、そして本格的な声楽家あり、ヴァイオリニストあり、フルーティストあり ・・・ そして、練習熱心で、仕事の調整をして長時間掛けて練習会場までやってきます。

 温かい雰囲気で練習しますが、「ここは、こうしたら」という考えは、遠慮せず出し合います。

  とは言っても、一番高齢の私には、指摘したいことも我慢してくださっているので、その点は申し訳なく思います。あまえずに練習して恩情に報いるしかありませんよね。 辛抱強い仲間たち ・・・ありがとうございます。

  ともかく、芸術の秋でもありますので、励みます。私の役割は、♪「また君に恋してる」・「帰れソレントへ」・「精霊流し」のピアノ伴奏です。

  それぞれ斉唱・独唱・ヴァイオリン演奏 の伴奏なので、勉強になります。

  泥縄に似ていますが、つるべの綱をないながら、音楽の泉の水を汲めるように練習して臨みたいと思います。

  さて、今日も、よい日となりますように。

 

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2010年9月28日 (火)

丹精込めて ブドウ 

0002   岐阜市の長良川右岸の道路脇に、栽培農家の方が写真のように店を開いておられます。

  丹精込めて育ててこられた方が、収穫時を適切に判断し、お店に並べるのですから、新鮮なこと、そして、美味なること、この上なしです。

 宅配便業者とも提携していて、地方発送もしておられます。

 イチゴの季節には、イチゴが、そして、今の季節にはブドウがお店に並びます。

 お通りになる機会がありましたら、どうぞ。

聖書のことば  

 わたし(イエス・キリスト)がぶどうの木で、あなたがたはその枝なのです。 人がわたしのうちに生き、わたしもその人のうちに生きていれば、その人は実をいっぱい結びます。 わたしを離れては何もできません。

 ヨハネによる福音書 15章 5節

 今日も、よき実を結ぶよい日となりますように。

0003

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2010年9月27日 (月)

秋の夕暮れ

0001  涼しくなって、わりと散歩が続くようになりました。

  ちょうど夕焼けぞらが広がる時間帯で、刻々と色の変わる様子に見とれました。

  年間をつうじてコンスタントに続けられるといいのですけれど。

  散歩だけでなく、生き方の軸として生活のなかにこつこつと形成し続けるものを貫けるようにと思います。

  楽譜をぱっとみて、速度記号、強弱なども含めて読み取ってピアノを弾ける方がおられます。そうしたことができるようになるまでの修練はどれほどのものだったかと、才能を含めて頭がさがります。

 遠く及ばない私ですが、初見で弾けなければ、何十回でも弾けるまで練習すればいいではないかと自分に言い聞かせて、練習に取り組むことにしました。

  もっと若い内、幼いうちにこうした気持ちで練習に取り組んで入れば、と思わないでもありませんが、そう思っている間にピアノに向かうことが大事なのだと考えて、今、ある曲に取り組んでいます。

 練習しても次の日になると、あまり頭にも指にも練習の記憶が残っていないのが残念ですが、何とか仕上げることができるようにと毎日、向かっています。成果が現れますように。

 今日も、進歩につながるよい日となりますように。

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2010年9月26日 (日)

『援助者必携 はじめての精神科』 その2

 昨日に続いて、タイトルの書について書かせていただきます。これは簡潔で、そして的を射ている、と私が感嘆した文章があります。

 精神が病むということを、介助や援助にたずさわる人はどうとらえたらよいか ・・・ それについて著者である春日武彦精神科医は、こう考えているそうです。

 物事の優先順位が、常識や良識から逸脱するとき

 これが、精神を病むことの意味だと思っておられるのだそうです。 心を病むとは、すなわち「優先順位のつけ方がオカシクなる」ことであると理解することで、状況把握が明確になったり、頭の中が整理されるのではないかと考える ・・・

 こうとらえることで、ハンディキャップという座標軸を導入することになり、問題行動は漠然としたところから「アプローチを試みるに足る課題」となり、わたし自身が問題の整理を図り、かつ自分の気持ちを散漫でとりとめのない状態から救い出すことが可能であることに気づいた次第なのである。

 定義・分類することが最終目的なのではなく、整理することによって課題としてアプローチ可能なものへと対象を変化させる、あるいは取り組む自分を変化させる、そういう熟練と愛に支えられた知恵が感じられ、読み進んでいるところです。

 私のはしょった紹介では伝わりにくいかと思いますが、もし、心惹かれるものを感じられた方にはおすすめしたい本です。

 さて、今日は、日曜日。よい日となりますように。

 キリスト教会の礼拝にお出かけくだされば、きっとよき糧が魂に得られることと思います。

聖書の言葉  安息日をおぼえて、これを聖とせよ

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2010年9月25日 (土)

『援助者必携 はじめての精神科』 春日武彦 著

0004  『援助者必携 はじめての精神科』

 春日武彦 著 医学書院 

2004年4月1日 第一版第一刷発行

  図書館というのは、思いがけない出会いの場なんですね。

 たくさんの本が並んでいる書架をすっすっと(これは、あくまでも本人のつもりで、実際はたどたど、どたどたと)歩きながら目を走らせていると

「お待ちしていました。どうぞ、私を手にとってください」という感じで書名が飛び込んでくることがあるのですから。

 この本との出会いがまさにそうでした。

 著者は、最初の6年間を産婦人科医として歩みました。そして、障害児を産んだ母親へのフォローが契機になって精神科医となられたのだそうです。

 この方は、もちろん専門的な知識・経験が豊かであるのですが、それに裏打ちされて発揮されるキャラクターが秀逸です。ちょっとかいつまんで、それが感じられるところを紹介させていただきます。

 痴呆老人が財布がない、誰かに盗まれたというとき、一緒に懸命に探したお嫁さんがお礼を言われるどころか「お前はそんなところに隠しておいて意地が悪い」などと言われることがある。

 病棟で似たような経験をすることがあるが、わたしは平然としている。

「あ、せっかく手伝ってあげたのに、そういう言い方をするんだから。俺、もうグレちゃうもんね」などと明るい調子で受け流している。

 それでもまだ年寄りはぶつぶつ言っているものだが、こちらはのらりくらりとした態度でいる。折りを見て声をかけたりしてみるが、老人はにらみつける

「外はいい天気だねえ。財布も見つかったし、すてきな日だよねえ」などと脳天気な調子で話しかける。そこで和解が生ずるほど世の中はあまくない。ただし、

(1)屈託のない態度

(2)状況や気分をナレーションするような語り口

の2つで、けっこう事態はこじれずに済むように思われる。

 この方がただ者ではないところは、さらに続けてこう書いておられるところです。

 とはいうものの、これはひとつには私自身のキャラクターに関連するところがあり、また該当する老人とは赤の他人である・・・ 結果だけを見れば溜め息をつきたくなろうが、「どうしていいかわからないときにかれらは助けを求められない」という痴呆老人の立場を想像すれば、少なくともムカついたりはせずにいられるのではないだろうか。

 このほかにも、

  食事したばかりなのに「食べていない」という痴呆老人の言葉を、次の食事は本当に食べられるのだろうかという不安の表現として受けとめ、「まだ食べていない」は、「まだ次の食事を食べていない」「次の食事は食べられるのだろうか」と翻訳して解釈すべきである ・・・ そうすれば、「はいはい、いま食事はじゅんびしていますから」「とりあえずお皿を並べておきますから、楽しみにしていてくださいね」「今日は、特に食べたいものはありますか」などの対応が適切なことが、おのずからわかってくるだろう。

 などの記述があり、教えられることが多くあります。愛ある知恵と申しましょうか。あともう一回くらい、この本の内容を紹介させていただきたいと思います。

 さて、明日は日曜日、よき日となりますように。

 キリスト教会の礼拝にお出かけくだされば、神様が喜んでくださいます。

聖書の言葉

 わたし(神様)の目には あなたは高価で貴い。 わたしは、あなたを愛している。

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2010年9月24日 (金)

秋の散歩道

0047   すごしやすい日になって、山道を散歩いたしました。

  敷き詰められたような感じの落ち葉 ・・・ なかなかいいものです。

  夕空を眺め、帰宅して夕食後に月を愛で・・・本を読んでも、よく頭に入るような・・・それが錯覚ということも正直、あるのですけれどいい季節になりましたね。

  あなたも、どうぞ暑い日々に蓄積された疲れから解放され、すこやかにおすごしくださいますように。

  この散歩道を、聖書に出てくるエマオの途(みち)と、名付けて楽しんでおります。

  今日も、よき道を歩むすてきな日となりますように。

※ 「エマオ途上」という名画も描かれている聖書の箇所を添えさせていただきます。よろしければ、お読みください。最初のイースターの日の出来事です。

聖書のことば  ルカによる福音書24章から

24:13 この同じ日曜日のことです。 二人の弟子が、エルサレムから十一キロほど離れたエマオという村へ急いでいました。
24:14 二人が道々話し合っていたことは、イエスの死のことでした。
24:15 そこへ突然、当のイエスが近づき、彼らと連れ立って歩き始めました。
24:16 しかし二人には、イエスだとはわかりません。 神がそうなさったのです。
24:17 イエスがお尋ねになりました。 「何やら熱心にお話しのようですね。 いったい何が、そんなに問題なのですか。」すると二人は、急に顔をくもらせ、思わず足を止めました。
24:18 クレオパというほうの弟子が、あきれたように、「エルサレムにいながら、先週起こった、あんな恐ろしい出来事を知らないなんて……、そんな人は、あなたぐらいのものでしょう」と言いました。
24:19 「そうですか。 で、どんなことでしょうか?」 / 「ナザレ出身のイエス様のことをご存じないのですか。 この方は、信じられないような奇蹟を幾つもなさった預言者で、すばらしい教師でもあられたんですよ。 そんなわけで、神様からも人からも、重んじられていたんですが、
24:20 祭司長や他の宗教的指導者たちは、理不尽にもこの方をつかまえて、ローマ政府に引き渡し、なんと、十字架につけてしまったんですよ。
24:21 -23私たちは、この方こそ栄光に輝くメシヤで、イスラエルを救うために来られたに違いない、とまあ、こんなふうに考えていたんですがね……。 ところが、話はそれで終わらないんですよ。 弟子仲間の婦人たちが、なんとも奇妙なことを言いだしたんです。 その処刑があった日から、今日で三日目になるんですがね、今朝がた早く、その婦人たちが墓へ行ったところ、イエス様のお体は影も形もないと言うじゃありませんか。 しかもその場に御使いが現われて、イエス様は生きておられると語ったとか何とか……。
24:24 その話を聞いて、仲間のある者たちが墓へ駆けつけて確認したのですがね、彼らも口をそろえて、墓は空っぽだったと証言してるんですよ。」
24:25 「ああ、どうしてそんなに、ものわかりが悪いのですか。 預言者たちが聖書(旧約)に書いていることを信じられないのですか。
24:26 キリストは、栄光の時を迎える前に、必ずこのような苦しみを受けるはずだと、預言者たちは、はっきり予告したではありませんか。」
24:27 それからイエスは、創世記から始めて、聖書(旧約)全体にわたって次から次へと預言者のことばを引用しては、救い主についての教えを説き明かしました。
24:28 そうこうするうち、そろそろエマオに近づきましたが、イエスは、まだ旅を続ける様子です。
24:29 二人は、じきに暗くなるから、今晩はここで、いっしょに泊まってくださいと熱心に頼みました。 それで、イエスもいっしょに家に入りました。
24:30 一同が食卓に着くと、イエスはパンを取り、神に祝福を祈り求め、ちぎって、二人に渡しました。
24:31 その瞬間、二人の目が開かれ、その人がイエスだとわかりました。と同時に、イエスの姿はかき消すように見えなくなりました。
24:32 二人はあっけにとられながらも、「そう言えば、あの方が歩きながら語りかけてくださった時も、聖書のことばを説明してくださった時も、不思議なほど心が燃えたなあ」と言い合いました。
24:33 -34そして、すぐエルサレムへ取って返しました。 戻ってみると、十一人の弟子たちやほかの弟子たちが迎え、「主は、ほんとうに復活されたんだよ。 ペテロがお会いしたんだからまちがいない」と話すではありませんか。
24:35 そこで二人も、エマオへ行く途中イエスと出会ったことや、パンをちぎられた時に、はっきりイエスだとわかったことなどを事細かに話しました。

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2010年9月23日 (木)

よいことを習慣づければよき実が実る(かも)

 9月も、あと一週間となりました。大学は後期のスタートということになります。

 「一年の計は元旦にあり」といいますが、10月1日も何かをスタートさせるよい機会かも知れません。

  私が心に期しているのは、朝の連続テレビ小説の新番組を見始めるのは控えて、その時間を何かにあてることです。

 スタートの時期から見始めなければ、途中から見ようとしてもちんぷんかんぷんになるので、多分、見なくて済むようになることでしょう。

 候補としては、

 1.聖書を読み、祈る

 2.早めに出勤して余裕を持つ

 3.ウオーキングや軽運動をする

などです。

 朝のドラマは見ることにして、その時間、踏み台を上り下りする運動もする、というような案は、頭では可能ですが、どうも実行できそうにないので、思いきって生活の構成要素を整理することですっきり生きることができるかもしれません。

 そういいながら、エコポイントのつく間にテレビを買い換えようかなどと考え始めるのですから、どうも.ここに書いた案も実行に移せるかどうか怪しいものです。

 腹筋運動をして、メタボの目安の数字、腹囲85センチを下回るようになったら、人生が変わるかも知れませんね。

 あと一週間、熟慮しながら何かを始めることができるでしょうか。

 それはともかく、よき秋分の日となりますように。

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2010年9月22日 (水)

月を眺めて

 21日夜、庭から月を眺めました。

 ぐんとすごしやすくなり、虫の声も聞きながら、時間がゆったりと経過していきました。

 いい気候の中で、ゆっくりと空を見上げるのは、いいものですね。

 こういう時間を、そんなに力まずに、自然にもてるようにしていきたいと思いました。

 紫式部や清少納言、そして『金色夜叉』の主人公たちも、かぐや姫も、月を眺めたのですね。 むむっ、実在の人とフィクションの人物がまざりあっているような ・・・ でも狸も喜んで活動する月の夜、まあ、いいではありませぬか。

 狼男の遠吠えに、お餅をついているウサギたちはどう反応するのでしょうね。 ・・・ まあいいではありませぬか。 (よくない かも)

 ピアノに向かって、ベートーベンの「月光」、そしてクレイダーマンの「星空のピアニスト」などを弾きました。月夜にうかれるのは、狸だけではないようです。

 聖書のことば  マタイによる福音書 5章 14節・15節

  あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。
  また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。

 さて、今日も、一人一人のよい持ち味を生かして歩むよい日となりますように。

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2010年9月21日 (火)

和太鼓のグループ「TAO」

 「TAO」という和太鼓集団が岐阜にやってきました。

 鍛え抜いた体躯から打ち出される和太鼓の響き ・・・ 一人でもすごいのに、数人が目にもとまらぬばちさばきをして呼吸が乱れることがないチームワークの見事さに太鼓ではありませんがしこたま心が打たれました。

 ユーモアを交えた小太鼓のショウもあり、楽しかったです。

 わが身を省みますと、とても張り詰めた音を出せそうにない体形です。精神的にも鋭角さが漂う生き方を ・・・ そんな気にさせてくれる「TAO」のコンサートでした。

 美しい影絵を思わせるシルエットを生かしたシーンもあり、聴覚も視覚も、魂にも鼓動が伝わって来た演奏でした。

 結成して17年、愛知県の小牧で誕生し、九州に本拠地を移し、海外公演にも力を入れ、今までのコンサートののべ観客数は400万人に迫るところまできているそうです。

 よい音楽は、聴く人に感動を与え、元気にする ・・・ それを実感いたしました。

 今日も、胸の鼓動が高まる時間のある、よい日となりますように。

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2010年9月20日 (月)

ゴーヤ

0005  今年、ゴーヤを家内の友人が我が家の菜園に植えてくださり、よく育ってたくさん実を付けてくれています。

 暑い夏で、シシトウとミニトマトがはやばやとリタイアしたのですが、ゴーヤは沖縄など、南国産なのでしょうね、写真は、前から植えておいたカラシダネの木なのですが、高いところをものともせずに登っていったゴーヤが実っています。何と脚立に昇って収穫したのですよ。 

0006_2  それを一刀両断し、種を取り除き家内が料理してくれました。

  2,3年ほど前は、どうもゴーヤの持ち味である苦さに馴染めなかったのですが、その苦さをほどよく発揮させる技をいろいろな方から教えていただいたようです。

 『徒然草』にあるように、何事も先達に教えを受けることは大切ですね。 0004

  この写真、家内は「焦げ目を付けて、器にきれいに盛ればよかったんだけれど」 と、公開をしぶっていましたが、広い心で許可してくれました。そんなわけですので、ちょっと寛大な審美眼でごらんくださいますように。

  さて、今日も、よい日となりますように。

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2010年9月19日 (日)

「水路のそばの木」と「もみがら」

 聖書は66の書物から成っています。その中で一番たくさんのページを占めているのが詩篇で、150篇あります。

 今日は、日曜日ですので、その第一篇をご紹介させていただきます。

1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
1:4 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。
1:6 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。

  ここで、「主」とあるのは、神様のことです。神様を敬遠するのでなく、口だけで尊ぶのではなく、神様のおしえを喜びとする人は水路のそばに植わった木のようで、実を結び、葉は枯れず、何をしても栄えるとあります。

 よい木はよい実を結ぶ ・・・ それに対して、悪者は、もみがらのようだというのです。うーむ、根無し草ということばがありますが、もみがらはもっと軽いですね。

 ただし、悪者というのは、積極的にたくらんで悪事を為す人のことですから、神様を知らない人、信じていない人は悪者だというわけではありません。

 日曜日にキリスト教会の礼拝に出席し続けている人のすべてが積極的に神様の教えを喜んでいるかと問われれば、私自身を省みても大きなことは申せません。

 けれど、神様は、「わたしの目にはあなたは高価で貴い。わたしはあなたを愛している」とおっしゃってくださり、取るに足りない私の為にも、イエス・キリストを救い主としてこの世に贈ってくださいました。

  上に書かれていることがよくお分かりにならない方もどうぞ、安心してキリスト教会に足をお運びくださいますように。分かるように話し、祈ってくださるために牧師さんが招いてくださっておられますから。

 神様からただ一度限りの招待ともいわれるこの世でのせっかくの人生 ・・・ もみがらのように吹き飛んでしまうのではなく、よい実を結ぶ日々でありたいと思います。

 今日も、よい日となりますように。

 

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2010年9月18日 (土)

栗ご飯

Photo     なかなか手強い、百年に一度もないような暑い夏でしたが、このところ朝夕はぐんとすごしやすくなってきましたね。

 秋が確かに到来している感を強くしたのが、親しい方からいただいたたくさんの栗です。

 イノシシもその栗を目当てにくるのだそうですよ。何と、どうやってむくのか、丁寧にむかれた栗の皮が残っているとのことです。

  さて、さっそく、栗ご飯を家内が炊いてくれ、いただきました。たいへん美味しかったです。この場を借りて、お礼申し上げます。

聖書のことば

すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。

   マタイ 7章17節

 さて、味覚の秋も到来しました。今日も、すてきな実を結ぶことの出来るよい日となりますように。

  

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2010年9月17日 (金)

「楽しいねぇ」

 16日、あるデイサービスセンターで利用者さんと音楽の時間を持たせていただきました。

 岐阜県音楽療法士の資格を得るのに必要な実習をさせていただいたのです。指導してくださる先輩の音楽療法士さんのもと、私より40歳ほど若いもう一人の実習生と私の三人とで一時間のプログラムです。

  貴重な経験をさせていただきました。歌ったり、楽器活動をしたりしていただくときの出だしと終わりをはっきりさせること、高齢の方がほとんどなので、声は大きく、発声をはっきり、ゆっくりとお話しすること、利用者のどなたかに特別にリズム楽器などをお願いするときは、一人一人をよく理解しておられる職員の方に人選していただくことなどなど。

 この音楽タイムの終わり近くに、「楽しいねぇ」と実感を込めておっしゃってくださった利用者さんがおられました。

 そのときも嬉しかったのですが、今、このブログを書きながら、とても大きな宝物をいただいたことに思いいたりました。

 こういうすてきな宝物をいただけるように、練習や学びに励む秋にしたいと思いを新たにいたしました。

 今は雲が出てきていますけれど、夕刻から月がすてきな姿を見せてくれていましたね。

 さて、17日、岐阜市の中学校では雨で日延べになった体育大会が行われるところが多いようです。

 生徒たち、職員の方々、応援してくださる方々、そして教育実習させていただいている学生さんたちも、そしてこのブログを訪れてくださる方々に、健康でよき日となりますように。

 このブログのことを知らない方たちにも、すてきな日となりますように。

 

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2010年9月16日 (木)

幸せの年輪

0002  バウムクーヘン ・・・ 幸せの年輪 ・・・ 結婚式のレセプションでいただきました。

 おいしいお菓子をいただいたから、言うわけではありませんが、新しく誕生したクリスチャンホームが幸せの年輪を積み重ねていくことができますように。

 上弦の月を見ようと思っていたのですが、雨の音がしきりにしています。 涼しくすごしやすい夜になりました。

 ただ、明日、体育大会を予定している学校が多いのです。・・・でも、それはそれできっと道が開けることと思います。

 暑い日が続く中での開催よりは、よい面もあることでしょう。

 年輪 ・・・ 晴れの日、照る日、曇る日、雨の日もあって刻まれていくのですね。

 大きな時の積み重ねに目を向けて歩んでまいりましょう。

星野富弘さんの詩

冬があり、夏があり
昼があり 夜があり
晴れた日と雨の日があって
ひとつの花が咲くように
悲しみも苦しみもあって
私が私になってゆく

「デンドロビューム/不自由」

動けないことなんか
たいしたことではない。

ただ 嬉しくて嬉しくて
どうしようもない時にも
じっとしているのが
何としても 不自由だ

「ポピー」

花と咲く日は 今日一日限り
今日は 雨が降るかも知れなかった
大風かも知れなかった

「サンガイグサ/別れ」

あなたが最期にみた季節が また巡って来ました
あれから私は幽霊というものが
いてもいいと思うようになりました。

できることなら あなたに幽霊になってもらってでも
もう一度 逢いたいのです

父ちゃん
気づくのが少し遅かったけれど 分かりました
詫びることも お礼を言うことも出来なくなる
別れがあるということを

「春蘭/愛されている」

どんな時にも 神様に愛されている
そう 思っている
手を伸ばせば届くところ
呼べば聞こえるところ
眠れない夜は 枕の中に
あなたがいる

「アルストロメリア/美しい今」

暗く長い 土の中の時代があった
命がけで芽生えた時もあった
しかし 草はそういった昔を
ひとことも語らず
もっとも美しい今だけを 見せている

「つるバラ/当てはずれ」

あなたは 私が考えていたような方ではなかった
あなたは 私が想っていたほうからは来なかった
私が 願ったようにはしてくれなかった

しかし あなたは
私が望んだ 何倍ものことをしてくださっていた

「矢車草」

矢車草を描いたら 母がとても喜んだ
そういえば 昔父が 照れくさそうに
言ったことがあったっけ
「かあちゃんは 矢車草が好きなんだぃなぁ」

「大文字草」

怒鳴れば唾が顔に降り
涙は 髪を濡らしたが
笑うと お日様が喉に転がり込んだ
大の字になって臥て 二十数年
いつからか地球を背負っているような
大空と立ち話しているような
心の中にも 大の字が生まれて

「のばら」

この道は 茨の道
しかし 茨にも ほのかに香る花が咲く

あの花が好きだから
この道を ゆこう

「みぞそば/指」

造られたもので
目的のないものはないという
価値のないものもないという
動かない指を見ながら
今日は そのことを思っていた

「びわ/冬の枝」

雨を信じ 風を信じ
暑さを信じ 寒さを信じ
楽しみを信じ 苦しみを信じ
明日を信じる

信じれば雨は恵み
風は歌
信じれば冬の枝にも花ひらく

今日も、よき日となりますように。

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2010年9月15日 (水)

九月の中間点

 ふと、九月の真ん中まで来ているのに気がつきました。そして、九月の異名、長月とは何が長いのだろうと思ったのです。 ・・・ 30日の小の月ですから、九月全体が長いわけではありませんよね。

 というわけで、角川歳時記で「長月」を調べ、挙げてありました俳句を添えさせていただきます。

長月(ながつき)  【季語の分類一覧】
菊月(きくづき)

「秋-時候」の季語
旧暦九月の異称。夜が長くなる月の「夜長月」の略。
 
長月の空色袷きたりけり           一茶
なが月の一樹かたむく星明り        柴田白葉女
菊月の眉月懸かる気比(けひ)の松    高橋柿花
子等に試験なき菊月のわれ愉し      能村登四郎
菊月の菊をあなどる花舗の隅        福永耕二

〔合本 俳句歳時記 第四版  (C) 株式会社角川学芸出版 2008 を参照〕

 うーむ、夜が長くなる月というのが長月の語源なのですね。 ・・・

 以前は知っていたのか、それとも知ったつもりでいたのか どうも自信がありません。・・・ それはそれとして、せっかく夜が長くなる、そして涼しくなる月 ・・・ 読書 音楽 映画 などなどに親しむ時間をできるだけ創り出そうと思います。

 今日も、よい日となりますように。

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2010年9月14日 (火)

『死ぬという大切な仕事』 三浦光世

『死ぬという大切な仕事』 三浦光世 著  光文社 2004年6月20日 初版第一刷発行

 三浦光世さんは、三浦綾子さんと連れ添って40年を共に歩んだ方です。

  三浦綾子さんが肺結核をわずらい、脊椎カリエスも併発してギブスベッドでの療養生活を送っているとき、「光世」という名前を女性の名と勘違いした方から綾子さんを見舞って欲しいとの依頼を受けて三浦光世さんが病床を訪れたのがお二人の出会いだったとのことです。

 神様は、不思議なきっかけをつくられますね。しかも、三浦光世さんは、綾子さんを洗礼にまで導いて亡くなった綾子さんの幼なじみの前川正さんといろいろな点でそっくりだったのだそうです。

  この本の書名は、綾子さんが天に召されてから、光世さんが書かれたもので、生前、綾子さんが口にしていた「わたしにはまだ死ぬという仕事がある」という言葉からとられています。

  綾子さんの肉親、光世さんの肉親、そして聖書に書かれている人物の死のこと、そして1991年の夏ごろパーキンソン病になり、7年あまりを介護して看取った綾子さんの最期のことなどを丁寧に綴った36編のエッセイがこの本には収められています。

  その一つ一つのエッセイの内容に心打たれました。そして、末尾の藤尾正人という方の書かれた解説にも私はいたく共感を覚えたのです。 こんなふうに書かれています。

   私が三浦光世をただものでないと思い始めたのは、綾子なきあとの・・・光世の働きぶりだ。光世はここ数年、席の温まる間もなく、国内はおろか米国まで、講演に執筆に追われ、それをともかくこなしている。女流作家の死後、その夫でかくまで活躍した人を寡聞にして知らない二つの年輪を持ちつつ、二人が合体し、そして一方の年輪が成長をやめたあとも、光世は伸びつづけていることに、私は彼をただものでないと思う。

  三浦綾子さんが天に召された後も、すてきなご夫妻で在り続けておられるのだな、と読んでいて感ずる本です。

 よき日となりますように。

 

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2010年9月13日 (月)

「ようこそ」

0005  キリスト教会での結婚式 ・・・ 写真は、これからその結婚式が開かれる入り口で皆さんを「ようこそ」とお迎えしているウエルカムボードと花たちです。

 やがて、この教会で結婚式が執り行われ、多くの方に祝福されつつ、神様の前で夫婦となる誓約をして聖書にしっかりと土台を据えたクリスチャンホームが誕生いたしました。

  富めるときも貧しいときも、すこやかなときも病めるときも、神様が導いてくださり、すばらしい歩みを日々築くことができますように。

 聖書のことば  

:わたし(イエス・キリスト)の教えを聞いて、そのとおり忠実に実行する人はみな、堅い岩の上に家を建てる賢い人に似ています。
大雨が降り、大水が押し寄せ、大風が吹きつけても、その家はびくともしません。 土台がしっかりしているからです。

マタイによる福音書 7章 24節・25節

 今日も、よい日となりますように。

0004

 

 

 

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2010年9月12日 (日)

ゴスペルコンサート

0003

  ウガンダの子どもによるゴスペルコンサートが、まず岐阜市からスタートするということで、行ってきました。

 写真は、そのチラシです。

 両親をエイズで失った子、戦争で孤児になった子 ・・・ この世的には、暗く沈んだ表情や生き方になってしまうでしょう ・・・ ところが、とっても輝いているのです。

 歌も、踊りも、そしてスピーチもすばらしいものでした。

  この私が、心を打たれて、その日の夕食を食べる気にもならなかったほど、すばらしかったのです。

 ヨーロッパなどに公演に出かけている子どもたちもいますが、海外公演に出るのは一人の子につき一回限りだそうです。こちらからウガンダに出かければ別ですが、二度とないだろう出会いのコンサートでした。

 今後、どこで公演されるかをお知りになりたい方は、下記のurlをクリックしてください。

www.watoto.jp

watotoというのは、子どもたちという意味だそうです。

 神様を信じ、祈りを捧げてコンサートに臨んだ子どもたちは本当に輝いていました。

聖書の言葉

 あなたがたは、世の光、地の塩である。

 今日は日曜日 ・・・ キリスト教会の礼拝にお出かけください。  よい日となりますように。

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2010年9月11日 (土)

有名な祈り

変えることのできるもの、できないもの

 神よ、変えることの出来るものについて、

 それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ

 神よ、変えることの出来ないものについては、

 それを受け容れるだけの落ち着きを与えたまえ

 そして、変えることの出来るものと

 変えることの出来ないものとを

 見分ける知恵を授けたまえ

 これは、プロテスタントの神学者、ラインホルト・ニーバー牧師が1934年にマサチューセッツ州の教会の礼拝で捧げた祈りだそうです。

 神を心から信頼し、そして人間としての分をわきまえた祈りに思えます。

 40歳のときにこうした祈りを捧げたニーバー牧師 ・・・ 74歳で天に召されたそうですが、どんな生涯を送った方なのか、知りたく思っています。

 さて、明日は日曜日、キリスト教会の礼拝にご出席ください。

 よき日となりますように。

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2010年9月10日 (金)

♪夕空晴れて 

 少し涼しくなり、虫のもすだくようになりましたので、久しぶりに夕方のウオーキングをいたしました。

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 少し時間が経過すると、空の様子と申しますか、色彩が刻々と変化するのです。

 うーむ、まだ暑い日もくるでしょうが、季節も刻々と移ろうのだということを感じさせてくれる空でした。

0002  あなたの住んでおられるところの空は、いかがですか。

  もっと美しいところにお住まいかも知れませんが、時に空にみとれるのもいいものですよね。

0004

♪ 「故郷の空」

大和田建樹作詞・スコットランド民謡

 夕空晴れて、秋風ふき
つきかげ落ちて、鈴虫鳴く
思えば遠し、故郷の空
ああ、わが父母、いかにおわす

すみゆく水に、秋萩たれ
玉なす露は、すすきにみつ
おもえば似たり、故郷の野辺
ああ、わが兄弟
(はらから)、たれと遊ぶ
 

 夏痩せは、実現しそうもありませんけれど、せめて、今からの季節、ウオーキングを続けたいと思います。

 さて、今日も、よい日となりますように。

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2010年9月 9日 (木)

病んでいる友人に

 ある書物で、こんな詩に出会いました。今日も手術後の痛みと闘っている友人にお届けしたいと思います。

  しなう心

  苦痛のはげしい時にこそ
  しなやかな心を失うまい
  やわらかにしなう心である
ふりつむ雪の重さを静かに受けとり
  軟らかく身を撓めつつ
  春を待つ竹のしなやかさを思い浮かべて
  じっと苦しみにたえてみよう

   細川 宏 詩集より

  作者は緩和ケアのない昭和42年に胃がん末期のいたみとたたかって
若くして亡くなった医療関係の学者だそうです。

 今日は、9月9日 ・・・ 「苦」が重なっているともとれますが、中国では
重陽の節句という慶賀されている日だそうです。

 よき日となりますように。

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2010年9月 8日 (水)

無欲・強欲

 暑さに溶けたチョコレートみたいになっていてはいけないと、少し真面目にピアノに向かいましたら、次の日、てきめんに手首付近の筋肉に後遺症が・・・

 使っていないと、てきめんに衰えることを身を以て感じました。

 せっかく、一時期、毎日ピアノに向かって築き上げた効果が、失われるとなったら、何と速いことでしょう。

 練習時間が落ちたことを今年の暑い夏のせいにできないかと考えました。そうです。ピアノの部屋には扇風機はあるのですが、クーラーがないのです。

 あまり寒暖の差があるとピアノの健康に影響がないかと漠然と思ってのことでしたが、除湿機能を働かせたり、ご近所に音の迷惑をあまり及ぼさないためには、窓を閉めておいたほうが少しはいいでしょうし ・・・ そうなると、クーラーか、冬場のことも考えてエアコンを付けたほうがいいでしょうか。

 そう思って、大型電気店の広告を見始めましたら、むむっ、いつの間にかエコポイントがつく今年中にテレビをどうぞというキャンペーンに目と心が惹かれていました。うーむ、40インチを超える画面のテレビが7万円台の後半で買えるところまで世の中は歩み寄ってきているのですね、驚きました。

 そして、さらにさらに、封じ込めていたはずの新型パソコンが「私を買えば、パソコンとテレビ、そしてDVDレコーダーの三役が兼用できますよ」と広告の中からウインクを送ってくるのです。しかも、ブルーレイが読み書きできる機種もあるのですね。

 「いかん、いかん」と朝のテレビ小説「ゲゲゲの女房」の登場人物が妖怪を見たときにするように、目をしばたかせ、顔を動かし、見たものを見なかったことにしようと努めるのですが、なかなか、電機製品の誘惑には強い力があります。

 機能限定のパソコンで、少し前には最高の機種にしかなかったパワーを備えたものが10万円を切る価格であるのですが、店頭に足を運ぶと、付加価値のついた機種が並んでいて、ちょっとずつ誘惑に合わせて移動していくと20万円近い機種に対面している自分に気がつきます。

 海や川に心地良く棲んでいる魚が餌に飛びついて釣り上げられてしまうような ・・・ トドのような体形と重さをしていても釣られるときは釣られてしまうのですね。

 よーくよく、考えて、強欲には別れを告げ、無欲の人になろうと思います。

 さて、ピアノの部屋のエアコン ・・・ 初心に返って、これを設置するかどうか ・・・ この夏は、さすがにやがて涼しくなって、来客があっても、扇風機、団扇、冷たい飲み物でおもてなしできるようになるとは思いますが、やはり、備えておきたい気がいたします。

 でも、生きていけないわけではありませんから、もう一思案してみますね。

 少し使わないと衰えるのは、ピアノ用の指や腕だけでなく、腹筋や、そして頭脳もそうですね。 「能力」と書くところを「脳力」とか「悩力」とか書いてしまいそうな現状です。

 暑さのせいにしないで、きりっとした生き方を築いてまいりたいと願っております。

 さて、今日もよい日となりますように。

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2010年9月 7日 (火)

花ショウガ

Photo  朝の出がけに庭の花が目にとまりました。

 炎天下で、咲いている花ショウガに敬意を表して撮りました。写真の中でも光り輝いているようです。(撮影する方向を工夫すると、もっとよかったかも)

 そこで、一句

 暑くても 私は咲くよ 花ショウガ

 うーむ、そのまんまですね。

  少なくとも、気象庁が記録し始めたここ113年では一番暑いという今年・・・私たちは、歴史的な体験をしているのですね。貴重な体験者として元気に歩んでまいりましょう。 花たちもがんばっていることですし。

 今日も、よい日となりますように。

聖書のことば  第二 コリント 2章15節

私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。

 暑くても、時代が思うにまかせなくても、しっかりと歩み続けることができますように。

 

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2010年9月 6日 (月)

『オシムの言葉』

0004 『オシムの言葉』

ーフィールドの向こうに

  人生が見えるー

 木村元彦(きむら ゆきひこ) 著

 集英社インターナショナル 

 2005年 12月10日 第一刷発行

 サッカーのワールドカップで、岡田監督率いる日本代表チームの活躍は記憶に新しいところです。

 その岡田監督の前の監督が、オシムでした。サラエボの人です。

 この本は、日本の代表チームの監督に就任する前に書かれています。

 祖国ユーゴの代表監督としてすばらしい成績を上げていたとき、あろうことか祖国が分裂し、代表監督を辞任。すばらしい実績を評価されてたくさんの国・チームから招聘の要請があったのに、実際に足を運んで依頼したただ一つのチームだからと、日本のJリーグのジェフユナイテッド市原・千葉の監督を引き受け、選手たちを鍛えに鍛えて優勝するまでを長年にわたって取材・インタビューして書き上げられた労作です。

 数学の教授か医師になることも選べた人だそうです。いろいろな人にもそれぞれいくつかの選択肢はあったかもしれません。オシムは、経済的な理由もあって、リスクの高い道・・・怪我をしたらそれで終わりになるかも知れないサッカー選手になる道を選びました。

 ユーゴの代表選手として出場した東京オリンピックでは、日本を相手に2ゴールをあげたそうです。その来日のおりに初めてカラーテレビを見て感激したり、選手に無料で提供されていた自転車に乗ってサイクリングしていた時、梨を振る舞ってくれた日本人のホスピタリティが好印象となって、親日家になったそうです。

 オシムは12年間の選手生活で85得点を挙げ、イエローカードを1枚も提示されたことがなかったとのことです。

 読んでいて、この本の著者はサッカーの偉大な指導者としてだけでなく、人間としてのオシムに心から惹かれていることが伝わって来ます。

 オシムの言葉は、ワールドカップを報道する新聞にも掲載されていましたから、通訳として身近で一緒に歩んだ間瀬秀一さんのことばを「第7章 語録の助産婦」から引用させていただきます。

 監督が何かを言う。で100パーセント、日本語で伝える。伝わったはず。なのに、選手ができない時がある。てことは、伝えたことになってないんですよ。意味は伝わっているんですけれど、意図が伝わっていない。選手が理解できなかったり、動けない。あぁ、これは、もうダメだなと。

 例えば、気持ち的にモチベーションをそれで上げられなくて、選手ができないのか。技術的に足りなくて、できないのか。でもやってなかったら、僕が怒られるんですよ。

 そこで、思ったんです。この仕事って、通訳じゃないなと。そこで、やり方、変えたわけですよ。

 (監督が)言ったことをやらせないと勝てないからですから。極端に言うと、通訳としての指導力と言うんでしょうか。言葉を訳す力だけじゃなくて、どうすれば選手ができるようになるのか、そこら辺のやり方を考えました。

 この仕事を通して、間瀬さんは「FIFAの技術委員をしているオシムさんと一緒に力を合わせて闘ってるわけだから。だから、そんな貴重な体験をしている僕が、将来監督としてタクト振るわなかったら、日本のサッカー界に対して申し訳ないと思うんですよ。」とJリーグの監督になるという目標を持つようになったそうです。

  サッカーのことが書かれていますが、副題にあるようにそのフィールドの向こうにしっかりと人生が見つめられている本だと思います。

 さて、今日も、よい日となりますように。

 

 

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2010年9月 5日 (日)

歴史は繰り返す ?!

0009   夏休みが終わって、各学校では体育大会の練習が進むと共に、夏休みの宝物の展示会が開かれているところが多いのではないでしょうか。

 さて、左の写真、「パタパタ」と呼ばれるおもちゃです。

 下の段が、二男が幼いときの夏休みの作品 ・・・ そして、上の段が、この夏に、二男の家族が取り組み、私たち夫婦が手伝って完成した「ニュー パタパタ」です。板が一枚多いところが取り組み人数の多さを語っているような・・・。

 ただ、「ニュー パタパタ」は材料と説明書がセットになったキットですが、二男のは、土産物を手本にしながら板自体も作った「手作りパタパタ」です。長男も鬼太郎の絵を描くなどの助力をしたのでした。

 この二つの「パタパタ」の間には26年の歳月が流れており、感慨深いものがあります。その年月が「パタパタ」とすぎ去ったようには思えないのが親というものかも知れません。

 さて、今日もよい日となりますように。

 今日は日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけください。

聖書の言葉

 わたし(神)の目には、あなたは高価で貴い。わたしは、あなたを愛している。

  

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2010年9月 4日 (土)

『生きるのが楽しくなる15の習慣』ー結びの詩ー

 三回にわたって、5項目ずつ紹介させていただいた15の習慣 ・・・ その結びとして日野原先生がお書きになった詩でフィナーレとさせていただきます。

  鳥は飛び方を変えることはできない。
  動物は、這い方、走り方を変えることはできない。
  しかし、人間は生き方を変えることができる。
  繰り返す毎日の行動を変えることにより
  新しい習慣形成により、
  新しい習慣の選択を人間は決意できる。
  人間には選択の自由がある。
  そして、意志と努力により、
  新しい自己を形成することができる。
  それは、人間と動物とを根本的に区別するものといえよう。

  日野原先生は、「成人病」と呼ばれていた病気の名前を「生活習慣病」と換えるようにと提唱して実現された方です。その方が「習慣」ということばを用いるときには特別の思い入れがあるのではないでしょうか。

『生きるのが楽しくなる15の習慣』  日野原重明 著 

2002年10月発行 講談社 

2005年 6月20日 講談社α文庫 第一刷 発行

0002

 さて、明日は日曜日・・・キリスト教会の礼拝にお出かけください。日野原先生は、牧師さんの息子でもあります。確か、画家のゴッホもそうでしたね。(私、ムーミンパパも父は牧師でした。・・・ わーっ、どさくさに紛れて書かせていただきました。もちろん、比ぶるべくもありません。)

 今日も、よい日となりますように。

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2010年9月 3日 (金)

『生きるのが楽しくなる15の習慣』 ーその3ー

 今日は、10から15 ・・・ 完結編です。

11.大勢でスポーツを楽しむ

・競技ではなく、楽しみのためのスポーツは年齢に関係ない。特に、若者と一緒にスポーツを楽しむのは、その気持ちからして体によい。
・肉体は老いても若い感覚は取り戻せる。若い人たちと一緒にいると、人生を2倍楽しめる。

12.楽しみを見いだす

・永遠に若い肉体をもつのは不可能。しかし、心は違う。いつまでも歳をとらないばかりか、成長し続けることもできる。良い心の習慣は、表情や仕草にあらわれる。

13.ストレスを調節する

・ストレスと無関係に生きることは不可能。解消法のひとつは、心配事をためこまないこと。そのためには、忘れっぽくなること。
・上手に休むこと。
・「足る」を知り、心を満足させること。
・ストレスを感じたら、散歩や運動をするなど、環境を 変える。人は早く動いているときは悩むことができない生き物。音楽療法は注目に値する。

14.責任を自分のなかに求める

・自分の非を認めないで人を憎んだり、あるいは社会のせいにしてしまうのは心がすさんでいくばかりでよくない。

・自分が直面した現実を受け入れ、その責任を自分に問いかける。そこから意志と希望がわいてきて、より質の高い幸福な人生が築かれる。

15.やみくもに習慣にとらわれない

・人間のすること、すべては未完成。今まで歩んできた道が間違っていたと気づいたら方 向転換すればよい。
  新しいビジョンにそれまでの習慣が合わなければ、フレキシブルに考え方を変え、新しいより良い習慣を作り出す。

 これまで14の習慣を執筆されて最後にこの15番目を設けられるところが日野原先生らしさではないでしょうか。良い習慣は大切だが、あまり強くとらわれないで、フレキシブルにどうぞ ・・・ 読み手は安心して、一息つけますね。

 さて、これで、15の習慣を紹介させていただきました。明日は、この書物の結びに日野原先生が添えられた詩を掲載させていただきます。

 今日もよい日となりますように。

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2010年9月 2日 (木)

『生きているのが楽しくなる15の習慣』 ーその2-

 昨日に引き続いて、6から10をご紹介いたします。

6.人の気持ちを感じる

・まずは大人から他人を配慮することの大切さを考え直す。あらゆる生活環境の場に、他人への配慮が生まれるようにすることが、今の子どもたちの成長には必要。

7.出会いを大切にする

・出会いには運命的なものもあるが、そこには必ず意味がある。

8.腹八分目より少なく食べる

・満腹になる手前で食べるのをやめるのが、内蔵への負担も少なくてすみ、健康にはよい。 「おなかがいっぱい」と感じたとき、胃の状態は 100%ではなく120%満たされている。

9.食事に神経質になりすぎない

・食事を複雑に考えなければならないものにしてしまうと、食事自体を楽しむことができなくなる。

10.なるべく歩く

・全身の筋肉の約8割は足腰に集中している。したがって、歩くことで筋肉が鍛えられ、心臓や肺の機能もアップする。また、脳も刺激され、脳の老化防止や活性化につながる。

 私には、この8番が特に大切ですね。バイキング方式のお店で、料金の倍くらい食べてもとをひこう、などと考える生き方では、結果的にマイナスになるのだと思います。反省。

 今日も、よい日となりますように。 明日は、11から15までです。

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2010年9月 1日 (水)

『生きるのが楽しくなる15の習慣』

 『生きるのが楽しくなる15の習慣』 日野原重明 著 2002年 講談社 発行

 友人がこの本を紹介してくれました。図書館では貸し出し中となっていたので、私自身はまだ読んでいないのです。 その友人は、各項目とそれを短く説明した一覧表を作成してくれましたので、今日から三回、5項目ずつ紹介させていただくことにいたします。

 9月のスタート特集 ・・・ というのは口実で、ブログ三日分と、結びに日野原先生がまとめのように書かれた詩を四日目に掲載させていただいて、暑さにバテ気味のムーミンパパの実質的な夏休みとさせていただくわけです。 もつべきは、よき友人 ・・・ ありがとうございます。

◇ 生きるのが楽しくなる15の習慣 1から5

1.愛することを心の習慣にする

・喜びや楽しみは、人と分かち合った分だけ大きくなっていく。
・誰かを憎んだり、悪口を言ったりして、心が満たされることがあるだろうか。

2.「良くなろう」と思う心を持つ

・欠点や弱点を克服し、もっと良くなろうという気持ちを心の習慣として持ち続ける人は、どんなときでも力強く、楽しく生き抜くことができる。

3.新しいことにチャレンジする

・新しいことに興味を抱くのが若さの象徴と考えると
 人間の老いは、生活年齢でははかれなくなる。
 歳をとった人でも、新しいことに興味を持てる人は、 体は老いても、本質的には若い。

4.集中力を鍛える

・どんなに時間に余裕があっても、無制限にはしない。たとえば 1日3時間と制限時間を決めて勉強や趣味に取り組むようにすると緊張感が生まれて能率も上がるし、集中すれば上達も早い。そして翌日の時間が楽しみになる。

5.目標となる人に学ぶ

・いくつになってもモデルは人生の師として必要。目標となるモデルが決まれば、その人に近づくには今何をすればいいか、どのような努力をすればいいかなど、やるべきこと、選ぶべき道は自然と決まってくる。

 1911年(明治44年)に生まれ、決して戸籍上だけではなく、ちゃんと活躍しておられ、実際にテレビのニュースで、「葉っぱのフレディ」のミュージカルに出演している姿も最近映し出された日野原先生の書物です。

 味わい深いですね。 今日も、よい日となりますように。

 

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