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2010年9月26日 (日)

『援助者必携 はじめての精神科』 その2

 昨日に続いて、タイトルの書について書かせていただきます。これは簡潔で、そして的を射ている、と私が感嘆した文章があります。

 精神が病むということを、介助や援助にたずさわる人はどうとらえたらよいか ・・・ それについて著者である春日武彦精神科医は、こう考えているそうです。

 物事の優先順位が、常識や良識から逸脱するとき

 これが、精神を病むことの意味だと思っておられるのだそうです。 心を病むとは、すなわち「優先順位のつけ方がオカシクなる」ことであると理解することで、状況把握が明確になったり、頭の中が整理されるのではないかと考える ・・・

 こうとらえることで、ハンディキャップという座標軸を導入することになり、問題行動は漠然としたところから「アプローチを試みるに足る課題」となり、わたし自身が問題の整理を図り、かつ自分の気持ちを散漫でとりとめのない状態から救い出すことが可能であることに気づいた次第なのである。

 定義・分類することが最終目的なのではなく、整理することによって課題としてアプローチ可能なものへと対象を変化させる、あるいは取り組む自分を変化させる、そういう熟練と愛に支えられた知恵が感じられ、読み進んでいるところです。

 私のはしょった紹介では伝わりにくいかと思いますが、もし、心惹かれるものを感じられた方にはおすすめしたい本です。

 さて、今日は、日曜日。よい日となりますように。

 キリスト教会の礼拝にお出かけくだされば、きっとよき糧が魂に得られることと思います。

聖書の言葉  安息日をおぼえて、これを聖とせよ

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コメント

 上記の引用から具体的な理解のイメージが分かりませんので、私なりの考えを述べます。
 精神を病むとは、限界を超えるストレスや、疲労の継続により、脳神経系が破損、破壊、もしくは不調をきたし、正常な生活が困難になることと定義し、それは一種の病状と考えます。
 ですのでその大きな意味は、ひとはなぜ病気になるのか?とか、この世に病気が存在するのはなぜか?という疑問に対する答えと似ているように思うのです。
 信仰的見地から言えば、人の生命を支配しておられる神様がおり、私たちに命を与えたり、召したり、病気にしたりしているという解釈もできます。または、個人的な悪い習慣や、不摂生により病気になる、いわゆる自己責任のケースもあるでしょう。
 病気ほどいやなものはありませんが、自己を見つめ直し、反省する機会にすることは、本人の自覚によって可能だと思います。

※ ムーミンパパより
 コメントありがとうございます。
 聖書の中のヨブ記のように、大きな苦しみを受ける信仰者もいるので、幸せと健康だけのなかを歩む人生というのは、おそらく、ないのだと思います。

 ラインホルト・ニーバーという牧師がマサチューセッツの教会の礼拝で40歳の時に捧げた祈りを、ご存じと思いますが、記させていただきます。

「神よ、変えることの出来るものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与え給え

神よ、変えることの出来ないものについては、
それを受け容れるだけの落ち着きを与え給え。

そして、変えることの出来るものと、
変えることの出来ないものとを
見分ける知恵を授け給え」

 今日も、よい日となりますように。 神様がすべてがあい働きて、すべてをよきへと導いてくださいますように。
 

投稿: 小島 | 2010年9月26日 (日) 22時39分

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