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2010年10月31日 (日)

演劇「今度は愛妻家」

0001 演劇「今度は愛妻家」 中谷まゆみ 作 松尾泰介 演出 岐阜大学演劇研究会 第44回冬季独立公演 を観ました。 10月30日(土)16時30分からの千秋楽公演です。

 うーん、驚きました。何重にも感動、感激しました。

 大画面のテレビ、いえ、大きな映画館のスクリーンでも決して再現できないすばらしさが演劇にはあるのですね。

 それを、若人たち ・・・ すばらしい若者たちが熱演して、身をもって伝えてくれました。

 こんなに感動したことは、いつ以来でしょうか・・・ちょっと思い出せないほどです。

 

0003  ストーリー、各台詞も深みと冴えがあります それに表情、テンポ、リズムなどなどを吹き込み、演劇として創りあげるために、想像を絶するほどの練習、率直な意見のぶつけ合いなどなどが積み重ねられたことは想像に難くありません。

  感動しました。尽きない感謝と敬意を贈ります。

 私も、いただいた感動をエネルギーとして自分の命の時間を情熱を込めて燃やして励みたいと思います。

 この演劇を観ておられない方にはお伝えしようがなくて申し訳ありませんが、せめて、自分の務める大学の学生さんたちの若い力をいっぱいもらった喜びを表現したかったのです。本当にありがとうございました。

 今日も、よい日となりますように。

 日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 聖書のことば  安息日を覚えて、これを聖とせよ。

 

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2010年10月30日 (土)

イチゴは野菜!

 テレビで園芸の番組を見ておりました。

 登場したのは、イチゴ ・・・ イチゴは果物だと思っていましたのに、何と野菜なのだそうです。

 「種を蒔いて一年以内に収穫できるものは野菜」ということだそうです。

 「果物は木、野菜は草」 ・・・ こういう覚え方もあるのだそうです。

 なるほど ・・・ そういうわけで、下に出てくるのは皆、果物ということになりますね。

 桃栗 3年

 柿   8年

 梅は すいすい 13年

 頑固なゆずは 20年

 暖かい地方と寒い地方とでは年数に少し違いがあったり、

「ゆずの馬鹿めは20年」というような言い方もあるようです。

 以上、畑主任として見たり聞いたりしたことを書かせていただきました。

 我が家の畑、二十日大根とチンゲンサイ、シュンギク、レタスは元気に生長しています。ただ、「ハリハリ 京 ミズナ」は何だかしおれていましたので、根の辺りに土を少し持ってみました。 さて明日はどうなっているでしょうか。

 今日もよい日となりますように。

 明日は、日曜日 ・・・ キリスト教会の礼拝にお出かけください。

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2010年10月29日 (金)

ムーミンパパ

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   このブログ「ムーミンパパのシルエット」という名は現職時代の小学校で「ムーミンパパ」というニックネームを私がいただいていたことに由来しています。

  私とムーミンパパの結びつきについては以前にも書かせていただいたことがあるのですが、時々原点に立ち返るのもよいかと思い、改めて書かせていただくととにいたします。

  ちなみに、他にもニックネームがありました。「ドラえもん」「アンパンマン」「たれ目パンダ」などなど・・・。 これらの共通点は・・・あまりにもはっきりしているので省かせていただきます。

 さて、本題に戻ります。小学校のPTAの会合でこんなお話をしました。

    ◇  ○  □  ☆  ※  ☆  □  ○  ◇

 私の長男が小学校に上がるまえのことです。休日に親子で、テレビのアニメ「ムーミン」を見ていました。

 いつもは、平和なムーミン谷なのですが、その日は悪人たちが登場し、ムーミンのガールフレンド、ノンノンをさらっていってしまいました。

 ムーミンは、悪人を恐れながらも、勇気を奮い起こしてノンノンの救出に向かいます。

 その場面で、私は長男に話しかけました。

「お父さんはね、おまえにムーミンみたいな子になってほしいな」

 息子が息を呑んだような表情をしました。

 私は、たまの父親の一言はこんなにインパクトを与えるものかと思いましたが、息子があまりにも真剣な顔をして、涙さえ浮かべていたので、どう思ったのかを尋ねました。

 彼は言いました。 「お父さん」  「うん」

「ぼく、あんな顔にはなりたくない。 いつまでも人間でいたい」

 「・・・ ・・・」

 反省いたしました。

 私がムーミンの勇気をイメージして語ったのに、幼い息子は、あのカバとブタの合わさったような、そしてしっぽのある姿になれと言われたのだと思って、驚き、深く悲しんでいたのでした。

  PTAの会合で保護者の方たちへの話をこう結びました。

 寝転がって、アニメの主人公を指さしながら「息子よ、あのように育て」  「分かった、父ちゃん、ぼく、がんばるよ」 こんなふうにことが進むのなら、子育てってとても楽なことです。

 でも、そうはことはうまく運びません。自分のひたむきに生きる姿を見せながら「わが子よ、お前もこのように生きよ」と、真剣に子どもと正面から向き合って育てましょう。

    ◇  ○  □  ☆  ※  ☆  □  ○  ◇

 ムーミンパパは、平和でおおらかに見えます。それは正しいイメージなのです。そして、私にとっては自戒と反省の大切さをも思い起こさせてくれる存在でもあるのです。

 おつきあいいただいて、ありがとうございます。

 冒頭の写真のムーミンパパたち ・・・ まだまだムーミン谷グッズはあるのですが、どれも、親しくしてくださる方々からいただいたものばかりです。

 本物のムーミンパパとは距離がありますので「ムーミンパパのシルエット」と題していますが、こんな私のブログでよろしかったら、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 さて、今日も、よい日となりますように。

  

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2010年10月28日 (木)

秋の夜

 ♪「旅愁」という歌の最初に「ふけゆく秋の夜 旅の空の・・」とありますね。小さいときには、「ふけゆく サツマイモ ・・・ 」などと替え歌があったように思います。

 それでは、申し訳ないので、歌詞を調べてみました。

 

「旅愁」

犬童球渓(いんどうきゅうけい)作詞・オードウェイ作曲

更け行く秋の夜、旅の空の、
わびしき思いに、ひとりなやむ。
恋しやふるさと、なつかし父母、
夢路
(ゆめじ)にたどるは、故郷(さと)の家路(いえじ)
更け行く秋の夜、旅の空の、
わびしき思いに、ひとりなやむ。

窓うつ嵐に、夢もやぶれ、
(はる)けき彼方(かなた)に、こころ迷う。
恋しやふるさと、なつかし父母、
思いに浮かぶは、杜
(もり)のこずえ。
窓うつ嵐に、夢もやぶれ、
遥けき彼方に、心まよう。

 うーむ、よい歌、詩ですね。丹波柏原の八幡神社の森が、この歌に出てくる「杜」だそうです。

英語での原詩も載っていましたので、紹介させていただきます。

Dreaming of Home and Mother
1.
Dreaming of home, dear old home!
Home of my childhood and mother;
Oft when I wake 'tis sweet to fine,
I've been dreaming of home and mother.
Home, dear home, childhood's happy home
When I played with sister and with brother,
'Twas the sweetest joy when we did roam
Over hill and thro' dale with mother.
Dreaming of home, dear old home,
Home of my childhood and mother;
Oft when I wake 'tis sweet to fine,
I've been dreaming of home and mother.

 歌詞を調べるのにインターネットのこのページは大変助かりますので、感謝を込めてそのURLを記させていただきます。http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html

 なぜか、この曲にはハーモニカが似合うような気がいたします。

 英語の歌詞に、 Home と Mother があって、 Fatherがないのは、なぜでしょうね。 いえ、ひがんでいるわけではありません ・・・やっぱりひがんでいるのかもしれません。

 秋の夜 ・・・ 読書や歌 などですごしております。

 どうぞ、お風邪などお召しになりませんように。

 さて、今日も、よき秋の日となりますように。

 


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2010年10月27日 (水)

秋の宵 眠気に誘われる

 今日は、ブログの更新時間が少し遅くなりました。

 大学で、「国語科教育法」という講義を90名ほどの学生にしたのですが、拡声装置が故障していて90分間を後ろまで聞こえる声で話したためか、昨夜は早めに眠くなったのです。パソコンのスイッチを入れたのはいいのですが、パソコンが立ち上がる頃にはこちらが寝ていたというわけです。

(上記は、体裁を繕ったお話で、実際のところは単に年寄りは早寝早起きになる傾向があるということです。)・・・ でも、近いうちに、90分授業を、間に10分休んで連続2回ということもありますので、それくらいはものともしない体力を養っておく必要はありますね。 ・・・昨年は、3回連続という日もあったような気も ・・・ 多分。そういうことは、めったにありませんけれど。

  先ほど目覚めて、このブログにアクセスしてくださった方の数を見ますと・・・ これは、どなたが、ということは分かりませんが、ブログの開設者には数は分かるようにニフティがしてくれているサービスです・・・ すると、深夜の1時台にお一人で36の記事を読んでくださったらしい方がおられることがわかりました。

 動機は知るよしもないのですが、ありがとうございます。

 さて、私の「国語科教育法」では、早口言葉や熟字訓、1分間でできるだけ多く「ケイ」と読む漢字を書きましょう、などのコーナーがところどころに登場します。

 私のひとりしゃべりになると私も、それ以上に聞くだけの学生さんたち(およそ、20歳 ・・・ 私の年齢の3分の1にもいかない若人 ・・・ わ、若い!)も疲れることになるのですね。聴衆参加型で、実際に授業するときにも生かせることを仕組むことにしています。

 早口言葉と、熟字訓を少し上げて、今日のブログとさせていただき、もう一眠りすることにいたします。

□ 早口言葉   それぞれ、できるだけ早く 3回ずつ どうぞ

  1.お綾や おあやまちを 母親に おあやまりなさい

  2.ひきぬきにくいくぎ

  3.ひまごがめ

  4.新春新人歌謡シャンソンショー

※ 早さだけでなく 正確さ、明瞭さも ・・・ 練習の成果は、きっとあります。

 熟字訓

1.竹刀 2.紫陽花 3.土筆 4.雪洞 5.剣橋

 ※ 続きを読む をクリックしてくださると、解答がでます。解答が分からないと何だか 落ち着かないものですよね。

 おつきあい、ありがとうございました。

 今日も、よい日となりますように。

続きを読む "秋の宵 眠気に誘われる"

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2010年10月26日 (火)

教会のコンサート

0005_2  24日(日)の午後、岐阜市の長良キリスト教会でコンサートがありました。

 この写真は、その会場をいろどった花たちです。

 このコンサートで歌われた方の美しく、そして力強いソプラノの歌声はすばらしく、ショートメッセージをされた牧師さんが「至福の時」とおっしゃったのがピッタリのひとときでした。

  伴奏をされた方、そして♪「一羽の雀に」を演奏してくださった方のピアノもそれぞれすてきでした。

  そのピアノを私も弾いたことがあるのですが、とても同じピアノとは思えません。ピアノが「そうそう、私の本当の実力を引き出すには、今日のような演奏者でなくては」と嬉々として歌っているように思えました。

  コンサートの後のティータイムでは、牧師夫人を初め、何人もの方の手作りのケーキなどを楽しく語らいながらいただきました。

 コンサートも、ティータイムも本当に「至福の時」でした。ありがとうございました。

 この24日は、身内の一人の誕生日でもありました。おめでとうございます。

 さて、すばらしい演奏を聴かせていただいて帰宅して、ピアノの練習に向かうのは勇気が要りました。でもこういうときに私を支えてくれる詩があります。

  ぼくの坏(さかづき)は小さいが

  ぼくの坏で飲むのです

 作者は、ミュッセ ・・・ ショパンやジョルジュ・サンドたちと親交があり、確か、そうした親しい数人が一枚に描かれた絵があるように思います。

 芸術の秋、味覚の秋 ・・・ あなたは、いかがおすごしですか。

 今日も、よい日となりますように。

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2010年10月25日 (月)

根付いた水菜

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  ささやかな家庭菜園ですが、二十日大根の種が発芽し、植えた苗が根付くのは、嬉しいものです。

  写真は、水菜 ・・・ 「京のハリハリ ミズナ」が商品名です。

  家内が申しますには、これからは虫との闘いになるのだそうです。

  このミズナに私の生活がかかっているわけではないので、命がけでやってくる虫さんたちに譲ってもいいのですが、そうすると、何のために植えたのかが問われることになります。

  うーむ、人生は決断の連続なのですね。 心を鬼に ・・・ いえ、一つ道がありそうです。虫が付かないように、網をかぶせておくのです。 一件落着 ・・・ と思いきや、そうすると、いったいこのミズナはいくらくらいの単価になるのでしょう。

  何を願っての野菜栽培か ・・・ しばらく考えてみることにいたします。

  今日も、よい日となりますように。

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2010年10月24日 (日)

保険の番組から思ったこと

 22日夜のテレビで ・・・ 私は「勝っているときだけ」という限定付きの中日ドラゴンズフアンです 22日は巨人が先取点を入れたので、特に巨人の攻撃中はほかのチャンネルにまわしていました ・・・ そのときに生命保険は「積み立て」と「掛け捨て」とどちらが得でどちらが損か という番組を少しだけ観ました。

1.貯蓄は将来の安定を前提とし、保険は将来の危険に備えるもの

2.したがって保険は掛け捨てを達成したときが一番喜ぶべきもの

3.しかるに、日本では、積立型の生命保険がある  将来の安定にも将来の危険にも一つの保健で対応するとは、どうなっているのか

上記は、だいぶん古い本ですが『日本人とユダヤ人』に書かれていたことです。

 このテレビのコメンテーターは6人ほどだったと思いますが、「積み立て」を選んでいるのは、一人だけでした。 ・・・ 社会全体の統計としては、どちらも40数パーセントずつだったようです。

 どちらも、それぞれにメリットがあるので社会のなかで両立しているわけですよね。

 聖書に「明日のことを思い煩うな」とあり、心配はしていませんが、年齢は加わっていきますので、思い煩わないほどに考えることは大切だ思いますのでちょっと真面目に考えてみます。

 そうそう、保険のことで思いを巡らすとき、一番肝心な基礎データがどうにも確定できないということに気がつきました。それは、自分はいったいあと何年この世に生きているのかということです。

 この世での人生は、神様からのたった一度きりの招待 ・・・ そのことを忘れずに、謙虚に、感謝しつつ一日一日を歩まねばと改めて思いました。

 今日も、神様に信頼して歩めるよい日となりますように。

 聖書の言葉  安息日を覚えて、これを聖とせよ

  キリスト教会の礼拝にお出かけください。

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2010年10月23日 (土)

日野原重明医師の考える音楽療法士

  3年がかりで学んできた岐阜県音楽療法士への学びが、九つのレポートを書き上げる段階に入りました。

  私は、音楽時間パートナーというようなイメージを「音楽療法士」という言葉の中身として描いています。それはそれとして、日野原医師はどのように考えておられるかを調べてみました。

 『音楽の癒しのちから』(日野原重明 著 春秋社 1996年12月15日 初版第一刷 発行)から、何箇所かを挙げさせていただきます。 

◇ 音楽療法士 音楽の手立てを持って、癒しの技に参与したいと決心し た人。音楽をメディアにして、人間がよりよく生きられるように使う人。

□  愛を持って患者に触れるときに、それを通して愛の心が相手に浸透して、音楽の中に丸められていく、そういう音楽に携わる人をfunctional musician と呼ぶ。

☆「演奏したり鑑賞したりして音楽の純粋な世界で仕事をする人がレベル高く教育する音楽教育がある一方で、もうひとつ、それを使って人間のために生かすことが上手である人、器楽演奏のテクニックはそれほど高くなくても、患者との間に自分の全人格をもって触れる、愛を持って触れることができる人を育成する音楽教育があるべきだと私は思います。」

 うーむ、学識が広く、理念も深いですね。

 「愛を持って触れる」というところから、「愛の章」と呼ばれている聖書の箇所を思い浮かべました。少し長くなりますが、意訳も含めて親しみやすく書かれているリビングバイブルから引用させていただきます。第一コリント 13章です。

13:1 たとい私に、異言(今まで知らなかったことば)で話す才能があり、また、天と地のあらゆることばを話すことができても、人を愛していなければ、ただの騒音にすぎません。
13:2 同様に、預言をする才能があり、将来の出来事を予知し、あらゆることに通じていても、人を愛さないなら、何の役に立つでしょう。 また、山を動かすほどの強い信仰を持っていても、愛がないなら、私には何の値打もないのです。
13:3 そして、自分の財産を全部、貧しい人たちに分け与えても、また、良い知らせを宣べ伝えるために火あぶりの刑に甘んじても、愛がなければ、何の値打もありません。
13:4 愛はきわめて忍耐強く、親切です。 愛は決してねたみません。 また、決して自慢せず、高慢になりません。
13:5 決して思い上がらず、自分の利益を求めず、無礼なふるまいをしません。 愛は自分のやり方を押し通そうとはしません。 また、いらいらせず、腹を立てません。 人に恨みをいだかず、人から悪いことをされても、気にしません。

13:6 決して不正を喜ばず、真理が勝つ時は、いつも喜びます。
13:7 だれかを愛する人は、どんな犠牲をはらっても、誠実であろうとするでしょう。 また、いつもその人を信じ、その人に最善を期待し、いのちがけで、その人を守り抜くでしょう。
13:8 神様からいただいた特別の賜物や力は、いつかは尽きるものです。 しかし、愛は永遠に続きます。 預言すること、人の知らないことばで語ること、特別な知識などの賜物は、やがて消え去ります。
13:9 たとい、特別な才能が与えられていても、いま私たちの知っていることは、ほんの一部にすぎません。 また、最高の才能に恵まれた人の説教でも、貧弱なものです。

13:10 しかし、私たちが完全無欠な存在とされる時、これら不完全な賜物は不要になり、消え去ってしまうのです。
13:11 それは、こんなことから説明できるでしょう。 子供の時の私は、子供のように話し、子供のように考え、子供のように判断していました。 しかし、大人になると、考え方も成長して、子供時代とは違い、今では子供っぽいこととは縁を切りました。
13:12 同様に、今の私たちの神様に対する知識や理解は、そまつな鏡にぼんやり映る姿のようなものです。 しかし、やがていつかは、面と向かって、神様の完全な姿を見るのです。 いま私が知っていることはみな、おぼろげで、ぼんやりしています。 しかしその時には、いま神様が私の心を見通しておられるのと同様、すべてが、はっきりわかるでしょう。
13:13 いつまでも残るものが三つあります。 信仰と希望と愛です。 その中で一番すぐれたものは愛です。 

 ・・・ここに書かれている「愛」を自分の名に置き換えて声に出して読んでご覧なさい、きっと自分が愛からいかに遠い存在であることが感じられて読むに耐えられなくなります。私もそうです。けれど、たった一人、「愛」と置き換えて読んでピッタリの方がおられます。「イエス・キリスト」がそのかたです。・・・ そのようにメッセージで語られた牧師がおられました。

  音楽療法だけでなく、すべてのことを愛を込めて為しつつ生きることができたらどんなに幸いなことでしょうか。

 今日も、少しでもそうした命の一日とすることができますように。

 明日は、日曜日。 キリスト教会の礼拝に出席されますように。

聖書のことば  

 わたし(神様)の目には、あなたは高価で貴い。わたしは、 あなたを愛している。

 神様のあなたへの愛にこたえることができたら、神様は、どんなに喜んでくださることでしょう。

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2010年10月22日 (金)

蒔いた種

 畑主任として、二十日大根を蒔いたら、天が驚いたのか、その夜、雨が降り、苗で買ってきた春菊などが根付いたことは、しばらく前に書かせていただいたと思います。

 二十日大根のほうも、順調に、芽を出してくれました。

 「蒔かぬ種は生えぬ」 ・・・ これに対して「蒔いた種は生える」でしょうか。 二十日大根の種の袋には「発芽率80パーセント」と書かれていましたから、蒔いた種の全てが芽を出すというわけにはいかないかもしれませんが、ともかく、蒔かなければ始まらないということは言えましょう。

 ピアノの練習にしても、とにかく毎日欠かさずに向かうことで、急激に上達はしないまでも、弾けるようになっていた曲が目減りすることは避けられるように感じでいます。

 デイサービスセンターでの音楽療法の実習の折に、曲に合わせてスカーフを振る活動を音楽療法士さんが教えてくださいました。

 ♪「汽車の窓から ハンケチ振れば 牧場の乙女が 花束投げる」 などの歌に合わせてゆっくりとスカーフを振っていただくのです。

 手をあまり高い位置まで上げられない方は、無理のない位置で振っていただけばいいのです。

  何も手に持たないときよりも動作に目的意識が生まれ、色とりどりのスカーフがゆらめくのは、なかなかはなやかでいいものだと思いました。

  家内が百円均一の店や衣料品店まわりにつきあってくれて、いろいろな模様のスカーフを値打ちにそろえることができました。

  どんな曲をどんな動作で ・・・ ということも工夫して、活用するときに備えたいと思います。 これも、種を蒔くということの一つですね。

 今日も、よい種を蒔くことのできるすてきな日となりますように。

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2010年10月21日 (木)

絵本『クリスマス人形のねがい』

0011  『クリスマス人形のねがい』

 ルーマー・ゴッデン 文

 バーバラ・クーニー 絵

 掛川恭子 訳

 岩波書店 2001年11月12日   第一刷発行

 絵と訳は、昨日の『ルピナスさん』のコンビです。原題を「ホリーとアイビーの物語」といい、これは、「ヒイラギとツタ」という讃美歌からとったものだそうです。

 人形のホリーは赤と緑のクリスマスカラーの衣装を身につけています。クリスマスイブのおもちゃの店に並べられた人形は、今日中に買ってもらおうとむしゃぶるいしています。

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 人形たちは、人間とは反対に考えるのだそうです。たとえば、こんなふうに。

 「クリスマスには、小さな男の子か、女の子をもらえるのよ」

  いっぽう、このおもちゃの店とは別の町の身寄りのない子たち30人が暮らしている大きな家に、6歳になるアイビーという女の子がいました。他の子は、クリスマスシーズンにあずかってくださる家庭があったのですが、どういうものか、アイビーにはそれがありませんでした。

 さて、この物語、いったいどうなるのでしょうね。

 『ルピナスさん』には絵本を特集した『百万人の福音』を通して出会ったのですが、『クリスマス人形のねがい』は、この絵本に出会って感激した牧師夫妻からのいただき物です。

 それぞれの賜物を生かして一冊の絵本を創り出す人たちの出会い、そしてそのようにして生まれた絵本とそれを読む人たちとの出会い ・・・ 考えると、世の中は実に不思議な出会いに満ちていますね。

  読み終わった後にそんなことにもしみじみと思いをめぐらす絵本でもありました。

 今日も、素敵な出会いのある一日となりますように。

 

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2010年10月20日 (水)

絵本『ルピナスさん』

0005 『ルピナスさん 小さなおばあさんのお話』

 バーバラクーニー さく

 かけがわ やすこ やく

 ほるぷ出版 1987.10.15

 第一刷発行

  この絵本の初めにこう書いてあります。

 ルピナスさんは、海をみおろすおかのうえにある、小さないえにすんでいます。いえのまわりには、あおや、むらさきや、ピンクの花が、さきみだれています。

 ルピナスさんは小さなおばあさんですが、むかしからおばあさんだったわけではありません。 うそじゃありません。ルピナスさんからちょくせつきいたのです。

 おお、なんと楽しい書き出しでしょう。

 でも、そう言われてみると、私にも何だか思い当たることがあります。自分が小さい頃、おばあさんはずっと前からおばあさんだったように思い込んで、何の疑いもいだかなかったことが・・・。

 あなたにもありませんか。「あの人は、ずっと昔から・・・わたしが生まれる前からおばあさんだったよ」としか思えないような人が ・・・

 それは、ともかく、子どものころは、アリスという名だったルピナスさんは、おじいさんに遠い国々の話をしてもらうと、いつもいったのだそうです。

 「大きくなったら、わたしもとおいくににいく。そしておばあさんになったら、海のそばのまちにすむことにする」

 そういうアリスにおじいさんは、「それはけっこうだがね、アリス、もうひとつ、しなくてはならないことがあるぞ」といいました。

 「なんなの?」

 「世の中をもっとうつくしくするために、なにかしてもらいたいのだよ」

 アリスは、なにをすればいいのかはわかりませんでしたが「いいわ」と約束しました。

 さて、アリスは、大きくなって、なにをするのでしょうね。

 この絵本のどのページも、ルピナスの花の色にいろどられているのです ・・・ もう、あなたには大きくなったアリスのしたことが、おわかりになったようですね。

 でも、どうぞ、よろしかったら、読んでください。わたしは、ちょうど行きつけの図書館で借りることができましたよ。

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 今日も、ルピナスの花の色のように、美しいよい日となりますように。

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2010年10月19日 (火)

絵本の魅力

 石井桃子展 「本は心の宝物」が開かれたとき、こんなメッセージが掲げられていたそうです。

 子どもたちよ

 子ども時代を しっかりと

 たのしんでください。

 大人になってから

 老人になってから

 あなたを支えてくれるのは

 子ども時代の「あなた」です。  石井桃子

  この文は『百万人の福音』 いのちのことば社 発行 2010年3月号 特集 「読み継がれていく絵本」」で紹介されていました。

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 すてきな言葉だと思い、石井桃子さんとはどんな人だったのだろうと調べてみると、次のことが分かりました。

 石井 桃子(いしい ももこ) 1907年3月10日 2008年4月2日児童文学作家翻訳家

 『ノンちゃん雲にのる』 ・・・第1回芸術選奨文部大臣賞や菊池寛賞を受賞 鰐淵晴子主演 で映画化された。

 訳書のリストは、小さい牛追ひ、くまのプーさん、トムソーヤ、ピーターパン、ブルーナの『うさこちゃん』シリーズ、ポターの『ピーター・ラビット』シリーズ、『根っこのこどもたち目をさますジビレ・フォン・オルファース作 などなど、盛りだくさん。

 内藤濯「おもしろいから」と勧めて本を訳させ、それを岩波書店から出版させるなどの世話をしたこともあるそうです。 その本の名は ・・・そうなんです。『星の王子さま』です。

 井伏鱒二によると石井桃子さんに、太宰治が、ほのかな慕情を寄せたこともあったようです。(石井さんは気がつかず、進展もなかったようです。)

 ところで、冒頭のことばは、直接には子どもたちに呼びかけていますが、それ以上に大人たちに「子どもたちに子ども時代をしっかり楽しませてくださいね、人生の土台となるのですから」と強い願いを込めて語っているのではないかと感じました。

 さて、明日は、心に残った絵本を紹介させていただきます。

 今日も、よい日となりますように。

   

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2010年10月18日 (月)

絵をかくムーミンママ

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  ムーミン童話集全8巻と別巻などを一通り読みました。

 発見 ・・・左の挿絵は、ムーミンママが絵をかいているところです。

 この挿絵のあるところの本文を少しご紹介させてください。

 ・・・ ムーミンママは、かべいっぱいに花をかきはじめました。思い切って大きな花でした。筆は大きいし、ペンキがかべ土によくしみこんで、くっきりとすきとおって見えました。

 まあ、きれい! この仕事はたきぎをひくよりも、何百倍もおもしろかったのです。かべの上には、つぎからつぎへと花があらわれてきました。ばら・せんじゅぎく・さんしきすみれ・しゃくやく・・・・・・。

 ムーミンママ自身、こんなにうまくかけるとは、思ってもいませんでしたから、ひどくおどろいてしまいました。ゆかの近くには、風になびく長いみどりの草をかきました。上には太陽をかこうと思ったのですが、あいにくと、黄色いペンキがありませんでした。

 みんなが昼食に帰ってきたときには、ムーミンママはまだ台所の火もつけていませんでした。箱の上に立って、みどりの目をした小さな茶色のはちをかいていたところでした。

 「ママ。」とムーミントロールはさけびました。

 「どう、うまいでしょ?」

ムーミンママは、はちの二つの目をかきおえて、満足そうにききました。 ・・・・・・

  ムーミン童話全集第七巻『ムーミンパパ海へ行く』 トーベ・ヤンソン原作・小野寺百合子 訳  講談社 1990年第一刷発行

 この書の題は「ムーミンパパ海へ行く」ですが、実はムーミン一家全員がパパに率いられて島へ行き、生活するのです。

 その島で、パパが釣ってくる魚を塩漬けにし、流木などをたきぎにし・・・といそしんでいたムーミンママが絵をかき始めたのです。

 その絵は、だんだんとムーミン谷に似てきます。

 それはさておき、ムーミンママが絵をかく ・・・それも本人が驚くほどに上手に ということに読者としての私も驚いてしまいました。  どの人にも、まだまだ本人の気づいてない可能性や才能があり、それがいつ花を開かせるかわからない ・・・そんなことを思いました。

  このことも含めて、いろいろ発見の楽しめるシリーズでした。 まだお読みになっていなくて関心を覚えた方は、どうぞ。

 本日もよい日となりますように。

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2010年10月17日 (日)

『学ぶ人 オシムに学ぶ』

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 『学ぶ人 オシムに学ぶ』

「週刊サッカーマガジン 編集部 編著 ベースボールマガジン社 2006年11月10日 第一版 第一刷 発行

 最近サッカーの日本代表チームの監督に就任したのはイタリアのザッケローニです。

 その前が岡田監督で、その前がオシム監督なんですね。(多分・・・)

 このオシムさんの名前を初めて新聞で見たときに何だかユーモアを感じました。

 イビチャ・オシム から「揖斐茶 惜しむ」と連想したのですね。 とにかく勉強家で、数学の博士の道にも進もうと思ったほどのかたらしいのです。

 指導者自らが学ぶ人なので、その人から選手が学び、サッカーの指導者たちが学び、サポーターが学び、マスコミ関係者などメディアも学ぶ ・・・ そういう実績がこの本の発行につながることにもなったようです。

 ひとつだけ、そのオシム語録について書かせていただきますね。

  「ライオンに追われたウサギが肉離れしますか。準備が足りないのです」

  監督は、誰についてとは名指ししていないのですが、試合後にオシムがこうコメントしているのを聞いたある選手は。あっ、自分のことが言われていると思ったそうです。この選手はけがをして、その試合に欠場していたのですね。

 この部分を読んで、強いライオンにではなく、追われる立場の弱いウサギに選手をたとえているところが心に残りました。

 弱いウサギであると自覚したら、生き延びるために必死に努力することが当然だということになりますよね。強いライオンだったら、ときにはのんびりと無防備に昼寝をしていてもいいのです。

 スポーツの世界は、どこか人生をシンプルに象徴しているときがあるように思われて、時々好きになります。

 今日は日曜日、よい日となりますように。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

聖書のことば  マタイによる福音書 25章 天国のたとえ

  天国は、ランプを持って花婿を迎えに出た、十人の娘〔花嫁の付き添い〕の話でも説明できます。
 そのうちの五人は賢く、ランプの油を十分用意していましたが、残りの五人は愚かで、うっかり忘れていました。
さて、花婿の到着が遅れたので、みな横になり寝入ってしまいました。
真夜中ごろ、ようやく、『花婿のお着きーっ。 迎えに出なさーい』と叫ぶ声がします。
 娘たちはとび起きると、めいめい自分のランプを整えました。 その時、油を用意していなかった五人の娘は、ランプが今にも消えそうなので、ほかの五人に油を分けてほしいと頼みました。
  『ごめんなさい。 でも、分けてあげるほどはないの。 それよりもお店に行って、買ってきたほうがいいんじゃないかしら。』
  こう言われて、あわてて買いに行っているうちに、花婿が到着しました。 用意のできていた娘たちは、花婿といっしょに披露宴に行き、戸は閉じられました。
  そのあとで、例の五人が帰って来て、『ご主人様ーっ、戸を、戸を開けてくださーい』と叫びました。
  ところが主人は、『さっさと行ってしまえ。 もう遅すぎる!』と冷たく答えました。
  こんなことにならないために、目を覚まして、いつでもわたしを迎える準備をしていなさい。 わたしが来るその日、その時が、いつかわからないのですから……。

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2010年10月16日 (土)

久しぶりの畑主任

 ずっと以前、私が家内によって我が家の畑主任に任命されたことをお知らせしました。

 多分、(そうだっけ)と覚えておられる方は多くないと思います。それでいいのです。何しろ、当の畑主任である私が忘れているくらいなのですから。

 畑といっても、大きなテーブルくらいの土地で、出荷するなどということは考えなくてもいい広さです。先日まで、家内の友人が植えてくださったゴーヤがせっせと実りを提供してくれていたのですが、(家内が)それを片付けた後が空白となりました。

 「畑主任さん、せめて二十日大根でも植えて、世話をして」とのことで、反省して、種を買いに行きました。

※ 私が、本を読んだり、パソコンに向かったりしてばかりいるので、自然のものに目をや  り、土と親しむ機会を作ろうとの温かい心から、家内は私を畑主任に任命したのでした。

 さて、前置きが長くなりました。種を買いに行った園芸店で、めでたく二十日大根の種を買い、ついでに「春菊」「チンゲン菜」「ハリハリ 京 水菜」 「サニーレタス」の苗を一つずつ購入しました。

 いったい、一株のこれらでどれくらいの収穫があるのか分かりませんが、何事も勉強です。

 何と、夕方に農作業(といえるほどのことではありませんが)を終えましたら、それがめずらしかったのか、雨が降りました。

 天の助け、家内の後押しを得て、ひょっとしたら稔るかも知れません。そうなったら、またご報告させていただきます。  (虫を駆除する強い心をこの私にお与えください。)

  今日も、何かの収穫につながる種をまくことの出来るよい日となりますように。

 明日は、日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

聖書のことば

  私(パウロ)の仕事は、あなたがたの心に種をまくことでした。 アポロ(同じく、伝道者の一人。ギリシャ神話のアポロではありません)の仕事は、それに水をやることでした。 しかし、あなたがたの心の中でそれを生長させたのは神様であり、私たちではありません。

 第一コリント 3章 6節

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2010年10月15日 (金)

『痴呆を生きるということ』 その3

 この本についての最終回 ・・・以下の文と一つの詩を紹介させていただきます。

 「ぼけてしまえば、本人はなにもわからなくなるのですから幸せですよね、まわりはたいへんでしょうけど」などという言葉をよく聞く。

 そんなことはない。長年、痴呆を病む人たちとおつきあいしてくると、彼らの喜び、怒り、哀しみ、楽しみがはっきりと見えてくる。そのこころの世界は、私たちのそれと地続きである。

  それが見えないのは、私たちが見ようとしていないだけである。遠くからこわごわ眺めていては見えない。診察室で一方的な視線に彼らをさらしても見えてこない。暮らしのなかで発せられる彼らの言葉にならない言葉に耳を傾けることで、こころのありかを訪ねたい。 ・・・ 昨日、改築された病院でスタッフがしばらくは「徘徊」したと表現しておられるのも、「地続き」ととらえておられる構えとつながっているように思います。

 さて、結びとして、この本で紹介されている詩を引用させていただきます。

 うたこ

 だんだん

 ばかになる

 どうかたすけて

 起きぬけ

 母はそう言って私にすがりつく

 だれが

 この病を

 老年痴呆と名づけたのだろうか

 かつて私は

 こんなに賢いさけびをきいたことがない

 私は

 母のまねしてすがりつく

  (池下和彦 『母の詩集』より)

 

 三回にわたって、書かせていただきました。

 著者は「そのままでいいんですよ。困られたときには私たちがお手伝いしますから」。私たちのとどけるべき言葉は、この一言に尽きる と書いておられます。

 いろいろなことを考えさせていただいた本です。よろしかったら、どうぞ。

 さて、今日も、よい日となりますように。

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2010年10月14日 (木)

『痴呆を生きるということ』 その2

 昨日は、著者について書かせていただきました。今回は、この書物の内容についてです。既にこの本をお読みになっている方は、おゆるしください。

       ◇  ○  □  ☆  ※  ☆  □  ○  ◇

  痴呆の中核症状は、脳にある。その症状にケアは届かないけれど、周辺症状は生活の中で生まれた症状であるから、暮らしの中で、あるいはケアによって治るはずである。

 家族 「痴呆は治りませんね?」

 著者 

 ・もの忘れを治すことはむずかしいでしょうが、「盗られた」と言いつのる行動は必ず治ります。

 ・見当識(いつ・どこ・だれ)障害は治らないかもしれませんが、徘徊に対してまったくケアが届かないわけではありません。

 このように、中核障害と周辺症状を分けてお話するだけで、かなり安心されるご家族も多い。

 ※ 中核症状のなかでも、本来なら低下せずに済む機能が使われずに低いレベルまで落ち込んでいるもの・・・廃用症候群については、環境の変化によってほれぼれするほど奇跡のように変化することがある。〔例〕一人暮らしで、隣人とのつきあいもなく、家に閉じこもって生活していた人がデイケアなどを利用されるようになった場合など。

◇ 痴呆ケアの基本的視点

 病を病として正確に見定める。そのためには、暮らしのなかで彼らが抱えている不自由を知らねばならない。

 1.そして、できないことは要求せず、できるはずのことを奪わない、というかかわりをすること   これは客観的、医学的、ケア学的に理に適ったケアを届けるという課題

 2.もうひとつは痴呆を生きる一人ひとりのこころに寄り添うような、また一人ひとりの人生が透けて見えるようなかかわり ・・・  そのために、現在の暮らしぶりを知り、彼らが生きてきた軌跡を折りにふれて語っていただけるようなかかわりをつくりたい

 この二つの視点のどちらかにかたよることなく統合することが痴呆ケアの基本

  □   ◇     ○     ☆     ※     ☆     ○    ◇    □

 このほかにも、

 かつて書いたシナリオを書き直しながら人は自分の人生を生きている  ・・・ ところがこの想定した世界と現実とのズレが極めて大きくなるような事態、シナリオをまったく書き直せと命令された作家のような立場に置かれ、長年親しんできたそれまでの生き方を改変できないのに新たな生き方を強制されるような改変に直面し、それが発見できないとき人は危機に陥り転機を迎える。痴呆になった人の妄想、破局はこのような過渡において生成される ・・・ (私が少し要約させていただいたところがあります)という表現が頭に残りました。

  また、徘徊について、著者の勤務している病院が大幅な改築をしたとき、病院の多くのスタッフが徘徊し、頭の中に新しい病棟の地図ができあがると.その徘徊はやんだ というようなユーモアのある表現もあります。

 明日、もう一回だけ、この本をもとに書かせていただきますね。

 今日も、よい日となりますように。

    

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2010年10月13日 (水)

『痴呆を生きるということ』

0004

 『痴呆を生きるということ』

 小澤 勲(いさお)著

岩波書店 2003年7月18日

第一刷 発行

  著者は、老人保健施設 桃源の郷の施設長などを経て、京都府立洛南病院副院長として働かれたお医者さんです。

 医療に長く携っての実践・体験をもとに、わかりやすく痴呆になった方の心に寄り添って理解を深めながら介護者の在り方を説いておられます。

 この本の結びに、このように書いておられ、感銘を受けたので引用させていただきます。

  私は今、肺癌を病んでいる。まったく無症状だったのだが、昨年春の健診で発見され、精査の結果、すでに全身に転移していることがわかった。告知を受け、命の限りが近いことを知らされた。しかし、最初から大きな動揺もなく、まったく平静に自体を受けとめた。自分でも不思議だった。ときどきなぜだろうと考えることがある。よくわからない。しかし、痴呆を病む人たちとともに生きてきたことと、どこかで深くつながっているように思う。

 彼らと生きていると、人の生は個を超えていると感じるそのせいだろうか。私自身も「わたし」へのこだわりが若い頃に比較して格段に少なくなっている。むしろ、つながりの結び目としての自分という感覚の方が強くなっている、といったらよいだろうか。そのつながりは、病を得てからとても強くなっていて、私の残された生を支え、充実したものにしてくれている。そのつながりがこの本を書かせてくれた。

  著者は、この本の途中には自らの命の期間が限られていることに一言も言及していません。結びになって、淡々と上記のように記しておられるのです。すごいことだなと思いました。

 この書の内容については、明日、紹介させていただきますね。

  今日も、よい日となりますように。

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2010年10月12日 (火)

キャンパスの秋

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 大学の環境整備の方々は、とてもよく働かれます。広い持ち場を美しく整え、学生たち、私たちがよき学び、よい仕事が出来るようにと、心を込めてせっせと・・・

  頭が下がります。

  教員採用試験の結果は悲喜こもごもです。けれど、めげずに、卒論に取り組み、来年の四月から講師として働く準備をしている若者の姿をまぶしく思います。そうした若者たちの心の支えの一つに、美しい環境を通してエールを送っておられる方々の働きがあると私は思います。

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 美しいl心、そしてくじけない挑戦は必ず素敵な実を結ぶ日を迎えます。

  私も、前進し続けたいと思います。

 3年がかりで取り組んできた岐阜県音楽療法士の講座・実習の行程は、認定のためのレポート作成の段階に入っています。励みます。

  今日も、よい日となりますように。 

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2010年10月11日 (月)

師をもつこと

  秋になり、散歩を続けられるようになりました。そして、ピアノの練習も毎日60分ほどですが、続けています。ただ、先生についていないと、なかなか新しい曲の練習が進まないのが私の抱えている問題点です。

 吉田兼好が『徒然草』に書いているように、何事にも先達はあらまほし ・・・ です。

  さて、「師事する」という表現は、師の側からなのか、それとも弟子の立場からのことばなのかをはっきりさせたくて辞書をひきました。

 師としてつかえ、教えを受けること。 広辞苑

 と簡単に記してあります。 

 なるほど、弟子の側からのことばなのですね。でも、「師としてつかえ」という説明に、ちょっとつっかえました。

  ことばを補って「ある人を師として、その人につかえ、教えを受けること」とすると、私には理解しやすくなりますが、いかがでしょうか。

  1911年(明治44年)生まれの現役の医師、日野原重明さんは、カナダ出身のオスラーという医師との出会いを大切にしておられることが著作から伝わってきます。

 オスラー医師の著作、医学界での働き、いろいろな場面で語ったことなどをとても分厚い本になさっているほどですから、日野原医師はオスラーを師としておられると言ってよいと思います。

 私が心打たれるのは、日野原重明医師はそこまで傾倒されるオスラーに、直接会ったことがない、ということです。

 日野原医師がオスラー医師のことを知ったときには、オスラーはこの世にいなかったのです。にもかかわらず、傾倒、私淑されていること、たいへんなものがあります。

 念のため、「私淑」 を辞書でひいてみました。

 し‐しゅく【私淑】
[孟子(離婁下)](私(ひそか)に淑(よ)しとする意)直接に教えを受けてはいないが、その人を慕い、その言動を模範として学ぶこと。直接教えを受けている人に対しては「親炙(しんしや)」という。「ゲーテに―する」 広辞苑 第五版 (C)1998,2004  岩波書店

 あなたには、師事する方、私淑する方がおられるでしょうか。

  もし、心からつかえ、教えを請いたい相手に出会えたら、それは人生の中でも最高位に位置づけられる幸せだと思います。

 チャイコフスキーは、自分の師にピアノ協奏曲第一番を献呈したのですが、師は「こんな難しい、そしてつまらない曲には出会ったことがない」とか何とか、とにかくけなして、喜んでくれなかったそうです。 ・・・ 後に、この曲が有名になって、前言を謝したそうですが、なかなかよき師には出会えないのが人生かも知れません。

 『キリストに倣いて』(トマス・アケンピス)という書があります。師事して悔いのない存在としてイエス・キリストを選んでいる人をクリスチャンというと定義してよいと思うのです。

 師としてイエス・キリストは申し分のない存在です。問題は、キリストのほうから私を見ると弟子としては申し分がありすぎることです。けれど、それでもなお、友と呼び、愛してくださるのが、イエス・キリストなのです。

聖書の言葉

  あなたがたがわたし(イエス・キリスト)を選んだのではありません。 わたしが、あなたがたを選んだのです。 そして任命しました。 だから、あなたがたは行って、いつまでも残る、すばらしい実を結びます。 また、わたしの名前を使って父に求めるものは、何でもいただけるのです。 

  ヨハネの手紙 15章 16節

 今日も、よき師に出会えるよい日となりますように。

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2010年10月10日 (日)

散歩道の秋

0005  8日の夕方は夕焼けが見られそうにない空でしたので、近くの丘の中腹を歩くコースをたどってみました。

 よく手入れしてくださっている道を歩くのは心地よく、「たそがれ清兵衛」ならぬたそがれせっせという気分になりました。

  紅葉した桜の葉、そして黄コスモスの写真を添えさせていただきます。

 すごしやすい季節になっていることを改めて実感いたしました。こういう時間がもてることを幸いに思い、感謝の祈りを捧げました。

  今日は日曜日、よき日となりますように。

聖書  安息日を覚えて、これを聖とせよ。

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2010年10月 9日 (土)

♪「また君に恋してる」

 ビリーバンバンと坂本冬美がテレビで一緒に♪「また君に恋してる」を歌っていたので、(なんで、このおじさんたちが・・・)と思ったら、もともとはビリーバンバンが歌い始めた曲だったとのこと、失礼いたしました。

 デイサービスセンターの職員の方からリクエストがあって取り組んで、何とか伴奏は出来るようになったのですが、盲点がありました。

 伴奏しながら自らも歌うこと ・・・ 弾き語り(弾き歌い)の域にまで達していないと、その歌をよく知らないお年寄りをリードできない ということです。

 同じデイサービスでこの曲をプログラムに入れたときには、練習を積んで見事に歌う6人の仲間が一緒でした。単身であまりなじみのない曲を導入するときには、歌詞も覚えてしまって、会場の皆さんの顔を見ながら余裕を持ってリードすることのできるところまで練習を積まなければなりません。

 うーむ ・・・ 成長途上 というと聞こえはいいのですが、未熟の塊の私です。 でも、少しでも前進すると大きな喜びがあります。

  音楽タイムの会場から移動された方が、わざわざもどってきて(車いすに乗っている方だったのです)、「ありがとうございます」と声をかけてくださいました。未熟な私でも励むことが出来るのは、こうした方のおかげでもあります。

 帰り道では、楽器店に寄り、半音も吹けるハーモニカを張り切って注文しました。ベースを入れて吹けるようになりたいと思っています。

  今日も、よい日となりますように。 明日は日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 

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2010年10月 8日 (金)

秋 進む

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 日中の気温が高くなる日があります。

 けれど、庭の萩の花、そしてススキが秋が進みつつあることを告げてくれています。

 私たちも、周囲の方に何か確かなメッセージを送る存在でありたいと思います。

 今年、家内が萩を刈り込んだ時期があり、それが今になって綺麗な萩を目にすることにつながっているらしいとのことです。 うーむ、私も体型だけでなく、心の中に刈り込みの必要なところを温存しているようです。 さて、それは、どういうところでしょうか ・・・ 何だか、心の中には贅肉ばかりが目立つように思えてきました。 反省しきりです。

 さて、今日も、よい日となりますように。

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2010年10月 7日 (木)

芳香

 大学のキャンパスに、金木犀の香りが ・・・ いいものですね。

 私たちの存在も、同じ時代を共に生きる方々の中にあって、よき香りとなりますように。

  それは、とくに私には自信が持てないことですけれど、神様の愛・憐れみによってすべての人に可能となることです。

 聖書のことば

 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。

 第二 コリント 2章15節

 今日も、よい日となりますように。 

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2010年10月 6日 (水)

八木重吉の詩たち

0002

 秋 ・・・ とりわけこの季節には八木重吉の詩を味わいたくなります。 いえ、どうしてということも ないのですけれど。

 八木重吉の詩を四編、引用させていただきます。

  ◇  ○  ☆  □  ※  □  ☆  ○  ◇

 こころよ

 では いっておいで

 しかし

また もどっておいでね

やっぱり

ここがいいのだに

こころよ

                                                            では 行っておいで

◇  ○  ☆  □  ※  □  ☆  ○  ◇

 森はひとつのしずけさをもつ

 いちどそのしずけさにうたれたものは

 よく森のちかくをさまようている

◇  ○  ☆  □  ※  □  ☆  ○  ◇

ひとつのものにこころおどる日は

すべてのものはかがやいてみえる

ひとつのものにぜつぼうする日は

すべてのひかりはきえて灰をみるようだ

◇  ○  ☆  □  ※  □  ☆  ○  ◇

わたしもわるいから

ひとをゆるすのではなかった

なにのゆえでもない

ただゆるせばいい

  許しうるものを許す

  それだけならどこに神の力が要るか

  人間に許しがたきを許す

  そこから先きは神のためだと知らぬか

◇  ○  ☆  □  ※  □  ☆  ○  ◇

  コメントは 私などが何かを書かないでも、詩自身が語っていますから省かせていただきます。

  八木重吉の詩集は彌生書房からほとんどの作品を収録したものが出版されていますが、今回は、友人からいただいた美しい絵の添えられた『こころよ いっておいで』 いのちのことば社 フォレストブックスを参照させていただきました。

  東京の町田市の生家に、八木重吉記念館があり、甥の八木藤雄氏が管理しておられるそうです。私たち夫婦の大切な友人は、その八木藤雄さんのサインをいただいたこの本を贈ってくださったのでした。ありがとうございました。 ・・・ おそらく、そのようにして素敵な本を贈ってくださったことをご自分の記憶にとどめないで歩んでおられる友人なのです。今、手術後の痛みをこらえながら、神様の前に誠実に歩んでおられます。どうぞ、お大事になさってください。

 今日も、よい日となりますように。

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2010年10月 5日 (火)

映画「カールじいさんと空飛ぶ家」

  ディズニー映画「カールじいさんと空飛ぶ家」を友人に紹介され、お店でDVDを借りてきて鑑賞しました。楽しめました。

 カール少年が元気な少女エリーと出会い ・・・ 成人して結婚するのですが、老夫婦となり、エリーが先立つ ・・・ ここまでの展開がとても早いのです。 「光陰矢のごとし」をそのまま映画にしたような ・・・ 映画が始まってごく短い時間に独居老人となったカールじいさん ・・・ 素地として、アメリカでも高齢のかたが増えており、こういう映画が生まれるのでしょうか。

 ・・・ そして、家が飛ぶのです。 冒険に連れて行って と願っていたエリーの思い出が一杯詰まっている家が空を飛ぶのです。

  さて ・・・

 どんな映画にも、気に入る方とそれほどでもない方とがおられるのが、人間の個性の豊かさです。 何とも不親切な文章ですが、もし、気になった方はご覧ください。 ちなみに、我が家では、DVDの返却期間が来るまでに(元を取ろうという気持ちもあったかもしれませんが)2回観ました。

 さて、今日も芸術の秋が味わえるよい日となりますように。

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2010年10月 4日 (月)

わが身をつねって人の痛さを知れ

  最近のニュースの中で、特に中国とロシアが国土の問題で迫ってきていることが気になります。

  昔から、地境というのはもめごとの原因の中に大きな位置を占めているようで、上杉謙信や武田信玄の登場する歴史小説にも、名将たちが地境を巡る紛争に頭を悩ませている場面があったように思います。

 まして、国と国の境界線については簡単にはいかない面があります。ヨーロッパのように陸続きのところでは戦争の勝敗によって所属が変わった地域がたくさんあることでしょう。

 その点、海に囲まれた日本ではそうした国の境界線について、歴史的に積み重ねてきた対応策・知恵というものが、よきにつけ、悪しきにつけ、少ない面があるかも知れません。

 核兵器をもたない国であることに対して、核を保有している大国が武力をちらつかせて境界線について、領土について強腰で迫ってくるというふうにとらえると、最悪の場合、戦争にまで発展しかねないと不安を覚えるのは人情かと思います。

 日本を訪れた中国からの観光客を乗せたバスを囲んで威圧した人たちがいることも、小さくですが報道されていました。

 敵対感情が拡大されて、冷静さを失うことのないように、為政者のために祈ります。

 「わが身をつねって人の痛さを知れ」 ・・・ 宇宙から見ると、地図に書かれている国境はないそうです。どの国の人も、つねられれば痛いのです。他者に痛いことをしてそのことを自分の身に起こったらどうなるかが分からない生き方に陥ることのないよう、自戒しなければ暗い時代へ世界は突入してしまいます。

  聖書には「自分のしてほしいようにあなたの隣人に対してもしなさい」「平和を創り出す人は幸いです。その人は神の子と呼ばれるからです。」とあります。

 平和をそこなうことなく、平和を創り出すことのできる歩みを築いてまいりましょう。

 今日も、よい日となりますように。

 

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2010年10月 3日 (日)

新蕎麦

 岐阜市の東部(大洞)に中将姫誓願桜という桜があります。

 その近くに「せいがん」というお店があって、おいしい蕎麦が食べられます。http://plaza.rakuten.co.jp/628194194/

 自家製粉・そば粉100パーセント、ということで時々、散歩をかねて足を運びます。

 上記のホームページに「新蕎麦」の文字を見つけて、これは、行かずばなるまいと(本当は、別に行かなくてもいいのですけれど)、行ってまいりました。

 私は、舌に自信があるわけではないので、多分に気分的な要素が含まれての食感ですけれど、「美味しい!」と思いました。

 北海道から取り寄せた材料で打たれた新蕎麦 ・・・ 機会がありましたら、どうぞご賞味ください。焼きたてのせいがん団子(120円)も、なかなかのものです。

 そうそう、10月11日の18時半から、シャンソンの夕べも開かれるそうです。晴れていれば野外で、そうでなければお店の中で開催とのことです。

 お蕎麦とシャンソン ・・・ なかなか、粋な取り合わせではありませんか。

 ちなみに、私は、このお店の蕎麦と天ぷら、菜めしの取り合わせのメニュー(1250円)が好みです。

 秋にふさわしい題材をと、書かせていただきました。

 今日も、よい日となりますように。 日曜日、キリスト教会の礼拝がもたれます。

聖書  安息日を覚えて、これを聖とせよ

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2010年10月 2日 (土)

音楽訪問

 あるデイサービスセンターに七人の仲間と音楽訪問させていただきました。

 プログラムは、秋の雰囲気をかもしだす「紅葉」・「里の秋」・「村祭」、踊れる方はご一緒にと「炭坑節」、フルート二重奏で、ちゅらさんのテーマ曲と「明日があるさ」、北原白秋の「曼珠沙華」、ヴァイオリンで「精霊流し」、「また君に恋してる」、トトロから「さんぽ」・・・これに振り付けを付けてリズム運動を・・・ そして「帰れソレントへ」、結びが「故郷」

 30人近くのお年寄りが、ほぼ1時間、演奏を聞いたり、一緒に歌ったり、そして、私たちがはらはらするほど元気に張り切ってリズム運動をしてくださったりしました。

 私は、「また君に恋してる」と「帰れソレントへ」の伴奏を担当。ヴァイオリン演奏の伴奏は、少しは練習していったのですが、初見で弾ける方にお願いして交代していただきました。

 胸がいっぱいになったのでしょうか、涙を流しながら歌ってくださったお年寄りもおられ、私たちも感激いたしました。

  歌詞を張り替えたり、必要に応じて歌詞を棒でたどったり、先読みしてリードしたり ・・・ そういうことをチームワークよく、カバーしながら取り組む機会は、なかなかありません。

 一人で訪問して、さりげなく見えるようにしながら、何役も果たしておられる音楽療法士のかたが多いと思われます。

 このデイサービスセンターでは、ビー紙に「神無月のコンサート」と題して プログラムを作っていてくださったり、掲示用に歌詞も書いて用意しておいてくださったり、要所要所をさりげなく職員の方が支えてくださっています。

 多くの方の笑顔に力をいただいた音楽訪問でした。

聖書のことば  受けるよりも与えるほうが幸いである。

 本当にそうですね。ありがとうございました。これからも励みます。

 さて、今日も、よい日となりますように。

 明日は、日曜日・・・キリスト教会の礼拝に出席して聖書からのメッセージを聞き、讃美歌を歌って神様をほめたたえる時間をおつくりになれますように。

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2010年10月 1日 (金)

教員採用試験の結果発表の日

  このところ、二日続けて小学校を訪問させていただき、小学一年生の国語の授業を見せていただきました。

  元気に意見を述べる子、それをしっかりと聞く仲間たち ・・・ 実りの秋というのは、田畑や果樹園だけでなく、学校においても言えることのようです。

 暑い夏にさしかかる前から、研究授業に備えて取り組んでこられた先生方のご努力が、確かな学びを積み重ねる子どもたちの姿となって、見事に結実していることを嬉しく思いましたし、頭が下がる思いがいたしました。

 さて、今日は、岐阜県の教員採用試験の二次試験の結果発表がなされます。

 受験者全員が合格する ・・・ ということは、ありません。大きな使命をになうのですから、やはりそれだけの資質、学識、人格、情熱などなどを備える人が教師になることが望まれますから。けれど、1点とか2点とか、本当に少しの違いで合格、不合格が分かれるようですから、そのことに粛然とする思いを抱きつつ、この日を迎えます。岐阜県だけでなく、出身県などを受験した学生さんたちの受験結果発表も始まっています。 

 ひたむきに、合格目指して歩む学生さんたちとかなりの時間を受験に備えて過ごし、その伸びの勢いに情熱を持った若人のすばらしさをたびたび感じました。

 その過程で培った力、獲得した力は、今後の人生にきっと宝物となって光を増すことでしょう。

 合格するに越したことはありませんが、どんな結果も前向きに受け止めて、これからの人生を切り拓いてくださることを願っています。

 応援するだけでなく、わたし自身も、学び続けて、(伸びしろはたどたどとしていますがマイナスやゼロではないことに意義を見出しつつ)「岐阜県音楽療法士」の道へと歩んでいます。 この玉子、何とか孵化できるとうれしいのですけれど。

 今日も、よき日となりますように。

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