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2010年10月24日 (日)

保険の番組から思ったこと

 22日夜のテレビで ・・・ 私は「勝っているときだけ」という限定付きの中日ドラゴンズフアンです 22日は巨人が先取点を入れたので、特に巨人の攻撃中はほかのチャンネルにまわしていました ・・・ そのときに生命保険は「積み立て」と「掛け捨て」とどちらが得でどちらが損か という番組を少しだけ観ました。

1.貯蓄は将来の安定を前提とし、保険は将来の危険に備えるもの

2.したがって保険は掛け捨てを達成したときが一番喜ぶべきもの

3.しかるに、日本では、積立型の生命保険がある  将来の安定にも将来の危険にも一つの保健で対応するとは、どうなっているのか

上記は、だいぶん古い本ですが『日本人とユダヤ人』に書かれていたことです。

 このテレビのコメンテーターは6人ほどだったと思いますが、「積み立て」を選んでいるのは、一人だけでした。 ・・・ 社会全体の統計としては、どちらも40数パーセントずつだったようです。

 どちらも、それぞれにメリットがあるので社会のなかで両立しているわけですよね。

 聖書に「明日のことを思い煩うな」とあり、心配はしていませんが、年齢は加わっていきますので、思い煩わないほどに考えることは大切だ思いますのでちょっと真面目に考えてみます。

 そうそう、保険のことで思いを巡らすとき、一番肝心な基礎データがどうにも確定できないということに気がつきました。それは、自分はいったいあと何年この世に生きているのかということです。

 この世での人生は、神様からのたった一度きりの招待 ・・・ そのことを忘れずに、謙虚に、感謝しつつ一日一日を歩まねばと改めて思いました。

 今日も、神様に信頼して歩めるよい日となりますように。

 聖書の言葉  安息日を覚えて、これを聖とせよ

  キリスト教会の礼拝にお出かけください。

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コメント

 保険と言うのはそれが必要となるような出来事が起きないよう、願いながら入るもので、必要となったときにはもう入れない性質の金融商品です。私もかつて、休み時間を狙って猛烈な販売をしていく協栄生命の生保おばさんたちにたくさん保険を掛けられていました。
 当時私が死亡しますと、億を超える保険金が入ってくるようになっていましたが、あの時死んでいれば随分周囲の人々に喜ばれたかなあ?などと思うこともあります。
 結論から言えば積み立て型の保険は保険会社の方たちを食べさせていくものであり、掛け捨て型をお勧めします。このあたりの理屈は、図書館の金融コーナー辺りにいろいろありますので、どうぞ。
 平均寿命も長くなっていますので、想像以上に長生きしたしまったときの生活設計も必要です。わが国は900兆の赤字を抱えているわけですので、社会保障制度もどこまで持つのかは分からないと言われております。

※ ムーミンパパより

  コメント、ありがとうございます。
  
  この間、くじで9億円以上を獲得した人がいることが報じられていました ・・・  そうした臨時収入(?!)が得られる運のよい人はほとんどいないわけで、あれこれと考えることになります。

 テレビでも掛け捨て型の人がコメンテーターには圧倒的に多かったですね。 小島さんのおっしゃることが理に適っていることの証明かもしれません。

 保険会社の人と被保険社とが「協栄」していく道があるのかどうか ・・・ いくつになっても勉強すべきことはたくさんあるようです。ありがとうございました。


投稿:  小島 | 2010年10月24日 (日) 20時16分

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