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2010年10月14日 (木)

『痴呆を生きるということ』 その2

 昨日は、著者について書かせていただきました。今回は、この書物の内容についてです。既にこの本をお読みになっている方は、おゆるしください。

       ◇  ○  □  ☆  ※  ☆  □  ○  ◇

  痴呆の中核症状は、脳にある。その症状にケアは届かないけれど、周辺症状は生活の中で生まれた症状であるから、暮らしの中で、あるいはケアによって治るはずである。

 家族 「痴呆は治りませんね?」

 著者 

 ・もの忘れを治すことはむずかしいでしょうが、「盗られた」と言いつのる行動は必ず治ります。

 ・見当識(いつ・どこ・だれ)障害は治らないかもしれませんが、徘徊に対してまったくケアが届かないわけではありません。

 このように、中核障害と周辺症状を分けてお話するだけで、かなり安心されるご家族も多い。

 ※ 中核症状のなかでも、本来なら低下せずに済む機能が使われずに低いレベルまで落ち込んでいるもの・・・廃用症候群については、環境の変化によってほれぼれするほど奇跡のように変化することがある。〔例〕一人暮らしで、隣人とのつきあいもなく、家に閉じこもって生活していた人がデイケアなどを利用されるようになった場合など。

◇ 痴呆ケアの基本的視点

 病を病として正確に見定める。そのためには、暮らしのなかで彼らが抱えている不自由を知らねばならない。

 1.そして、できないことは要求せず、できるはずのことを奪わない、というかかわりをすること   これは客観的、医学的、ケア学的に理に適ったケアを届けるという課題

 2.もうひとつは痴呆を生きる一人ひとりのこころに寄り添うような、また一人ひとりの人生が透けて見えるようなかかわり ・・・  そのために、現在の暮らしぶりを知り、彼らが生きてきた軌跡を折りにふれて語っていただけるようなかかわりをつくりたい

 この二つの視点のどちらかにかたよることなく統合することが痴呆ケアの基本

  □   ◇     ○     ☆     ※     ☆     ○    ◇    □

 このほかにも、

 かつて書いたシナリオを書き直しながら人は自分の人生を生きている  ・・・ ところがこの想定した世界と現実とのズレが極めて大きくなるような事態、シナリオをまったく書き直せと命令された作家のような立場に置かれ、長年親しんできたそれまでの生き方を改変できないのに新たな生き方を強制されるような改変に直面し、それが発見できないとき人は危機に陥り転機を迎える。痴呆になった人の妄想、破局はこのような過渡において生成される ・・・ (私が少し要約させていただいたところがあります)という表現が頭に残りました。

  また、徘徊について、著者の勤務している病院が大幅な改築をしたとき、病院の多くのスタッフが徘徊し、頭の中に新しい病棟の地図ができあがると.その徘徊はやんだ というようなユーモアのある表現もあります。

 明日、もう一回だけ、この本をもとに書かせていただきますね。

 今日も、よい日となりますように。

    

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