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2010年12月 2日 (木)

「越路吹雪物語」

 録画しておいた「越路吹雪物語」(11月27日放送)を見ました。主演は池畑真之介(ピーター)です。

 圧巻は、フィナーレで歌う数曲 ・・・ 結びは、やはり♪「愛の讃歌」。

 歌唱力、演技力、そして本物の越路吹雪よりも本物らしい、といったら妙ですが、きっと何回も何回も数えきれないほど越路吹雪さんのビデオなどを見て研究し、その研究の跡をとどめない域にまで磨いてステージに立ったのだと思います。

  私が教員生活をスタートした中学校に、当時♪「夜の朝の間に」を歌って登場したピーターの大フアンがいました。

 ピーターに馴染めなかった私が冷たいことばを言って、憤慨させてしまったことを覚えています。これほど息の長い、実力抜群の存在となることを予測することもできなかったのです。そして、たとえ、これほど長く活躍できなくても、憧れの人を思う純真な子ども心を傷つけてはいけないのだということを思い、長年反省しています。ごめんなさい。

 もう一つ、ふとこんなことを思いました。

 舞台が終わり、万雷の拍手に応えて一度降りた幕が上がり、喝采の中で俳優が挨拶するカーテンコール ・・・ それがあることによって、観客も「よかったねえ」と余韻を噛みしめながら家路に着くことができるのではないかと。

  決して不謹慎な思いで言うのではないのですが、人生における告別式も、このカーテンコールのような役割を果たしているのではないかと、この「越路吹雪物語」の録画をカーテンコールも含めて見終わって思ったのです。越路吹雪さんが故人であることもそう連想する要因となったかも知れません。

  規模にかかわらず、一度降りた人生の幕を故人との人生を懐かしむ方が集って、その方のこの世での人生の歩み、ハイライトシーンを再現し、共に懐かしんでほのぼのとした思いを胸に帰途をたどる ・・・それが告別式の意味ではないかと思った次第です。

 さだまさしの歌「主人公」の歌詞にあるように、「自分の人生の中では誰もが主人公」・・・そうであるならば、カーテンコールの拍手をいただけるようなシーンを一つは自分の人生の舞台で描くことができたら、と思います。

  華やかな舞台の録画を見て、しんみりする思いを二つ書いてしまいました。おゆるしください。 でも、決して暗い気持ちからではないのですよ。

  「徹子の部屋」に中村メイコさんが出演して、おしまいじたくの話をしておられましたが、とても明るく話しておられました。

 初めあれば、終わりあり  終わりよければすべてよし  ・・・ そういうことばもありますし。

 この世での人生を終えても、ショパンのように生誕200年が祝われ、作品が多くの人を魅了し続けたり、『赤毛のアン』のように百年以上、読み親しまれ、新しい読者を引き寄せている ・・・ そういう輝きを失わないという場合もあるのですね。

  まとまりませんが、人生っていいもの ・・・ それはほかっておいてもいいものになるということではなく、一日一日を大切に歩むことで、いい物に育っていく面があるように思います。

 あの新美南吉の「手袋を買いに」の結びで、子ぎつねが無事に手袋を買って戻ってきたとき、お母さんぎつねが「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやく場面がありましたね。

 そのような感じで、つぶやいてみましょうか。さあどうぞ

 「ほんとうに人生っていいものかしら。ほんとうに人生っていいものかしら」

 失礼いたしました。強引な呼びかけでありました。この作品、私も久し振りに読み返してみたく思っております。

 今日も、ほんとうにいい人生の一日となりますように。さあ、クリスマスも、すぐそこです。

聖書  あなたは、わたし(神様のことです)の目に価(あたい)高い。わたしはあなたを愛している。

 

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