« 冷たい雪 温かい心 | トップページ | 『人生、惚れてこそ 知的競争力の秘密』 米長邦雄 羽生善治 »

2011年2月17日 (木)

『捕手ほど素敵な商売はない 野村克也VS森祇晶』

Photo_2『捕手ほど素敵な商売はない

 森 祇晶 VS 野村克也 』

 松下茂徳 著

 朝日新聞社 2009年 7月30日

 第一刷 発行

 野球界の有名な捕手、そして監督としても高い評価を得た二人の人物を、どちらもよく知るノンフィクションライターがいろいろな場面を振り返りながら描いた労作です。

 連続日本一を九年連続達成した川上ジャイアンツ時代には、長島・王、そして森捕手がいました。

 森捕手は、後に西武ライオンズの監督となり、そのチームに入った清原が、日本シリーズで巨人を倒す瞬間が近づいてきたとき、グランドで守備をしながら涙をこらえ切れずに泣いていたのをベンチから同じ思いで見守っていました。

  森監督は、大阪府豊中市の生まれですが、 1945年の空襲によって家が焼け、父の出身地である岐阜市に疎開したそうです。父は、岐阜市の教育委員、母は民生委員をつとめられたとのことです。 岐阜市長森に住み、長森の小学校、長森中、岐阜高校で学んだことを私はこの書で知りました。

 西部の後、少し年数をおいて横浜の監督になり、その後ハワイのホノルルに移住して暮らしておられるそうです。

 紙面の都合で、楽天での活躍も記憶に新しい野村監督のことはくわしくは書きませんが、本書では、いろいろな具体例を元に「先読みと逆算」の森監督、「データと確率」の野村監督 と対比されています。

 共通点もあり、ふたりをよく知る川上哲治監督のことばが紹介されています。

 「森も、野村も、親孝行という点では同じですね。プロ野球で大成した選手は、例外なく親孝行です。生活がかかっているから、いい加減なプレーはできない。手抜きせず、必死にプレーし、技量を磨いたからこそ、ふたりは名捕手になったんです」

 どの例かを端的にご紹介しようと思ったのですが、なかなか難しく、ここまでとさせていただきます。

 今日も、自分の大地を踏みしめ、大局を見ながら果敢な歩みをすることができますように。

 

|

« 冷たい雪 温かい心 | トップページ | 『人生、惚れてこそ 知的競争力の秘密』 米長邦雄 羽生善治 »

コメント

 野球ねたの場合は、やはりコメントしなければならないでしょう。
 私が高校で野球をやっていた当時、西武ライオンズは黄金期を迎えており、偉大な先輩の存在が自慢だったものです。ただ、どちらかと言いますと、森氏の功績は川上巨人軍のV9を支えた捕手であるということで我々くらいの年齢ではその現役時代の雄姿は記憶にないのです。
 岐阜高校は3度ほど夏の甲子園大会に出ているのですが、森氏はじめ昭和30年代の出場が最後でその後はおとなしくなっております。
 実は夏の全国大会では準優勝が1度あり、華井悠投手を中心に勝ち進み、決勝は神奈川湘南高校に破れました。湘南の主将脇村氏は後に高野連会長についたとき、当時旅費がなくなり甲子園のスコアボードの下で宿泊した思い出を語っていたのを何かで読んだ覚えがあります。うろおぼえですが。

※ ムーミンパパより

  高校球児だった方にコメントをいただいて、嬉しく思います。森監督が率いる西武ライオンズが日本シリーズを制したとき、岐阜グランドホテルでも森氏を迎えて祝賀会が開かれたと、この本に書かれておりました。

 岐阜高校の球歴、大変輝かしいのですね。

 私は足も速くなく、運動系部活最後の砦と言われたこともある卓球部に籍を置いていたのですが、野球選手がグランドを駆け巡ったり、白球を空高く打ち上げたりする姿をまぶしく感じていたものです。

 一応、サウスポーでシェイクハンドの卓球選手ということを個性として、私なりにがんばりましたが、どういうものか、国体候補選手に二回戦でぶつかることが多く、善戦すれど、勝ち上がることができない巡り合わせでした。

 来年は、国体が岐阜で47年ぶりでしょうか、開催されるのですから、私の高校時代も、それほど昔のことになったわけです。健康で歩めることを感謝しています。

 

 

投稿: 小島 | 2011年2月17日 (木) 18時57分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『捕手ほど素敵な商売はない 野村克也VS森祇晶』:

« 冷たい雪 温かい心 | トップページ | 『人生、惚れてこそ 知的競争力の秘密』 米長邦雄 羽生善治 »