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2011年8月19日 (金)

詩 「奈々子に」 吉野 弘

 残暑厳しい時期ですが、立秋はすぎています。そんなわけで、突然ですが、詩にふれて文芸の秋の雰囲気を味わってみたくなりました。

 詩人 吉野 弘さんには、岐阜に講演にきてくださったときにお目にかかったことが二回ほどあります。 今日は、中学校の国語の教科書にも掲載されている「奈々子に」という詩を紹介させていただきます。

奈々子に <吉野弘>

赤い林檎の頬をして
眠っている奈々子。

お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり
奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの
つややかな頬は少し青ざめた
お父さんにも ちょっと
酸っぱい思いがふえた。

唐突だが
奈々子
お父さんは お前に
多くを期待しないだろう。
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり
知ってしまったから。



お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ。


ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。


自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう。


自分があるとき
他人があり
世界がある


お父さんにも
お母さんにも
酸っぱい苦労がふえた


苦労は
今は
お前にあげられない。


お前にあげたいものは。
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ。
 ◇  □  ○  ☆  ※  ☆  ○  □  ◇
 吉野 弘 さんは 1926年、山形県出身。 長身で、あたたかな手のかただったと記憶しています。
    「自分を愛することをやめるとき
     ひとは
     他人を愛することをやめ
     世界を見失ってしまう。


     自分があるとき
     他人があり
     世界がある   」    
 今日の私には、この詩の 上の部分が 特に 心に響きました。
 今日も、よい日となりますように。
 

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コメント

 久々の雨で、過ごしよい夜となっております。
 私のような粗野な人間がコメントするような詩ではないと思いますが、かつてより、この詩の「自分を愛する心」の解釈について、学校でどのような授業が行われているのか気になります。自分が中学の時には載ってませんでした。
 要するに謙虚な自尊心と言いますか、やけくその反対と言いますか、適切な語彙が思い浮かびませんが、自己愛とは一般に自己中心な身勝手さのようなイメージがあります。
 この詩は明らかに自分の内面の世界の偉大さを尊ぶことを言っていると思いますが、それを書きすぎていないところが良いところなのでしょうか?誤解して「自分が一番かわいい♪」などと言っている生徒がいないことを願います。

※ ムーミンパパより

 コメントありがとうございます。暑いながらも、秋の気配が少しずつ忍び寄ってくるのでしょうね。

 詩 ・・・ よい意味で自分を大切に出来る人は、その自分と同じように他の人をも大切に出来る 漱石でしたでしょうか、個人主義と利己主義の似ていて違うところを説いていたのは。

 中学校の国語の教科書を数社、改めて目を通しているのですが、なかなかに中身が濃く、学ぶところ、そして考えるところが多くあります。 新聞にも印象に残る記事、児童生徒のことばなどがあって、老け込んではいられないなないように刺激を受けているこのごろです。

 高校野球、いよいよ決勝戦ですね。いつか、甲子園で直接プレーを見たいものだと思ってはいるのですけれど。

 長男は、時々、足を運んでいるそうです。

 両チームとも、練習の成果を発揮し合うことが出来ますように。  お健やかでお歩みください。

投稿: 小島 | 2011年8月19日 (金) 23時59分

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