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2011年8月 9日 (火)

大村はま先生の涙

 先日書かせていただいた大村はま先生は、戦後、新制中学校が出来たときに、なんとか新しい日本のために身を投じたいという思いで、女学校から中学校の先生へと転出されたそうです。

 東京の深川 ・・・空襲で焼けて、教室がなく、窓ガラスもない火熱でくねくねした鉄の窓枠の講堂 ・・・ 黒板も、教科書も、鉛筆も、ノートもない状態からのスタート。

 疎開から帰ったばかりの子どもたち ・・・ 親たちもその日その日の食べることに追われ、子どもをかまうゆとりのない毎日 ・・・ 駆け回るばかりの子どもたち 立ち往生する 大村はま先生 ・・・

  大村先生自身が疎開したとき、いろいろな品物をくるんだ古新聞が家にあったのを教材にしようと思いつき、コピーのない時代でしたので、子ども一人に一枚として、「学習のてびき」のようなものも何百と作られたそうです。

 さて、講堂で、走ってきた子を羽交い締めにして「これ、やりなさい」と渡す・・・十人くらいに渡したころ、ふと教室の後ろの一角が静かになったような気がして、見ると、さっき教材を渡した子が、くにゃくにゃに曲がった鉄の窓枠のわずかに平らなところに新聞紙を当てて、一生懸命何か書いている。その隣の子も、紙のしわを伸ばして、じっと読んでいる。真剣そのものの目。

 はま先生は、隣の小さな部屋には行って、感動の余り、思わず泣いてしまわれたそうです。 子どもはこんなに真剣に知恵を求め、伸びたいと願っているのだと、人間が学ぶことの尊さに胸がふるえて泣かれたそうです。

 多くの子どもたち、そして多くの教師たちを育てられた大村はま先生 ・・・その大村はま先生を育てた力の大きな源は、子どもだったのです。

 私も、『灯し続けることば』(大村はま著・小学館発行)でこのお話を読んで、力をいただきました。 暑い日が続くかも知れませんが、それに負けない熱き心で歩んでいきたいと思います。

 今日も、よい日となりますように。 

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