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2011年8月20日 (土)

詩 「自分の感受性ぐらい」

 昨日に引き続いて詩 ・・・ 今日は、 茨木のり子さんの詩 「自分の感受性ぐらい」を紹介させていただきます。

 ※ ブログ  詩と言葉 から引用させていただきました。ありがとうございます。このかたは、自作の詩も掲載しておられます。すばらしいですね。URLはつぎのところです。

http://chobi256.blog108.fc2.com/blog-category-5.html

 自分の感受性ぐらい   茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて


気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか


苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし


初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった


駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄


自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ

茨木のり子詩集「自分の感受性ぐらい」(1977刊)
所収 「現代詩文庫」思潮社

「戦後現代詩の長女」 こと茨木のり子さんの超有名な作品。 最後の「ばかものよ」という叱咤の言葉はきっと自分自身に向けて放ったのだろうが、心にずっしりと響く。 「自分できちんと考えて生きていく」ということを掲げていきたい。



(茨木のり子さんの談より抜粋)

・・・一億玉砕で、みんな死ね死ねという時でしたね。それに対して、おかしい んじゃないか、死ぬことが忠義だったら生まれてこないことが一番の忠義になるんじゃないかという疑問は子供心にあったんです。

  ただ、それを押し込めてたわけですよね。こんなこと考えるのは非国民だからって 。そうして戦争が終わって初めて、あのときの疑問は正しかったんだなってわかった
わけなんです。 だから、今になっても、自分の抱いた疑問が不安になることがあるでしょ。そうし たときに、自分の感受性からまちがえたんだったらまちがったって言えるけれども、
人からそう思わされてまちがえたんだったら、取り返しのつかないいやな思いをする っていう、戦争時代からの思いがあって。だから「自分の感受性ぐらい自分で守れ」なんですけどね。一篇の詩ができるまで、何十年もかかるってこともあるんです。

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