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2011年9月 1日 (木)

『湖底の城 呉越春秋』 第二巻 宮城谷昌光

0003『湖底の城 呉越春秋』 第二巻

宮城谷昌光 著

講談社 2011年7月26日 第一刷 発行

 楚の国の人、伍子肯(ごししょ)が主人公で、宮城谷さんが力を入れている中国の傑出した人物の活躍する歴史小説のおもしろさが、この本にもみなぎっている ・・・ と私は思っています。

 第一巻は、青色を基調とした装丁でしたので、第二巻と並べるとお互いを引き立て合うかもしれません。

 発行ひと月ほどで、図書館で借りて読むことができるのはありがたいことです。

 ただし、第一巻を読んでから、少し時間が経っていますので、二巻にいたるまでどんな内容だったかなと記憶の糸をたどろうとすると、驚くべし ・・・ というより、本人も驚かなくなっているほど忘却力が強まっているのですが・・・何本もの記憶の糸がたどれなくなっていることに気がつきました。

 けれど、また読み返す楽しみが残っているので、それはそれで嬉しいこと(?!)ではあります。 見よ 老人力が日ごとに増していく この私を ・・・すみません、威張ることではありませんでした。

 

 さて、第二巻の中に、こんな一節がありました。伍子肯(ごししょ)が孫武(後世には孫子として伝わる人だと思います)からの手紙に返書をしたためて感慨にふける部分を引用させていただきます。

      ◇  □  ○  ☆  ※  ☆  ○  □   ◇

 ・・・  難儀が生ずるまえに、凶を予見することができる人は、孫武しかいない。・・・ 孫武の研究が秘伝の昧さ(くらさ)をもっておらず、ひらかれたものであろうと想えば、よけいに孫武の思想の新しさにおどろかされた。すなわち孫武は自分で発見したこと、研究したことを、隠さず、弟子、門人だけでなく多くの人に伝えてゆこうとしている。ーー ほんとうの偉大さは、開かれていることにある。

 孫武にそう気づかされた。それを政治におきかえれば、最高の善政とは、もっともわかりやすい政治、臣民がなぜと問わない政治であり、それが開かれた政治であろう。残念ながらいまの楚の国の政治は暗い。

       ◇  □  ○  ☆  ※  ☆  ○  □   ◇

 現代にも通ずる面のある洞察に思えますが、いかがでしょうか。

  「小説現代」に連載されて、1年分ほどが単行本になるようですから第三巻を読む日が来るのは1年後でしょうか。 待ち遠しいですが、息の長い楽しみでもあります。

 少年時代、連続ラジオドラマというのがありました。「おらあ、三太だ。おらの村にはきつねもいるだ」というような始まりのドラマ、「名探偵 ルコック」、「巌窟王」、「アイバンホー」「紅孔雀」 などなど 主題歌とともに思い出されます。

 ラジオドラマは物語のいいところで終わるので、次の回が待ち遠しく、そのころの私は(ああ、明日の放送を聞くまでいのちがありますように)という思いを本気でいだいていたような少年でありました。

 読む楽しみ、聴く楽しみ ・・・ テレビは、喫茶店や電気屋さんの前の高い台の上、限られた家庭にしかない時代でしたが、けっこう、楽しく、充実していた時代だったように思い出されます。

 鉱石ラジオを作って、小さな音でも聞こえると本当に嬉しく思ったものでした。

  おお、長しゃべりをしてしまい、失礼いたしました。

  今日から9月 ・・・ 今月も、よい日々の連なりとなりますように。

 

 

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