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2011年11月12日 (土)

♪「アニー・ローリー」

Maxwelton

  美しい館・・・ スコットランドにあるそうです。

 実は、この家は、親しまれている歌、「アニーローリー(アンニー・ローリー)」の生家なのだそうです。

 主にインターネット上の辞書、ウイキペディアで情報をいただいたのですが、実在の人だったのですね。

 以下は、ウイキペディアからの引用です。ちょっと長くなりますので、関心のある方はごらんください。 今日も、よい日となりますように。

アンニー・ローリーは、マクスウェルトン卿のサー・ロバート・ローリーの末娘だった。1682年12月16日に父親の館であるマクスウェルトン・ハウスで生まれた。スコットランド中に知られた美人だったといわれている。詩は、1700年ごろに書かれたものである。言い伝えによれば、ウィリアム・ダグラスは彼女に結婚を申し込んだが、歳の差、彼女がまだ若すぎること、政治的な立場の相違(氏族間の対立)などで、マクスウェルトン卿から強く反対されたという。ダグラスは恋の痛手からようやく立ち直った頃に、エリザベス・クラークという女性と出会い駆け落ちをした。

一方、アンニー・ローリーは、1710年にクレイグダーロックの領主アレクサンダー・ファーガソン(Alexander Fergusson)のもとに嫁ぎ、約33年間そこで暮らした。 彼女のために大邸宅が建設され、彼女の好みで作られたという庭園も残されている。没年は定かではないが、1761年に亡くなりクレイグダーロックに埋葬されたと言い伝えられている。 マクスウェルトン・ハウスには、今も彼女の肖像が残されており、その昔ウィリアム・ダグラスの心をとりこにしたという青い瞳の佳人の姿をうかがい知ることができる。また、彼女の夫がジェームス・ファーガソンであったとの説もあるが、誤伝とされている。

曲は1838年2月にスコットランドの女流音楽家ジョン・ダグラス・スコット夫人 (1810 - 1900) が作曲。ウィリアム・ダグラスの詩は、何度か手直しされたといわれている。

そして、1854年のクリミア戦争で、未亡人や孤児となった人たちへの慈善活動のために出された歌集にこれが載せられたことから、やがて軍楽隊も演奏するようになり広く知られるようになった。戦地の兵士たちもこの歌を口ずさみ、故郷にある大切な人をしのんだという。

さらに、明治初期の日本には、まったく別の歌詞で伝えられたようである。また若干旋律を変更して下記『才女』として歌われた。

【日本語詞】 この日本語詞は、緒園凉子のものをもとに、原詞の表現を加味して作成したものである。他にも堀内敬三藤浦洸茂原二郎の訳詞がある。

1
 春の岸辺に 咲きし花よ 
 君が姿を 何にたとう
 その御前(みまえ)に この身ささぐ
 愛(いと)し アンニー・ローリー
 われは誓う
2
 雪のかんばせ 清きうなじ
 われを見給う 青き瞳
 その輝き 空の星か 
 愛(いと)し アンニー・ローリー
 夢に浮かぶ
3
 秋の木の葉の 露をこぼす
 野のそよ風か 君が御声(みこえ)
 清(すが)し響き 心揺する
 愛(いと)し アンニー・ローリー
 われは慕う

【参考】

  才女 (日本語詞:里見義)
 かきながせる  筆のあやに    
 そめしむらさき  世々あせず     
 ゆかりのいろ  ことばのはな    
 たぐいもあらじ  そのいさお     
 まきあげたる  小簾のひまに
 君のこころも  しら雪や
 蘆山の峯  遺愛のかね
 めにみるごとき  その風情

前半は紫式部、後半は清少納言を歌っている。

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