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2012年4月30日 (月)

『草原の風』 宮城谷 昌光

Photo 『草原の風』上巻 宮城谷昌光 著 中央公論社 2011年10月10日 初版発行読売新聞に2010年2月1日~7月31日まで連載されたそうです。

 宮城谷昌光さんは、人間は写真機の乾板ではないので、文章の真意を読み取ろうとするときには、心を込めてそれを書き写すことが欠かせない、という意味のことを書いておられます。そのことがこの『草原の風』の主人公、劉秀が、留学して出会った韓子から「書き写すように」と渡された歴史書を、読みとるのでなく書きとり始めたところにこう書かれています。

 劉秀は書きとりに専念した。十数日が経つと、木簡に文字を書くことが、田圃の耕作をおこなっているような気分になった。このひとつひとつの文字から、やがて芽が出て、苗となり、穀物が育つ。韓子から書物を、読め、といわれず、書き写せ、といわれたことが、劉秀に落ち着きをもたらした。

 もう、一箇所、人相を見る達人が、弟子が「英雄の相とは、あれではありますまいか」、と観た劉秀の面相を、そのときの劉秀が運送屋の仕事をしていたので、気にもとめずに見過ごしたところに、こんなことばが書かれていたのが心に残りました。 

 人は上から他人を観ては、みそこなうということであろう。 

 この『草原の風』を私は、中巻・下巻・上巻という、図書館の書架に現れた順に読みました。機会を得て、順に読み通したいと思っています。 

 今日という日、どの人とも同じ地平に立って正対し、歩むことができるよい日となりますように。

 

 

 

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