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2012年4月29日 (日)

ケセン語訳の聖書

 今日は日曜日。尊敬するクリスチャンの友人からケセン語訳聖書についてメールをいただきました。すてきな内容ですので、ご本人に了解いただいて、皆様に紹介させていただきます。
 
  ◇   □   ☆   ※   ☆   □    ◇ 
  ケセン語訳聖書というのを知りました。これは気仙地方 (陸前高田市や大船渡市) の方言で訳された聖書のことです。
  この地に開業されている山浦玄嗣さんというクリスチャンの医師が、聖書をもっとこの地方の人になじみやすい言葉に翻訳したいと思われ、まず古代ギリシャ語の勉強をされ、日本語の聖書からではなく古代ギリシャ語聖書からケセン語に福音書を訳されたのです。そして出版社で印刷されたのですが、その出版社は津波でなにもかも流されたしまったそうです。
  ところが泥にまみれた瓦礫の中から、奇跡的にその聖書が入った箱がみつかったとのこと。箱の中には、ほとんど無傷の3000部のケセン語訳聖書があり、そのことが報道されるとたちまち聖書は売り切れたそうです。
 
その後、ケセン語の聖書の言葉と山浦医師のその言葉に対して思索されたことを書かれた本が出版されました。『イエスの言葉  ケセン語訳』という本です。(文芸春秋社刊 文春新書)
 
 さっそく読みました。印象に残っているところを少し抜粋します。
 
「野辺の葬送(おくり)に泣いでる人ァ幸せだ。その人達ァ慰めらィる」
これは悲しむ人は幸いである。その人は慰められる。という聖句の訳ですが、ギリシャ語ではこの悲しむの意味は人の死を悼むという意味なのだそうです。それでこう訳したとあります。
そして・・・2011年3月11日、多くの人が亡くなりました。・・・・やがてたくさんの助っ人が気仙にもやってきました。みんな自腹を切って、はるばると東京や千葉や京・大阪から縁もゆかりもないはずの私たちのためにやってきたのです。少しでも役に立ちたい。少しでも慰めてあげたい。何とかしてあげたい!みんな、目に涙をためてそう言いました。
 ああ、神様・・・・と、私はつぶやきました。
神様はわたしたちの耳に聞こえるような声を出してわたしたちに語るということはなさいません。神様のことばは出来事の中にあります。出来事こそが神様のことばです。神様は今、たしかに私たちのそばにいて、わたしたちと共に泣き、私たちを慰め、やさしく力強く励ましていらっしゃる。
 
「この俺にァ、人を立ぢ上がらせる力ァある。活ぎ活ぎど人ォ生がす力ァある。この俺ァ、語っ事ォ本気で受け止め、その身も心も委ねる者ァ、たとえ死んでも生きるんだ」
  これは、私は復活であり、命である。私を信じるものは死んでも生きるという聖句の訳です。
 冷たい雪と真っ黒の泥濘におおわれた見渡す限りの瓦礫の町を前にして、呆然と立ち尽くすわたしの肩をがっちりとつかんでイエスは言います。「おい元気を出せ。この俺は死んでもまた立ち上がったのだぞ。その俺がついているんだ!
さあ、涙をふけ。勇気を出して、いっしょにまた立ち上がろう。お前のやるべきことが、そら、見えるだろう!」
 
  聖書の言葉が津波という大惨事を通して、生き生きと人を慰め、励まし力を与えていることが書かれていて感動と涙で読みました。
     ◇   □   ☆   ※   ☆   □    ◇
 
 
 わたしも、この本を読みたいと思います。
 
 
  東日本大震災のもたらした被害は、はかりしれません。けれど、それまで教会のなかったところに教会が建てられ、聖書のことばが力強く語られるようになったところもあります。
 
 
 キリスト教会の礼拝にお出かけくださいますように。

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