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2012年4月 8日 (日)

『正しすぎてはならない』 その2

  昨日からご紹介しているこの本、『正しすぎてはならない』というタイトルにはどんな考えが込められているのでしょうか。

 「水清ければ魚住まず」ということわざが連想されますが、そういうことではありませんでした。

この本の著者は、こんなふうに書いています。

◇   □    ○   ※   ☆   ※  ○  □   ◇ 

正しすぎてはならない

 人は、悪人であればあるほど自分の正当性を主張するという逆説もあります。 ・・・ そこにあるのは、自分の正当性を主張することで、自分の人生を把握していたいという思いではないでしょうか。 ・・・ 聖書では最初から、自分の正義を主張することこそが罪の始まりであると記されています。本来、人は、絶対的な神の前では、自分の無知と無力を心から認め、謙遜になることができるはずなのです。人の罪が、人を謙遜にするはずの信仰さえ争いの原因としてしまうという現実がある中で、「正しすぎてはならない」という教えの鋭さに目が開かれます。

  ◇   □    ○   ※   ☆   ※  ○  □   ◇

  うーん、失礼いたしました。一冊の本によって書き表されていることを、短くしてお伝えすることは難しいこあれるとに今頃、気づきました。お許しくださいますように。神様の前に身を低くするということと通ずると思われる内容ですが、この本には、次のような文章も書かれています。

 時と機会は 巡ってくる

  私たちは誰も、「時を支配する」ことはできませんが、与えられた「時と機会を生かす」ことはできます。

 自力で生きている、という自負は、ある意味大切です。けれど、神によって、神の愛によって生かされているという謙虚さを備えるとき、人は本当に正しく、大きな人物へと育つことになるのではないでしょうか。

 未熟なままの私が大きなテーマに向かって書いてしまいました。お許しください。

 

 今日も、よい日となりますように。

 

 今日は、復活祭(イースター)の礼拝がキリスト教会では開かれます。出席くださると神様が喜んでくださいます。

聖書の言葉

 

 わたし(神)の目には、あなたは高価で貴い。わたしは、あなたを愛している。

 ※ あなた ← このことばを ご自分の名前に入れ替えて、上のことばを読んでみてください。 もし、よろしかったら、ですけれども。

 

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