『中国古典の言行録』
宮城谷昌光著
海越出版社 1992年6月19日
第一刷
中国の古典を読み親しんでいる著者が、心に残ったことばを楽しみながら紹介しているという趣の本で、楽しく読みました。
特に、まもなく行われる選挙を前にしているためでしょうか。「和」と「同」の違いについて学ぶところがありました。
和は実(じつ)に物を生じ、同はすなわち継がず 「国語」より
「和」は、主体性をもった故人が調和することで、たとえば、水の中にしょう油を入れて、溶け合うようなものである。一方、「同」は、社長が右を向けば、社員のすべてが右を向いてしまうようなありかた、あるいは水の中に水を入れた状態をいう。 「調和こそ実に万物を生じるが、同調では生産が継続しない」と『国語』は言っているのである。
社長と副社長の関係でも同じことが言える。社長と副社長が調和している場合はよいが、社長に同調していた副社長が、社長になったとき、経営がうまくいかなくなる。そういう場合は、本当は、社長が辞めるとき副社長も辞めるべきだったのである。
一つの音では、ハーモニーが生まれず、一つの味ではだいご味はできない。生産するということは、「和」から発することなのである。
「君子は、和して同ぜず」という言葉の意味が初めてよくわかったように思いました。
今日という日、「同ぜず」に「和して」歩むことが出来ますように。
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コメント
「和」と「同」・・・・なるほどなー。夫婦についてもいえますね。夫婦はハーモニー・・・・これ、結婚式で贈る言葉に使えますね。オットー。その前に自分たち夫婦で生かさねばね。
※ ムーミンパパより
ブログを訪れて、そしてコメントをくださり、ありがとうございます。私も、まず、家内と実践したいと思います。
別の話ですが、宮城谷昌光さんは、歴史小説を書いておられますが、ある時期は、写真にかなり打ち込み、写真と小説のどちらが本命かと考えた末、作家の道を歩むことを決断されたと、『他者は他者』という今、読んでいる本に書いておられます。カメラの月刊誌で上位の賞をめざして、レンズのフィルタに凝ったこともおありだそうで、面白く読んでいます。
クリスマスシーズン、飛騨では雪との折り合いをつける季節に入っていますね。 どうぞ、あたたかくしておすごし下さいますように。
投稿: ひだのフクロウ爺さん | 2012年12月 3日 (月) 09時35分