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2012年12月 7日 (金)

『他者が他者であること』

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『他者が他者であること』  宮城谷昌光 著

 文藝春秋 2009年 2月15日 第一刷

  中国の春秋・戦国時代、三国時代、そして日本の戦国期の歴史と人物を描く小説をたくさん書いておられる著者。

 本書には、その著者が、中日新聞などの新聞、そして、「日本カメラ」などに掲載された随筆、自作についての思いなどを記した文章が収録されています。

 特に、ペンをとるか、カメラをとるかと真剣に考えたほど、写真をいろいろ工夫して月例会で金賞をとることを目指して励んでいた写真のことについて、かなり熱を入れて書いた文章には読み応えがありました。 

 つかみ取った核心を、味のある文で語っておられます。

 「プロとアマチュアでは、何がちがいますか」と訊かれることがある。私は即答できる。「光がちがう。プロの光はみがきぬかれているが、アマチュアはそうではない」 

 このちがいは決定的である。みがきぬく、という表現はわかりにくいかもしれないが、そういうほかない。あるいは光を創るといいかえてもよい。

「写真をやって、何を得ましたか」とも訊かれる。これも答えは速い。

「光を得た」

 つまりことばにも光の方向と量とがある。出来た作品にも明度がある。これは写真と同じかもしれない。  ー月例始末記 からー

 すばらしいモデルに会ったら、小説を書く筆をしばらくおいて、写真に没頭する幸せを得られそうである。 小説でも写真でも、ひとついえることは、そこに自分を書き、自分を撮っているのである。 ー女性写真余話 から ー

 一枚の写真についても「なぜ、そこでシャッターを切ったか」 ・・・そう弟子たちに切り込むある写真家は、その方自身、ある年には一回もシャッターをおさなかったというエピソードの持ち主であるとか ・・・・うーむ、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる という気持ちでは、プロとしてはいけないのですね。 

 ことばのことでは、こういうことばを教えていただいたことがあります。

 定かなる思想に 言葉容易に寄り添う  

 またしても、うーむです。 

 今日という日、ベストショットの写真 あるいは、これは決まった、ということばが 生まれたら 何と素敵なことでしょう。 よい日となりますように。

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