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2013年1月31日 (木)

『お母さんの詩』

Photo『お母さんの詩』 

サトーハチロー記念 「おかあさんの詩」全国コンクール実行委員会「編」

立成佼正会 平成14年11月30日 初版第一刷 発行

 読んでいて、うーむ、子どもの視点から切実に、でもユーモアも込めてかいているなあという作品が多いように思いました。

佐藤拓美 小学4年生

お母さんの口

 お母さんのくちは

 

どうなっているの

 

ぼくが何か言うと

 

きかんじゅうのように

 

かえってくる

 

よくあんなに

 

口がまわるもんだなあ

 

お母さんの口は

 

ぼくがきたえてあげたかも

すてきな親子ですね。 

 今日も、生活の中から詩が生まれるような、よい日となりますように。

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2013年1月30日 (水)

星野富弘さん

0003 星野富弘さん・・・ご存じの方が多いことと思います。 

 体育の先生でしたが、ある日、鉄棒から落下してしまい、首から下が動かせなくなってしまいました。 

 左の絵と文字は、その星野さんが描いたものです。 

 口に筆、絵筆をくわえてこのようにすばらしい作品を創り出すことができるようになるには、想像を絶するご努力の積み重ねがあったことでしょう。 

 練習を始められたころの文字を展覧会で見たことがありますが、ふるえもあり、かすれもあり、現在とは大きな隔たりがあります。

 療養中に知り合った看護師さんは、のちに星野さんの伴侶となられました。星野さんの体の状態、将来の見通しも、ご存じの上でです。

 星野さんの詩画集のカレンダーを、長年、たくさんの学校に贈り続けておられる方がおられるというお話をうかがったことがあります。

 すてきな方々がおられることを知ると、この世の中が、美しい光に包まれる思いがいたします。 

 今日も、よい日となりますように。

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2013年1月29日 (火)

雨宮雅子歌集

0002臘梅の黄のはな満ちてにひどしの瞼しづかに閉ざしをりたり 

さざんくわの花の推移も見つくして強霜のあさ白飯を炊く

『雨宮雅子歌集』

雨宮雅子(あめみや まさこ)著

砂子屋書房

1992年6月1日 初版第一刷発行 

 歌人 雨宮雅子さんは、昭和4年の生まれ。 

 家内がこの歌集を読んでみようと思ったのは、ある短歌の月刊誌で雨宮さんの次の短歌に出会い、惹かれたからです。

トーストの焼きのほどよきあしたにて東京に薄くみぞれ降りしと

  「どんなかたが、こういう短歌を詠まれたのだろう。 もっとこの歌人の歌を読んでみたい」 と、いても立ってもいられなくなったのですね。

  数ある短歌、多くおられる歌人のなかで、こうした短歌、歌人に巡り会えることはすてきだと思います。

 

 今日も、よき巡り会いのあるよい日となりますように

 

 

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2013年1月28日 (月)

犬養道子さん

0002 作家・評論家である犬養道子(いぬかい みちこ)さんは、気に入った本を繰り返し読むのがお好きだそうです。

 健康上の理由で、休養をとることにしたとき、読書三昧の日をと思われたようですが、目を悪くされて、お医者さんに「1日に2時間以上は読んではいけません」と言われ、それならと読んだ内容を暗記するようにされたそうです。  

 そんなことが、月刊誌『婦人之友』2012年11月号に、犬養さんご自身の筆で綴られていました。随想 共に歩む日々 アメリカ  という文章の冒頭です。

  うーむ、何と前向きな91歳のご婦人なのでしょう。 

  その文章にこんなことが書かれていました。11月号ということもあって、アメリカで最初に行われた収穫感謝祭のことが紹介されていたのです。

 ピルグリム・ファーザーズと呼ばれる先駆者 ・・・ 中には子どもも女性もいました。400人あまりで英国を船出して、着いたときには100人ほどになっていた。 

 またまた、うーむ です。1620年に、イギリスからメイフラワー号という船に乗り、アメリカという新天地に向かった清教徒たちのことは中学時代に社会と英語の教科書で知りました。けれど、上記のような苛酷な状況を経て、やっとたどり着いた地をニューイングランドと名付け、大地にひざまづき、まず、神様に感謝の祈りを捧げることから村作りが始められたと記してあるのです。

 すごい信仰だなと、感嘆しました。 この文章は連載されていますので、読み続けていきたいと思います。

 今日も、よい日となりますように。

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2013年1月27日 (日)

ミュッセのことば

 ショパンやジョルジュサンドと交流のあったミュッセという人にこんなことばがあります。

 ぼくのさかずきは小さいが
 ぼくのさかずきで飲むのです
 
  世の中には、二つのことがあるように思います。
 人に依頼して、まかせてもよいこと、もう一つは、自分にしかできないこと。
   たとえば、自分ののどが渇いたとき、他の人に水を飲んでもらっても、自分の渇きをいやすことはできませんので、これは自分が飲まなくてはいけませんよね。
  ご馳走は自分がしっかり食べ、それによる肥満は他の人に引き受けてもらう ということもできません。
 今日も、自分自身の人生をまっすぐに 歩みたいと思います。たとえ、ゆっくりでたどたどとしていても。(私の場合、たどたど そして、どたどた となりますけれど・・・) 
 ぼくのさかずきは小さいが
 ぼくのさかずきで飲むのです   ーミュッセー

 よい日となりますように。日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけください。

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2013年1月26日 (土)

プロの仕事

 ずっと以前のことですが、肝臓のエコー検査や胃カメラによる精密検査を受診したことがあります。

 そのとき「はい、息を吸ってください」「息を吐いてください」と指示するタイミングの適切なのを、とてもありがたく思いました。
 「息を吸って」と言われたままで、「はい、息を吐いてください」と言われなかったら、苦しくなってしまいますよね。
 胃カメラの時も、最初、目をつむっていましたら、「目をあけていたほうが、気分が悪くなりませんよ」と指示され、ほんとうに楽になったので、さすがだなと思いました。
 幸い、どちらの検査も結果は良好でしたので、嬉しく思ったことを覚えています。
 自分も身をもってその検査を体験すると、検査される側の思いに立ちやすくなり、的確な指示をよいタイミングで出せるようになるのでしょうね。
 101歳の現役、日野原重明医師は、ご自分の闘病経験、入院経験を、医師としての財産の一つとして生かしておられることが、著作や講演からも伝わってきます。
 私も、プロフェッショナルとして、さすがという域に達したいと願っています。大器晩成ならばいいのですけれど。 どうも小器未完成がいつまでも続き、可能性が目覚めないまま埋もれているような ・・・ でも、掘っても宝は出てこない などと思わずに たどたどとでも歩み続けますね。
 「井戸を掘るとは、水が出るまで掘ることだ」 ・・・ 今日も、よい日となりますように。
 明日は、日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけくださいますように。 あなたを愛している神様が喜んでくださいます。

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2013年1月25日 (金)

『論語』

0004  『論語』 ・・・ご存じのように、中国の孔子の言行を記した書物です。孔子は、紀元前551年に生まれ、74歳で生涯を終えたそうです。

 時代劇で、寺子屋などで「子 のたまわく」 と子どもたちが師匠に続いて朗読している場面がよく見られますが、その「子」、あるいは「師」が孔子なのですね。 

 私の中学時代の教科書にも「朝に道を聞かば 夕べに死すとも可なり」という言葉が載っていて、最初は、朝(あした)を明日、夕べ(ゆうべ)を昨夜と勘違いして、 

 明日に真理を知ることが出来たら昨夜に死んでもよい・・・ うーん? と戸惑ったような記憶があります。

 朋(友)あり、遠方より来たる また楽しからずや

これは、わかりやすいですよね。 

 知るを知るとなし、知らぬを知らぬとなす これ知るなり 

 自分が知っていることと知らないことをきちんと自覚していること、それこそ知っているということだ ・・・ なるほど。 知らないとなると、自分が何を知らないのかもさっぱりわからないですから。

 未だ 生を知らず いずくんぞ死を 知らん 

 死とはどういうことか、と聞かれて、こう答えた孔子は、基本的に「怪 力 乱神」 について語らなかったと 弟子たちが論語に記しています。

 十有五にして 学に 志し 三十にして立つ 四十にして惑わず 五十にして 天命を知る 六十にして 耳 順(したが)う 七十にして心の欲する所に従って矩(のり)をこえず  ・・・ この言葉も 有名ですね。 

 誠実に弟子の資質・能力に合わせて問いに答え、苦境のときには弟子とともに飢え、何とかして自分の理想とするところを施政者たちを指導して実現したいと真摯に歩んだ人だと、孔子のことを思います。0001 

 原典は中国語で書かれているので、わかりやすく解説した本を介して読むことになりましょうか。 

 たしか、『次郎物語』を書いた下村湖人に、孔子と弟子のやりとりを親しみやすく書いた著作があったように思います。

 あくまでも私の場合ですけれど、論語の「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」(自分がしてほしくないことは他の人にしないように心がけなさい) と聖書の「あなたがしてほしいようにあなたの隣人にしてあげなさい」とを読み比べると、マイナスのことをしないことも大事だけれど、プラスのことを進んで行うことを、より大事にしたいという思いがわいてきます。

 また、クリスチャンである私は、キリストの「わたしは、真理であり、道であり、いのちです」ということば、そして、生のこと、死のこと、私たちを愛してくださっている神様のことについて書かれている聖書を礎(いしずえ)として人生を歩んでいきたいと、強く願っています。 

 孔子は、キリストの生まれる5百年ほど前の人ですから、キリストに出会うことは出来ませんでした。もし、出会っていたら真理を求めてやまない真摯な方でしたから「夕べに死すとも可なり」と喜んだのではないでしょうか。 

 今回、『論語』に関する本を貸してくださったかたがありましたので、私の中学時代のことも振り返りながら駆け足で目を通しながら、上記のようなブログを書かせていただきました。好きな作家、宮城谷昌光さんの『三国志』にも時々、論語は引用されていますし、古典としておりにふれて読んでいくことになると思います。ありがとうございました。 

 今日も、友に会えたり、親しい方から手紙が来たりするよい日となりますように。

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2013年1月24日 (木)

教科書に収録されていた文章から

 ある教科0001_2 書会社に、以前、教科書に掲載した文章のなかからこれは年代をこえて多くの人に読んでもらう価値があると判断したものを選んで、改めて刊行したシリーズがあることを知りました。

 教科書の内容は、学習指導要領が改訂されると、それに対応して構成、内容などが吟味され直して変わっていくのですね。
 
 音楽の教科書から「村の鍛冶屋」などが姿を消すということがニュースに取り上げられ、話題になったこともあります。
 曲そのものがなくなるわけではありませんが、教科書に載る、あるいは載らないということは、けっこう大きなことなのだと思います。
 「教科書を教える」のでなく、「教科書で教える」ということばもあり、教科書はあくまでも何かを学ばせるための教材、媒体なのだと教育の道を志す学生さんにそのことを伝えています。
 さて、18巻あるこのシリーズの17巻を読んでみました。収録されているのは七つの文章です。( 光村図書 2002年3月1日 第一刷 発行)
0002
                         ◇ 河合隼雄さんの文章から、十歳前後というのが、自分とは何者なのだろうと考えたり気づいたりする重要な時期であること
◇ 宮城音弥さんの文から、人の記憶は新しいことが入ってくると、その前のことは忘れる方向に追いやられるので、記憶の歩留まりは睡眠直前のもののほうがよくなるということ、そして、8時間ほどは眠ることが脳をすっきりと働かせること
◇ 松尾伸さんの文からは、高い山の山頂に立ったことを証明するのはたった一枚の写真だということがあること
 その写真をカメラの不調で撮影できなかった日本人のマカルー登頂(8461メートル・世界5位の高さ)の快挙を、一年後に登頂したフランス隊が、山頂に日章旗を巻いて打ち込まれていたピッケルによって実証してくれたこと
◇ 手塚治虫さんが、ディズニーのアニメ映画「バンビ」に魅せられ、夢中になって百回以上、観にかよって、映画館の人にあやしまれたこと
◇赤十字の創立者デュナンの熱い思いと苦難、「レ・ミゼラブル」のユゴーがデュナンに心を動かされ、「君こそ、人道を守り、自由のためにつくす人だ」と全面的に支援したことなど
 厚くはない本ですが、感動する内容がたくさんありました。多くの方に出会える本だからだと思います。
 長くなり、すみません。101歳の現役医師、日野原重明さんの著、『いのちの言葉』に収められていることばで、今日の結びとさせていただきます。
 人間をモデルに
 これからの教育は、教科書ではなく人間というモデルが非常に大切になるだろう。良いモデルを手本にすることが、その人が円熟するいちばんよい方法ではないかと思う。もちろん、そのモデルは過去の人でもよい。
 できれば、誰かがモデルにと感じてくれるような生き方のできる、よい日となりますように。

続きを読む "教科書に収録されていた文章から"

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2013年1月23日 (水)

『今日から歌人!』 江戸 雪

0002『今日から歌人!』

 ー誰でも画期的に短歌がよめる 楽しめる本 

江戸 雪 著 

すばる社リンケージ

2012年5月28日 第一刷発行 

 著者の江戸 雪さんは1966年生まれとのことです。

 あとがきに、人生の半分近くを短歌とともに過ごした、などと言うと少し大げさかもしれないけれど、この20年間、そして今この時も、ずっと短歌のことが頭の片隅にある。短歌に影響を受けながら生きてきた。そう考えると、怖いような嬉しいような気持ちになるとあります。

 

 本文に、こんな箇所があります。 

 もしかすると、短歌を作ることでなにか悩みが晴れてすくわれるのではないかとおもっている人がいるかもしれません。あるいは実際に、短歌を作ることで自分がすくわれたと感じるひともいるでしょう。 

 けれど、それはすくわれたのではないとおもいます。短歌は誰かをすくうほど生やさしいものではないと私は考えています。 

 短歌を作り続けて、たとえそこでなんらかの変化があって苦しみを乗り越えることができたとしても、それは自分が自分と向きあった結果なのではないでしょうか。

 中略  しんどいけれど、自分を見つめることから逃げてはいけないのだとおもうのです。そんなとき、言葉を探り自分と向きあうことのできる短歌を手に入れていることはたしかに強みになる場合があるのだとおもいます。 

 つまり、短歌を作ることですくわれたと感じたひとは、短歌を作る過程で、新しい自分に出会ったのだとおもいます。 

 短歌を作ることは、暗い渡り廊下を行くようなことかもしれません。・・・ そんな薄暗い渡り廊下の向こうには、広い場所があるように見えます。 

 あちらがどのような場所なのかはわからないけれど、とにかくそこに向かって歩いてみようとおもうのです。そこを渡らないと私はずっと同じ場所に立ち続けているだけでしょう。 ・・・孤独な作業ですが、できればこの渡り廊下を何度もわたり続けてほしいとおもいます。私は、なんども渡り廊下をわたって、向こう側とこちら側にいます。

 うーん、1946年生まれの私と1966年生まれの江戸さん ・・・ 生活年齢の長短ではなく、一日一日の質が大切なのだということも教えてくださっているように思います。 

 さて、今日もよい日となりますように。

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2013年1月22日 (火)

♩ 雪のしらかば並木~

0003 小学六年生のとき、担任の先生はダークダックスの歌うロシア民謡のレコードをよくかけてくださいました。

 岐阜市から郡上を通ってふるさと高山市に向かうせせらぎ街道・・・白樺の木を見かけて写真を撮りました。頭に浮かべていたのは、そうです。「トロイカ」の歌詞です。

♩「雪のしらかば並木~ 夕日が映える 走れトロイカ 今宵は 楽しい うたげ」 

 後になって、「楽しいうたげ」 とあるのに、メロディーは下降して、楽しくなさそう ・・・ 2番も 「軽やかに 粉雪 けって」なのに 、メロディーは 下降 ・・・この歌の原詩は、もともと恋人を金持ちにとられて嘆いているトロイカの御者の悲恋の歌で、日本語の歌詞は、勘違いの産物らしいと聞きました。

 うーん、ロシア語を知らない身としては、まあ、いいかという気分ですが、どうもそういうことらしいです。

 郷愁を感じながらも、安全運転を心がけ、岐阜市に元気で戻ってまいりました。 思い出とバックミラーは、それに見とれるのでなく、よりよき前進のために ・・・

 今日も、よい日となりますように。  

 

 

 

 

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2013年1月21日 (月)

『三国志』 第11巻 宮城谷昌光

0005『三国志』 第11巻 

宮城谷昌光 著 

文藝春秋社 2012年9月15日 

 第一刷 

 大作ですので、第1巻から10巻までそれぞれ出版されると、図書館で見かければ借りて読んできました。 

 読んできたはずなのですが・・・とても新鮮な状態 ・・・ つまり、あまり覚えていないのです。 

 ちょうど、大雪原を歩いてきたのに、あとからあとから雪が降るので、雪の上に足跡が残っていないのに似ています。 ← 記憶力の衰えをこんなふうに表現することもできてしまうのですね。

 それはともかく、あっ、宮城谷さんはすごいな、と心が惹かれたところが、やはりこの巻にもありました。 

 歴史的事件にはかならず表と裏があり、勝ちと負けがからんでいれば、それを正と邪にあてはめるのはかなりむずかしい。勝てば正義である、という権力の図式がそのまま通用するほど歴史は単純ではない。 

 曹操の後裔を司馬懿(しばい)が冷酷に粛清したところで書かれている文章です。  勝てば官軍ということは、たしかにある、だけれど歴史というのはそれを越えたところに紡がれていくのだよ ・・・ 著者の歴史観が端的に現れているように思います。 

 大規模な映画には、そのスケールの大きさゆえに、登場する一人一人が小さな点のようになってしまうことが避けられないように思います。 

 三国志もそんな面を含んでいる素材ですが、そういう素材のなかに登場する人を埋没させず、心理、人物像を描き出すのは、すごいことだと改めて思わずにはいられません。 

 今日も、よい日となりますように。私たち一人一人の人生史における大切な今日という日ですものね。

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2013年1月20日 (日)

渡辺和子さん その2

  昨日の『愛をつかむ』(渡辺和子 著)から、もう少し引用させていただきます。

 

 前略 ・・・ 私たちは、何とぞんざいに時を過ごしていることだろう。・・・それは、「明日がある」ということへの甘えから来ていると言ってもいいかも知れない。もし、今日しかないということになれば、私たちの「今日」のすごし方は、もう少していねいになるであろう。

 

 ところで、明日が必ずあるという保証は、誰に対しても無い。父の死の場合もそうだった。

「和子、いっしょに風呂に入らんかい」

昭和11年2月25日の夜のことだった。

「ううん。今夜はお母様と入る」と答えたことをどんなに後悔したことだろう。最後の夜だったというのに。翌朝父は死んだ。2.26事件とよばれる血なまぐさいクーデターの犠牲であった。

・・・ 今日は私にとっていちばん若い日である。そういえば聖書の中に、「汝の若き日に創り主を覚えよ」という言葉があった。若き日ーそれはとりも直さず、今日であり、今日自分が遭遇する一人一人の中に神を見いだして生きよ、ということなのかも知れない。

かけがえのない今日という日がよい日となりますように。

日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 ※ 渡辺和子さんの声でお話を無料で試聴できます。よろしければ、下記のホームページでどうぞ。http://www.tomoshibi.or.jp/tv/watanabe/dvd.cgi

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2013年1月19日 (土)

『愛をつかむ』 心に美しい花を育てるために 渡辺和子

0002_2 『愛をつかむ』 

心に美しい花を育てるために
 
渡辺和子 著
PHP研究所 1984年 12月11日発行
 渡辺和子さんは、2.26事件の犠牲者となった渡辺錠太郎さんの次女。そのとき、和子さんは9歳だったそうです。
 成長された和子さんは、カトリックのシスター、そして30代でノートルダム清心女子大学の学長となられました。
 
 この本のどの章もすばらしいのですが、織物としての人生という章から引用させていただきます。
 
 人生は、刺しゅうを裏から眺めているようなものだと言う。糸が交差し、もつれ合い、結び玉があり、混沌としている。 
 しかし、表に一幅の絵が織りなされるために、その絵が色彩よく、精巧なものであるためには、それだけ、裏面は複雑でなければならないのだ。
 
 美しい人生というのも、そんなものでないだろうか。少しも美しいと思えず、むしろ、まどい、苦しむことの多いものでしかない。しかし実は、それらがあってはじめてその人しか織りなせない人生というユニークで美しい織りものは織られるのである。
 
  明日、この本から、もう一か所、紹介させていただきたいと思います。
 今日も、よい日となりますように。
明日は、日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。神様が喜んでくださいます。
聖書のことば  
 わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

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2013年1月17日 (木)

「F5」のキーの働き

 インターネットにつないで、ホームページを見ているとき、必ずしも最新のページになっていないことがあります。 

 大学に勤めている詳しいかたに「ワンポイントレッスンを」と、上記の問題の解決について尋ねました。

1.上のほうにあるUターンのような絵柄のマークをクリックする

2.もっと手軽には、キーボードの上部にある「F5」のキーを押してもよい

3.閲覧ソフト ・・・ インターネットエクスプローラー や グーグルのソフトをヴァージョンアップする 〔無料)

4.それでも思ったような動きでない場合は、いったん閲覧ソフトを消去して、再インストールする

 と、教えていただきました。 

  もし、不都合を感じておられる方は、お試しくださいませ。 

 根気よくマニュアルを読んでもいいのですが、詳しい人に手ほどきしていただくのは、またありがたいものですね。 

 「コントロールキー」(Ctrlと記されています)と「p」のキーを一緒に押すとプリンタへの指示を出すことの出来る画面になります。もちろん、普通の手順通り、左上のファイルのところをクリックして印刷を選んでもよいのですけれど。 

 こういう方法をショートカットキー(ショートカット・・・近道の意)というのだそうです。 

 うーん、便利ですけれど、人生そのものは、あまり近道をさがさないで、地道にこつこつと歩むのがいいのでしょうね。 

 今日も、よい日となりますように。

 

 

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ゴールをみつめて  ウサギとカメ

 12月30日のこのブログで、スタンフォード大学で大好評を博した意志の力を鍛える講義をおさめた本について書かせていただきました。 

 その中で、ダイエットに挑戦して、ある期間内に成果を収めた人たちをほめ、あまり成果のなかった人たちに厳しい評価をして、でも、この期間、とり組んだご褒美にりんごかチョコレートケーキのどちらかをあげますというと、厳しく評価された人たちはリンゴを選び、成果を褒められた人たちはチョコレートケーキを選んだ事例を紹介しました。 

 そういう途中までの成果を認められても、気をゆるめないためには、どうすればいいのかなと考えていたとき、思い出したのがウサギとカメの話です。

 ある牧師さんが、幼稚園の子どもたちにウサギとカメの競争の話をして、ふと、予定していなかった質問が浮かんで子どもたちに問いかけたそうです。何か、子どもたちにそんな問いを誘うような雰囲気がかんじられたのではないでしょうか。

「ウサギさんは、何を見ていたのかな」 

子どもたちは答えたそうです。「カメさん」

続けて「では、カメさんは?」と問われて

「山のふもと」 と子どもたち。

 ・・・ つまりゴールを見ていたと子どもたちは答えたのだそうです。 

 うーん ・・・ すばらしい問答ですね。 

 ダイエットの途中で褒められ、ついチョコレートケーキを選んだ人は、そのとき、ゴールから目をそらし、別のものを見てしまっていたといえましょう。そのとき見たのは 自分ほどがんばれなかったグループの人かもしれませんし、しばらくの期間、節制してきたお菓子かも ・・・ 文字通り、あまい誘惑。 

 一年の計は元旦にあり ・・・ それが半月ほどでゴールを見失いかけていないか、自分を省みたいと思います。 そして人生のゴールそのものを改めて見つめて歩みたいと思います。 

 今日も、よい日となりますように。

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2013年1月16日 (水)

いろはカルタ

 いろはカルタには、時々、どんな意味だろうと思うものがあるので、『岩波いろはかるた辞典』というのを手にとってみました。 

 知らない言葉がたくさん出てくるのですが、この辞典でも、ほとんどのいろはカルタに出てこないと紹介されていた「膳の上の箸」について書かせていただきます。

「膳の上の箸」 たとえ ・・・用意万端整っていること。必ずそうなることがわかっていることをたとえて言うのだそうです。江戸時代でも非常に珍しいことわざで、近代以前のことわざ集約百のなかでもたった2点しかなく、実際の用例も1点しか確認できていない、と記されています。

『岩波 いろはカルタ辞典』 時田昌瑞(ときた まさみず)著

岩波書店 2004年11月10日第一刷発行

  うーん、おもしろいものですね。 そういえば、今年は百人一首を取り出さずに正月がすぎてしまいました。上の句を言ってもらって、下の句がどれだけ出てくるか、かなり新鮮になってしまっているだろうことが予想されますが、ちょっと棚ざらえをしてみようと思います。 

 今日も、よい日となりますように。

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2013年1月15日 (火)

ヴェルディの最高傑作

 ヴェルディ ・・・ 歌劇「アイーダ」「椿姫」など、名作を残したイタリアの音楽家の生誕二百周年だそうです。 

 題名のない音楽会という番組を録画して楽しんでいるのですが、その番組でヴェルディと奥さんが「私たちの最高傑作」と語っていた作品が紹介されました。

 

 それは ・・・ 高齢になった音楽家たちが、老後を幸せに過ごすための施設でした。今から百年以上前にそうした施設を建てたヴェルディ夫妻の志の高さ、愛の深さに心が打たれました。 

 13日に放映されたその番組では、その建物で暮らしている女性歌手が、建物内のホールで歌っている姿が紹介されました。日本人歌手に質の高いレッスンをし、自らも歌うその人は、なんと80歳 ・・・ すばらしい歌声でした。 

 この施設には、ほかにも管楽器やヴァイオリンなど、若手のためにレッスンしている音楽家がいるそうです。 

 それぞれの個室もゆったりしていて、音楽的な設備環境の整備にも深い心配りがされていることが見て取れました。 ホールには、パイプオルガンが設置されていました。 

 ヴェルディと夫人はこの建物に眠っているそうです。ヴェルディの葬儀の時には、30万人の人がヴェルディ作で、イタリアの第二の国家と言われている 「行け 金色の翼に乗って」を唱和し、彼との別れを惜しんだそうです。 

 うーん、人生の時間と財産をこんなふうに生かせたらすばらしいですね。 

 とても及びませんが、私も介護予防教室などで、少しでも質の高い音楽の贈り物ができるように、練習したいと思います。 

 今日も、よい日となりますように。

 

 

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2013年1月14日 (月)

成人式

 今年成人式を迎えられた方、おめでとうございます。どうぞ、成人として、ますます日々を充実させてご家族とともに元気でお歩みくださいますように。 

 私の小学生時代にはなかったことですが、このごろ、小学4年生は10歳になることから、二分の一成人式という行事をすることが学校によってはあります。子どもたちなりにそれまでの歩み、お世話になったことを振り返り、決意をもってそれからの日々に新たなるチャレンジを始めます。 

 うーむ、その考え方を進めていくと、40歳でダブル成人、60歳でトリプル成人という節目を設定して祝うことも、その気になればできそうですね。 あ、わざわざ設けなくても、還暦とか古希とか喜寿、米寿、卒寿、白寿、茶寿などありますね。

 そして、「思い立ったが吉日」、そして「日々これ好日」という言葉もありますから、やはり、生きている 一日一日(ひとひ ひとひ)が晴れ舞台 なのだと思います。 

 今日は、特によい日となりますように。 

 今日、1月14日は、私の父、そしてあのシュバイツアーの誕生日です。牧師であった父は51歳、シュバイツアーは90歳で天に召されましたけれど。

 今日はシュバイツアーの演奏するバッハを聴きながら、父とシュバイツアーを偲びたいと思います。 

成功は幸せの鍵ではありません。

幸せが成功の鍵です。

もし自分のしていることが大好きなら、

あなたは成功しているのです。

シュバイツアーのことば

 

 

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2013年1月13日 (日)

血圧の測り方

 血圧をテーマにした「ためしてガッテン」という放送を見ました。勉強になったのは、腕に巻いて計測する血圧計の場合、両方の腕で測った数値の違いが10%以内かどうかをみることが大切だと分かったことです。 

 これは、どちらかの側だけ、血管が硬くなったり、つまったりしていないかを診断する方法なのだそうです。

 血圧を測るのはどちらか片側だけでいいと思っていましたから、ちょっと驚きました。健康診断の時にも、たいていは片側だけですよね。 

 さっそく、普段大事にしまってある(めんどうで測っていないともいいます)電池式の血圧計を久々に出してきて測ってみました。左右で差はありますが、幸いなことに10%よりも小さい違いでした。

  以来、血圧計の登板回数が増えました ・・・ そうしましたら電池が切れましたので、補充する事態になりました。 うーん、でも、血管が高血圧のために切れることを思えば、電池の補充くらいは ・・・。 というわけで、電池を買いに行ってきます。 余談ですが、一瞬で体温を正確に測れる体温計も登場しているようですね。

 今日も、よい日となりますように。

 今日は、日曜日。どうぞ、キリスト教会の礼拝にお出かけください。 あなたを愛してくださっている神様が喜んでくださいます。

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2013年1月12日 (土)

朝方の岐阜城

0004  先日は、夕焼けの岐阜城を遠望した写真を掲載させていただきました。 

 1月11日の岐阜市は、青空が広がっていましたので、朝方の岐阜城を比較的近くから撮りました。

 澄んだ空気の中で朝の光を浴びることは健康にもよいそうですね。 ・・・いえ、岐阜城が健康になるというのではなく、人間の健康によいということですけれど。

 この日は「人権」について、学生さんたちにお話をすることになっており、いつもより早く大学に向かいました。 

 200人を越える若人に、懸命にお話をして、レポートを書いてもらいました。

 結びの資料の朗読を二人の学生さんに頼んでおきましたら、若い声でいきいきと読んでくれましたので、レポートにもその資料に感動したとの感想がありました。

 資料の一つは、児童虐待にあった子どもたちは、大人への不信感の塊のようになっていて、親身になって世話している先生方にも「くそじじい」などと怒鳴り、乱暴な行動をする ・・・ そういう子の一人が転校する日にも、女の先生に乱暴な言動をして紙ヒコーキを投げつけたそうです。 その子が去って行った教室で、先生がその紙ヒコーキを拾い上げて、開いてみると、そこに「先生、ありがとう」と書かれていた、というのが結びです。

  これは、私の敬愛する先生を通して聞いた実話なのです。

 まっすぐにこの話を受けとめてくれたレポートが多くありました。 

 「人権」の話をする私自身、決してパーフェクトな人間ではないことを、38年間の小学校、中学校の教員生活を振り返って語り、でも、自分以外の人の重み、大切さを自分と等身大に位置づけて歩むことを心がけて進みたいと願っています と結びました。

 

   詩 ねがい    八木重吉 

  どこを

  断ち切っても

  うつくしくあればいいなあ

 

 この詩は、私の生涯をかけてのテーマになっています。 

 今日も、よい日となりますように。 

 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

  

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2013年1月11日 (金)

あ、あかるい 

 居間の蛍光管が点灯時にちらつくようになったので、蛍光管を新調しました。

   けれど、それでも、点灯時にまたたくので、台ごと、新しくしました。 ・・・すると、あ、あかるい  これでこそ、買い替え甲斐があるというものです。デザインもすっきりしていて、桟などがなく、家内が掃除しやすいからこれがいいと言ったのがあかるさにもうまくつながったようです。

 蛍光管の大きさは、前と同じですので、新調した蛍光管は、とっておいて取り替えに使えます。 

 電気製品は、日進月歩の感がありますから、ある程度、時期がきているものは買い換えると、節電効果も期待できてよいかもしれませんね。 

 えっ、あんたの頭も新品に換えるといいのでは、とおっしゃいますか。アハハ、これは使い込んで、スピードはゆっくりめになってからが実は味わいが出てくるものなのでございますよ。 ← と、考えるほうが、精神衛生上、よろしゅうございます。 (あ、あ軽い)

 今日は1月11日 ・・・ 語呂合わせで何かの日かもしれませんね。ちなみに1月10日は、百十番で、警察の日だそうです。 うーむ、川の日でしょうか。

 よい日となりますように。

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2013年1月10日 (木)

風呂吹大根

0005  家庭菜園を楽しんでおられる方から大根をいただきました。 

 柚子味噌仕立てのふろふき大根にして美味しくちょうだいいたしました。ありがとうございます。

  このほかにも、大根はスライスした大根を用いての大根しゃぶしゃぶ、ポン酢と大根おろしとを合わせて、鍋ものの味わいを深めるなどの活躍をしています。 

 「家庭菜園を楽しんでおられる」と書きましたが、楽しみばかりでなく、収穫にいたるまでにはいろいろな作業を根気よく続けておられますので、その収穫物をいただくのは、本当に感謝です。 

 この機会に風呂吹大根の俳句を調べてみましたので、紹介させていただきます。

風呂吹大根(ふろふきだいこん)
「冬-生活」の季語
大根や蕪を茹でたものに、味噌だれなどをかけて食べる。

風呂吹の一きれづつや四十人    正岡子規
風呂吹に杉箸細く割りにけり     高橋淡路女
風呂吹の味ひ古詩に似たるかな   永田青嵐
風呂吹や闇一塊の甲斐の国     廣瀬直人
風呂吹のなかの炎にゆきあたる   小池康生

 角川俳句歳時記 第4版より

 はや、一月も10日となりましたね。 今日も、よい日となりますように。

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2013年1月 9日 (水)

夕映えの岐阜城

0001  岐阜市といえば、織田信長公ゆかりの岐阜城と金華山 ・・・ 夕焼け空が広がったので、急ぎ足でウオーキングしてこの写真を撮りました。 

 金華山には芭蕉の句碑がいくつか建てられています。リス村もあります。

イノシシも棲息していますが、人と鉢合わせをするような時間帯には出てこないそうです。 

 ロープウエイもありますが、できれば歩いて登るのがよく、やや険しい道と、緩やかな道が選べます。警察学校の若いお巡りさんが健脚を競う早登り大会があり、びっくりするほど早い記録を目にすることがあります。 

 ふもとには、舟を作っている工場もあります。よろしければ、お好みの季節にお出かけくださいませ。 長良川とセットになっている景観が、また格別です。 

  今日も、大きな景色を眺め、心身の深呼吸をする時間を設けて、よい日となりますように。

 

 

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2013年1月 8日 (火)

漱石は甘党だった

 「グレーテルのかまど」というテレビ番組を見ていました。その日作られたのはようかん。 

 ようかん ・・・ 羊羹と書くのは、もともとは羊の肉を入れた羹(あつもの・・・スープ)を源流としているからだそうです。 

  それはともかく、漱石が好んだ羊羹も紹介されました。今もそのお店があるとのこと。 お酒を飲まなかった漱石は、甘党で、シュークリームがいくつかあると、喜んで独り占めすることもあったようなのです。文豪がちょっと身近になった気がいたしました。 もちろん、シュークリームを食べると文豪になれる、ということではありませぬ。 

 7日夜、青木さんというパティシエがシュークリームの作り方を伝授する番組をちらと見て、「作れる?」と家内に尋ねましたら、「作れるけれど、カロリーが高いから・・・」とのこと。 

 家庭で一個だけ作るのは難しいでしょうから、ほんの時々購入するのを楽しみといたしまする。 

 別のことですが、時々、「ヘンゼルとグレーテル」「チルチル ミチル」 それぞれ、どれが兄の名、妹の名?と迷うことがあります。 グレーテルといっても、とてもよい子で、ぐれてるわけではありませんね。 あっ、こんなしゃれは書かないつもりでしたのに、すみません。 

 さて、今日も、よい日となりますように。

 今日は、私の兄の誕生日です。おめでとうございます。

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2013年1月 7日 (月)

永遠への思い

 昨日、10万年に1秒ずれるかどうかという時計のことを書かせていただきました。 

 そのことと結んで、聖書の伝道者の書のことばを思い浮かべました。伝道者の書、3章から少し引用させていただきます。

3:1 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。        中略

3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。 

 この11節から、人間には永遠への思い、あこがれが与えられていること、けれど、神様のなさっていることのすべてを見ることはできない存在であることを改めて思います。 

 全部を見たいと思う反面、全部を見ることができないことも神様の深い思いやり、愛ではないか、と感じています。 

 あなたは、いかがお思いになりますか。 

 さて、今日という日もかけがえのない永遠に続く道程の一日です。よい日となりますように。

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2013年1月 6日 (日)

10万年に約1秒ずれる時計 ・・・

 ソーラー時計 ・・・ 太陽光で動く電波腕時計の宣伝に出会いました。 

 な、なんと、十万年に1秒ずれるかずれないかという精密機械だそうで、驚きました。技術の進歩はすばらしいですね。 

 あまりにすばらしいので、いろいろなことを考えました。 

 もし、この時計を所持したら、コーヒーは3分間で淹れるなどクッキングの時間が厳密になりそうです。

 けれど・・・心配な面も。 たとえば

1.約束の時間に万一遅れたときにも、「やあ、ごめんなさい。時計が「狂ってたものですから」という言い訳はできなくなります。 

2. 他の人が時間に遅れたら「○○分と□□秒の遅れです」と自信を持ってそして、容赦なく宣告しそうです。 新幹線、市内バスなどが時刻表とずれた動きをしたときも、つい指摘、記録しそう・・・「この精密時計が目に入らぬか」という具合に。 

 それはそれとして、次のような疑問も浮かんできました。

① 10万年後に、誰がその時計を見るのかな

② この時計の部品は、何年くらいもつのだろう

③ ラジオの時報に自動で合わせる仕組みだけど、10万年後もその放送局は放送を続けているのだろうか

④ そもそも動力源となる太陽は、10万年後も輝いている ? 

 技術的な計算で、10万年に約1秒のずれ ということと、現実の10万年後の世界ということとは、同じ土俵の上に乗ることではないのでしょうね。 

 お騒がせいたしました。でも、こんなに精度の高い腕時計が、1万円に届かない値段で販売される時代になっていることに驚きを覚えました。 

 テレビを見ていましたら、林業に携わっている方が、80歳の檜の世話をしつつ、その檜が2百歳になったときの姿、用途をイメージしながら、今、その木に何が必要なのかを考えて世話をしておられました。 ・・・ 見通しと情熱を持って愛情込めて仕事なさっていることに頭が下がりました。

 教育は百年の大計といいますが、林業は・・・たとえば屋久島では樹齢千年にならないと屋久杉と呼ばないそうです。悠久の世界 ・・・ うーん、時計の話から、どんな構えを持って人生の時を刻むのかということに、たどたどと思いを寄せた今日のブログでありました。

 おつきあい、ありがとうございます。

 今日も、よい日となりますように。 今日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけくださいますように。

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2013年1月 5日 (土)

『スウ姉さん』

0007 『スウ姉さん』

 エレナ・ポーター  作

 村岡花子 訳

 角川書店 1965年(昭和40年12月20日 初版 発行) 

 訳者の村岡花子さんは、この本の後書きにこう記しておられます。 

 『少女パレアナ』『パレアナの青春』でたくさんの愛読者を得ているエレナ・ポーター原作の『スウ姉さん』をおくります。 中略 1920年ポーター夫人が世を去る前に書いたこの『スウ姉さん』は、私にはいちばん読者の心の琴線のこまかいところに触れる作品と思われます。かくれたところで孜孜(しし)として地味な生活の道を歩んでいる女性のために気を吐いた作品だと考え、私はこれを深く愛しております。 後略  

 ※ 孜孜(しし)として ・・・ 熱心に努め励むさま 

 このスウ姉さんは、ピアノの教授から将来を属望されており、卓越したピアニストになれる人なのですが、大恐慌が起こり、資産を失い、心身の衰えた父の世話をしながら妹、弟の身が立つようにと家事、収入を得ることに追われる身となります。 

  聖書に、マリアとマルタという姉妹が登場します。イエス・キリストを自宅に迎えて、食事をはじめ、いろいろなことに大わらわなマルタは、ひたすらイエスのそばにいてイエスの言葉に耳を傾けているマリアに私を手伝うように諭してくださいとイエスに話します。 ・・・ この『スウ姉さん』の主人公、スザナ・ギルモアは、人一倍マリアのように生きたいと強く願いながら、余儀なくマルタのように生きている人だと、私は読んでいて思いました。

 エレナ・ポーターの言葉が巻頭にありますので、それを紹介させていただきます。

 全世界いたるところに、無数に散らばっている「スウ姉さんたち」に、この作品をささげます。 

 しんぼうづよく、不平をいわずに、「わずらわしい毎日の雑用」を果たしながら、はるか遠いかなたに自分たちをさしまねいている「生きがいのある生活」をながめているのが、それらのスウ姉さんたちです。 

 その中でもとくに私が親しく知っている、いくたりかのそのような女性たちがありますが、けんそんなその人々は私が彼女らの名を語るのを許してくれません。 

 私が知ると知らぬとにかかわらず世のすべての「スウ姉さんたち」に祝福あれと、私は心から祈ります。 エレナ・ポーター 

 今日も、よい日となりますように。

 明日は、日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけくださいますように。

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2013年1月 4日 (金)

パレアナ ・・・ 喜び

0002 『少女パレアナ』

エレナ・ポーター  作

村岡花子 訳

角川書店 1962年(昭和37年) 

7月20日 初版発行

 パレアナは Pollyannaと言う綴りです。映画やテレビでは「ポリアンナ」と呼ばれているようです。

 著者のエレナ・ポーターは1863年に生まれ、1913年に『少女パレアナ』を出版しました。 ということは、今年はパレアナ出版100周年にあたるのでしょうか。

 牧師夫妻の娘として生まれたパレアナは、幼いときに母を亡くし、父親と教会の婦人会によって育てられましたた。けれど、その父親も天国の母親のところに行ったので、母の妹であるパレーおばさんのもとに身を寄せることになったのでした。そのとき、パレアナは11歳 ・・・ ご存じの方が多いでしょうから、これ以上の紹介はさしひかえますけれど、このパレアナは、やがて町のお医者さんが人々を健康にするための処方箋にパレアナを一服と書きたいと本気で思うほど、彼女とわずかの時間でもふれあった人々を明るくする力に満ちた少女でした。

 この正月、私は『少女パレアナ』、その続編の『パレアナの青春』を読んでおりました。

 夜空の星の光の中には、送り出されてから何千、何万年もかかって地球に届いたものがあるそうですね。 『少女パレアナ』は、アメリカで週刊誌に連載されてから、百年を経ても世界の多くの国で、それを読む人の心に明るい希望の光を届けているのですから、すばらしいことですね。

 小さな光でも、その光は、長い間かかって、それを必要としている人の胸に届いて、かけがえのない働きをするかもしれません。  

 自らは物理的な光を見ることが出来なかったヘレン・ケラーは、どんなに多くの方の人生に光を贈って輝いていることでしょう。

  今日という日、心を込めて、光を発信することが出来ますように。でも、りきまず、たゆまずに歩んでまいりましょうね。

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2013年1月 3日 (木)

和菓子

0002_2  お正月には、和の心がよく似合う ・・・
テレビやラジオからは琴の音が流れてきますし、和菓子を前にすると、私のような心得のない身でも、抹茶と合わせていただきたくなります。
 どんなにたくさんの時間と心と技がそそがれて、こんなに美しいたたずまいの和菓子が生まれたのだろう・・・ そんなことを殊勝にも思い浮かべ、「食べてしまうのはもったいない」 「いや、味わってこそ、作ったかたの心を生かすことになる」などと しばし、葛藤し ← うそです 和菓子を目にした数秒後には、美味しくいただいてしまっております。
  美は、はかない ・・・ いえ、もともと、はかなさと美とは切り離せないものなのかもしれませんね。
 正月明けに、私本体が増量していないように、自重して冬休みを過ごそうと思います。
ううっ、「自重」 じちょうと読むより、じじゅう ・・・自分の重さという読みのほうが先にイメージされる自分がこわい
 せっかくのお正月なのに、こんな文章におつきあいいただいて、ありがとうございます。
 今日も、よい日となりますように。
 

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2013年1月 2日 (水)

よき一年となりますように

0002
 謹んで、新年のご挨拶を申しあげます。どうぞ、2013年もよろしくお願いいたします。 

 昨年より、年齢が一つ上がるのは確かですが、「今年は、私の残りの人生の中で一番若い年」ということで、いかがでしょうか。 

 これを年でなく、日にすると、朝ごとに「今日は、私の残りの人生の中で一番若い日、そして、一番成熟した日」ということになりましょうか。 

 国と国とのあいだのことも、宇宙船からみると、国境線が見えるわけではなし、もっと大らかに地球全体の課題解決に向けて力を合わせていけるとよいのではないかと思うのですけれど、難しいものなのですね。 

 ともあれ、「人生は、神様からのたった一度のこの世への招待」という言葉もございます。 

 望みを失わないで、歩んでまいりましょう。

 生きている 一日一日(ひとひ ひとひ) が 晴れ舞台 

 by ムーミンパパ 

 今日も、よい日となりますように。

 

 

 

 

 

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2013年1月 1日 (火)

サン・キャッチャー

0003 明けまして、おめでとうございます。2013年も、どうぞよろしくお願いいたします。

 サン・キャッチャー ・・・ 日光をとらえて虹を映し出すプリズム ・・・ すてきですね。 敬愛する友人からいただきました。ありがとうございます。 

 『少女パレアナ』(エレナ・ポーター作 村岡花子 訳 角川文庫 発行)に、こんな場面があります。

「 ・・・ 虹の赤ちゃんよー 虹がおじさんをお見舞いに来たのよー まあ まあ まあ なんてきれいなんでしょう! なんてきれいなんでしょう! だけど、どうやってはいってきたんでしょうね?」 

 見舞いに来てもらったおじさんは、パレアナがあまりにも喜ぶので、燭台を持ってこさせ、その燭台を飾っていた12個のプリズムをパレアナに窓辺につり下げさせました。 ・・・そこに現れたのは、まったくのおとぎ話の国でした・・・ 

 おじさんは、パレアナに話しかけます・・・「一番上等のプリズムは、きみだと、いま、おじさんは考えていたのさ」 

 聖書に「あなたがたは世の光です」ということばがあります。神様の光を受けてそれを反射して小さくても美しい光をはなつことが出来る今年の日々となることを願っています。 この一年が虹色に彩られたよき日々の連なりとなりますように。 

 元旦、よきスタートの日となりますように。 サン・キャッチャーによって部屋いっぱいに訪れる虹の写真を、少しお裾分けさせていただきます。

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