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2013年1月25日 (金)

『論語』

0004  『論語』 ・・・ご存じのように、中国の孔子の言行を記した書物です。孔子は、紀元前551年に生まれ、74歳で生涯を終えたそうです。

 時代劇で、寺子屋などで「子 のたまわく」 と子どもたちが師匠に続いて朗読している場面がよく見られますが、その「子」、あるいは「師」が孔子なのですね。 

 私の中学時代の教科書にも「朝に道を聞かば 夕べに死すとも可なり」という言葉が載っていて、最初は、朝(あした)を明日、夕べ(ゆうべ)を昨夜と勘違いして、 

 明日に真理を知ることが出来たら昨夜に死んでもよい・・・ うーん? と戸惑ったような記憶があります。

 朋(友)あり、遠方より来たる また楽しからずや

これは、わかりやすいですよね。 

 知るを知るとなし、知らぬを知らぬとなす これ知るなり 

 自分が知っていることと知らないことをきちんと自覚していること、それこそ知っているということだ ・・・ なるほど。 知らないとなると、自分が何を知らないのかもさっぱりわからないですから。

 未だ 生を知らず いずくんぞ死を 知らん 

 死とはどういうことか、と聞かれて、こう答えた孔子は、基本的に「怪 力 乱神」 について語らなかったと 弟子たちが論語に記しています。

 十有五にして 学に 志し 三十にして立つ 四十にして惑わず 五十にして 天命を知る 六十にして 耳 順(したが)う 七十にして心の欲する所に従って矩(のり)をこえず  ・・・ この言葉も 有名ですね。 

 誠実に弟子の資質・能力に合わせて問いに答え、苦境のときには弟子とともに飢え、何とかして自分の理想とするところを施政者たちを指導して実現したいと真摯に歩んだ人だと、孔子のことを思います。0001 

 原典は中国語で書かれているので、わかりやすく解説した本を介して読むことになりましょうか。 

 たしか、『次郎物語』を書いた下村湖人に、孔子と弟子のやりとりを親しみやすく書いた著作があったように思います。

 あくまでも私の場合ですけれど、論語の「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」(自分がしてほしくないことは他の人にしないように心がけなさい) と聖書の「あなたがしてほしいようにあなたの隣人にしてあげなさい」とを読み比べると、マイナスのことをしないことも大事だけれど、プラスのことを進んで行うことを、より大事にしたいという思いがわいてきます。

 また、クリスチャンである私は、キリストの「わたしは、真理であり、道であり、いのちです」ということば、そして、生のこと、死のこと、私たちを愛してくださっている神様のことについて書かれている聖書を礎(いしずえ)として人生を歩んでいきたいと、強く願っています。 

 孔子は、キリストの生まれる5百年ほど前の人ですから、キリストに出会うことは出来ませんでした。もし、出会っていたら真理を求めてやまない真摯な方でしたから「夕べに死すとも可なり」と喜んだのではないでしょうか。 

 今回、『論語』に関する本を貸してくださったかたがありましたので、私の中学時代のことも振り返りながら駆け足で目を通しながら、上記のようなブログを書かせていただきました。好きな作家、宮城谷昌光さんの『三国志』にも時々、論語は引用されていますし、古典としておりにふれて読んでいくことになると思います。ありがとうございました。 

 今日も、友に会えたり、親しい方から手紙が来たりするよい日となりますように。

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