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2013年6月13日 (木)

「絵解き」と「鑑賞」

Photo_3『国語教育相談室』 光村図書 中学校no.70 2013年1月発行 に「鑑賞文を書こう」という特集が掲載されていました。

 その中に、「鑑賞文と想像力」という文章があり、絵画を例に挙げて分かりやすく書かれていましたので、新鮮な思いがいたしました。著者の藤森裕治さんは、信州大学教育学部の教授だそうです。

 この文章の内容をかいつまんで記させていただきます。

 作品の技法や作家の意図、関連する事実関係を知ることは、鑑賞する心のひだを繊細にしてくれる・・・作品にかかわる事柄について知識をたくわえておくことは、必要とは言わないまでも有効と言うべきである。  

 しかし、こうした知識を駆使して作品世界がどう読み解けるかを述べる作業を「鑑賞」とは言わない。それは「絵解き」である。  

 「鑑賞」という行為は、作品世界が自分にどう見えるのか、香るのか、聞こえてくるのか、そして感情をふるわせるのかを完全に自分の内的な出来事として感じることである。

  例えば、「ヴァージナルの前に立つ女」(フェルメール)を見て、女性が身につけている金色のドレスのひだから乳酸菌飲料に似た香りを覚え、恋をしたいという感情が動き出す。あるいは、デヴィッド・ホックニーの風景画に描かれたみどりの森を見るたびに、精神の疲労が癒やされ、元気がわいてくる。そういう体験が鑑賞である。 

 問題となるのは、言葉にならない出来事を「経験」として言語化するための想像力と創造力を、いかに身につけるかということである。それは、作品から感受された「美しさ」がj自分に何をもたらしたか説明する力を育成することである。ただし、説明すべき対象は作品の機構ではない。鑑賞する主体が感じた「美しさ」についての体験談である。

 つい、引用が長くなりました。すみません。長くなりついでに、結びの部分を。 

 鑑賞文を書くことの根源的なねらいは、生徒が美的体験をし、それを言語的記憶として蓄積することにあると言えるだろう。もとよりその範は、教師が示さねばならぬ。 

 教師に限らず、教える立場に立つときには、まず自分がその範を示す心がけが大切ですよね。 その域に遠くはあっても、目指したいと思います。

 今日も、よい日となりますように。

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コメント

  お久しぶりです。藤森裕治さんとは、日本国語教育学会の関係で面識があります。前国語学会長の倉沢栄吉先生や元岐阜大学大学院教授の安居總子先生のご希望で、高山のナガセ旅館に宿泊し、城山公園の「石叫ばん」の碑を一緒に見に行った遠い記憶があります。20年以上も昔のことです。
 本校で小4年目を迎えました。再来年、退職をこの学校で迎えられそうです。通算、10年間の校長生活を(不祥事さえなければ、)送ることになります。ありがたいことです。
 以前、ご覧いただいた校長室だより「窓」は、本校で430号を超え、通算は約700号を数えます。月水金の発行を心がけていますが、「ちりも積もれば…」ですね。毎日更新される先生のブログには、遠く及びません。ブログは毎日、拝読させていただいております。忠明先生や正昭先生にもよろしくお伝えください。

※ ムーミンパパより
コメント、ありがとうございます。
うーむ、国語人らしさに満ちているコメントですね。
そして、朝5時台の発信という相変わらずの早起き、そして、そして中身のこい校長室たよりの積み重ね、すばらしいことです。
お二人にもお伝えします。元気でご活躍です。
では、また。

投稿: kou.じいちゃん | 2013年6月14日 (金) 05時15分

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