『こんな美しい夜明け』
加藤 剛 著
岩波書店2001年8月2日 第1刷発行
加藤 剛さんは、1938年生まれ・・・今年75歳。テレビ版の「人間の條件」の主人公、梶の役で登場。(映画版では仲代達矢さんですね。)
この本には、ご家族がよく登場します。お正月の長時間ドラマ『関ヶ原』が終わったとき、大阪方の将として死んだ役を演じた剛さんに郷里のお母さんから入った電話のこと。
「私は辛いよ、切なくて口惜しいよ。あんなタタミ一畳の上で、あんな白い罪人の衣着て。あんな所でサラシ者にするために私は子を産んだでないに。かわいそうで涙がとまらんけよ。はあ、もう一度、ほんとに生きてるお前の声を聴かんにゃ眠られんで」
「どうみてもお前のほうに理があったに。分(ぶ)もあったに。汚い戦(いくさ)をするものに計られて」 くやし泣き。
「関ヶ原は石田三成の負けと、380年前にわかってるでしかたない」と言っている元校長のお父さんまでお母さんには憎たらしく思えたようです。
「役者などになってくれたで・・・・・・」 ・・・加藤 剛さんが親不孝を心から詫びたい気分になったところで、「お休み」と受話器がおかれたそうです。
うーむ、本当に親とは有り難いものです。
さて、「涙の渡り鳥」と題するこの文は次のように結ばれています。
おっ母ちゃ。頼まれれば義によって、この五体をも貸すのがわが生業の心意気なのだ。だから親不孝は大目に見て欲しい。この先もきっといろいろな男の人生を渡り鳥のようにかりそめにさすらい、老いた母を熱くせつなく、私は泣かせるのである。
きっと、テレビの「大岡越前」ではお母さんはさっそうとした剛さんの姿を繰り返し眺めて喜ばれたことでしょう。
剛さんの息子さん・・・生まれたその日にも舞台で剛さんが演じていた「剣客商売」の秋山大治郎・・・そのまま、長男の名前となったのだそうです。その弟の小次郎さんの書いた文章、もところどころで紹介されていますが、すてきな文章です。
『銀の匙』の朗読をしたときの文章にこんな一節があります。
私は劇場空間が人の身や心に秘湯の効用を持つ、と信じて「世間におすすめしている関係上、少々騒々しかろうと、想像力はつねに創造的なものである、と信じる立場の男です。
図書館でたまたま出会った一冊の本を通して、スクリーンやテレビでしか知らなかった加藤 剛さんその人についての目が開かれた思いがし、皆様と分かち合いたく思いました。
今日も、よい日となりますように。
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