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2013年10月31日 (木)

かも、来たる

0003 かも、来たる・・・ ドラマなどで使われる慣用句的表現ではなくて、写真にありますように、本当に言葉通りの「かも、来たる」です。 

 私の通っているキリスト教会のすぐそばにある池に、今年もかもがやってきました。 とってかも鍋にしようという魂胆は、こちらにはありませんが、かもは一応、警戒して人間から遠いほうへと位置を変えます。するとさざ波が生まれます。

 うーむ、今年も、そういう季節がやってきたのですね。 

 灯油、ガソリンスタンドで1835円というのを見かけましたので、昨日の店の1700円台というのは少し安いということになります。ひと缶、購入しておこうかなあ。 

 10月のフィナーレ。よい日となりますように。

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2013年10月30日 (水)

ザクロ pomegranate

0012石榴 ざくろ ・・・ 私の通っているキリスト教会の庭にたわわに実りました。 

  パソコンで使える角川の歳時記で、石榴の項目をみました。

石榴(ざくろ)  【季語の分類一覧】
柘榴(ざくろ) 実石榴(みざくろ)

「秋-植物」の季語
ザクロ科の落葉樹の実で、拳大の球形をしている。

熟すると厚く硬い果皮が裂け、鮮紅色の多数の種子が現れる。食用にされる透明な外種皮は甘酸っぱい。花柘榴は結実しない。

[俳句]

露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す         西東三鬼
恍惚たりざくろが割れて鬼無里(きなさ)なり   岡井省二
大津絵の鬼出て喰ふ柘榴かな           黒田桜の園
ひやびやと日のさしてゐる石榴かな        安住敦
柘榴紅し都へつづく空を見て            柿本多映
実ざくろや妻とは別の昔あり             池内友次郎
風雲の一片とある柘榴の実             瀧春一
くれなゐの泪ぎつしりざくろの実           和田知子

合本 俳句歳時記 第四版  (C) 株式会社角川学芸出版 2008  

  もうすぐ冬 ・・・ あまり季節の先取りはしたくないと冬に限っては思います。けれど、こたつを出し、綿入れを新調し、暖かい室内履きを手に入れ・・・と結構、冬への備えをしていることに気がつきました。 

  ストーブ用に灯油を、と思いましたが、18リットル、1700円台・・・これが今の値段としてどうなのか、ちょっと様子を見ようかなという気になっています。 

  春隣(はるどなり) ・・・ 冬のことをこう表現するのだそうです。うーむ、すばらしい感覚、知恵ではないでしょうか。何だか嬉しくなりました。 

 今日も、よい日となりますように。

 

 

 

 

 

 

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2013年10月29日 (火)

長良公園と百々が峰

0004  この写真・・・手前に長良公園という公園、後方の山が岐阜市の最高峰417.9メートルの百々が峰(どどがみね)です。 

 実は、長良公園は、私の母校、岐阜大学がいくつもの学部と統合して移転した跡地にできた公園です。 

 ですから、私の学生時代にもこの百々が峰の姿を見ているはずなのです。ところが、当時は後方の山のもう少し左側にある峰を百々が峰と思い込んでいたこともあり、本当の百々が峰をしっかりと見た記憶が私にはないのです。 

 それでも、百々が峰は、私に不平を言いに来ることなく、泰然としていて、私が正しい認識に至るのをおおらかに待っていてくれたのです。この一枚の写真をじっくりと見ていて、そのことに気がつきました。 動かざること、山のごとし。山はすごいですね。 私だったら、そんなに長くは我慢できません。誤解されたままで終わることにも山は耐えて、ほほえんでいる度量があるように思います。

 さて、ここからは、蛇足です。

 この公園には、私が若いときに懸命に練習したトランペットの響きは、もちろんもう残ってはいません。

 岐阜大学管弦楽団が定期演奏会などに向けて練習した「ウイリアム・テル序曲」「アルルの女」、ベートーヴェンの「英雄」「運命」「第九」ピアノ協奏曲、チャイコフスキーの「白鳥の湖」、交響曲「第五番」、ブラームスの「ハンガリアンダンス」、交響曲「第一番。メンデルスゾーンの交響曲「スコットランド」、シベリウスの「カレリア組曲」「フィンランディア」、モーツアルトのクラリネット協奏曲、交響曲「ハフナー」、40番「ト短調」。ムソルグスキーの「はげ山の一夜」、ハチャトウリアンの「ガイーヌ組曲」(剣の舞など)、ブルッフのヴァイオリン協奏曲、そしてドヴォルザークの「新世界より」、シューベルトの「ロザムンデ」「未完成交響曲」、ウエーバーの「魔弾の射手序曲」、リストの交響詩「プレリュード」 ・・・ 大学に入るまではクラシックにあまり詳しくなかった私に多くの曲を聴いたり、実際に演奏したりする機会を与えてくれたのは、下手なりに管弦楽団に所属していたからでした。 懐かしいです。 

 思わず、長くなりました。本日もよい日となりますように。

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2013年10月28日 (月)

和菓子

0006  和菓子 ・・・日本のお菓子というだけでなく、美しさ、美味しさも備えていて和(なご)む表情を引き出すということも含まれている名のように思えます。 

 「今日、昼ころ行くで 家に誰かいる?」 ある朝、そういうメールを寄こした長男が携えてきたのが、この和菓子たち ・・・ 味わって食べました。といっても時間は余りかかりませんでしたが。 ← これは、何を食べるときにもそうですけれど。

  一晩すごして、帰って行きました。老親(私と家内のことです)の顔を見に来てくれて、おおきに。 

 盛岡に住む孫の一人は、家内の誕生日にこんなことを書いて送ってきました。 「おばあちゃん だいだいだいすきだよ だから わたしの生きているあいだは 元気でいてね」 ・・・ おおむね、そのような文面。 

 秋は、ふけていきます。 今日も、よい日となりますように。 

  現実を見つめようと、毎朝、体重計にのっています。 いえ、それだけのことでスリムになるとは思っていませんけれど。 家内は「思わなさすぎる」と褒めてくれています。 おお、11月が近づいてきていますね。冬眠の用意として内臓脂肪の貯蓄、などと思っているわけではありませぬけれど・・・。

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2013年10月27日 (日)

道は開かれる

0004 岐阜市に新しい道路が開通しました。日野というところと芥見とを結ぶ道路で将来的にはもう少し伸びていくようです。

 この道路の工事が続くのを見ながら、ある友人が「長いこと工事しているけれど、いつ頃完成するんやろうね」と語っていたのを思い出します。

 その友人は、天に召されて2年ほど経ちますので、この道路が開通したことには私なりの感慨を覚えます。 

 この道路は、山にトンネルをうがって完成しました。今回開通した道のりは確か2キロ台ですが、掘られたトンネルの長さは1001メートルだそうです。

0003

  このトンネルを通っていて、菊池寛の『恩讐の彼方に』という作品を思い出しました。それまでの生き方を悔い改めて僧侶となり、九州の耶馬溪にたどりついた元武士が、人々が安全に行き来できる道を作るために、長年、鑿(のみ)をふるって洞門をうがち続けるのです。

  堅固な岩を二百間にわたって掘るのは、気の遠くなるような話・・・けれど、あきらめずに掘り続ける彼の一念は、村人を動かします。彼を仇とつけねらう武士が彼を捜し当てた時には、村人が、せめて洞門が完成するまでは待ってあげてほしいと懇願し、若い武士はその願いを聞き入れます。完成が速くなるようにと、若い武士も一緒に鑿をふるうようになり幾年かが経過。 

 遂に洞門が開通したとき、この二人は恩讐を越えて喜び合う ・・・という結びだったように思います。  こつこつと歩みを積み重ねれば、道は通ず、そして心も通い合う ・・・ そんなことを改めて思いました。 

 今日も、よい日となりますように。

 日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけください。

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2013年10月26日 (土)

ていねいな挨拶

0005 ブドウを商っていた長良川右岸のお店に、しばらく前からこういう貼り紙が・・・。 

 ていねいな挨拶、心に残りました。 

 ブドウの季節も終わり、いよいよ深まる秋・・・ 勉学も、読書も、芸術も進みますように。 えっ、味覚の秋はいかがですか、とお尋ねくださいますか。ありがとうございます。はい、それはもう、言うまでもなく・・・ 

 今日も、よい日となりますように。 

 明日は日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 聖書 木はその枝になる実によって、よい木かそうでないかを判断される

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2013年10月25日 (金)

『首飾り』 その2

 舞踏会にどうしても行きたいロワゼル夫妻は名案を思いつきました。友人の裕福なフォレスチエ夫人に装身具を貸してもらおう。 

 マチルドは出かけていって事情を話し、たくさんの装身具の中から、素晴らしいダイヤの首飾りを借り受けます。 

 舞踏会はすばらしいものでした。マチルドの美しさに身分ある人たちは感嘆し、もてはやし ・・・ 長年の夢が叶ったように感じたマチルドにはあっという間に舞踏会は過ぎていきました。夫のロワゼルも、妻の美しさが褒め称えられ、幸福でした。 

 ところが、帰宅して着替えをしていたとき、重大なことが判明しました。ダイヤの首飾りの紛失 ・・・ 幸せの絶頂からどん底です。 二人は、なくなったのとよく似たダイヤの首飾りを探し求め、値段を聞いて唖然とします。3万6千フラン ・・・ 4百フランに苦労した彼らにとって、気の遠くなるような金額です。 

 けれど、彼らは決心しました。それを買い取り、長年かけて代金を支払うことを。 

 借りたものをなくしたこと、買い求めたダイヤの首飾りを代わりに返しに来たことをマチルドはフォレスチエ夫人に話しませんでした。箱の中を確かめもせずにフォレスチエ夫人が受け取ったとき、品物が変わっていることに気がつかれなくてほっとするのです。 

 さて、それからのロワゼル夫妻は、いろいろな経費を切り詰め、内職などにも精を出してダイヤモンドの首飾りの代金返済に力を尽くします。 

 10年後、生活の苦労のために年齢以上に老けて見えるようになったマチルドは、偶然、フォレスチエ夫人に再会します。多額の借金を完済し終わったばかりだったマチルドは、その喜びをエネルギーとして「実は・・・」と借りた首飾りをなくしたこと、10年前にフォレスチエ夫人に返したのはよく似ているダイヤの首飾りだったことを打ち明けます。

  打ち明けたマチルドには、すがすがしさがあります。

さて、重大なことを打ち明けられたフォレスチエ夫人は・・・・・・。 

 よろしければ、「続きを読む」をクリックしてください。

続きを読む "『首飾り』 その2"

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2013年10月24日 (木)

『首飾り』 モーパッサンの短編

0004 モーパッサン。この作家は、長編もすぐれていますが、短編小説の名手でもありますね。

 名前は、なんだか牛さんが床屋さんに行ったような感じですけれど。そんな連想するのは私くらいのものでしょうか。 

 短編の一つ、「首飾り」は、読んでから数十年経つのに時々思い出す作品です。

 下級官吏の美しい娘、マチルドは、いつの日か上流階級の生活が出来るようになることを夢見ていましたが、同じような階層の家庭に育った文部省の役人ロワゼルと結婚しました。

 

 妻を喜ばせようと、舞踏会の招待状を手に入れたロワゼルでしたが、マチルドは舞踏会にふさわしいドレスがないから行けないと嘆きます。  ロワゼルは、いくらあれば、何とか舞踏会に着ていけるドレスが作れるかと尋ねます。マチルドが口にした4百フランという金額にロワゼルはどきっとします。 

 なぜでしょうか。友人と狩猟に行く計画をしていた彼が苦労してようやく貯めた金額がちょうど4百フランだったからです。これで狩りに必要な銃が買えると喜んでいたロワゼル・・・ うーん、こんなとき、舞踏会と銃と、どちらを選びますか? 

 ロワゼルは、マチルドに4百フランを渡し、ドレスを作らせました。一件落着、ですね。 めでたし、めでたし。

 ところが、今度は、舞踏会にふさわしい装身具をどうするか、という難問が待ち受けていました。  さて、この続きは、明日にさせていただきますね。 

 今日も、よい日となりますように。

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2013年10月23日 (水)

『雪村いづみ物語』

0001『雪村いづみ物語』  

大下英治 著 

平凡社 2008年4月10日 初版 第1刷発行

 ハイドンに「告別」という交響曲があります。ある貴族が、その年は別荘に長く居続けて、お抱えの楽団も自分の家族のいるところへ帰れない日々が続いたときに、楽長ハイドンは、一計を案じます。 

 構想を練った「告別」が、いよいよ、その貴族の前で初演されました。と、どうしたことか、曲の途中で楽団員たちが次々とステージを去って行きます。 

 電灯がまだなかった時代なので、最後に残った指揮者のハイドンとヴァイオリン1名の所だけ燭台が寂しく照らしています。旋律も悲しげ・・・ その貴族にはハイドンの心が伝わりました。 「残された者の悲しみをお察しください」というわけか ・・・ 貴族は別荘を引き払って帰郷。 楽団員たちは久しぶりに家族と再会でき、楽長ハイドンをパパ・ハイドンと呼んで、ますます敬愛しました。

 本の紹介というより、最近FMで放送された「告別」のことから書き始めてしまいました。 

 さて、この本には、美空ひばり、江利チエミと並んで三人娘と言われた雪村いづみの生涯が、ここまで書いていいのか、と思うほど詳しく叙述されています。

 江利チエミ、美空ひばりが亡くなって、雪村いづみさんはどれほどの「残された者の悲しみ」を味わっていることでしょう。絵筆にチエミさんへの思いを込めて描いた「テネシー・ワルツ」は昭和57年の二科展に入賞。美空ひばりさんの時にも「悲しき口笛」という絵を出品しました。 

 昭和12年3月生まれの雪村いづみさんは現在76歳・・・ テレビの歌謡番組にも登場し、元気に歌っておられます。 

 ザ・ピーナッツ、そしてダークダックスもメンバーを天に送りました。アンパンマンの生みの親、やなせたかしさんも・・・。  

 「残された者の悲しみ」を噛みしめつつ、けれど一緒に生きた日々を思い起こし、うつむいてばかりいないで、秋の青い空にも目を向けながら前進してまいりたいと思います。 

 今日も、よい日となりますように。

 

 

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2013年10月22日 (火)

知る楽しみ

 小学校に勤務していたときのこと ・・・ 理科でコオロギの耳の位置を教えることになったので、予習してみますと ・・・ えっ、本当にそんなところに耳があるの? と驚いたことがあります。 

 うーん、世の中は、未知のことにあふれていて、おもしろいですね。

 もし、コオロギの耳の位置をお確かめになりたい方は、「続きを読む」をクリックしてください。 

 今日も、新鮮な世界が開かれる日となりますように。

続きを読む "知る楽しみ"

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2013年10月21日 (月)

我が家の人気者

 我が家の人気者 ・・・ 半年以上はランキングの1位を独占 ・・・ それは何でしょう 

 答え ・・・ こたつ です。 さすがに、出すのは11月に入ってからに、と思っていたのですが、やせ我慢はやめて、先週登場させました。すると・・・何と暖かいのでしょう。いったん、使い始めると、その暖かさに魅せられて、なかなか別れを告げることが出来ません。 

 うーん、この世にあって、そんな存在になれたらいいですね。 

 今日も、周りの方々に、こたつのように親しまれるよい日となりますように。むむっ、夏は扇風機かクーラーに変身することになってしまいますか? 

 えーい、難しいことは、ぬきにいたしましょう。

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2013年10月20日 (日)

ターシャ・テューダさんの庭と家

Photo  ターシャ・テューダさんはアメリカのかたですから、家も庭もアメリカに ・・・けれど、あまりに有名なので、可児市の花フェスタ公園にターシャ・テューダさんの家と庭が造られています。

  ご本人の了承を得て、規模は本物のようには広くありませんが・・・確か、日本の球場の何個分もあるのですね、本物は・・・フアンの方々の献身的な働きがあって完成したのです。本物のお庭は、ターシヤさんが天に召されて、自然の状態に戻されつつあるようです。

 Photo_2
 初めて訪れたときには、ターシャさんの描いた絵画も花フェスタ公園内で展示されておりました。今は、お家のほうは、ターシャグッズのお店となっています。 

  園芸家、絵本作家、そして自然に溶け込んだような衣食住・・・すてきな生涯を歩まれたかたですね。

 実は、この写真は昨年9月中旬のものですが、ご了承ください。秋の夜長にターシャさんの生き方を偲んでみたくなったものですから。 

 今日も、よい日となりますように。 

 日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけくださいますように。

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2013年10月19日 (土)

レース lacework

0003  レース ・・・ 競争などを意味するレースはraceで、この写真のようなレースはlace あるいは lacework なのだそうです。(私は「l」と「r」の区別はどうも苦手のままです。) 

 それにしても、何と美しいのでしょう。大きな建物を設計して建て上げる建築家の緻密さ、構想力に匹敵する力かも知れませんね。

 このレースの編み手はゴスペルも熱心に練習され、声量豊かに歌われます。

 NHKのドラマ、「ごちそうさん」の家庭科の先生が主人公に「包丁も研がれなければただの鉄・・・砥石によって磨かれることで包丁として持ち味を発揮するようになる」という意味のことを言い聞かせておられました。 

 何に情熱をいだき、磨き上げていくか ・・・ この秋が、心を燃やせる対象に向けて歩むよき錬磨・研鑽の時となりますように。 

 明日は日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけくださいますように。

聖書 わたし(神様)の目にはあなたは高価で貴い。わたしはあなたを愛している

 

 

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2013年10月18日 (金)

アラジンの指輪

アラジンの魔法のランプのお話に、ランプの精ほどの力はないのですが、指輪の精がアラジンを助ける場面があります。計略によってランプが持ち去られたときに、がんばってくれたのです。

今、その話を思い出したのは、メインのパソコンが休暇をほしがるので、小さなタブレットでこのブログをたどたどと書いているからです。ポイントがたまっていたので三千円ほどで手に入れた物です。

今日は、とりあえずそれで書いたところまでアップさせていただきます。

今日も、よい日となりますように。。

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2013年10月17日 (木)

夕顔

 源氏物語の「夕顔」は有名ですね。

 金子みすゞの「ふしぎ」という詩にも夕顔が出てきます。

     ふしぎ
                  金子みすず


わたしはふしぎでたまらない,
黒い雲からふる雨が,
銀にひかっていることが。

わたしはふしぎでたまらない,
青いくわの葉たべている,
かいこが白くなることが。

わたしはふしぎでたまらない,
たれもいじらぬ夕顔が,
ひとりでぱらりと開くのが。

わたしはふしぎでたまらない,
たれにきいてもわらってて,
あたりまえだ,ということが。

           (JURA出版局「わたしと小鳥とすずと」より) 

 いろいろなことに対して、あたりまえだということにしないで、新鮮な心でふしぎと思えるのは、若さを保つ意味でも、人生を豊かに生きるためにも、大切なのでしょうね。 

 ところで、我が家の庭にも夕顔が咲きました。今回、一つ、発見したのは、夕方の、咲きたての夕顔は、ちょうど羽化したばかりのトンボの羽のように、しなっとしていて、時間の経過と共にしゃきっと花開くということです。

 Ⅰ枚目の写真は、咲きたて、2枚目は、翌朝5時過ぎの夕顔です。

0003_2

0006_4

 小さく生まれて、そしてぴっと胸を張ってこの世に輝く ・・・ すてきですね。 

 今日も、そのようなよい日となりますように。

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2013年10月16日 (水)

冬への備え

0006  地球温暖化の傾向はありますが、飛騨高山の冬は、かなり気温が下がります。 

 私自身が体験した高山の最低気温は、ラジオで放送されていたので確かだと思いますが、マイナス19.4度です。高校時代でした。マフラーで耳と鼻を覆い、自転車で登校しました。(普通の駆け足は遅かったのですが、なぜか自転車では早かったのですよ)

 先日、帰省しましたら、冬に備えて薪がたくさん積まれていました。

 この正面の薪たちを撮った写真を見ていただきますね。

 ぎっしりと美しく積まれていますね。0009

 薪の総量を尋ねましたら、10トンとのことでした。 

 うーん、牧師である兄は、私などより、ずっと働き者です。

 兄と私の両方を知る人は、兄弟、よく似ているとおっしゃいます。私たちは「そうかなあ、いい男は一人だけやのになあ」と言っていますが、その一人がどちらであるかを口には出さないので、平和が保たれています。 

 おお、話が横道にそれました。冬への備えを我が家でもそろそろ始めたいと思います。 

 石油は、やがて埋蔵量が底をついてきます。一方、薪は、新しい木々を育てて、計画的に消費、生産していけば、ほぼ尽きることはありません。そういう意味で、持続可能な世界を創造・維持していくことが、本当の意味での備えにつながると思います。 

 今日も、よき備えを進める日となりますように。

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2013年10月15日 (火)

体育の日 山登り

Photo 
 体育の日、岐阜市で一番高い山、百々が峰に家内と登ってきました。 

 途中の会話をいくつか ・・・ 

 おにぎりなどを入れたリュックをしばらく家内が交代して背負い、山腹の四阿(あずまや)での軽食の後、私が背負おうとしたら、さっきまで閉めることが出来たおなかのベルトが届かない … そんなにたくさん食べた覚えはないのに、と焦っていたら、家内が「あっ、私にさっき合わせたものだから」とベルトを伸ばし、「伸ばし足りないかしら」

 ・・・ 優しいような優しくないような
(^0^;) 

 斜面で「杖をどうぞ」 ・・・ 差し出された落ちていた枝 ・・・ 心はありがたいのだけど、いかにも細くてすぐに折れそうで、すぐに返上しました。   (杖でなく、こちらの心が折れそう)

 めでたく、頂上に到達した帰り道、少し、寄り道をして別の峰に登って意地を見せる私が小休止していると ・・・ 「今度登るときのために、スリムになろうと思うでしょう?」  ムムッ 「いいえ、二度と登るものかと思っている」と答えると、家内は長いこと笑い転げていました。 

 息が合っているのか、いないのか ・・・ とにかく帰宅しました。

Photo_2
 写真は、頂に岐阜城のある金華山、そのこちら側で光っているのは長良川、向こう側には木曽川が光っています。もう少し晴れていると名古屋のツインタワーも見えます。 

 心と体の両方によい体育の日 ・・・

これは来年までの大きな課題となりました。 あなたは、よい日を過ごされましたか。 

 今日もよい日となりますように。

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2013年10月14日 (月)

落葉松 (からまつ) 北原白秋

0003 住んでいる岐阜市から、郡上踊りで有名な郡上を経由して私のふるさと、高山に行ってきました。

 せせらぎ街道と呼ばれるその道から少し入ったところに落葉松の林があり、しばし、美しい景観と静けさを満喫しました。 

 北原白秋が軽井沢を訪れて作った詩、「落葉松」を掲載させていただきます。

  大正10年11月の作品とのことですから、誕生してからまもなく92年になろうとしている詩ということになります。軽井沢には、この詩の記念碑もあるそうです。

落 葉 松
     
                                                      
北 原  白 秋

 

       一 
   からまつの林を過ぎて、
   からまつをしみじみと見き。
   からまつはさびしかりけり。
   たびゆくはさびしかりけり。

       二  
   からまつの林を出でて、
   からまつの林に入りぬ。
   からまつの林に入りて、
   また細く道はつづけり。

       三 
   からまつの林の奥も
   わが通る道はありけり。
   霧雨のかかる道なり。
   山風のかよふ道なり。

       四 
   からまつの林の道は
   われのみか、ひともかよひぬ。
   ほそぼそと通ふ道なり。
   さびさびといそぐ道なり。

       五
   からまつの林を過ぎて、
   ゆゑしらず歩みひそめつ。
   からまつはさびしかりけり、   
   からまつとささやきにけり。

       六
   からまつの林を出でて、
   浅間嶺にけぶり立つ見つ。   
   浅間嶺にけぶり立つ見つ。
   からまつのまたそのうへに。

       七
   からまつの林の雨は
   さびしけどいよよしづけし。
   かんこ鳥鳴けるのみなる。
   からまつの濡るるのみなる。
  
       八 
   世の中よ、あはれなりけり。
   常なけどうれしかりけり。
   山川に山がはの音、
   からまつにからまつのかぜ。

うーん、さすが、白秋ですね。

今日も、よい日となりますように。

パソコン、調子が戻りました。 夏バテしたのでしょうか。

涼しい秋になりましたので、元気に機嫌よく働いてくれると

思います。(多分)

 

 

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2013年10月13日 (日)

人間はパソコンよりも強し

なんだか、ペンは剣よりも強し、という言葉のもじりみたいですが、実はそうなのです。

パソコンの調子がよくないので、なおるまで少しお時間をいただきます。私自身は、味覚の秋を迎えて、ますます元気なのです。なるべく速くなおしますので、よろしくお願いいたします。
えっ、この際、頭がリニューアル出来るといいね、ですって?

うーむ、それはなかなか難しいですね。でも、努力はしてみますね、では、また。

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2013年10月12日 (土)

四角でも まろやか

0001 形が四角い柿をいただきました。

 自然のままで四角に稔ったのか、、人工的に働きかけをしたのかを聞き漏らしましたけれど、甘くて、思わず、四角くてもまろやかということばが脳裏に浮かびました。 

 四角いスイカを見たことがありますが、それは四角の枠の中で育てたようでした。柿の場合、一個一個を枠で囲うのは大変ですよね。

 型にはまらないとか型破りとかいいますが、周囲の人に迷惑をかけない元気さ、ユニークさ、「おっ、やるじゃない」と感心され周りの人の活力も引き出すようなダイナミックさ、持ち味は大事にしたいと思います。 

 実りの秋、進行中・・・よい日となりますように。

 

 明日は日曜日、どうぞキリスト教会の礼拝にお出かけください。

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2013年10月11日 (金)

そろそろ 山装う季節に

0003 10月になっても30度を越えるところがあり、台風情報もある今年 ・・・ けれど、金華山などを遠望すると、やはり秋めきつつあります。 ところどころにきれいな赤が現れてきています。

 庭の夕顔の写真をと思うのですが、なかなかこれぞという写真が撮れません。花自体が奥ゆかしいのですね、きっと。

 白鳥が渡来し始めた地域もあるとのこと。

 目や耳、そして舌や心によいもので、時間、そして人生という器を満たすことができると嬉しいですね。

 今日も、よい日となりますように。

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2013年10月10日 (木)

『伝書 しむらのいろ』 その2

 志村ふくみさんは、染色、特にその中でも難しい藍色や緑色について、疑問を持ち、解明に努めていたとき研究家・高橋義人さんに会い、それまでは『ファウスト』『若きウエルテルの悩み』の作家として知っていたゲーテの別の面の著書を贈られたのだそうです。

 その本の名は『自然と象徴  ー自然科学論集』(ゲーテ著 高橋義人翻訳 前田富士男訳 富山房百科文庫。

 文豪ゲーテはニュートンの光学を研究すると共に古代ギリシャの哲学も学んでいる科学者でもあったのですね。

 「光のすぐそばにはわれわれが黄と呼ぶ色彩があらわれ、闇のすぐそばには青という言葉で表される色彩があらわれる。この黄と青とがもっとも純粋な状態で、完全に均衡を保つように混合されると、緑と呼ばれる第三の色が出現する」

 井村さんは、ゲーテのこの文をこう理解しました。

 藍甕の中〔闇)から引き揚げた糸が、一瞬空気に触れて(光)緑になる。しかしその緑はすぐ消える、緑色の葉を炊き出して染め絵も緑は染まらない。これらの現象をゲーテは見事に解きあかしてくれた。現象界にとどまることのできない緑、それは第三の色だからである。ただ黄と青の混合によって得られる緑は現世にとどまることができる。この事実を私は自分の仕事場で日々目前に見ていることに気づいた。 

 和の世界で染色をしている志村さんの問いが、西洋のゲーテによって解明される・・・何ということでしょう。 志村さんは、シュタイナーのことばにも出会って、さらに思索を深めておられます。

 うーん、実は私には玄妙すぎて理解するのが困難なのですが、和洋、そして漢を問わず、大切なことを人間は問い続け、思索し続け、行動し続けてより深い真理、境地へと進んでいくのではないかと、心打たれました。

『伝書 しむらのいろ』のグラビアから、三代目、志村洋子さんの作品「聖グレゴリウス」2002年作 を、画像の容量も小さくなって申し訳ありませんが、その雰囲気の片鱗なりとお伝えしたくて引用紹介させていただきます。

 今日もよい日となりますように。

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2013年10月 9日 (水)

『伝書 しむらのいろ』 志村ふくみ

0004『伝書 しむらのいろ』

志村ふくみ著

求龍堂 2013年3月21日 発行

 志村ふくみさんは、滋賀県生まれの染織家・随筆家です。

   以前、国語の教科書に志村さんの文章が掲載されていて、その内容は およそこうでした。

 桜の咲く直前の桜の木の幹から得る染料が最も美しい桜色を発色する・・・木全体が桜色の花を咲かすことに総力を結集して美しい桜が咲くのだと思う。人の発する言葉も、そのようにありたい。

 文の内容の意訳になっていますがお許しください。

 伝書 ・・・ 志村さんは、お母上の小野豊さんに染色を学ばれ、志村さんの娘、洋子さんがこの道に入られましたので、三代にわたって引き継がれている染色と織りの心とわざということの込められている書名なのだと思います。

 この本で知ったのは、日本の色と色名がとても広くて深い世界を形成していること、そして藍色を染めるのは。「藍を建てる」という表現があるほどたいへんな過程を経てようやく実現するのだということです

 藍甕(あいがめ)の中で生命をはぐくみ、藍を「建てること、染めること、守ること」の三つが出来てはじめて「芸」となるのだそうです。

 志村さんのお母さんは「日本の藍ほど精神性の高い藍はない」とおっしゃっていたそうです。

 織物を初めて10年近く経った頃の志村さんには次第に深まってきた二つの疑問があったとのこと。

1.「植物から緑が染まらない」「咲いてしまった花からも色が染まらない」

 最も染まりそうなものから染まらず、およそ染まりそうもない幹や根からなぜ鮮やかな色が染まるのか。

2.藍建て 「なぜ甕からひきあげた瞬間の緑がすぐに消えてしまうのか、黄色と藍をかけ合わせた時のみ緑が定着するのか、藍甕の中で蓼(たで)藍の葉が発酵し、命を宿すというふしぎ」

 この疑問は、志村さんがゲーテと出会って解けたと記しておられます。 

 染色とゲーテ ・・・ 不思議に思える取り合わせですね。続きは、明日書かせていただきますね。

 今日も、よい日となりますように。

 

 

 

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2013年10月 8日 (火)

金木犀

0004 この季節になると、あまやかな香りが・・・そうです、金木犀ですね。 

  香りにつられて職場の窓から眺めてみると思いがけないほど近くに、その木がいっぱい花を咲かせていました。三階の窓からですので、文字通り、上から目線の写真になりましたが、きっと許してくれることでしょう。

 昨年9月からの部屋ですから、昨年もこうした景観に出会えたのでしょうけれど、記憶にないのです。昨年は大学病院の屋上から飛び立つヘリコプターに目と心がいっていたのでしょうね。

 ズームを利かしてもう一枚、金木犀を撮影。0006
うーん、花が大きくなりすぎたでしょうか。 

 なかなか中庸というのは難しいものですね。気温も、高かったり、肌寒さを感じたりです。 

 よき秋の一日をおすごしくださいますように。

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2013年10月 7日 (月)

『古季語と遊ぶ』

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『古季語と遊ぶ』  ー古い季語・珍しい季語の実作体験記ー

宇多喜代子 著

角川学芸出版 平成19年8月31日 初版発行 

 宇多喜代子さんは、NHKテレビの俳句関係の番組や教科書にも登場する俳人です。

 この本を読んで、ことばとそれぞれの時代の生活・文化がどんなに密接につながっているものかということを改めて思いました。 

 一郷の八月大名みな丸顔

 宇多さんの句です。陰暦の8月は牛耕馬耕の時代にも、ほんのわずかだけ、田仕事から離れてゆっくりできる期間があり、農民たちは、この期間のことを大名の身分に見立てて「八月大名」と呼んだそうです。ただし、それも日射や水が十分で稲が順調に育っていればこそ。 

 牛冷やす・馬冷す ・・・ 田畑を耕した後、頑張って力を発揮した牛や馬をねぎらいつつ、川で洗ってやる ・・・ そういう情景がそこ、ここに見られた時代の季語。 

 蚊帳、そして岐阜の水団扇なども登場しています。

Photo
  本書は、角川書店発行の月刊誌『俳句』に連載されたものを大幅に加筆訂正して構成したもので、宇多さんたちは、できるだけ実物を持って月に一回集まって、どういうものなのかを明確にしてから句を作ったそうです。

 橡の実(とちのみ)の項に、さらして苦みを取るというのが言葉ではかんたんだけれども、どんなに手間がかかることかということ、そして、ある茶店で出会った民俗学を専攻している青年が橡の実の渋抜きの方法、地方による違いなどを詳しく語り、並々ならぬ知識をもっていたこと、けれど、茶店のおばさんが数種類の木の実のはいったざるを持ってきたら、どれが橡の実なのか分からなかったことなどが書かれています。

 それと似たようなことがいつの時代にも起こっているように思え、いろいろな古季語を知るだけでない収穫の多い本です。 

 今日も、地に着いたことばをやりとりできるよい日となりますように。

 

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2013年10月 6日 (日)

『ピアニストの脳を科学する』ー超絶技巧のメカニズムー

0002 『ピアニストの脳を科学する』

古屋晋一 著

春秋社 2012年1月20日 初版第1刷 発行

 著者は大阪大学基礎工学部卒業後医学系研究科にて医学博士の資格を取得。ピアノ演奏歴としてKOBE国際学生音楽コンクール入賞、兵庫県美術館にてリサイタル。 

 現在「音楽演奏科学」の確立に力を注いでおられるかただそうで、幅広さが感じられますね。 

 モーツアルトを聴くと頭が良くなる というブームについても検証し、一時的にIQが高くなることが分かりました。

 ただし、モーツアルトに限らず、シューベルトの音楽なども効果があり、詩の朗読によっても効果があることも分かったそうです。 

 6歳児でピアノ・声楽のレッスンを受けた子どもは音楽能力と他の認知機能の向上が見られ、演劇のレッスンを受けていた子どもは「他人との協調性が特に向上する」という結果が一年間のレッスンをもとに研究したシェレンバーグという博士の研究成果があるそうです。ただし、なぜそういう傾向が出てくるかについてはさらに研究をする必要があるとのこと。

 興味深かったのは、ピアノに向かって、初めての楽譜を見ながら演奏する初見の力がある人には少なくとも次の六つの条件が備わっていることが書かれていたところです。

1.15歳までの初見演奏の練習量が多い

2.左手を右手と同じくらい器用に使える

3.楽譜上の視覚情報を素早く処理できる

4.楽譜を見て音を正確にイメージできる

5.ワーキング・メモリが大きい  (ぱっとみたものについての短期記憶の量が多い)

6.適切な指使いを素早く決めることができる 

 この6番目のことは、書かれているとなるほどと思うのですが、とっさには思いつかないことですね。 

 一番参考になったのは、ピアニストとピアノを弾かない人の違いは、指の力の強さや指を動かす速さではなく、長年の練習の成果を貯えている脳の働きの有無にあるということです。身体を動かす指令は脳から出ていることを考えると、確かにそうでしょうね。 

 さて、私のこのささやかなブログがきっかけになって、幼児からのピアノや声楽レッスンブームが起きたり、モーツアルトと並んでシューベルトのレコードが売れ始めたりするというようなことは・・・つまり、テレビである食べ物がダイエット効果がありそうと報じられるとたちまち品薄になったような現象が起こる懸念はないと思います。

 でも、少し書き添えさせていただきますと、子ども、特に幼児期に大切なのは、保護者初め、周囲の大人が子どもに明るく、温かく話しかけ、そしてやさしく受容的に子どもの語ることに耳を傾けることです。これに勝る音楽や物理的環境、ご馳走はないと私は考えています。 これは、学生時代の学び、そして最近、新たに読んでいる脳科学の本、ことばに関する本などから、しみじみと思っていることです。

 今日も、よい日となりますように。 

日曜日、キリスト教会の礼拝にどうぞ、お出かけください。賛美歌、そして聖書からのメッセージなど、質の良いもので魂を満たしてくださいますように。私もそういたします。

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2013年10月 5日 (土)

『いのちの言葉』 日野原重明

 『いのちの言葉』は10月4日(てんし 天使の日)に102歳になられた日野原重明医師の著作で、春秋社から2002年8月20日に初版が発行されています。

 「未来を指向すること」の章にこういう文章があります。

 いのちの質を高く保つには四つの条件がある。 

 社会生活あるいは家庭生活の暮らしの質が高いこと(どのようなグループと交わり、どのような活動に参与して生きる能力を深めているか)。 

 感性・知性といった精神機能の質が高いこと(どのように用い、どのレベルまで高めているか)。  

 病気や怪我で辛く苦しい経験を余儀なくされたときの、身体や心の状態が良いこと(どうすれば症状が楽になり、精神的な負担が軽くなるか)。 

 生きがいがあること(時間の使い方を自分らしくデザインしているか)。

 この本一冊が豊かな人生経験と広く深い学識などに基づいて書かれていますので、全体をおりにふれて読み味わいたいと思います。

 今日も、質の良い、すてきな日となりますように。

 生かされて 一日一日(ひとひ ひとひ)が 晴れ舞台 

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2013年10月 4日 (金)

心から発する言葉は心に達する

 勤め先の岐阜大学教育学部で、小学校での教育実習に向けてのガイダンスをしました。受講者の大半は9月に中学校で4週間の教育実習を体験した学生さんたちです。 

 昨年まで、実習の心得などに時間を割いていたのですが、今年は、中学校で懸命に実習に励んだその体験を尊重して、実践的なことにウエイトを置きました。中学校の実習を経て、応答の構え、速度、声の大きさ、表情など、大きく成長していることが伝わってきて、若人の前向きのエネルギーの大きさに刮目(かつもく)する思いをいたしました。 

 詳しい内容は省かせていただきますが、最も嬉しかったのは、音楽科の学生たちに「ふるさと」を合唱してもらったときの美しい響き。そして、その後、受講者全員で「ふるさと」を歌ったときの声量の豊かさ、歌声のさわやかさ、的確に呼びかけてリードした音楽科の学生の自信に満ちた姿です。 

 ふだん、それぞれの専門教科、専門領域に打ち込んでいる学生ですので、学年が一つになって何かを創造する機会はほとんどないといってよいでしょう。 

 教育実習させていただいた中学校は何か所もあるのですが、それぞれの実習校で懸命に打ち込んで高まった思い、11月の小学校での実習に向けての意気込みがこの時間の合唱に凝縮され、一体感を感じ取りながらの「ふるさと」となったのだと思います。  

 このガイダンスを構想するとき、そして直前になってもこれでいいだろうかという思いが私の中にありました。けれど、私の願い。期待を越えた素晴らしい姿で応えてくれた若者たちをとても嬉しく、まぶしく感じています。 

 この若人たちが教師として立つ環境は、楽しいこと、美しいことばかりではなく厳しいこと、心がくじけそうになる場面も多いことでしょう。彼ら自身、学ばなければいけないこともたくさんあります。 

 けれど、厳しさ、困難とやり甲斐、生き甲斐は、いつも一緒にあります。若い彼らにエールを送ります。そして、エールを送るだけでなく、私自身も、彼らの三人分以上の年齢ではありますが、それだからこそ、自分の人生において前進し続けたいと思います。 

 今日も、心から発した思いが相手の心に達するよい日となりますように。

 本日は、現在も現役である日野原重明医師の102歳の誕生日です。10月4日を「10」 テン と シ だから天使の日と自ら呼んでおられるユーモアも備えておられます。お誕生日おめでとうございます。(^J^)

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プロ

0002 岐阜大学の図書館が増築されるとのこと。この大きな柱の上方に、作業着姿の方が上っていて、地表にいる方と言葉を交わしながら作業を進めておられました。

 実によく通る声で自分の位置からでなくては出せない指示を落ち着いて的確に伝えておられることに敬意を覚えました。

 安全ベルトを装着しているとはいえ、すごい! まさにプロです。 

 仕事は異なっても、プロとしての実力、見識を常に磨いていなければ、と改めて思いました。 職業として選んで歩んでいるこの場合、アマちゃんではいけないのです。

 

 今日も、よい日となりますように。

 

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2013年10月 3日 (木)

礼拝堂の花

0002  日曜日の礼拝堂に、当番のかたが花を飾ってくださいます。これは、9月29日の花たちです。ありがとうございました。 

 この花たちは、神様を礼拝するために集まった方々の目と心を安らがせてくれました。

 そうした役割を果たしながら、讃美歌を聴き、牧師さんが魂を込めて準備した聖書からのメッセージを聴いているとも言えましょう。

 何と幸せな花たちでしょうか。

 「置かれたところで咲きなさい」 ・・・ シスター渡辺和子さんの本が多くの人に読まれているそうです。

 どんなところに置かれても、そこで精一杯に咲く ・・・ そうありたいですね。

 今日も、よい日となりますように。

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2013年10月 2日 (水)

大垣女子短期大学での公開講座

 
 9月27日(金)、大垣女子短期大学で巽 和永(たつみ かずのり)という方の「行動療法主義に基づく音楽療法」という公開講座を聴講させていただきました。

 立正大学仏教学部と甲陽音楽学院ジャズピアノ科を卒業された後、アメリカに渡ってバークリー音楽大学ミュージックセラピーを首席で卒業、さらにコロンビア大学院教育学部心理学科を卒業して、その後アメリカの病院で音楽療法士として働いておられるようです。 こうした方の講義が無料で公開されるというのは、素晴らしい恩恵ですね。 

 初めて訪れた大垣女子短期大学には音楽療法の課程があり、次のような掲示が活動の様子を伝える写真入りで掲示されていました。

0006広くて、綺麗なキャンパスでしたよ。

  講義の終わりに、入院時には自暴自棄になっていて、話を聞くこともなかなか出来なかった患者さんが、巽さんの粘り強い働きかけに次第に心を開いて、これからの自分の人生に目を向けることが出来るようになってきたこと、そのことにその患者さんが好きなラップの世界が有効に機能したことをお話しくださいました。

 そして結びに、患者さんのことば、思いをもとに創作したラップを映像入り・日本語訳付きで紹介してくださいました。 

 一人の患者さんへの心のこもった熱心なアプローチと、患者さんと共に開かれた希望につながる世界を垣間見せていただいて、受講者からは自然に拍手が起こりました。 

 音楽療法の優れた実践例ということ、その根幹に相手の人格、人生全体への熱心で真摯な構えがあることが伝わってきての拍手だったと思います。

 よき学びの時を、本当にありがとうございました。

 今日も、出会うかたとよい歩みが築けるひとなりますように。

 

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2013年10月 1日 (火)

2500人を看取った医師の講演から

0005 柏木哲夫というクリスチャン医師の講演会を聴く機会がありました。

 金城学院学院長・淀川キリスト教病院名誉ホスピス長・大阪大学名誉教授だそうです。とても分かりやすくユーモアを交えながらお話しくださいました。 

 ホスピス・・・終末医療を長く担当され、今までに2500人を越える方を看取られたとのこと、これはちょっと余人には出来ないことではないでしょうか。 

 記憶に残ったのは、よい生を生きる人は落ち着いてよい死を死ぬということ。 

 この世に生を受けた人の死亡率は100%だ、とサマセット・モームは語り、実際にその通りなのはだれもが知っていることだ。

 けれど、老いること、そして死ぬことに出来るだけふれないようにする人が多い。そういう傾向は、心情的には分かるが、もっと率直に語り合えるようになることが大切だ。

 そう思って、老いのことを話そうと「おいおい」と話しかけると敬遠され、死について話そうとすると「シーッ」と言われる・・・というのがお話の最初のほうにありました。 

さて、よく生きている人は次の三つを備えているそうです。

1.感謝の心が豊か

2.よいこと、よいものを独占しようとせず、与え、分かち合う

3.ユーモアがある ・・・ 深刻な病状にあるときも「おかげさまで順調に悪くなっています」と笑顔で話す患者さんには、教えられた と例を紹介されました。

 今日から10月、よく生きることのできるよい日々となりますように。

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