« 教会でのクリスマス | トップページ | クリスマス 礼拝と祝会 »

2013年12月22日 (日)

クリスマス です

 クリスマス ・・・ 今日は日曜日ですので、関根一夫牧師さんのクリスマスのメッセージを紹介させていただきます。 関根牧師さん、ありがとうございます。

 よき日となりますように。 お近くにキリスト教会がありましたら、ぜひ、おでかけください。

 ○  ☆  ◇  □   ※  □  ◇  ☆  ○

 クリスマスのメッセージ  関根一夫 牧師

ヨハネによる福音書1章
1章1節 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

1:14 ことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

今朝は、この詩を読みながら考えてみましょう。
       「鳥たちと男」 ポール・ハーヴィー作

  ここに紹介する男は決してディケンズの書いた「クリスマス・キャロル」のスクルージのような人ではない。親切できちんとしており、良い男だ。家族には気前が良く、他者に向かっても正直に応答していた。

 しかし、クリスマスの時期になると教会で語られる「受肉(神が肉体を持っ
た人となる)」については信用していなかった。どうしてもしっくりこなか
ったし、正直なところ信じる事ができなかった。イエスが生まれたことが、
神が人としてこの地上にやってきたことだとは信じられず、鵜呑みにするこ
とは出来なかった。

 「がっかりさせて悪いんだけどさ。クリスマスイブの礼拝には行かないつもりだ」と彼は妻に告げた。「ちょっと偽善者のような気がするのさ。だから家にいて君たちの帰りを待っているよ。」家族は深夜の礼拝に出かけた。

 家族が自動車で出かけてすぐに雪が降り始めた。窓際でしばらくにわか雪を眺め、雪がどんどん積もるのを見てから、暖炉のそばに腰掛け、新聞を読み始めた。

 その瞬間、ドスン、ドスンという物音に驚かされた。ドスン、ドスン、ドスン、ドスン。最初、誰かが雪のボールをリビングルームの窓に向かって投げているのかと思った。
 玄関から外に出て調べてみると、鳥たちが雪の中に群れて寒さに震えていた。
 おそらく吹雪に見舞われ逃げ場を探し、大きな窓から内側に入ろうとしたの
かもしれない。

 彼は鳥達をそのまま放置しておく気になれず、可哀想に思った。「そうだ、
子どもたちが仔馬を飼っている納屋がある。そこなら温かい逃れ場になる。
もし、鳥達をそこに導き入れることができるなら…」

 彼は大急ぎでコートを着て長靴を履き、雪の積もる中、納屋に向かった。ド
アを開け、明かりを付けたが、鳥達はやって来なかった。

 彼は「何か食べ物があればおびき寄せることができるかもしれない」と考え
た。母屋に戻り、パンを千切って雪の上に撒いて黄色く光る納屋の入り口ま
でたどれるようにした。しかし、哀しいことに鳥達はパンくずを無視し、相
変わらず、雪の中で羽をバタバタさせていた。
捕まえてしまおうかと思ったし、シーシーと言いながら手を羽根のように動
かしながら戸口まで追い立てようとしてみた。鳥たちは温かい納屋に入るど
ころか、逆にバラバラになって逃げてしまった。

 ふと、彼は鳥たちが彼のことを恐れているのだということに気づいた。鳥た
ちにしてみれば、私は部外者であり恐ろしい存在に映るのだろうと彼は考え
た。
 鳥たちが私のことを信頼できる存在だとわかる手段はないだろうか。私は鳥たちをいじめるつもりはなく、助けようとしているだけなのだということを
わからせる方法はないだろうか。
 何をやっても鳥たちは恐ろしさを感じているようだし、混乱させてしまって
いるようだ。鳥たちには理解出来ていない。恐れているわけだから、決して
誘導には乗らないだろう。
 「私が鳥にさえなれれば」と彼は考えた。「鳥たちの仲間になり、鳥たちの
言葉を語ることができれば、きっと怖がらなくても大丈夫だと教えることが
できる。そうなれば、安全で、温かい納屋への入り口へ誘導することができ
るはずだ。それには私が鳥になって彼らの仲間になれれば、わかってもらえ
るはずだ」
 その時、教会の鐘が鳴り始めた。風に乗ってその鐘の音が彼の耳にも届いた。
 鐘の音のメロディー「神の御子は今宵しも」はクリスマスの喜びを鳴り響か
せていた。 彼は雪の中にひざまずいた。

                   ++++
 とても素晴らしい物語です。しかし、この物語は聖書の教える人間の姿を正
確には教えていません。
 というのも、神は御子イエスキリストを世に遣わしたにもかかわらず、しか
も人として来られたにも関わらず、世の人は彼を受け入れなかったと聖書に
はあるからです。

 ヨハネ1:10-11 1:11 ことばは、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。

 ですから、神から遣わされた御子イエス・キリストを信頼することができる
ようになったのは、人間の良心の力ではなく、神ご自身の助けによるのです。
 それも、説明されています。

 ヨハネ1:12-13  しかし、ことばは、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

 つまり、本当にクリスマスを祝うことができるのは、神によって心を動かさ
れ、この御方こそ救い主とイエス・キリストを認めることができた人なのです。

 でも、教会に関わっている私たちが静かに、しかし誠実に御子イエス・キリストこそ救い主と信じて礼拝者として生きるなら、クリスマスの祝福はもっと
もっと正確に、そして深く、世の人々に浸透するのだろうと思います。

 もっと単純に、私たちのためにこそ神が人となられ、この世に来て、救い主としての役目を100%果たしてくださったことを喜べたら良いですね。
神の求める「クリスマス」とは、平素からの「イエス・キリストに対する誠実な
礼拝」なのだと思います。   祝福がありますように。

      ○  ☆  ◇  □   ※  □  ◇  ☆  ○

 

 ここまで、お読みいただいてありがとうございます。新約聖書には、四つの福音書があり、その一つがヨハネの福音書です。その一章の1節から14節までを記させていただきます。  クリスマス、おめでとうございます。

【新改訳改訂第3版】

1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
1:6 神から遣わされたヨハネという人が現れた。
1:7 この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。
1:8 彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。
1:9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
1:11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

|

« 教会でのクリスマス | トップページ | クリスマス 礼拝と祝会 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: クリスマス です:

« 教会でのクリスマス | トップページ | クリスマス 礼拝と祝会 »