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2014年2月19日 (水)

『生と死を支える』

0004『生と死を支える』

柏木哲夫 著

朝日新聞社 1983年5月20日第1刷発行

この本が書かれたのは30年以上前ですが、この著者の講演を昨年聴くことができました。 この本の内容は、本質的には今も変わっていないように思います。死と生の問題は変わらないから、ということもあるでしょうけれど。 

 著者は末期ケアと訳されるホスピスの仕事に長年携わってこられ、2500人以上のかたを看取ってこられたそうです。 

 始めのほうに「四つの痛み」という章があります。身体的な痛み、精神的な痛み、社会的な痛み、霊的な痛みの例が書かれています。

 人間は、全人的な存在なので、細分化されがちな現代医学の大きな課題として病人一人一人を総合的にケアすること…特に末期ケアでは一人の人間に対する総合的な視点が不可欠と提起しておられます。 

 医療スタッフは、病気をみるのでなく、病人をみなければいけない・・・心に響きました。これは、教育のときにも忘れてはいけない大切なことだと思います。

 明日は、2009年に発行された柏木哲夫さんと道子夫人の共著について書かせていただきます。

 今日も、よい日となりますように。

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コメント

いつも感謝、今日のメッセージ、病気を見るのではなく・・・は理解できたように思います。しかし教育の時も忘れてはいけない・・・・のところがもっと具体的に教えてほしいです。
私なりにいろいろあたまをめぐらしてはみましたが、、、、、よろしくお願いします。

※ ムーミンパパより
 コメント、そしていつもつたないブログにお立ち寄りいただき、本当にありがとうございます。

 お尋ねいただいたこと、私も言葉足らずで終わっているなと思っていましたので書かせていただきます。

 小学校の場合は、朝から下校まで、学級で受け持っている児童たちとほぼ一緒に過ごすのですが、中学校で、教科担任としていくつかのクラスの生徒を教えていると、自分の教科の時間のときの様子で、ひとりひとりの生徒を理解することになりがちです。

 そうすると、たまたま自分の教科を得意としている生徒を、きっとほかの教科も優秀なのだろうと知らず知らずのうちに思い込んでしまって、体育大会の時にその生徒がリレーなどで足が遅いのを見て(あれっ、体育は苦手なのか)と気がつき、意外な発見をする、というようなことが出てきます。

 あるいは、授業中、眠そうにしていたり、実際に寝てしまったりする生徒を怠け者なのかな、と思っていて、学級担任と連絡を取ると、家に病人がいて、その看護や家事を懸命にしていて、授業中に疲れが出るのだということが分かることがあります。

  自分を省みて思うのですが、教師は、自分にも苦手な教科があるはずなのに、自分の教科が苦手な子がいると、寛容な心でその生徒を見るのが難しくなるというようなこともあるかもしれません。

 勤務した学校では、学級担任とそのクラスのいろいろな科目を教える教科担任とが集まって、お互いに教科における生徒のことを総合的な観点から見る機会を設けていました。

  夏のプールで、平泳ぎの足の動きが苦手な私に根気よく水泳部の生徒が教えてくれたことがあり、自分の教え方よりよほど親身になってくれていることに感激し、反省したことがあります。

 補足として、少し例を挙げさせていただきました。ありがとうございます。

投稿: 夢希yu | 2014年2月19日 (水) 09時00分

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