『「男はつらいよ」うちあけ話』
池田荘太郞 著
主婦と生活社1990年11月10日 第1刷発行
1996年9月6日 第5刷 発行
著者は、松竹株式会社の宣伝部に入社、昭和46年に新設された「寅さん課」の宣伝課長になり、昭和58年に松竹を定年退職するまで、「男はつらいよ」の宣伝にあたった方だそうです。
とても仕事熱心な方のようで、たとえば、「男はつらいよ」の宣伝のために、当時、国鉄が力を入れていたディスカバージャパンと結んで帝釈天の宣伝を図り、「寅次郎夢枕」のワンシーンをあしらって作ったポスターは全国3千の国鉄の駅に貼り出されたそうです。
寅さんの映画一本で観客が何回笑うかを映画館に行って調べたら、1時間45分から1時間50分の寅さんの間に121回だったという記述もあります。
映画の宣伝と、寅さんの生まれ故郷、柴又の活性化のために、寅さんにちなんだもので、皆さんに喜んでいただけるものを名物にしていこうと考え、寅さんの顔に似た四角いせんべいを作って売ってくださいとお願いしたこともあるそうです。
ところが、そのせんべい屋さんは創業以来二百年、ずっと丸い〝だるませんべい〟を売っているんだから、今さら四角い〝寅さん〟せんべいなんて と断られたこともあるそうです。
寅さんの第一作は昭和44年、その年に第二作が続いて、帝釈天の正月の参詣客は、それまで5万人くらいだったのが、昭和45年には15万人・・・ようやく承諾してもらった〝寅さんせんべい〟をたくさん焼いて迎えた昭和46年の正月には、何と25万人 ・・・元日に売り切れになってしまい、他のせんべい屋さんも名乗りを上げて大繁盛・・・頼んで売ってもらったので、パテント料金は無料・・・ ちょっと残念に思っているそうです。
相談を受け、肉を四角く切って、四角に上げる〝寅さんカツレツ〟 これも当たって、他の店から依頼が来たときには〝寅さん天ぷら〟も考えてあげたそうです。
この本は、「寅さんシリーズ」が43作まで作られたところまで、渥美清さんや、その後亡くなった幾人かの出演者が存命中に書かれていていきいきとしています。そこが魅力の一つではないかと思います。
渥美清さんは3月10日生まれだとのことで、この時期に書かせていただきました。 渥美さんは、俳句もたしなまれ、俳号は、そうです、「風天」だったとのこと。
どちらさまにも、今日という日がよい日となりますように。
| 固定リンク
コメント