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2014年3月15日 (土)

『それでも明日は来る』 2

昨日に続いて、三浦綾子さんの文章から。

 キリストは言われた「剣をとる者は剣によって亡(ほろ)ぶ」 この意味は深い。人間は剣をとろうとする時、既に亡んでいるのだとわたしは思う。なぜなら、剣を持つことは、人を殺そうとすることだ。しかし、人間に人を殺す権利はない。 

 「汝 殺すなかれ」と十戒にある通り、殺してはならないのだと私は思う。いや、人間が人間として生きるということは「心をつくし、精神をつくして、神を信じ、自分を愛するように隣り人を愛する」ことだと聖書は示している。わたしたち人間は、人を殺すためにも殺されるためにも生まれてきたのではない。神を信じ、人を愛するために生まれてきた。隣人のみならず「汝の敵を愛せよ」のキリストの言葉のごとく、わたしたちは愛に生きねばならない。核はおろか、ナイフ一丁だって人を殺すために持ってはならない。 

 同じ文章の前半に三浦綾子さんは、こう書いておられます。

 わたしは七年間、軍国主義の国定教科書で、スパルタ教育をした人間だった。わたしは生徒たちに最も重要なこと、すなわち「人間の生命は何ものよりも重要である。ことをおしえなかった教師である。「国のために死ぬ」ということを、最大の教育目標として教えた教師である。そして、その過失を大いなる罪として悔いつつ生きてきた人間である。わたしは二度とその過失を犯してはならないのだ。 

 過ちを繰り返さないために歴史を学ぶ ・・・ 本当に生きる学習として学んだことを生かしたいとせつに願います。 

 今日も、よい日となりますように。 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 

 

 

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