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2014年6月 8日 (日)

三宮麻由子さん 『そっと耳を澄ませば』

Photo『そっと耳を澄ませば』

三宮麻由子 著2001年2月25日

日本放送出版協会

第1刷 発行

 この著者のお名前は、ラジオ放送

「心のともしび」で時々この方の文章が朗読されますので以前から耳に親しんでいました。 この「心のともしび」はカトリック教会が放送している番組で、番組は「暗いと不平を言うよりもすすんであかりをつけましょう」という言葉でいつも結ばれます。

 三宮麻由子さんは1966年生まれ、ご病気のため、4歳で失明されました。その後のご苦労は計り知れないものがあったと思われますけれど、とても前向きにいろいろなことにチャレンジして現在まで歩んでこられたことがうかがえる文章が満載されています。

 小鳥の声を200は聞き分けることができ、そっくりの声を出すことが出来るようです。(『鳥が教えてくれた空』という本も書いておられます。)

 ピアノでショパンの「英雄ポロネーズ」や自作のユーモアたっぷりの「ゴキブリを仕留めるまで」などを講演のあとで披露されることもあります。

 上智大学文学部フランス文学科を卒業し、外資系通信社に勤務・・・思うように動いてくれないパソコンを「カタマル」氏と名付け、仕事や文筆活動に活用、アメリカに留学もしています。

 お稽古事で習ったことがあるものは、ピアノ、水泳、英語、算盤、生け花、俳句、フルート、ギター、バトン、リコーダー、ブラインドゴルフ、声楽、箏、などなど。新しい世界を誰かに導かれて探索するのが面白いのだろうと自己分析しておられます。

 ある高校生が講演会場で、「もし、目が見えるようになると言われたら、晴眼者に戻りたいと思いますか」と質問し、会場がシーンとなったとき、三宮さんは自分の深いところから出てくるような声に心を預けて答えたそうです。

「たしかに、目が見えたら、見てみたいものがたくさんあります。さまざまな自然の姿や大好きな鳥たち、私を喜んでくださる方々のお顔。でも反対に、たとえ見えるようにはなれないと宣告されたとしても、かまわない気もします。いつもいつも見えるようになりたいと思っていなければいられない人生より、見えなくて不便だけれど、これで十分幸せだって思える人生のほうが、本当の意味で幸せではないかと思うんです。いかがでしょう」

 この言葉が終わらないうちに、満場の拍手をいただいた。

 健常者であっても、人はそれぞれに何かしらのハンディを抱えていることだろう。一つの障がいに対して私が発した言葉は、もしかしたらそうした普遍の現実に対しても何らかの方向を示したのかも知れない。

 何より、ホールいっぱいの人々の胸を借りて、私は心の底から沸き上がる深い声を発することができた。そして自らの声を聞くうちにかけがえのない人生の指針が戻ってくるような思いがした。この時私は、自分の言葉そのものによって己の生きる方向を確かめ、これからも自信を持って進めそうな気がした。 

 素晴らしい質問を投げかけてくれたみなさんに、私は心から感謝している。

  ○  ☆ ◇   ※   □  ◇  ☆   ○

 素晴らしい質問の中には、保護者についてきていた4つか5つくらいの女の子の 将来の夢はなんでちゅか も含まれています。しばらく絶句したそうですが、 おとなになっている自分が「将来の夢」を語れるというのは一つの幸せかも知れない・・・真顔で答える自分の声がまるで幼稚園の先生のような優しい調子になっているのに気づいて、我れながらちょっとおかしかった、と三宮さんは書いておられます。

 私にとって、生きる姿勢も含めて、たくさんのことを学ばせていただける本です。感激して、引用が長くなりましたが、ここまでお読みいただいて、ありがとうございます。 今日もよい日となりますように。

 日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

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