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2014年8月10日 (日)

愛の章 コリント人への手紙 Ⅰ 13章

 聖書に「愛の章」と呼ばれるところがあります。わかりやすさを目指したリビング・バイブルでその「愛の章」を掲載したいと思います。 この「愛」のところ、とくに4節以降に自分の名前を入れて読んでみてください と牧師さんに言われて 素直にそうしてみました。すると、たちまち気恥ずかしくなって、どれだけも読み進めなくなり、それだけ自分が愛からいかに遠い者であるかを感じた経験があります。

 牧師さんは、次にお話しされました。この「愛の章」で、愛のところに入れて、ぴったりの名前が一つあります。  
  さて、それは誰でしょうか。 「愛の章」の引用後にその名前を記したいと思います。気を持たせてすみません。
【リビングバイブル】第Ⅰコリント [ 13章 ]
1 たとい私に、異言(今まで知らなかったことば)で話す才能があり、また、天と地のあらゆることばを話すことができても、人を愛していなければ、ただの騒音にすぎません。
2 同様に、預言をする才能があり、将来の出来事を予知し、あらゆることに通じていても、人を愛さないなら、何の役に立つでしょう。 また、山を動かすほどの強い信仰を持っていても、愛がないなら、私には何の値打もないのです。
3 そして、自分の財産を全部、貧しい人たちに分け与えても、また、良い知らせを宣べ伝えるために火あぶりの刑に甘んじても、愛がなければ、何の値打もありません。
 さて、ここからの「愛」のところにご自分のお名前を代入して読んでみてください。無理にとは申しませんけれど。
4 愛はきわめて忍耐強く、親切です。 愛は決してねたみません。 また、決して自慢せず、高慢になりません。
5 決して思い上がらず、自分の利益を求めず、無礼なふるまいをしません。 愛は自分のやり方を押し通そうとはしません。 また、いらいらせず、腹を立てません。 人に恨みをいだかず、人から悪いことをされても、気にしません。
6 決して不正を喜ばず、真理が勝つ時は、いつも喜びます。
7 だれかを愛する人は、どんな犠牲をはらっても、誠実であろうとするでしょう。 また、いつもその人を信じ、その人に最善を期待し、いのちがけで、その人を守り抜くでしょう。
8 神様からいただいた特別の賜物や力は、いつかは尽きるものです。 しかし、愛は永遠に続きます。 預言すること、人の知らないことばで語ること、特別な知識などの賜物は、やがて消え去ります。
9 たとい、特別な才能が与えられていても、いま私たちの知っていることは、ほんの一部にすぎません。 また、最高の才能に恵まれた人の説教でも、貧弱なものです。
10 しかし、私たちが完全無欠な存在とされる時、これら不完全な賜物は不要になり、消え去ってしまうのです。
11 それは、こんなことから説明できるでしょう。 子供の時の私は、子供のように話し、子供のように考え、子供のように判断していました。 しかし、大人になると、考え方も成長して、子供時代とは違い、今では子供っぽいこととは縁を切りました。
12 同様に、今の私たちの神様に対する知識や理解は、そまつな鏡にぼんやり映る姿のようなものです。 しかし、やがていつかは、面と向かって、神様の完全な姿を見るのです。 いま私が知っていることはみな、おぼろげで、ぼんやりしています。 しかしその時には、いま神様が私の心を見通しておられるのと同様、すべてが、はっきりわかるでしょう。
13 いつまでも残るものが三つあります。 信仰と希望と愛です。 その中で一番すぐれたものは愛です。
 
 □   ○   ◇   ☆  ※   ☆   ◇  ○  □
 牧師さんはおっしゃいました。「私も 愛のところに 自分の名を入れては、とても読めません。愛のところに入れてぴったりの名前はイエス・キリストです。」
 日曜日ですので、聖書から「愛の章」を紹介させていただきました。
 今日も、よい日となりますように。

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