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2014年8月 8日 (金)

ある音楽評論家の感動

0002  ピアニスト小山実稚恵さんについて、片岡卓也さんという音楽評論家が、次のように書いた文章に出会いました。

 
 胸を衝くような感動に出会うことが、最近少なくなった。齢を重ねたせいかもしれないし、職業的に音楽を聴くことに慣れて、スレッカラシになったからかもしれない。しかし、そんなスレッカラシでも、たまには他人に話したいような感動の現場に居合わせることがある。
 1998年4月、カナダのトロントという街で、僕はそんな現場に出会った。会場に置いてあったピアノのコンディションが相当に悲惨なものなのに、そのピアニストは自分の力の限りをそこで尽くしていた。そのピアニストこそ、小山実稚恵さんだった。
 作品はラフマニノフのピアノ協奏曲の第3番。ピアニストにとって、音色と技術と音楽性のすべてを試されるような作品である。ピアノのコンディションは最高であって欲しいはずだ。しかし、その会場のピアノはだいぶ疲れていた。オーケストラに続いて、ピアノが最初のテーマを奏でた瞬間、僕の背中が一瞬、椅子の背に張り付くのが分かった。ピアノの音があまりに貧弱だったからだ。原因はおそらくメンテナンス不足にあった。こんなピアノでは弾けないと、演奏者が投げ出してしまっても仕方ないような状態だった。
 珍しく、僕の心の中に怒りと痛みと悲しみの混じったような感情が突き上げて来た。
 でも、小山さんは引き続けた。まるで何ごともないかのように。そして、その反応しないピアノで、あらゆるニュアンスを表現しようと努力していた。次第に演奏は白熱して進んで行った。その音のすべてを逃すまいと聴いていくうちに、僕は小山さんの描き出す音楽の世界の中に吸い込まれて行ったと言うべきだろう。いや、こんなにもこの作品が素晴らしい音楽であったのかという思いが募ってきた。そして、いつの間にかすべては音楽だけになった。つまり非情に集中して演奏を聴くことが出来たのだ。小山さんは凄い人だと思った。感動している自分がそこにいるのを発見して、僕は久しぶりに赤面した。 以下略
 
  ○  □   ◇   ☆   ※   ☆   ◇   □   ○
 置かれた環境でベストを尽くす・・・その気高さを教えていただきました。
 今日も、よい日となりますように。
 

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