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2014年10月24日 (金)

「生カサレテイル」 と 「生キテイル」

 作家の藤本義一さんが、阪神淡路大震災の5年後に次のように書かれたそうです。

 震災1年後、自分は「生カサレテイル」という気持ちを抱いていると書いた。ところが5年経った今「この生カサレテイル」というのが希薄になっている自分がいる。以前のように生キテイルという感じ方の毎日である。あの精神的な緊張が緩んでしまったのは一体なんなのか
 生かされている、は運命や、自分を超える大いなる方の存在を感じ、謙虚に自分を見つめている
 生きている、は自分の意志を前面に出している
 よいとかそうでないというのではなく、そういう感じがいたします。
 人知・人力を遥かに越えた大きな災害などに遭遇するとき、自分が地上に生を享(う)けている小さな存在であることを人は身にしみて感じるのではないでしょうか。
  日野原重明先生は、よど号事件の時に人質としてとらわれ、長い時間をダイナマイトを持った犯人たちと過ごした後、解放されて大地に降り立ったとき、宇宙飛行士が初めて月面に足を踏み出したときこう感じたのではないかと思うほどの感慨を覚えられたそうです。
  生かされて 一日一日が 晴れ舞台   生きている 一日一日が 晴れ舞台

 その日その日で、上記の二つを 往き来するのが  人間であるのかも知れませんね。
 今日も、よい日となりますように。

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