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2015年6月21日 (日)

『他者が他者であること』 2 

 昨日の続きです。 宮城谷昌光さんがこの本の名前とした「他者が他者であること」という文について書きます。

  歴史小説の大家である宮城谷さんは、二十代のころは、実は歴史小説を侮蔑していたのだそうです。
 「現代に生きている者が、現代を直視しないで、現代に苦しまないで、現代の問題を提起しないで、過去に逃げ、安住したとすれば、作家がもたねばならぬ勇気の点において雲泥の差があり、歴史小説の秀作よりも現代小説の凡作のほうが価値が高いと信じた。」と書いておられます。
 その宮城谷さんが、「歴史が歴史であるためには、つねに創造が必要」と自覚するようになり、「他者がみえることと歴史がみえることとは、たぶんおなじことであり、それによってはじめて自己がみえる」と37歳のときに気づいたのだそうです。
 「人の存在に対する問いかけがなされて、小説といえる。そうでなければ物語である」という文もこの章にはあります。
 歴史を知ることは、他者を知り、自分を知り、行動の美学を教えられること・・・奥深い内容が込められているこの章は、やはり、この本全体のタイトルとするのにふさわしい文章だと思います。 宮城谷さんの歴史小説に魅せられる訳も含めて自問しつつ読み深めたいと思います。
 今日も、よい人なりますように。
 日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけください。
 

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