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2015年6月20日 (土)

『他者が他者であること』 宮城谷昌光 

0002  『他者が他者であること』

 宮城谷 正光 著
  文藝春秋 2009年2月15日 第1刷
   このかたは中国の歴史に登場した人物を描いて、読み手を飽きさせない魅力ある小説を展開することで広く人気がある作家です。
  作品を書く前に、いろいろな歴史書、地図などを克明に調べ、描こうとする人物の人間像、その生きた時代、風土などが自分の中に息づいてきたときに初めて執筆を開始するとのことで、それまでの苦しさは大変なものであるようです。
 そういう困難に向き合って生み出された作品を、くつろいだ姿勢で、「どれどれ」と読み始めるときの期待感、読み進む楽しさは、これは他に比べるものがないほどぜいたくなものだと思います。
 この本には、カメラ・写真・・・宮城谷さんがかなりの熱意と時間を注いでいて、一時は作家としての生き方を確立するために封印しておられた写真を撮る楽しみのことも書かれています。
 その一節にこんなところがありました。
  ◇    □   ○   ☆   ※   ☆   ○   □   ◇
 私は仲間をつくらずに写真をやっていたから、月例の選評がたよりである。そんなとき「日本カメラ」のカラースライドの部の審査に、高梨豊先生が登場された。ー写真とはこんなにむずかしいものか。高梨先生の選評を読んで、私は頭をかかえてしまった。高梨先生の選評をたった一言で言えば、「あなたは、なぜ、そのときシャッターを切ったか」ということである。高梨先生自身、一年間に一度もシャッターを切れなかった、という記事をどこかで読んだ。 後略
 ◇    □   ○   ☆   ※   ☆   ○   □   ◇
 
  高梨先生はプロ ・・・そのかたが、一年間に一度もシャッターを切れなかった ・・・その真剣さは想像することもできないほどのレベルのものだと思います。
 重ならない面もあるかと思いますが、私は芭蕉の「昨日の我れに飽くべし」という言葉を連想しました。
  たとえば、子どもの心を敏感にとらえるアンテナを備えているべき教師が、慣れのなかに身を置いてしまい、いつの間にかアンテナをすり減らしてしまっていて、そしてそのことにさえも気がつかなくなっているということがあるかもしれません。惰性でシャッターを切り続けてしまうような・・・。
 端的な表現の中に、とても大事なことを含んでいる宮城谷昌光さんの世界をこれからも楽しみに読んでいきたいと思います。
 今日も、よい日となりますように。
 明日は日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけください。
 
 

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