♪「母の教えたまいし歌」
ドヴォルザーク作曲♪「母の教えたまいし歌」をチェロやヴァイオリンの演奏で聴くことがあり、心惹かれる曲となっていました。
この曲に、歌詞があることをごく最近知りました。
『世界名歌曲全集』
発行者 片岡博久
kmp (ケイ・エム・ピー)2014年3月15日 発行
「母が教えたまいし歌」 堀口敬三 訳詞
母が私に此の歌を教えてくれた昔の日
母は涙を浮かべていた
今は私が此の歌を 子供に教える時となり
教える私の目から 涙があふれ落ちる
ここでは、子供が娘とか息子とか書いてありませんが、母から 娘へ 娘から そのまた娘へ という絶えることのない命の流れを思い浮かべました。
ロシア民謡の「紅い サラファン」、さだまさしさんの「秋桜」 などと結びついての連想が働くのかも知れませんね。
この歌と同じページにこんな歌詞も掲載されていました。
ブラームス作曲 津川圭一 訳詞 「折ればよかった」
すでに六日すぎぬ 面影 仰ぎて 門に君 立ちて われに答えつ
うるわしき乙女 たぐいなき君の
いまやここに ともに 在(ま)さば われの幸の いかにあるらむ
一週(ひとめぐり) 過ぎなば 心軽し 君見しその日の かえりくれば
うるわしき乙女 たぐいなき君の
いまやここに ともに 在(ま)さば われの幸の いかにあるらむ
この歌の題「折ればよかった」を見たとき、「折る」と「祈る」を見間違えそうになりました。
それから、「折ればよかった」って、どういうことか、考えました。 ・・・ そうなんですね。もし、出会ったとき、折っていれば、 いまここに そのうるわしき乙女は ともにいて、私はどんなに幸せであることか という歌のようです。
秋深し となりは何をする人ぞ ・・・ 私は、少し前の時代の歌詞の奥ゆかしさを、秋の夜長に味わっています。
今日も、よい日となりますように。
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