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2015年12月25日 (金)

「主の祈り」の一節

 12月25日 ・・・クリスマス当日です。このブログを訪れてくださるのは、クリスチャンのかた、そしてそうでないかたもおられますが、「メリー クリスマス」とご挨拶させていただきます。

 寛容の心で受け止めていただき、ありがとうございます。

 今年の10月4日に、104歳の誕生日をお迎えになった日野原重明医師は、「104歳の私の証 あるがまま行く」(朝日新聞be 2015年12月19日 土曜日)で、「主の祈り」というイエスキリストが弟子たちに教えられた祈りの一節を丁寧に紹介しておられます。

 「もし、人の過ちを赦すなら、あなた方の天の父もあなた方の過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなた方の父もあなた方の過ちを赦さない」

 クリスマスの時期に、上記の一節を紹介された日野原医師の思いを、私なりにこう受け止めました。

 きよらかな神は、あやまち、罪を犯した人間を罰するお方・・・それなのに、ご自分のひとりご、イエス・キリストを、ひとりひとりの身代わりとなって十字架の上ではりつけになって死ぬために、この世におくってくださった。そうした神様のはかりしれない大きな赦しにあずかりながら、誰かをゆるすことのできない思いが心にある人は、神様の愛を容れる場所が憎しみでふさがってしまっていて、本当には神様の愛を受け入れることができないままでいる。 人を赦さない心にとらわれていないで、手放すことで開かれた手、重荷を下ろした心で神様の大きな愛をいただこうではありませんか。

 今日のクリスマスが、そうしたことのできる日となるよう、お祈りいたします。

 いえ、赦しがたいことを赦して一番ほっとするのは、赦された相手以上に赦した人、その人だとも言われます。 そうした相手、赦しがたい行為が思い浮かばない方は、とてもすてきな心の持ち主だと思います。そのこと自体が神様からの大きなプレゼントの一つですよね。

 よい日、よいクリスマスとなりますように。

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