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2016年2月14日 (日)

『日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた』

Photo 『日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた』

嶌 信彦(しま のぶひこ)
角川書店 2015年9月30日 初版発行
 
  私は、昭和21年・1946年・・・戦後に飛騨古川に生まれ、飛騨高山で育ちました。直接には戦争体験はありません。 けれど、両親は広島県出身であり、父は軍港のあった呉市で育ち、母は、後に原爆ドームになる前の、健康な産業奨励館の中を見学した体験があります。
 祖父母は、住んでいた大阪の家を焼夷弾などの火が迫るのを必死の消火活動で守り通した後、父のすすめで古川に引っ越してきたと、語ってくれたことがあります。
 戦争については、心の悼むことばかりです。この本に手が伸びたのは、暗い時代にもこの本のタイトルのような偉業を立派に成し遂げた方たちがおられることを初めて知って、一筋の光を感じたからでした。
 正確な数字は今も判明していないそうですが、第二次大戦で旧ソ連の捕虜となった日本人は約60万人だそうです。
 シベリアの寒さの中で過酷な労働を強いられたかたたち、そしてその方たたちのご家族を思うと、皆様もそうだと思いますが、大変つらい思いになります。
 その60万人の中に、ウズベキスタンのタシケントでオペラハウスの建設に従事し、高い技術と誠実さ、誇りをもって、すばらしいオペラハウスを完成させた約500人がおられたとのこと。本書には、そのかたたちのことが綴られています。
 完成したこのオペラハウスは、旧ソ連でも4本の指に入る見事な建物だそうです。そして美しさだけでなく、堅牢さにおいても、1966年4月26日にタシケント市を震源とする直下型地震で、市街がほぼ全壊したときもほとんど無傷で残り、その真価が明らかとなったとのこと。
 この隊を率いた永田行夫さんが帰国前にした最後の仕事は、持ち帰ることを許されない名簿を暗記することだったそうです。帰国するとばらばらになる5百人近い人の名前と住所を覚える・・・大変なことですが、待ちわびるご家族に亡くなったかたのことをお伝えするために、も、と懸命に覚え、舞鶴に着いてからも、家族のもとに帰るとその記憶が薄れることを案じて、しばらく舞鶴にとどまって、名簿を作ったり、手紙を出したりされたとのこと。胸が熱くなります。
 心から願い、祈ります。二度と、戦争が起こされることのありませんように。
 今日も、よい日となりますように。
 日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけくださいますように。
聖書のことば
 わたし(神様)の目には、あなたは高価で貴い。わたしはあなたを愛している。

 平和をつくり出す人は幸いです。その人は神の子と呼ばれるから。

 

 

 

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