« 『いつも心に音楽が流れていた』 柳田邦男 | トップページ | 美濃市の雛飾り »

2016年3月 7日 (月)

ひと味 、ふた味違う 「癒し」のとらえ方

 昨日の『いつもこころに音楽が流れていた』 柳田邦男 さん著 に とても心に響いてくる言葉がありました。「癒やし」についての言葉です。

        ◇     □     ○    ☆     ※

 2歳8カ月だったわが子をインフルエンザの急性脳炎で亡くしたある母親は、数年を経た時点で、私に寄せてくださった手紙の中で、こう述懐しておられた。    

 私たちのような喪失体験者にとっての「癒し」とは決して心地よいものではないと思います。胸をかきむしらんばかりの苦しみ、悲しみを抱え、そこから逃げずに必死に生きようとするその人生そのものが「癒し」だと思うのです。

 この母親の言葉にこそ、「癒し」の神髄が語られていると思った柳田邦男さんがエッセイ集に引用したところ、河合隼雄先生が「『癒し』とは何か」と題する論文の中でこの言葉を取り上げ次のように書かれたそうです

  「癒し」とは窮極において、自分で苦悩と向き合い、自分で癒していくしかないのだが、すべて独りでというのでは難しいので、臨床心理士など背中を押してくれる人が必要になってくる。

       ◇     □     ○    ☆     ※

  「癒し」とは、心がほんわかとなって苦悩と向き合うのをやめてしまうこととは違うのではないか もちろん、そういう安らぎの時を求めるのは、いけないことではないのですけれど。

 もし、苦悩していたベートーヴェンが、軽音楽で満たされた思いになって、葛藤などを解決していたら、そこで「運命」を作曲するエネルギーも抜けていってしまっていたら、私たちは「運命」という曲を聴くこともなくなってしまっただろう と河合隼雄さんがユーモアを込めて書いておられることも紹介されていました。 

 柳田邦男さんは、この章の結びにこう書いておられます。

 人は苦悩としっかり向き合い、苦悩を芸術的に昇華させた作品にひたることによって、内面の抑圧感から解放され、無意識のうちに苦悩を糧にして生きようとするいのちを躍動を感じられるようになるのではないか。そんなふうに思うようになっている。ー 「運命」こそ癒しの神髄」 よりー

 今日も、よい日となりますように。

0003

|

« 『いつも心に音楽が流れていた』 柳田邦男 | トップページ | 美濃市の雛飾り »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ひと味 、ふた味違う 「癒し」のとらえ方:

« 『いつも心に音楽が流れていた』 柳田邦男 | トップページ | 美濃市の雛飾り »