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2016年9月30日 (金)

前期と後期の境目

 9月30日 ・・・ 4月1日にスタートした新年度の前期と後期の境目ですね。

 小学校から高校までの学校には一学期・二学期・三学期 という三学期制の学校と、前期・後期の二学期制の学校とがあります。大学は、二学期制だと思います。

 諸外国は、6月~8月を夏休みとし、9月から新しい学年で新学期とするところも多いようです。 日本もそれに合わせたらどうかという意見もあります。外国に留学する場合、外国から帰国する場合、そのほうがスムーズだということのようです。

 ただし、9月から新しい学年のスタートとすると、現在の4月スタートで歩んでいることと切り替えるときに、どう、調整するかということになります。

 入学式は桜のシーズン ・・・9月に入学すると、何の花が入学式のシンボルとなるでしょうね。

 ということもありまして、日本は、古来からの四月スタートでいき、三学期制か二学期制は混在して採用されているというのが、現状だと思います。

 何にしましても、いつも気持ちは前向きに、元気に歩んでまいりましょう。

 今日も、よい日となりますように。

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  昨夜、この記事を書いて、これという画像がなかったのですが、今朝、パソコンを立ち上げたら、たまたま9月30日の9時30分 ・・・ これは、ある意味、貴重かと写真に撮りました。 そういえば、中学校の同窓生に、昭和22年2月22日生まれの男子がいました。今、どうしていることでしょう。

 きょうは、わが伴侶の誕生日。おめでとうございます。これからもよろしくお願いいたします。

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2016年9月29日 (木)

おめでとう !! 日本ハム 大谷翔平選手

 28日夜、試合中の大谷選手の緊迫感ある顔つき 優勝が決まった瞬間の笑顔 ・・・どちらも若者らしく、すばらしい表情でしたね。

 投げては、3年連続の二桁勝利、速球は163キロを記録。打っては、優勝を争う大事な試合で、しのぎを削る相手から投手としては初めての初球ホームラン、合計22本の本塁打 ・・・ 多くの人から好感を持たれている好青年 まずは、パリーグのペナントレースでの優勝おめでとうございます。

 プレッシャーのかかる試合で許したヒットは1本、15の三振をとるというのも、すごいことだと思います。

 日本ハムというチーム全体が、一時は、首位を走るホークスに11.5ゲームという大差をつけられながら、驚異的な追い込みを見せて逆転優勝というのがすばらしかったですね。

 バッターとピッチャーの二刀流を、年々、実力を高めながら真摯に野球に取り組んでいる大谷選手。これからも健康でご活躍ください。

 応援するだけでなく、自分自身も何か自分を輝かせつつ、歩めたら、すてきですね。花も実もある人生と申しましょうか。

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 写真は、9月25日(日)の礼拝堂を美しく整えてくれていた花たちです。綺麗ですね。ありがとうございました。

 今日も、よい日となりますように。

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実りの秋  かかし

 聖書にちなんで、私的にエマオの途(みち)と呼んでいる山道を抜けたところに、こんな風景が広がっていました。

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  なんだか、日本の懐かしい風土が感じられて、安らぎました。

  (もう少し、現代的なかかしたちも立てられているのですが、ちょっとスズメも腰を抜かすような斬新なデザインのもあるので、こちらの写真にしました。)

 あなたの周りでは、どんな秋の光景が展開していますか。

 今日も、よい日となりますように。

 

 

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2016年9月28日 (水)

おにぎり

  27日、私はある総会に出席して、友人のクリスチャンのお店で昼食をいただいて、帰宅しました。「ダニエル」という旧約聖書に出てくる信仰の勇士の名前のついたお店です。 一度、このお店のこと、紹介させていただきましたね。

 心優しい友人ご夫妻は、留守を守る家内のためにお土産を持たせてくださいました。

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  おにぎり  ・・・ この秋の新米です !!

そして

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 ハートマークの描かれたこのお好み焼きは、この後、青のりをかけ、紅ショウガを添えて完成 。 帰宅すると 歓声が・・・。

  幸せいっぱいの食卓となりました。 味覚の秋は、確実に訪れているのですね。   本当にありがとうございました。

 毎朝、体重計には乗るのですが、明日の朝は、勇気が要りそうです。

 今日も、よい日となりますように。




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2016年9月27日 (火)

曇り空にも夕焼けが

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  9月25日、そろそろ日も暮れかかっていたのですが、少しはウオーキングを、と懐中電灯を携えて、どんよりした空のもと、やや早足で家を出ました。ちょっとポツポツ、雨粒も・・・。ますます早足に。

  すると、思いがけなく、雲間に夕焼け空が広がっていました。写るかどうか案じながらシャッターを押すと、上記の写真が撮れました。実際は、もう少し鮮やかでした。

  思いました。八方ふさがりのような思いになるときも、空のどこかに晴れ間が現れるように、全部がふさがったままではないことを。

 幸い、私は、心配するあまり、夜眠れないということは、ほとんどありません。悩むあまり、食事がのどを通らないということは、更に、ほとんどありません。  しっかり悩むには、しっかり食べなければと、そういう思いのほうがだいたい先に立ちます。

 でも、そういう私にも、この日の雲間の夕焼けの光景は、大きな慰め・励ましとなりました。このところ、晴れることが少なかったせいもあるかもしれませんね。

  心に太陽を  くちびるに歌を

 今日も、よい日となりますように。

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2016年9月26日 (月)

『人間の旬』 大村 智 著

『人間の旬』 (人間の しゅん) 

大村 智 著

毎日新聞出版 2016年8月10日 発行

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  特にアフリカで数億人を救ったイベルメクチンという特効薬を作った功績で、2015年、ノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智博士の本です。




 巻頭に、「あなたはきっとノーベル賞をもらう人です」と大村博士を励まし、支え続け、病のため、2000年9月に亡くなられた奥様への献辞があり、本文でも奥様のことを深い感謝のこころを込めて綴っておられます。

 ノーベル賞の授賞式のおりには、娘さんが付き添ってくれたそうです。

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  恩師、研究仲間、親交のある世界の学者さんたちとの交流や、モネ、ロダンの芸術などを語るときには、見る目の鋭さ、広い視野、発想の展開などなど、同じ人類とは思えないほど、圧倒的な高さ、異次元のことのようですが、それでも読み進んでしまいます。

  故郷に美術館、温泉っを作られさらに、ご自身が病院での待ち時間などをもてあまされた経験から、大勢の人が集まる病院に文化があってもいいのではないかと考え、1990年には埼玉県北本市に北里大学メディカルセンターという病院を建てられました。今では、「絵のある病院」、「美術館病院」とも呼ばれ、市民コンサートも開かれて親しまれているそうです。

 こうした見事な生き方には、敬服するしかありませんが、知性と人間味に溢れた随筆です。よろしければ、お読みください。

今日も、よい日となりますように。

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2016年9月25日 (日)

「輝く女性フォーラム」 主催 岐阜市シルバー人材センター

 9月23日、岐阜市のメディアコスモスで、岐阜市シルバー人材センター主催の「輝く女性フォーラム」 ~さあ! 私の出番です!! ~ が開催されました。

0005 次男が幼稚園でお世話になった先生が、大学の先生になっておられて、たいへんエネルギッシュに基調講演 「これからも輝くために」を語られ、明るさと活気に満ちたパネルディスカッションが展開しました。コーディネーターの方針で、会場の参加者も、どんどん発言。 活力をいただきました。

 パネラーの一人、岐阜赤十字病院 看護部長の荒引 真由美さんは輝いている女性として、ご自分がお手本にした人をじっくり観察し、次の三つを備えていると発言されました。(そのお手本となった方は、最前列に座っておられました)

1.予定がいっぱい  社会参加 スポーツジム 趣味たくさん

2.頼まれたら 「いや」といわない  前向き、主体的・自立的に引き受ける。 責任感も強い

3.仲間が多い たくさんの方とネットワークを構成している

 ◇   □   ○   ☆   ※

  話題も具体的なところまで掘り下げられ、「外出中に、にわか雨が降ってきた。 ご近所の方に少し期待したが 帰宅したら 洗濯物は ずぶぬれ。 普段 挨拶 会話はしているけれど  世代が異なるためか そこまでは立ち入れないということのようです」

  「台風接近中だったが、夫婦とも公務員のため、ご近所にお願いして勤務に。 ご近所の方は、心に掛けて、子どもたちの様子を見てくださり、声を掛けてくださった。 子どもたちも 自分たちで ガラス窓にガムテープを貼るなど、家を守ってくれていた。」(ガムテープをはがすのに苦労もなさったそうですが、喜んでおられました)

 防災  防火の意識をたかめること なども 呼びかけられました。幅広く、具体的で、さすがと思いました。

 会場の男性が「親の介護を妻にやらせている・・・」と発言すると、すかさず「やらせている ではなく、 お願いしている と 言っていただきたいです」と突っ込みが入りました。

 あふれる女性パワーに,学ばせていただいた会でした。

 男性にいたらないところは少なくありませんが、どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。

 今日もよい日となりますように。

 日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

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2016年9月24日 (土)

インドの人がアルツハイマー病になる率は少ない

 アルツハイマー病になりたい方は、多分いらっしゃらないと思います。インドの人がアルツハイマー病になる率は、アメリカの人の四分の一だそうで、それは、インドの人が常食するカレーに関係があるのではないかという研究があるそうです。

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 以前に掲載したかもしれませんが、最近、この本『100歳までボケない101の方法』 ー脳とこころのアンチエイジングー 白澤卓二 著 文藝春秋 2010年9月20日 第1刷発行 を読み返していましたら、上記のことが書いてありました。 

 カレーに含まれているクルクミンというポリフェノールが、脳内に蓄積するとアルツハイマー病の原因となるアミロイドβたんぱくを分解する
のだそうです。

 インドの人に、カレーを出したら「美味しくいただきました。ところで、何という料理ですか」と質問された人が居るそうですから、日本のカレーと本場インドのカレーは、だいぶん、様相が異なるのかもしれませんけれど。

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 右の写真は、先日、ふるさと高山に帰省したとき、牧師の兄が畑で育てたカボチャとジャガイモなどを持たせてくれましたので、それを材料として作ったカレーです。高山市の海抜は5百数十メートルあり、高原野菜と呼んでよいのでしょうか。美味しくいただきました。 ありがとうございました。

 カレーを食べましたので、物忘れが少なくなるかもしれません (^J^)

 うーん、カレーと加齢の対決 どちらが強いか などという洒落が浮かびましたけれど。 ← どうぞ、お忘れくださいまし。

 今日もよい日となりますように。

 明日は、日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。ちなみに、兄がご用をしている飛騨高山教会のホームページは、下記のURLをクリックしていただくとご覧いただけます。http://www.hidatakayamachurch.com/

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2016年9月23日 (金)

筋肉を意識して保つことの大切さ

 筋肉トレーニングの講座を受講なさっている方から、こんなお話を伺いました。

 20歳を過ぎると ・・・ 1年に1パーセントずつ 筋肉は減少

 このことは、耳にしたことがありました。 その続きがあるのです。

 宇宙に滞在すると ・・・ 宇宙飛行士さんの場合ですね・・・ 何と、1日で1パーセントの筋肉が減少だそうです。

 地球に帰還したとき、ほとんどの宇宙飛行士が、支えられて姿を現すのは、こういう事情があるからなのですね。中には、ハードなトレーニングを意志強く続けて、帰還したときに自立歩行した人がおられるようでしたけれど。 それは、すごいことだと思います。

 ほとんどの方は、宇宙飛行士にならないと思いますが、もう一つ、教えていただきました。

 ベッドで安静にしてすごす環境におかれた方 ・・・ この場合、2日間で1パーセントの筋肉が減少するのだそうです。

 うーん、筋肉トレーニングの大切さを具体的に教えていただくと、何とかしなくてはという思いになりますね。 実際にこの後、体験させていただいた筋トレの1例をお伝えします。

 ・椅子に深く腰掛けて、足を片方ずつ、水平の高さに挙げて、つま先を上に向ける これを 1 2 3 4 で上げて 5 6 7 8 でおろす。 10回続けて、今度は反対の足を 同じようにする。できれば、声に出して数えます。

 これが楽にできる方もおいででしょうけれど、これはきびしいということでしたら、 回数を段々 10回に近づけるということでもいいそうです。 私は、何とかできましたが、楽々という余裕はありませんでした。

 テレビ体操も  よく考えられていますので、習慣にできるとよいそうですよ。

 食事と同じで、他の人に代わってもらうことができないのが、筋トレです。

   頭で分かっているだけでは、効果がありませんので、徐々にハードルを高くして、実行し続けられたらと思います。

 明日から と先延ばしにしていると、きっといつになってもできません。  ←というお話でした。

 今日も、よい日となりますように。

 

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2016年9月22日 (木)

映画 「くちびるに歌を」

  映画のことが続きます。 「くちびるに歌を」 ・・・映画館で上映中には見ることができず、それから一年でしょうか、二年でしょうか。 DVDが出ていたので、ようやく借りてきて見ました。

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  熱血指導者が、才能はあるのに冷めている若者を次第に心をほぐさせ、やがて仲間たちと一丸となって、高みを目指す ・・・ というストーリーはよくあるのですが、この映画は、逆のところがあります。

 長崎県の五島に、友人の音楽教師の産休補充として赴任したこの先生は、なぜか、とても冷めていて、合唱部の生徒に詰め寄られる場面も出てきます。

 卓越したピアノの腕を持ちながら、ピアノを弾こうともしません。 予告編で彼女は、こうつぶやいています。 「私のピアノは、誰も幸せにしない」

 さて、この後、どうなるのでしょうか。

 原作は、本屋大賞にノミネートされたとのこと・・・その結果は知りませんが、胸にぐっとくる場面、言葉がたくさんありました。

 原題は、ドイツの詩人 ツェーザル・フライシュレンの詩「心に太陽を」の中にある一節 「くちびるに歌を」からとられています。日本語訳は、山本有三さんです。

心に太陽を持て
嵐が吹こうと 吹雪が来ようと
天には黒雲 地には争いが絶えなかろうと
いつも心に太陽を持て


唇に歌を持て 軽く朗らかに
自分の務め 自分の暮らしに
よしや苦労が絶えなかろうと
いつも唇に歌を持て


苦しんでいる人 悩んでいる人には
こう励ましてやろう

勇気を失うな

唇に歌を持て

心に太陽を持て

 この映画をご覧になった方は多いのかもしれませんね。いい映画だと思います。 アンジェラ・アキさんのヒット曲 「手紙」が大きな役割を果たしています。

 先日、中学校の同窓会に出席してきた私には、この映画の宣伝のキャッチフレーズ「15歳だったすべての人へ」というのが、タイミングよく心に響いてきました。 15年後の自分ではなく、55年後の自分ということになりますけれど。

 今日も、よい日となりますように。

 ※ 実は、同窓会に出席して、少し私がナイーブになったことがありました。よろしければ、「続きを読む」をクリックなさってください。もちろん、スキップしていただいても結構です。

 

続きを読む "映画 「くちびるに歌を」"

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2016年9月21日 (水)

映画 「ビリ ギャル」

 「ビリ ギャル」という映画を見ました。2015年に作られた邦画です。成績の振るわなかった女子高校生が、自分をほめてくれた塾の先生の在り方に自尊心・自信を回復し、目指す大学に現役合格したという実話に基づいた映画です。

  その生徒、さやか(有村架純)を支えた母親(俳優は吉田 羊さん)、そして塾の坪田先生(伊藤淳史)・・・今のNHK朝のドラマで常子さんの妹と結婚した俳優さん・・・の言葉・生き方が特にすてきだと思いました。

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 自分を信じてくれる人がいる ・・・ これはそれまでの人生がどうであれ、これからに希望を持って励むエネルギーを沸き立たせてくれるのですね。

 私も、希望を持って ・・・たとえば、ムーミンパパ体型からスナフキン体型へと・・・ 例はともかく、 励みます。

 今日も、よい日となりますように。

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2016年9月20日 (火)

秋の旅路

 私の郷里の高山市で、卒業した中学校の同窓会が開かれたので、行ってまいりました。 古稀記念の同窓会 ・・・ 還暦の頃までは、あまり行かなかったのですが、あるときの案内状にこう書かれていたので、「そうだ、行こう」という気持ちになり、以来、割合まじめに参加するようになりました。

 その時の同窓会の幹事が誰たちなのか確かめませんでしたけれど、案内状の冒頭は、こうでした。

 「あと何回、お目にかかれるでしょうか」

 ・・・うーん、まいりました。言葉には、確かに人を動かす力があるのですね。

 今回、そして歴代の同窓会の幹事の方々に感謝いたします。名古屋・岐阜に住むようになった同窓生たちの集まりに、「懐かしかろうから」と高山から漬け物を届けてくれる粋なはからいもしてくれる、豊かな心遣いに感激したこともありました。

 車の行き帰りに、花の写真を撮ってきました。

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  せせらぎ街道の高山市の清見(きよみ)、かなりの長さが、このように赤いサルビアで彩られていました。

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 こちらは、美濃市須原 ・・・

 ひまわりの花で迷路を形成しているところもありました。

 映画「ひまわり」(ソフィア・ローレン、マルッチェロ・マストロヤンニ)を思い浮かべました。

 郡上市の道路沿いの百日紅の花も、綺麗でした。

 久しぶりに同窓生に会うと、しばらく「誰だっけ」と謎解きの状態になります。でも、幹事が大きめの文字で名札を作ってくれていました。

 同窓会 昔の自分に 会いに行く

 もう地上では会えなくなった同窓生もいました。 でも、集まった同窓生たちは元気で、カラオケの歌声なども見事でした。 私も新曲に取り組まなければ。

 深まる秋 ・・・ どうぞ、お健やかで、よい日となりますように。

  

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2016年9月19日 (月)

『人生の節目で読んでほしい短歌』

『人生の節目で読んでほしい短歌』

永田和宏 著

NHK出版新書 2015年3月10日 第1刷発行

0001 表紙裏のお薦め文から引用いたします。

 人生という長い旅路の途中には、必ず節目となる瞬間が存在する。その時、たった三十一文字の言葉に勇気づけられたり、心が救われたりすることがある。明治から現代までの名歌を多数取り上げながら、当代随一の歌人が自らの体験をふんだんに織り交ぜて綴った、心熱くなるエッセイ&短歌鑑賞入門。

 巻末に、この本に歌の載った歌人に関係するページ一覧があるのは、親切だと思います。

 祝婚歌・・・結婚を祝う歌から二つ紹介させていただきます。

木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな 前田夕暮

 現在の美智子妃のご結婚が四月だったこともあり、この前田夕暮(まえだ ゆうぐれ)さんのこの歌が脚光を浴びたそうです。 その当時、私は中学一年生だったので、その現象は知りませんでしたけれど。

結婚はひと月後に迫れども連れだちて鍋や皿など買ひにも行けず 

                                   河野裕子

 河野裕子さんは、この本の著者、永田和宏さんの奥様ですね。癌との闘病生活を送っていて、娘さんの婚礼を祝って世帯道具を一緒に買いに行くことのできない哀しみを、歌を通して夫、そして新婦の父として永田さんは噛みしめておられるのだと思います。

 一つ一つの短歌は、お二人の娘、紅(こう)さんの言葉によると「時間の錘(おもり)」となっているのですね。

 人の作った短歌を読む そのことを通して 自身で短歌を詠む というところへ歩を進めて欲しいという願いが著者にはあるのではないかと思います。 

 今日も、よい日となりますように。

 

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2016年9月18日 (日)

物には作り手がいます 

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  芝生に並んだ二つの木製品 ・・・ どちらも音楽に関係があります。 そうです。右側は椅子ですね、さて何に用いる椅子でしょうか。 上板に少し角度がついていることにお気づきのあなた、鋭い観察力の持ち主ですね。

 左側の製品は、他の面もお見せしないと判断しにくいかと思います。もう、見当のついた方、すばらしい (^J^)
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 そうです。「カホン」・・・この上に腰掛けて、いろいろな面を叩いていろいろな音色を出すリズム楽器です。

 よい音がします。

 さて、右側は ・・・

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 「オルガン用の椅子」・・・足踏み式のオルガンのペダルを踏みやすいように、絶妙の角度で座面を傾斜させてあるのですね。

 この二つは、名古屋の男性クリスチャンの作品です。

 奥さまのオルガンが不調になり、修理を依頼しようとしたこの男性は、引き受けてくれるところが見つからず、自分で修理することを決心し、そして実際にオルガンを修理する技術・力量の持ち主となりました。

  奥様は、どんなにうれしく思っておられることでしょう。

  この男性クリスチャンは、心の広いかたで、奥様のオルガンを見事に修理された後、そのほかのオルガンも修理のリクエストがあれば、症状によっては受けてくださっているとのことです。 ← 不思議なご縁で、私の通うキリスト教会の、ペダルを踏んでも空気が漏れてしまう、ある意味、筋トレマシンに代わってしまっていたオルガンを修理してくださることになりました。この写真のオルガンは、修理中のオルガンの代わりに貸与してくださったものです。

 その方が作ってくださったカホンとオルガン用の椅子 ・・・すばらしいのはこの私が腰掛けてもびくともしない堅牢さを備えていることです。

 とても感謝しています。 私は、犬小屋を作ることができなかった経歴の持ち主です。 いえ、自慢しているわけではありません。

 さて、こうした物は、作り手がいないのに自然にできるものではありません。

 カホン、そしてオルガン椅子は、Sさんという方が作ってくださった物です。 

 人智の及ばない精巧なこの世界、多くの生命体、その生命体が生きてゆける環境 ・・・ 果たして、自然にできたのでしょうか。

 聖書の最初には、こう書かれています。

 初めに、神が天と地を創造した。 創世記 1章1節

 今日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 よい日となりますように。

 

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2016年9月17日 (土)

『ABC!曙第二中学校放送部』

『ABC!曙第二中学校放送部』

市川 朔久子(さくこ) 著

講談社 2015年1月22日 第1刷発行

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 この本は2016年度の中学校読書感想文コンクールの課題図書です。作者の市川 朔久子(さくこ)さんは、1967年に福岡県でお生まれの方。『よるの美容院』という本で第52回講談社児童文学新人賞を受賞されたそうです。

 題名のABCは、Akebono Broadcasting Club の略称です。

 図書館の課題図書コーナーで見かけて手に取ってみました。部長と副部長の二人だけの放送部 ・・・ 新学期を迎え、新しく顧問になった先生は、自分も発声練習するなどなかなかのやる気。転校してきた女生徒は生徒指導の先生から登下校にはマスクをしてこいと言われるほど人目をひく美人。その指示には従わない強気の彼女は、どうも前の学校では放送コンクールの地区大会に出場したほどの実力者らしい・・・という書き出し。

 さあ、どうなるのでしょう。

 こういう展開に惹かれるというよりは → だって、私は古希といわれる年齢ですしね いえ、ひがんでいるわけではありません 多分。

 話を戻します。この本を借りてきたのは、この放送部が、「腹筋50回 背筋50回 足上げと上体倒し各50秒を3セット、さっさとやる」というようなトレーニングを積み重ね、腹式呼吸、発声練習、朗読の基本などに真面目に取り組んでいるところです。

  この本に発声練習として登場している北原白秋の「五十音」を掲載させていただきます。  実際に声に出して読み上げてくださると、ああ、いいものだな、さすが北原白秋だ とお思いになるかもしれません。健康にもよいと思います。

『五十音』 北原白秋

水馬(あめんぼ)赤いな ア イ ウ エ オ
浮藻(うきも)に 小蝦(こえび)も泳いでる
柿の木 栗の木 カ キ ク ケ コ
啄木鳥(きつつき) こつこつ 枯れ欅(けやき)
大角豆(ささげ)に 酢をかけ サ シ ス セ ソ
その魚(うお) 浅瀬で刺しました
立ちましょ 喇叭(らっぱ)で タ チ ツ テ ト
トテトテ タッタと 飛び立った
蛞蝓(なめくじ) のろのろ ナ ニ ヌ ネ ノ
納戸(なんど)にぬめって なに粘(ねば)る
鳩ポッポ ほろほろ ハ ヒ フ ヘ ホ
日向(ひなた)のお部屋にゃ 笛を吹く
蝸牛(まいまい) ネジ巻 マ ミ ム メ モ
梅の実 落ちても 見もしまい
焼栗 ゆで栗 ヤ イ ユ エ ヨ
山田に 灯(ひ)のつく 宵の家
雷鳥は 寒かろ ラ リ ル レ ロ
蓮花(れんげ)が咲いたら 瑠璃(るり)の鳥
わいわい わっしょい ワ イ ウ エ ヲ
植木屋 井戸換(が)え お祭りだ

 ここまでご覧いただき、ありがとうございます。

 今日もよい日となりますように。

 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけくださいますように。

 

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2016年9月16日 (金)

人の頬を叩いたときの償いの金額  曾野綾子さん

 曾野綾子さんが「山上の説教」について書いておられる箇所でこういうところがあります。

   ◇     □     ○    ※    ☆

 手の甲で打つことは、相手に非常な侮辱を与えるものであったということになっています。「ミシュナ」というユダヤ法を集成した書物の「損害の巻」のなかにババ・カマ(第1の門)」という章があります。人及び獣による損傷その責任と賠償の問題を扱った章です。その8-6というところに「男が同胞の横顔を張ったら、彼は4百デナリオン払わねばならない」とあります。

 その場合、平手で打ったら2百デナリオンで、手の甲で打ったら4百デナリオン払わなければいけないのです。要するに甲打ち(裏拳)は平手打ちの倍の値段を払わねばならなかったということです。デナリオンというのは今で言うといくらくらいになるか、正確に換算することは不可能でしょうが、1日の労働者の労賃が、1デナリオンと言われていました。今の労賃にしたら大変なものです。もし1日の労賃が1万円としたら、横面を手の甲打ちで侮辱的に打ったら、4百万円、つまり1年分の収入以上のものを相手に払わなければなりません。

 手の甲で打つことは、それほど相手をばかにしていることであって、、この「ミシュナの規定はその精神的な痛めつけられ方にたいして補償してもらおうではないかということだろうと思うのです。

   ◇     □     ○    ※    ☆

 さすが、作家、曾野綾子さん。とても詳しく調査し、分かりやすく書いておられて,学ばせていただきました。

 曾野綾子さんは、「山の上の説教」(山上の垂訓)のイエス・キリストの言葉「人があなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」というおしえに関連して、上記のことを記しておられるのでした。

  岐阜市長良のぶどうの話から、「走れ メロス」の話、そして「ミシュナ」の話まで、つごう、4回おつきあいいただいてしまいました。ありがとうございます。

 9月も後半に入りました。今日も、よい日となりますように。

【追記】  9月16日夜の月 山から顔を出したところを撮りました。

     十六夜(いざよい)の月です。

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2016年9月15日 (木)

走れ メロス  その3

 今日まで引っ張ってしまって、すみません。3回で,この話はフィナーレですので、お許しください。

 1 セリヌンティウスは左利きだった  これもありです。

 2 上とは別の読み → ということは、セリヌンティウスは右利きだったということになります。

  古代ローマなど、奴隷がいた時代、主人が奴隷を懲らしめるときに手のひらの反対側、つまり、手を裏返して手の甲で相手を叩くことがあったそうです。この叩き方(裏拳というそうです)でセリヌンティウスがメロスを叩いたのではないかというのが第2の読みです。

 命をかけて、メロスの身代わりになっていたセリヌンティウスを一瞬でも裏切ろうと考えたメロスを奴隷を懲らしめるときのように手の甲で刑場いっぱいに鳴り響くほどの勢いで叩く そして、メロスを殴った後、この三日の間たった一度だけちらと、生まれて、初めてメロスを疑ったことを告白したセリヌンティウスを今度はメロスが同じように殴る。・・・ 二人の友情が強いものであるからこそ、徹底的に裏切りの思いを憎み、排除する・・・胸の内に生じた黒い思いを告白し合って思いっきり殴り合って罰し合ったからこそ、、「ありがとう、友よ」とひしと抱き合ってうれし泣きに二人は泣くことができた。およそ、こういう読みとなりました。

 あの質問があったから、この読みが生まれたことをクラスで喜び合いました。この学びを成立させてくれたあのときの生徒の皆さん、ありがとう。私にはもったいないすばらしい生徒でした。元気でね!!

 教師は、ベストを尽くして準備・計画して生徒の前に立ちたい。その上で、生徒の意見・質問を真摯に受けとめ、学習を深めたい。 ← 定年退職後、母校の大学で講師を務めたときに、教師を志す後輩に、「走れ メロス」でのこのときのことを挙げて語り伝えました。

 私の大切な思い出となっています。 長良のぶどうの話からここまでおつきあいいただきまして、ありがとうございました。

【付記】 曾野綾子さんの本に、人を手のひらで叩いたときと手の甲で叩いたときの償いの金額がおよその見当ですけれど、書かれています。

 明日、そのことを書かせていただきます。

 よい日となりますように。 今夜は中秋の名月、芋名月だそうです。(このお芋は里芋とのこと。) 満月は9月17日になるとのことです。さて、空が晴れて、見ることができますでしょうか。

 

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2016年9月14日 (水)

走れ メロス  その2

 お待たせいたしました。 生徒の質問の出た原文を再掲いたします。

◇    □    ○    ☆   ※

 セリヌンティウスは、すべてを察した様子でうなずき、刑場いっぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。

           ◇    □    ○    ☆   ※

  ここから出た質問は、「セリヌンティウスは左利きだったのですか」です。

 一瞬、メロスとセリヌンティウスの強い友情を読み取る場面で、どうしてこの質問が、と思いました。

  けれど、その生徒は真剣でした。 あなたも昨日の記事以来、考えてくださったかもしれませんので、進ませていただきます。

  あなたが、叩こうとする人と向き合っているとお考えください。実際にどなたかに協力していただいて向き合ってくださっても結構です。 (でも、いい機会だからと、どさくさに紛れて実際に相手の人を叩かないでくださいね。)

 セリヌンティウスはメロスの右頬を殴りました。 もし、あなたが右利きでしたら右手で相手を叩こうとしてみてください。(くれぐれも、実際に叩かないで!)

 そうすると・・・そうです、相手の左頬を叩くのが普通ですね。  あなたが左手で相手を叩くとすると、そうです。相手の右頬を叩くことになります。 

 質問した生徒は、そのことに気がついたので、「セリヌンティウスは左利きだったのですか」と質問したのでした。

 正直に申し上げます。そこまで事前には考えもしていなかった私には、その場では答えようがありませんでした。 時間をもらい、クラスの生徒にもこの質問について考えてもらうことにしました。

  その結果  

1 セリヌンティウスは左利きだった と考えてもよい。 教師である私も、他の生徒も、質問した生徒ほどきちんと表現を読み取っていなかった。この発見はすごい

2 もう一つ、1の可能性を認めた上で別の読みも成立する そして、こちらのほうが太宰治の意図に迫っているかもしれない。

 ということになりました。

  明日、2について書かせていただきます。

  今日も、よい日となりますように。

 

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2016年9月13日 (火)

ぶどうの季節 「走れ メロス」 と結んで その1

 岐阜市を流れる長良川、鵜飼が行われる長良橋の上流右岸では、ぶどうの店が並んでいます。丁寧に育てられ、収穫されたぶどうは、とても甘く、実りの秋を実感させてくれます。

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 毎年、この時期になると、「走れ メロス」(太宰治)の一節を思い出します。

  ご存じのように邪悪に対しては人一倍に敏感な牧人メロスは、人を信じられなくて次々と殺している王を除かなければならぬと王城に入り、捕らえられてしまいます。暴君は妹を結婚させて戻ってくるので三日間の日限を与えて欲しいというメロスの希望を、メロスの無二の友人、石工のセリヌンティウスを人質とすることで、かなえます。

 十里の道を急いで帰ったメロスは、妹の花婿となる牧人に、「結婚式を明日にしてくれ」と頼みます。  突然の申し出に婿の牧人が口にするのが「それはいけない。こちらにはまだなんの支度もできていない、ぶどうの季節まで待ってくれ」と答えるのです。

 やっと、ぶどうが出てきました。後を急ぎますね。

 なんとか、婿を説得し、妹の結婚式を挙げさせたメロスは、セリヌンティウスが自分を信じて待つ王城へと出発します。

 豪雨で激流となり、橋も破壊されてしまった濁流を泳ぎきり、一隊の山賊も何とか振りきりましたが疲労困憊し、身も心も萎えて、死刑の場に刻限に間に合うように帰るのを放棄しようかと一瞬考えてしまいます。

 しかし、岩の裂けめから湧き出ている清水を飲んで元気を回復したメロスは、また走り始めます。走れメロス・・・そして、ついにぎりぎりで友の待つ刑場に到着。

 身代わりの死の一歩手前で縄をほどかれたセリヌンティウスに、メロスは途中で悪い夢を見たことを告白し、「力いっぱいに頬を殴れ。・・・きみがもし殴ってくれなかったら、私はきみと抱擁する資格さえないのだ。殴れ。」と言います。

 それに続く一文を、教科書から正確に引用します。申し遅れました。その場面を国語教師であった私は中学二年生と読んでいたのでした。

 ◇    □    ○    ☆   ※

 セリヌンティウスは、すべてを察した様子でうなずき、刑場いっぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。

           ◇    □    ○    ☆   ※

 メロスとセリヌンティウスの、ごまかしを許さない強い友情が胸に伝わってくる感動の名場面 ・・・ 

 と、ところが、ここで、生徒から質問が出たのです。 それも、思いがけない質問でした。

 「先生、セリヌンティウスは、左利きだったのですか ?」

 えっ なぜ、感動の名場面で、こういう質問が ?

 うーん、 明日、続きを書かせていただきます。 上の、引用文とこの質問をつきあわせてお読みになって、明日をお待ちくださいますように。

 ※ 気を持たせてすみません。私の国語教師生活の中でも忘れることのできない学びがこの後、展開いたします。

 今日も、よい日となりますように。

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2016年9月12日 (月)

『荘子は 哭く』

『荘子は 哭く』

小嵐 九八郎 著

実業之日本社 1999年10月25日 初版第1刷発行

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   小嵐 九八郎(こあらし くはちろう)さんは1944年、秋田県のお生まれだそうです。
 このかたの小説を読むのは初めてでした。 (今回、図書館では少しでも自分の殻を破ることが出来ないかと、今まで借りたことのない作家や分野の本を借りてみました。)

  『荘子は哭く』は荘子(作品では大半のところで荘周となっています。)の押しかけ女房となった淑玉の腹違いの弟、青湖の目から、破天荒に見える荘子の言葉と行動が描かれ、展開していきます。

  464ページの大作 特に次の三箇所に惹かれました。

       ◇    □    ○    ※   ☆

 青湖が、失恋して、死をも思うようになった状態のとき、普段は無関心でいるように見える荘子が実に親身になって、その状態から蘇生させます。

 特に印象に残ったのは

「・・・それよりどうだ、郊外へ出て大空とでも遊ばねえか。雁が北に帰りはじめているぞ」です。

 二つ目は、長年連れ添った妻、淑玉の臨終の場面で、普段は美醜についてはほとんど論じない荘子が、妻にかける言葉です。

「淑玉、綺麗だぞ。いまが、一番、美しい。出会った時には想像つかないほど美に磨きをかけたな」

 三つ目は、結婚した青湖と妻の間にあるぎくしゃくした思い、わだかまりがこれからの年月で解消していく希望をわき上がらせる言葉です。

「最初から死に至るまで仲の良い夫婦など信用できない。それはかえって気持ちが悪い。諍い(いさかい)の一つ一つで艶(つや)が出てくるのだと居直りの気分へと変えてゆく。(それを荘子と結婚しての長い歩みで示してくれて)姉上、ありがとう・・・・」 

 茫洋としているように見える荘子が、一見、才覚に溢れてみえる人物を完膚なきまでにやっつけるところが何回か出てくる面白さもあります。

             ◇    □    ○    ※   ☆

※ ただし、この作品、荘子は一夫一妻を守って貞淑なのですが、王様が第七婦人まで抱えていたり、盗賊集団で手柄を立てた者に、褒美として女性が与えられるなど、そういう箇所がけっこう多くありますので、特に女性にはお薦めしません。

 それは別として、荘子の生き方、考え方には魅力があると思える作品でした。 上記の三つの言葉で、読んだ気になっていただくのが良いと思います。

 今日も、よい日となりますように。

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2016年9月11日 (日)

みのりの秋の訪れ

 9月も中旬に入り、実りの秋の訪れがいろいろなところで感じられるようになりました。Photo
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 栗・茗荷・ザクロ・・・欲張って雲と一緒に撮ったので、ザクロとしては不本意かも(?!) これは、まだ味わっていません。 そして、写真はありませんけれど、ご近所の庭には、青柿が。 そうだ、梨・イチジクも、美味しくいただきました。

0002  お心遣いいただいた方々に、感謝申し上げます。ありがとうございました。

 今日は日曜日ですので、聖書から、引用を。 旧約聖書 伝道の書3章です。

3:1 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
3:3 殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。
3:4 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
3:5 石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
3:6 捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
3:7 引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
3:8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
3:9 働く者は労苦して何の益を得よう。
3:10 私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。
3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
3:12 私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。
3:13 また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。
3:14 私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。
3:15 今あることは、すでにあったこと。これからあることも、すでにあったこと。神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。
3:16 さらに私は日の下で、さばきの場に不正があり、正義の場に不正があるのを見た。
3:17 私は心の中で言った。「神は正しい人も悪者もさばく。そこでは、すべての営みと、すべてのわざには、時があるからだ。」
3:18 私は心の中で人の子らについて言った。「神は彼らを試み、彼らが獣にすぎないことを、彼らが気づくようにされたのだ。」
3:19 人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。これも死ねば、あれも死ぬ。両方とも同じ息を持っている。人は何も獣にまさっていない。すべてはむなしいからだ。
3:20 みな同じ所に行く。すべてのものはちりから出て、すべてのものはちりに帰る。
3:21 だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。
3:22 私は見た。人は、自分の仕事を楽しむよりほかに、何も良いことがないことを。それが人の受ける分であるからだ。だれが、これから後に起こることを人に見せてくれるだろう。

   ◇   □    ○   ☆  ※

  いろいろな時がありますね。 それぞれのときを適切に知り、適切に判断、行動することができるといいのですが・・・・・。

 今日も、よい日となりますように。

 日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

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2016年9月10日 (土)

獣医を訪れたヘラジカ

 岐阜新聞9月9日朝刊の「海外こぼれ話」のこんな話が掲載されていました。

     ◇    □    ○    ※  ☆   

行くべき場所

 アメリカのアリゾナ州でのこと。 ある女性の自宅の庭に、ヘラジカが現れた。なんと角にタイヤと木の枝がぶらさがっていた。ブランコの一部がロープで絡みついて、動くたびに、その木の枝が揺れて顔にぶつかる状態だった。

 この女性は、怖がるヘラジカをなだめながらロープを切り、タイヤと木の枝を取り除いてやった。12時間かけて。

 地元のテレビは「ヘラジカはどこへ行けば助けてもらえるか知っていた。」と報道したそうです。 そうです。この女性は獣医さんだったのです。

                  ◇    □    ○    ※  ☆

  最初に「ある女性の自宅の庭」とありますから、おそらく仕事場である医院は別のところにあるのでしょう。いえ、ヘラジカが病院の看板を見てやってきたのではないらしいと思ったものですから。

 困ったヘラジカが訪れたのが獣医さんの庭だったのは偶然だったのか、本能のなせるわざだったのか・・・ それとも何か他に不思議な力が働いたのか、そうしたことは分かりませんが、私たちも、どこか、行くべき場所があるのではないか 助けを求めて行く所か、あるいは、助けを待っている人の所か  何だか、そんなことを思いました。

 今日も、よい日となりますように。

 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 

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2016年9月 9日 (金)

井上靖さんと葵丘(ききゅう)会議

0001  これは、葵丘(ききゅう)・・・中国の河南省の黄河河畔にある丘の写真です。1983年12月に作家、井上靖さんは、この丘を訪れたそうです。
   それは、中国の古書「孟子」に記されている会議に敬意を表するための訪問でした。
                                               1
 今から2600年ほど前、紀元前651年、この葵丘に黄河流域の五つの国の為政者たちが集まって、黄河についての会議を開きました。会議の内容は、黄河の堤防を壊したり、自分の国に都合の良いように作り変えたりすることのないようにという申し合わせだったそうです。

 参会者は誓いを立てて、黄河の水を兵器代わりに使っすることのないように、祭壇の前で約束し、すばらしいことに,この盟約は国という国が覇を争っていた春秋戦国時代500年を通じてついに破られることがなかったそうです。
 過去三千年の間に二千回、あるいは二千年の間に三千回の氾濫があったと言われる黄河・・・その水の使い方によっては、黄河河畔に位置している国を押し流してしまうことは可能であったでしょう。それを盟約を立てて守り抜いたことは人類の叡知以外の何者でもありません。


このように、井上靖さんは1984年に東京で開かれた国際ペンクラブ大会で講演しました。 テーマは人類の叡知を ー核状況下における文学ーだったとのこと。 (出典 国語の教科書 光村図書)

 井上靖さんは、寄附をして、この葵丘会議の記念するモニュメントをその地に立てられたとのことです。(どんなものか、詳しくは私には分かっていませんけれど、尊い意志と行動力ですね。)井上靖さんに敬意を表します。
 人類の叡知・・・現在の世界の状況ほど、これを必要としている時代は他にないように思えます。

 今日も、よい日となりますように。

 
 

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2016年9月 8日 (木)

『ぼく 字すきやもん』 篠田志づ子

『ぼく 字すきやもん』 

篠田志づ子 著

白鳳社 2006年1月20日 第1刷発行

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  著者の篠田志づ子さんは、日展入選・東京書作展審査員・毎日二十一世紀賞受賞などの経歴をお持ちになる書家です。岐阜市で書道教室を通じて、たくさんの教え子を育てられました。

 この本は、その書道教室で開花した教え子の一人、佑太(ゆうた)くんの成長と、篠田志づ子先生さんの愛情と工夫に満ちた書の指導、そして佑太くんのお母さん、書道教室の仲間との歩みを事実に基づいて、篠田志づ子先生が執筆され、娘さんである篠田治美さんが力を合わせられて完成したそうです。

 本の帯で紹介されていますように、話すことや算数がみんなよりちょっとおくれていても「ぼく、泣かへんぞ」と、字を書くことに熱心に取り組み続けた佑太くん ・・・ その言葉通り小学1年生のときから一度も泣いたことのなかった佑太くんがはげしく泣きじゃくったのは中学2年生で全国学生書道展に応募した作品が自由課題部門第一席 桜花賞 を受賞したと告げられたときでした。

 ここにいたるまでの歩みは決して平坦な道ではありませんでしたから、この場面には、私も心から感動いたしました。

  感動は、力を湧き上がらせてくれます。及ばずながら、前向きに歩んでまいりたいと思います。

 今日も、よい日となりますように。

※ 2016年4月28日に、 『ふたりごころ』 ー生と死の同行二人- 篠田治美 さん  という題でこのブログに書かせていただいた記事の、時間系列から申しますと、今日の記事のほうが前編ということになります。瀞花 篠田志づ子様、篠田治美様、そして今は四十代になっている佑太くん、そしてお友だち、ありがとうございます。心から、お礼申し上げます。

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2016年9月 7日 (水)

平和は 武力でなく 文化で

 1946年、昭和21年生まれのわたしの中学生の頃・・・ テレビは白黒でした。どういうものか、「ベン・ケーシー」という脳外科医、ラッシーという名犬、「てなもんや三度笠」というコミカルな時代劇にまじって、西部劇がたくさん放送されていたと思います。

 「ライフル・マン」・「拳銃無宿」・「ガン・スモーク」・「ララミー牧場」・「胸に輝く銀の星」・「ローン・レンジャー」・「ロー・ハイド」などなど。

 熱心な友だちは、ピストルを腰に吊すホルスターを自分で作り、モデルガンで早撃ちを練習し、達人になっていました。

 西部の男のルールは、拳銃を持たない者を撃たない・背中を見せている相手を撃たない、など明快でした。

 さて、 現在はどうでしょうか。 反撃の手段を持たない相手に、自分は安全なところから大量殺人兵器で攻撃する ・・・ 素手の相手に卑怯だとも思わずに ・・・

 いえ、昔の西部のやり方でなら、闘い合ってもよい、というわけではありませんね。

  地球上の核兵器の量、そして性能は、人類全体を何回でも絶滅させるところまできているそうです。それなのに「核兵器の安全性を高める」という訳の分からない理由で、核実験をし、核兵器を開発している国があります。

 撃ち合いをやめようということになったとき、ピストルを敵と味方が同時に手放す約束をして、「一、二、三」で武器を捨てる・・・そのとき、もしかしたら相手が武器を捨てずに、自分だけ丸腰になるかもしれない  という懸念を持たずに 疑心暗鬼にならず 武器を放棄できるでしょうか。

 もし、世界中の、軍隊・軍備を持つ国が、「イチ ニ サン」 で軍隊を解散し、兵器を廃棄する約束をして それを滞りなく 実行出来たら  今まで投入していた膨大なお金を これからは もっと有用なことに用いることができるでしょう。

 さて、それが出来るほどに人類は賢いでしょうか。 それが出来ないほどに、人類は愚かでしょうか。

  作家、宮城谷昌光さんは、「正しいことが常に力を持つ、これを文化という」と書かれました。  ぜひ、どの国も、豊かな文化を成熟させることができますように。

 今日も、よい日となりますように。

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2016年9月 6日 (火)

24時間マラソンを走りきった林家たい平さん

 人気番組「笑点」のメンバー、林家たい平さんが、24時間マラソンを走りきった翌日でしたか、そのかげにあった「秘話」が紹介されました。たい平さんのご家族が、走っていて苦しくなったときに気が紛れるようにとクイズを書いて渡していたのだそうです。

 何問かは、走りながら解いたそうですが、解き残した問題が紹介されました。

 「ハンガーを使わないのは何県だ?」

 スタジオにいた人たちが考えることになりました。

 さて、何県でしょうか? もちろん、とんちでお答えください。

  私には解けませんでした。スタジオで一人、解いた人が居たのです。

  答えは「続きを読む」をクリックしてお確かめください。

  100キロメートルを走りきったたい平さんと、支えた家族のことがさわやかな感じでしたので、心に残りました。

 今日も、よい日となりますように。

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2016年9月 5日 (月)

お医者さんとの会話

   毎月1回、血圧などの薬を処方していただきに通っている診療所でのこと。血圧の測定や、聴診器での検査などをしていただいて、体重と身長の話題になり、お尋ねしてみました。

 「体重は増減しやすいのに、身長が2センチほど縮みました。どうしてですか?」

 すぐに明解なお答えがありました。

「脊椎は24個、その間に軟組織、椎間板があって、ちょうどふっくらした座布団のように衝撃を和らげる働きをしています。その20数カ所の椎間板が加齢によって、たとえば1ミリずつ薄くなったとするとそれで、2センチほど、身長が減ることになります。」

 「なるほど・・・。うーん、笑点では面白いことをいうと座布団が増えますが、背骨の場合は残念ながら、座布団は取られるだけというか、椎間板は薄くなる一方なのですね」

   ◇     □     ○    ※   ☆

 こういう会話をして帰ってくることができるのも、ほぼ健康だからと、ありがたく思っています。

  このお医者さんは、昨年、身体の具合が不調になって、私の意識としては青い顔をして行ったのに

 「顔が黄色っぽくなっていますね、黄疸を起こしている可能性があります。紹介状を書きますから大きい病院で診てもらってください」と手配してくださいました。おかげで、胆嚢関係の不具合があることが分かり、早めに必要な処置をしていただけました。

 104歳の現役医師、日野原重明先生は、病院にもよりますが、長時間待って、3分の診療という傾向があることを憂えて、「その3分間に自分の状態、症状が伝わるように有効なプレゼンテーションを」と書いておられます。

 なかなか難しいことだと思いますが、取り組む価値のある課題だと思います。 患者さんを別の人と間違えたり、手術するところの左右を間違えたり、血糖値の高い患者さんには用いてはいけない薬を、他の症状に気を取られて失念して使ってしまったり・・・ということなどが起きないために。

 ちなみに、173センチあった私の身長は、170と171の間くらいになりました。実生活に差し支えはありませんが、ちょっと残念です。ようし(容姿)、いえ、よーし、体重も 減らしますね。今度お会いするときにムーミンパパがスナフキンに変身していても驚かないでくださいまし。

 さて、今日も,よい日となりますように。

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2016年9月 4日 (日)

仕事と家庭の両立 ー話し方・文体に柔軟性をー

  仕事(職業)と家庭の両立 ・・・ 勤務を終えて帰宅したら家庭人 というふうにさっと切り替えることは、多分どんな仕事の方にも難しいことなのだと思います。

 まず、思い浮かぶのが「医者の不養生」という言葉です。私は、善意に解釈して、この言葉から、患者さんのためにベストを尽くし、自らの身を大切にする時間さえも献げてしまい、身体のためにはよくないと知りながら、不眠不休で医療活動に邁進する結果、自らの健康を損なってしまうお医者さんをイメージしています。

  それは、尊いことですが、やはり、そんなすてきなお医者さんには、ぜひご自分の健康をも大切にして長年にわたってご活躍いただきたいと思います。

  さて、私は、教師生活が長かったのですが、あるとき先輩から大事なことを教えていただきました。

 「家に帰ったら、家族に対してまで教師のままでいることは、要注意。それこそ教育的指導の対象だよ。家庭人として最優先することは、家族を教育することではなく、家族を幸せにすることだ。」

 がーん ・・・ ショックでした。 なるほど、教師の意識を持ったままの親が慣性の法則のように家庭でも教師のままで存在すると、子どもにとっては、先生がいる学校から家に帰ってくると、ここにも先生がいることになってしまうことになります。 親不在ということになりかねません。← これは極端な言い方ですけれど。

  職場と家庭では、意識を切り替えること ・・・ できれば、相手に合った話法を無意識のうちにセットできること。 ただし、これは、容易なことではありません。 

 たとえば、あの『サラダ記念日』でデビューした俵万智さんは、現代の若者の一部が作るシュールレアリスム(無意識や幻想を超現実として描くことで人間精神の真実に迫ろうとする芸術上の運動。超現実主義。★一九二〇年ごろフランスで起こる。フランス語 surréalisme)な短歌に出会うと、頭が痛くなるのだそうです。 自分の中にある文体、思考の傾向と異質なことに出会うと、人は誰でもそうなのではないでしょうか。

 本でも、映画でも、講演などでも、うまく、相性が合うと、時間が経つのが惜しいほどになりますし、そうでないと、時計が少しも進まずに苦痛に耐えることになりますよね。

 それぞれの人に今まで培ってきた話し方や文体があると思うのですが、その持ち味を生かして、しかも相手に思いをごく自然に伝え合うということは、改めて考えてみると、至難の業です。特に、身近な方への話法は、伝わって当然という甘えが出がちになりますから、いっそう、真剣な吟味が必要だと思います。でも、このことは家族の誰もが幸せに歩むために取り組む値打ちのある、取り組み甲斐のあるとても大切な課題なのだと思います。

 うーむ、ムーミンパパとママの言葉によるコミュニケーションはどうなのでしょう。ちゃんと向き合ってみますね。この課題に。

 ちなみにムーミンママの話法で教えを受けながら、私が全部の作業に取り組んだ作品が、次の写真です。

0005 名付けて、「汗と涙のゴーヤチャンプル」 ・・・ 

 戸惑いの例 1

 ムーミンママ 「ゴーヤを炒めて、これで良いと思ったら」

 おそるおそる「あのー どういう状態になったら、これでいいと思えばよろしいでしょうか」

「・・・・・・」

例 2

 「黒胡椒を少々振りかけて」

「あのー 少々というのは、どれくらいの量をさすのでしょうか」

 という具合。 でも、出来上がりは、幸い上々となりました。両者が(?!)歩み寄ってのコラボレーションの成果でしょうか。

 ※ 9月に入って、このブログの文体、ちょっとややこしくなっていると、読み返して反省しています。公開してから読み返して書き直したものもあります。 努力いたしますので、お許しくださいまし。

 今日も、よい日となりますように。

 パイロットは、特に離陸・着陸に細心の注意を払うと聞きました。すべての学校において、二学期のスタートが,どの子にとっても順調でありますように。

 日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

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2016年9月 3日 (土)

鉄道グッズコレクション ーマニアが蒐集した旅の思い出と記念グッズー

 関市の百年記念公園内にある岐阜県博物館で、展示会が開かれています。

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 鉄道グッズコレクション ーマニアが蒐集した旅の思い出と記念グッズー 
明日、9月4日までです。 展示者は、本田博志さんです。
 百年記念公園の駐車場は無料ですし、この展示会も無料です。
※ 3階以上の恐竜などの展示は有料です。
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 このように、撮影が許可されていますので、喜んで何枚か撮らせていただきました。
 最初に見に行ったのは、8月の末でしたので、たくさんの子どもたちが訪れて、楽しそうに展示品を見ていました。
 私は特にマニアではありませんが、駅弁の展示コーナーには、驚きました。
 関心がおありの方は、どうぞ、お出かけください。
 鉄道を舞台に推理小説などを何と550冊ほど書いておられる西村京太郎さんが、高山本線に魅力を覚え、何冊もの本を書いておられることも紹介されていて、私には新発見でした。
 写真を添えておきます。
 クリックしていただくと写真が少し大きくなる場合もあります。
Ekiben
Takayamahonsen
 上は、駅弁コーナーの一部
 右は、西村京太郎さんのお書きになった
高山本線関係の本のコーナーです。
  下は、「腕章」です。
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 関心を覚えたものを長年にわたって、幅広く蒐集され、こうして展示してくださったこと、
、本当にありがとうございます。
 トワイライト・エキスプレス関連の展示品もありましたよ。
 今日も、よき人生の旅を歩む日となりますように。
 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけくださいますように。

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2016年9月 2日 (金)

『わがままだって、いいじゃない。』 ーその2ー

『わがままだって、いいじゃない。』  92歳のピアニスト「今日」を生きる

室井摩耶子  著 

小学館 2013年4月6日 初版 第1刷発行

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 この本について書かせていただくのは、この春の4月9日以来、2回目です。 発行された2013年に92歳でいらっしゃいましたから、今年、誕生日をお迎えになると95歳におなりになります。

  実は、この本に室井さんがブログをお書きになっていると書かれていましたので、そのブログを訪れてみました。

 すると、今年の12月10日にハイドンのピアノソナタ2曲の演奏を組み入れたトークコンサートを開かれることと、それに向けて準備を進めておられることが書かれていました。ブログ 「室井摩耶子のピアニスト生活」から。

https://mayakomuroi.blogspot.jp/2016/08/blog-post_27.html#comment-form

 さて、この本『わがままだって、いいじゃない。』から、写真を1枚、引用させていただきます。

0004  1960年、39歳の時にベルリンで室井さんがデビューなさった当時の写真だそうです。 それから56年間、活躍しておられるのです。

 本の結びにこう書いておられます。

 まだまだ、毎日、発見があるから。神さま、もう少し私をこの世においてください。

 引退。このことについて考えたことは、まだ一度もありません。

 ◇  □  ○  ※ ☆

 室井摩耶子さんがお生まれになったのは1921年(大正10年)  ・・・高山に住んでいる私の母と同い年。

 そういうこともあって、心から応援させていただきます。

 ◇  □  ○  ※ ☆

 【 付記 】   室井摩耶子さんを教えた先生たち

 ピアノの最初の先生はl鯉のぼり」などの作曲者、弘田龍太郎さんの奥様。

  それからリトミック教室の先生は小林周作先生 ← このお名前に聞き覚えのある方は、すごい! そうです。黒柳徹子さんの『窓際のトットちゃん』に出てくるともえ学園の校長先生です。スイスの音楽教育家ダルクローズさんが開発した音楽教育法リトミックを,小林周作先生は留学して直接ダルクローズさんから学ばれたのだそうです。

 そして、作曲は、岡本敏明先生・・・「どじょっこふなっこ」などを作曲されたかたです。

  素晴らしい方たちに出会われ、室井摩耶子さんご自身の豊かな資質、たゆまぬご精進があって、今日も輝いておられるのですね。

 芸術の秋。今日も、よい日となりますように。

 

 

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2016年9月 1日 (木)

さあ 九月になりました (^J^)

  9月・・・二学期のスタートです。私の住む岐阜市では、従来の三学期制の学校と二学期制を採り入れている学校などがあり、二学期制の学校では、前期と後期ということになり、10月に後期が始まることになります。

 ともかく、元気に仲良く遊び、熱心に学ぶ日々を築き上げることが出来ますように。

 こう書いていて、教師と生徒という関係ではありませんが、指揮者とオーケストラの楽団員の在り方について連想が私の中で進み、昨日掲載した小澤征爾さんに関連した出来事をインターネットでたどってみました。

 小澤征爾さんとNHK交響楽団の間には、1962年から1995年まで、実に32年3か月に及ぶ断絶があったのだそうです。

 そのことについて、こんな説明・分析が掲載されていました。

  ◇      □    ○   ※  ☆

 小澤征爾さんの振り返り

 「僕の指揮者としてのスタイルはアメリカ的で、いちいち団員に指図するやり方だった。でも日本での指揮者に対する概念はそうではない。黙って全体を把握するのが指揮者だ。この違いに加えて僕は若造だった」

 このことについてはいろいろな意見があり、真相は、分かりませんが、現在の小澤征爾さんと若い音楽家たちとの関係は、小澤さんが若かった頃とはだいぶん違ったものになってきているようです。

 『小澤征爾 指揮者を語る』には若者たちと音楽することについてこんな一節があります。

有働由美子さん)「育てる」という話に移っていきたいんですけれど・・・サイトウ・キネンで言いますと,室内楽の勉強会、それから小澤征爾音楽塾、それとタングルウッドも含めて,後進を育てることに力をいれていらっしゃいますね・・・若い人って、言ってみれば、小澤さんよりうんと未熟な人たちですよね。

小澤さん)うんと若い。15、6から25歳ぐらいまでの。

有働さん)一緒にやっていて、どんなことを学ぶのですか?

小澤さん)それがね、エエッということがあるわけ。僕らはいろんな音楽をやっ  ているから、この曲をやるっていうときには、自分がわかったと思って、それでやっているわけですよね。

  ところが若くて経験がない人はね、そのときに教わってそこからくる。彼あるいは彼女が持っている繊細さとか、センシビリティ、あるいは感受性っていうのかな、それでやるとね、もっと純粋で、しかも納得性のあるものが出てきたりするんですよ。だから面白いですねぇ。音楽ってね。・・・僕の音楽塾には60人ぐらいの生徒がいる・・・全体として伸びるよりも、一人一人に伸びてもらいたい。

        ◇   □   ○  ☆  ※

 小澤征爾さんは1935年生まれ ・・・ たくさんの師に学び、いろいろな楽団を指揮され、豊富な経験を積んでこられたことは歴然としていますね・・・その方が、上記のように語っておられることに心打たれます。

  高い山に登る若人に山頂から「登って来~い」と声をかけるのでなく、同一地平線上に立ってこれから目指す山をともに眺め、その高嶺を目指して、一緒に登り始める・・・  そんなイメージが浮かんできました。

 新学期のスタートに当たって、教師と生徒がどんなふうにあったらよいかをいろいろ考えていたことを思い出してちょっと力んで書いてしまいました。

 今日、そしてこれからが、子どもたち、若者たち、そして大人たちによい日々となりますように。

 

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