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2016年11月30日 (水)

「安全確認のために遅れても」 映画「レインマン」こぼれ話

 先日ご紹介した映画「レインマン」に、飛行機に乗せようとした弟に、特定のことには記憶力抜群の兄が、過去の飛行機事故が起きた年月日となくなった人の数を列挙する場面があります。 業を煮やした弟(トム・クルーズ)が「長い航空機の歴史に、どの会社だって事故は起こしているさ」というと、兄(ダスティン・ホフマン)は即座に返しました。「いや、カンザス航空は一度も飛行機事故を起こしていない」

 そのとき、私は特定の航空会社の名がこういう場面で出てきたので、「?」と思いました。この映画を作るスポンサーがこの航空機会社だったのかな? と。

 この疑問が解けたのは、しばらく後に偶然聞いたラジオによってでした。

 「カンザス航空は出発前の点検整備、安全確認が会社全体に徹底していて、こんな合い言葉が浸透している。」 「安全確認のために少しくらい遅れてもいい。永遠に到着できないことに比べたら」

 ちょっと刺激の強い合い言葉だと思うのですが、うーむ、とうなってしまいました。

 一番大切なことを、そのほかの都合にかまけて見失わないで貫く ・・・ 頭で思っているだけでなく、それを会社全体でチームとして徹底する・・・ 「レインマン」の一場面も、そうした会社への信頼と称賛の心が生み出していたのだと思います。

 今日も、よい日となりますように。

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2016年11月29日 (火)

人生の最高傑作

 先日、特別養護老人ホームでの音楽タイムのおり、音楽の合間に『最後の一葉』の紙芝居を上演いたしました。オー・ヘンリーの名作ですね。

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0006 名作の力は大きく、何人もの方が感動してくださいました。 この紙芝居は、キリスト教会の牧師だった父が、幼児教育にも力を注いで保育園をしていました時代のもので、時を超えて活躍してくれていることを喜んでおります。

 名作、傑作という言葉でふと思い出したのは、オペラの作曲者、ヴェルディのことです。歌劇『アイーダ』の凱旋の場面で演奏される行進曲は有名ですが、その曲のために「アイーダ・ト0008
ランペット」を考案し、登場させたほど創意と情熱に満ちた人でした。

 多額納税者で、政治家になってくれと頼まれたり、肖像がイタリアの紙幣に印刷されたこともありました。 ヴェルディは『アイーダ』、『椿姫』、『リゴレット』、『ナブッコ』などなど傑作を世に送り出したのですが、妻のジュゼッペさんがこんな言葉を残しています。

「あなた、たくさんの仕事をなさったけれど、私たちの最高傑作は、あれね」

 このご夫妻は、老年を迎えた芸術家、特に音楽家たちのために養老院と申しましょうか、「憩いの家」を私財を注いで建てて、提供したのですね。その「憩いの家」を見ながら、奥さんは言ったのだそうです。

 すてきなご夫妻だったのですね。

 今日も、よい日となりますように。

 

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2016年11月28日 (月)

「手袋」

 向田邦子さんは、文筆の力の他にも、衣服や小物などを選ぶセンスにも恵まれていたそうです。こんな話が書かれていました。 手袋を購入したいと考えて、いろいろなお店に足を運んだそうです。でも、どうしたことか、気に入る手袋に巡り合えなかったので、とうとうその冬は手袋なしですごされたとのこと。

 センスに合わない物で我慢するよりは、なしで過ごす・・・潔いというか、すっきりしていますね。

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 気温が下がる飛騨地方で育った私には、及ばないことです。もっぱら実用本位で、寒さをしのぐことを選びますから。 あ、いえ、向田邦子さんとのセンス争いなど、最初から、思いも及ばないことです(^J^)

  でも、こうしたエピソードにふれると、女性がミステリアスな存在に思えて来る私です。

 尊重して、そういう生き方もあるのですね、と見守っていればよいのですよね、多分。

  ムーミンママのハンドバッグ ・・・ この中に入っている物もミステリーの世界に属するようです。

  さて、写真は、家内が友だちからいただいた菊の花(和布)です。すてきな手作りの品、(縮緬細工というのだそうです) ありがとうございます。

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 今日もよい日となりますように。

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2016年11月27日 (日)

 「レインマン」 → 「メインマン」 ーBeingと関連してー

  『百万人の福音』という月刊誌があります。

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 その11月号の「聖書めがねで映画を見れば」というページに映画「レインマン」のことが書かれていました。 ダスティン・ホフマンとトム・クルーズという有名な俳優が兄弟という設定で出演し、多くの観客が映画館に足を運んだ映画です。

0005  チャーリーという弟役のトム・クルーズは、お金中心の生活を送っていました。父親が亡くなって、遺産を相続することになったとき、自分にはレイモンドという兄(ダスティンホフマンが演じています)が居ること、そして自閉症のため、施設に入って生活していることを知ります。

 強引に兄を施設から連れ出したチャーリーは、兄が飛行機に乗ることを極度に怖がるため、車による長距離旅行を一緒にすることになります。

 最初は、チャーリーにとって理解を超えるやっかいな兄でしかなかったのですが、やがて、幼い頃、雨の降る日にはやってきて優しくしてくれた雨男、レインマンが、実は兄、レイモンドをなまった幼い発音で、レインマンと呼んでいたことに気がつきます。

 対人関係をなかなか結べないレイモンドでしたが、別れの朝、兄弟の心がつながり、レイモンドは弟チャーリーを「メインマン(親友)」と呼びます。この映画がヒットし、障害のある人をレインマンと呼ぶ動きが生まれたそうですが(今はどうか分かりません)、障がいのある人を人格も含め、丸ごと受け入れるときに、メインマン(なくてはならない人になるのです,とこの文は結ばれています。

今日も、よい日となりますように。

 日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけくださると、あなたを大切にしておられる神さまが喜んでくださいます。

【聖書】 イザヤ書 43章3節

 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。


 

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2016年11月26日 (土)

『友ありき 与謝蕪村』  渡辺 洋 著

『友ありき 与謝蕪村』  

渡辺 洋 著

ぷねうま舎 2916年9月16日 第1刷発行

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 著者 渡辺 洋 さんは、福岡県八女市出身、1941年生まれ。地理にも弱い私ですが、八女市は、名前からいって「八女茶」(やめちゃ)というお茶の産地ではないでしょうか。 渡辺さんの専門は、応用遺伝学とのこと。

  ◇   □   ○   ※   ☆

  君あしたに去(り)ぬ ゆふべのこゝろ千々(ちぢ)に

 何ぞはるかなる

 君をおもふて岡のべに行きつ遊ぶ

 をかのべ何ぞかくかなしき

 蒲英(たんぽぽ)の黄に薺(なずな)のしろう咲きたる

 見る人ぞなき

 雉子(きぎす)のあるかひたなきに鳴くを聞けば

 友ありき河をへだてゝ住(み)にき

   ◇   □   ○   ※   ☆

 渡辺さんは、「江戸時代の中頃、こんな近代詩的詩句にはじまる「北寿老仙をいたむ」を詠んだ青年蕪村は・・・

 とこの書を初めておられます。

 本当に近代詩のようですね。 与謝蕪村は、絵をなりわいとし、俳諧を趣味とする生き方を臨んでいたようで、そして漢詩文にも親しみ、芭蕉の奥の細道の軌跡を苦労しながらたどった人 ・・・まだ、読み始めてあまり進んでいないのですが、そういう人のようです。

 ちょっと寄り道をしてしまいますが、作家の伊集院 静さんが、こんなことを書いておられます。

   ※   ☆   ○   □   ◇

 与謝蕪村という人物がいる。芭蕉没後、20年して生まれた絵師であり、俳人であるが、この人が芭蕉をいつくしんだ。 私は蕪村の画と句が好きである。蕪村の句は、私の身体の中にすんなりと入り込んだ。

 月天心 貧しき町を 通りけり

 この句と遭遇した時、O・ヘンリーの短編集の一篇を読むような気持ちになった。中世ヨーロッパのキリスト教世界のファンタジーを見る思いがした。

 中略

 (蕪村は)55歳の折、江戸の師であった夜半亭の二世を襲名する・・・その全盛期に蕪村は芭蕉を改めて称賛し、『奥の細道』の全文を書き写し、挿絵を描く。

 五月雨を あつめて早し 最上川  芭蕉

 五月雨や 大河を前に家二軒    蕪村

 私は蕪村の句の方が、身体に入り易い。  後略

   『文藝春秋』 2015年9月号  「文字に美はありや」 第21回 漂泊者の目と書 より 引用させていただきました。

   ※   ☆   ○   □   ◇

 寄り道から戻らずに、この項は閉じさせていただきます。

 うーむ、何しろ、芭蕉も蕪村も 漂白の人生のかたですから、そういうことで、おゆるしくださいまし。

 今日も、よい日となりますように。

 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 

 

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2016年11月25日 (金)

『火花』 又吉直樹さん

 昨年の芥川賞受賞作品を、今週、読みました。図書館で、『文藝春秋』2015年9月特別号を借りることができたからです。この号そのものが「芥川賞発表 受賞作全文掲載」となっていて、選評や、受賞した又吉さんのことばも掲載されていました。第153回平成27年度上半期芥川賞 正賞 時計 副賞 100万円 とのこと。

 私の心に響いてきた『火花』のフィナーレ近くの文章を紹介させていただきます。 状況が伝わるように少し長めですので、ご存じの方には、すみません。熱海での花火大会の場面です。

  ◇   □   ○   ※  ☆

 花火が打ち上がる度に拍手と歓声が響き渡る。場内アナウンスで、大手のスポンサー名が読み上げられ、素晴らしく壮大な花火が冬の夜空に咲く。海岸に降りて観ていた僕達は大いに楽しんだ。熱海では夏場に限らず、一年を通して何度か花火大会があるらしい。次々と企業の名が告げられ大きな花火が上がる。一際壮大な花火が打ち上がり歓声が巻き起こったあと、しばらく間があり、観客達は夜空から白い煙が垂れてくるのを、ぼんやりと眺めていた。すると、スポンサー名を読み上げる時よりも、少しだけ明るい声の場内アナウンスが、「ちえちゃん、いつもありがとう。結婚しよう」とメッセージを告げた。誰もが息を呑んだ。

 次の瞬間、夜空に打ち上げられた花火は、御世辞にも派手とは言えず、とても地味な印象だった。その余りにも露骨な企業と個人の資金力の差を目の当たりにして、思わず僕は笑ってしまった。馬鹿にした訳ではない。支払った代価に「想い」が反映されないという、世界の圧倒的な無情さに対して笑ったのだ。しかし、次の瞬間、僕達の耳に聞こえてきたのは、今までとは比較にならないほどの万雷の拍手と歓声だった。それは、花火の音を凌駕する程のものだった。群衆が二人を祝福するため、恥をかかせないために力を結集させたのだ。神谷さんも僕も冷えた手の平が真っ赤になるまで、激しく拍手をした。

 「これが、人間やで」と神谷さんはつぶやいた。

    ◇   □   ○   ※  ☆

  神谷さんというのは、10年前、この熱海での花火大会のおりに出会って、主人公がお笑いの道の師匠と心に決めた人です。

 この場面、文学って、こういうところが  ・・・ 人間、そして人生って、いいこと・いい時ばかりではない、でも、やっぱりいいものなんだと感じさせてくれるところがあるところがいいんだな と思わせてくれ、心に響いてきました。

 今日も、よい日となりますように。

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2016年11月24日 (木)

新しいぶどう酒は 新しい皮袋に

 NHKテレビの「らららクラシック」で、ベートーヴェンのピアノソナタ、「熱情」が取り上げられていました。

 すごいなぁ、と思ったのは、ベートーヴェンがピアノの改良を製造会社にリクエストして、製造会社もそれに応える努力をしてピアノを改良し続けていたということいたことです。ピアノという楽器が成熟途上にあった時代ということでもありましょうが。

 このときの「らららクラシック」で紹介されたピアノの改善点は、二つ ・・・ 

1.5オクターヴだったピアノが、5オクターヴ半まで鍵盤が増えた

 作曲するときの音域が広がったのですね。歌手の歌える音域が広がることになぞらえて想像していただくと、この改善のもつ大きな意味が伝わってきます。

2.ピアノの下面にあるボタンを膝で押し上げる構造だったのが、現在の足踏み ペダルになった 

  これによって、ピアノにくっついていなければならなかった演奏者がピアノと距離を取ることができるようになり、操作にも自由度が増した ← ピアニストの足の長さにもよりますけれど (^J^)

 今ある楽器の能力の範囲内でできることは最大限追究しながら、楽器そのものの能力を高めることにも尽力する ・・・ ベートーヴェンのすばらしさの一端をうかがい知ることができ、心を打たれました。

 このことから、聖書の言葉を思い浮かべました。教育の世界でも引用されることがあり、比較的、よく知られている言葉だと思います。

聖書  マタイによる福音書 9章17節から 

 人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。 

 生活年齢が高くなったからといって、人は古い皮袋になってしまうわけではありません。 夢をもち、志を高く持つかぎり、人は老いることがなく、日々、内側から新しくなることができるのです。

 今日も、よい日となりますように。

 写真は、散策中に出会った冬イチゴです。ぶどう酒ならぬ冬イチゴ酒が造れるでしょうか。 いえ、 「やはり野におけ すみれ草」という心で、摘み取ることはいたしませんでした。

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 今日は、登山に誘ってくれるほうの妹の誕生日です。おめでとう (^J^)

 

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2016年11月23日 (水)

晩秋の関市 百年公園

 岐阜市の我が家から車で10分ほど・・・関市の百年記念公園で、おそ秋の雰囲気を味わってまいりました。

0007 公園内の博物館の2階、マイミュージアムでは、「能面展」が開かれています。 27日(日)まで。

 とても、静かな中に 私が今まで見たことのない能面も、分かりやすい解説付きとともに展示されていて、何だか、じぶんの人間としての質が、グレードアップしたような心持ちになりました。 ← おそらく、その会場にいる間だけの錯覚だと、思うのです でも、それでも意味がありますよね。

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 クリックしていただくと、環境にもよりますが、少し画像が大きくなるかもしれません。 さて、はたして・・・。

 この公園の駐車料金、博物館の2階のマイミュージアム、いずれも無料です。 能面展は、今度の日曜日までです。 よろしかったら、どうぞ。 北の入り口から入られるのが便利です。 9時半から12時まで、駐車場を入って近くのレストハウスでは ドリンク プラス100円で モーニング、16時半まででしたか、カレー・麺類などの食事もできます。 公園は17時に入り口(=出口)が閉まります。

  勤労感謝の日。 今日も、よい日となりますように。


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2016年11月22日 (火)

わぁ、『クリスマスキャロル』に盲導犬が !!

 びっくりしました。チャールズ・ディケンズの『クリスマスキャロル』に盲導犬が登場しているからです。 こんなふうに・・・

  ◇   □    ○  ※  ☆

 ・・・路上で彼を呼びとめて、嬉しそうな顔をして、「こんにちは、スクルージさん。今度家に遊びに来てくださいよ「という人はいないし、小銭を恵んでくださいという物乞いもいないし、今何時ですかと彼に聞く子どももいなければ、男であれ、女であれ、かつて生涯に一度として、どこそこへの道を教えてくださいとスクルージに尋ねた者は一人もいない。盲導犬さえもが、スクルージのことを知っているようでした。スクルージがやってくるのを見ると、彼らは飼い主を玄関口や路地まで引っ張っていきました。 ・・・

           ◇   □    ○  ※  ☆

 驚いたので、調べてみました。

 『クリスマス・キャロル』が出版されたのは1843年12月19日 ・・・ 今から170年以上前のことになります。

 盲導犬の歴史を調べてみると、初めての盲導犬の育成学校はドイツのオルデンブルグというところに1916年8月に創られたとあります。百年ほど前ですね。

 正式の訓練校の創立は、そういうことらしいのですが、盲導犬の歴史そのものは、そのずっと以前、、13世紀の中国で描かれた絵に、杖をもった人をひもを引っ張りながら歩いている犬が描かれているそうです。同じような絵が、何と、火山の噴火によって一晩で埋もれてしまったポンペイでも見つかっているそうです。

 それぞれの時代に、いろいろな手立て・工夫をしながら、それぞれの国の人が生活を築いてきたこと、その尊い歩みを感じました。

 あの『アルプスの少女ハイジ』に、山を訪れたクララの車いすが家に入れるように、おじいさんが壁と戸口を広げる大工仕事をしたことが書かれていたのを読んだときには「あっ、これはまさにバリア・フリーのための営みだ」と感動したことを思い出しました。『ハイジ』は1880年から1881年にかけて執筆されたとのことです。

  もちろん、現代もハイテクを活かしていろいろな営みがなされていることが報道されていますね。・・・ そのもととなるあたたかな心が、ずーっと昔から脈々と流れ、受け継がれてきていることに、思いを馳せる機会が得られたことを喜んでおります。

 今日も、よい日となりますように。

 11月22日 ・・・いい夫婦の日 ・・・ お幸せに (^J^)  うーん、「笑点」の司会者、春風亭昇太さんは、こういう日をどんな思いですごすのでしょうね。 「ほっといてくれ  ヤマダくん 座布団取り上げて 」 でしょうか。

 人には、いろいろな事情、巡り合わせが ・・・ どなた様にも その方に合ったよい日でありますように。

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2016年11月21日 (月)

八木重吉の詩  『秋の瞳』 から

詩集 『秋の瞳』 から

 八木重吉  作

 私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。
おほぞらのこころ

わたしよ わたしよ
白鳥となり
らんらんと 透きとほつて
おほぞらを かけり
おほぞらの うるわしいこころに ながれよう
だれでも みてゐるな、
わたしは ひとりぼつちで描くのだ、
これは ひろい空 しづかな空、
わたしのハイ・ロマンスを この空へ 描いてやらう
わたしみづからのなかでもいい
わたしの外の せかいでも いい
どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であつても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るといふことが 分りさへすれば、
ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ
うれしきは
こころ 咲きいづる日なり
秋、山にむかひて うれひあれば
わがこころ 花と咲くなり
 
 このブログ、しばらく長文が続いたように思いますので、今日は、詩を紹介させていただきました。
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   昨11月20日、私の通うキリスト教会の会堂・・・礼拝を献げるところ・・・を整えてくださったお花の写真です。すてきなクリスチャン親子のコラボレーション、ありがとうございます。
 
 よい日、そしてよき今週となりますように。

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2016年11月20日 (日)

『朗読による クリスマス・キャロル』  ディケンズ

『朗読による クリスマス・キャロル』 

チャールズ・ディケンズ  作

井原慶一郎  訳

K & Y カンパニー 2011年12月1日 第1刷発行 

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 昨日の 「Doing」「 Being 」について、この『朗読によるクリスマス・キャロル』 の 最初のほうに書かれている 強欲な企業家、スクルージと、彼の甥がクリスマスイブに発している言葉を通して、深めてみたいと思います。

 イギリスの子どもたちは、クリスマスが近づくと、この名作を読んでもらうことが多いそうです。

 まず、スクルージが彼の会社の事務員に言っている言葉から。

   ◇    □    ○    ※    ☆

「明日はまる1日休みが欲しいというんだろうな」

事務員 「よろしければ」

「よろしくはない。それにフェアでもない。もし明日の分の半クラウンをわしが支払わないといったら、お前は、きっと、自分はひどい扱いを受けていると思うんだろう」

事務員「・・・・・・」

「それなのにお前は、仕事をしない日の賃金をわしが払うことに関しては、わしがひどい扱いを受けたことになるとは思わんのだろう」

事務員「1年に1度のことですから」

「毎年12月25日に人さまのポケットから小銭をちょろまかす言い訳にははなっとらん! しかし、どうしても明日1日休みが欲しいというのなら、あさっての朝はいつもよりずっと早く出てくるんだ。わかったな!」

    ◇    □    ○    ※    ☆

 徹底的に「Doing」 の目線ですね。

 今度は、こうした考えのスクルージに甥が語っている言葉です。

   ☆   ☆    ☆   ☆   ☆

スクルージ 「クリスマスなんか祝って何になる! クリスマスがお前になにをしてくれた!」

「お金にならなくても、ためになることはたくさんありますよ。なかでも クリスマスがそうです。僕はクリスマスの時季がくるといつもそれを、ありがたい日だと思うんです。親切と、寛容と、慈善と、喜びの日。一年の長いカレンダーのなかで、この日だけは、みんなが心を一つにして、普段閉じている心の殻を破って楽しく付き合うんです。

 そして困っている人たちのことを、別の目的地に向かう赤の他人ではなく、つかの間の人生をともに生きている同じ旅の仲間と考えるんです。だからね、おじさん、銀貨や金貨の一枚が僕のポケットに入るわけじゃないけど、クリスマスは僕のためになるし、これからもそうだと信じています。だから、クリスマス万歳!」

     ☆   ☆    ☆   ☆   ☆

  「 Being 」 の心が伝わってくる言葉だと思います。

 この物語のスタート地点では、対照的で相容れない二人 ・・・ では、フィナーレではどうなるのでしょうか。

 美しいアニメ映画にもなっていますし、きっとご存じですね。

 実は、遙かな昔、小学6年生のクリスマスにこの物語の劇に出演したので、私には思い入れの深い物語なのです。 私の役は ・・・ 何とスクルージだったのです。  適役 ?  うーむ ・・・ そうかも・・・

 今日も、よい日となりますように。

 日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけくださいますように (^J^)

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2016年11月19日 (土)

「Doing」 と 「Being」

  「Doing」 と 「Being」 ・・・初めて、この二つを並べて書いてある文章を読んだときに、印象に残りましたので、英語で始めましたが、よろしくお願いいたします。ご了解ください。

  「Doing」 は、「為すこと」です。たとえば、入社試験で、面接官が「あなたを我が社が採用したら、あなたは我が社にとってどんな利益のあることをしてくれますか」という問いを発したら、それは 「Doing」の面から、その人を評価しようとしているのです。
 会社は、給料を払う。その見返りにあなたは、会社の利益に貢献する「Doing」に励みなさいということになるわけです。黒字にならなければ、給料が払えなくなるので、この考え方は、合理的なのですが、経済優先が進むと、働く人の幸せを視野の片隅からも見失って、経済一辺倒になってしまうという落とし穴がぽっかりと口を開けているところが要注意なのです。
 そうなると、「給料は高いけれど、わが子と一緒にすごす時間がほとんどもてない」とか、「生活に追われて疲れてしまい、笑顔で育児なんて無理」ということにもなりがちです。
 日本を訪れる外国の人のなかには、「いそがしく働いて、高い物をたくさん持っているのは認める。でも幸せそうには見えない」と感じるかたもあるようです。
 経済的には豊かではないけれど、幸せだと感じている人が多い ・・・そういう国のことを知っているかたは多いと思います。 日本にも、脱サラして、あまりお金は入らないけれど充実感は以前とは比べものになりません と笑顔で語るかたはおられます。もちろん、脱サラしなくて、充実感のある生活に励んでおられる方が大部分でしょうけれど。
 さて、「Being」に目を移したいと思います。「Being」「存在すること」です。
 そこに居てくれることそのことが嬉しい ・・・ その代表格は、そう、幼な子ですね。人が幼な子の世話をするとき、それは将来、大物になってこの世話に報いてくれるようにというような見返りを期待するからではなく、その幼い命そのものを喜んでいるからではないでしょうか。 幼な子だけでなく、カルカッタで路上で死に瀕している人に手をさしのべ、一生をささげたマザー・テレサは、その相手の「Doing」 ではなく 「Being」を大切にしたのです。
   ◇    □     ○    ※    ☆
 入社試験と育児 ・・・ 大きく異なる場面で 「Doing」 と 「Being」の違いを述べようとするのは、我れながら無理があるように思えてきました。
 今日はここまでにさせていただいて、またチャレンジしたいと思います。あなたも、よろしかったらご意見くだされば幸いです。
 今日も、よい日となりますように。
 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。
【聖書】
 わたしの目にはあなたは高価で貴い。わたしはあなたを愛している。
 

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2016年11月18日 (金)

『柿日和』 坪内稔典さん

『柿日和 ー喰う、詠む、登るー』 

坪内稔典 著

岩波書店 2012年9月13日 第1刷発行

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「柿日和」は、秋の季語、柿がたわわに熟れた豊かな感じの日和だそうです。

  この本で稔典先生は、柿を詠んだ句を縦横無尽といってよいほどに引用・紹介なさるほか、柿の博物館の柿の問題で百点満点をとられたことのあるほどの博識を披露してくださっています。

 楽しく、いろいろなことが学べます。葉桜の季節に、柿の梢が目立ち始め、ひときわ鮮やかな緑の若葉がつややかに日に濡れる・・・それが「柿若葉」、晩秋に見事に紅くなる柿の紅葉、それが「柿紅葉」とのこと。

 ◇    □     ○   ※   ☆

 まじめな顔をしてその友人は言った。「坪内さん。法隆寺ってハイテク(ハイテクノロジー)寺院ですか」

   ◇    □     ○   ※   ☆

 そのご友人は、中学生のとき、正岡子規の俳句「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」を覚えて以来、法隆寺には、柿をがぶりとかじると鐘がゴーンと鳴る仕掛けがあるのではないかと思い、いつの日か確かめたいと思いつつ大人になったのだとか。 ・・・稔典先生は、この質問を聞いたとき、とても喜んで子規の話をしながら友人と酒を楽しんだとのことです。

◇    □     ○   ※   ☆

 お人柄も伝わってきて、楽しいですね。

 柿の渋のことについても次のように明快です。

◇    □     ○   ※   ☆

 渋が抜けるとは、タンニンという成分が凝固し、水に溶けなくなること・・・タンニンの凝固は種子の有無、種の数、生育地の気象条件など、いろんな要因によって生じる

 渋柿はアルコールや炭酸ガス、あるいは湯につけたり米びつの米に埋めたりして渋を抜く。もちろん、干すのも渋を抜く有効な方法だ。

    ◇    □     ○   ※   ☆

 とお詳しいです。

 桃 栗 3年 柿 8年 の続きについても、地方によっていろいろあること・・・たとえば、「柚(ゆず)は遅くて18年、銀杏(いちょう)の馬鹿の30年」などが紹介されていて、おもしろく読める本です。

 よろしければ、どうぞ。

 今日もよい日となりますように。

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2016年11月17日 (木)

バッタ バッタ

 16日は、朝から庭に注ぐ陽光に誘われて、外に出ました。すると、一匹のバッタがいました。ほうーと見ていると、もう少し小柄のバッタが現れ、ホーと見ていると、大きいほうの背中にのり、えーと、おんぶバッタというのでしょうか、そういう光景が出現しました。

 けれど、頭の向きがそろっていないように見えました。そこをカメラに収めたのですが、残念ながらピントがうまく合いませんでした。

 以下の写真は、その続きです。

Photo
 多分、どうもあんばいがよくないということで、向きを変え始めたのですね。

 そして・・・

Photo_2
  こんなふうに、顔の向きがそろいました。 めでたしめでたし でしょうか。

  でも、しばらくして見ると、大きいほうだけが、散策している様子でした。どうも、生態がよく分かりません。 でも、向きを変える写真が撮れたのは初めてでしたので、嬉しくて掲載させていただきました。

  コオロギとバッタの耳 ・・・以前、調べて、それぞれ思いがけない位置にあることを知りました。 興味のあるかたは、調べてみてください。

 写っている葉っぱは、ミント ・・・ハーブの一種だそうです。

 このミントは、ハッカなのかとムーミンママに尋ねましたら、ミントの花は葉っぱから離れて穂状だけれど、ハッカの花はハッパのそばで冠のように咲くのだそうです。ハッカの葉は葉脈が柔らかく、天ぷらにするとおいしいとのこと。

 国語科である私の知識は、ハッカは「薄荷」と書き、それは、かさばらない量でも、けっこう高価であったことと関わりがあるのだ、と何かで読んだことがあるところで、止まっていました。 うーん、ミントと薄荷をイクオールで結んで一生を終えるところでした。 ← やや大げさに書いてしまいました。すみません。

 難問をバッタ バッタ と薙ぎ倒し、ハーブの香りのようにさわやかなよい日となりますように。


 

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2016年11月16日 (水)

ホトトギスの花

 植物のホトトギス。鳥のホトトギスの胸のあたりの羽毛の模様と似ているということから、この名が付いたそうです。

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  この写真は最近、庭で撮ったものですが、夏以降に咲くことから、夏の季語となっているそうです。8月~11月が花の時期とあります。

 花言葉は、花の時期が長いことに基づくようですが、「永遠にあなたのもの」・「永遠の若さ」・「秘めたる意思」 ・・・ なかなか粋(いき)ですね。 東アジアに19種類が分布していて、そのうち、10種類が日本固有とのこと。色は、紫・白・黄色・ピンクがあるそうです。

 ユリの仲間で、英名は、 Japanese toad liliy だとのこと。

 可憐に咲いている小さな花も、調べてみると豊かな世界が広がることを感じました。

 今日も、よい日となりますように。

 

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2016年11月15日 (火)

つるし柿

  実りの秋、柿をたくさんいただきました。そして、こんな光景が誕生しました。

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 うーむ、すてきな眺めですね。 こうして日の光にあてて干しておくと、渋柿がとても甘いつるし柿になるのは、どうしてでしょうか。 多分、解明されていて、化学式もあるのだと思います。

 けれど、渋柿 → 甘く、おいしい柿 への方法が見つかるまで、きっとたくさんの人がいろいろ試み、中には、余計に渋くなってしまったという結果に終わった人もいたのではないかと想像しています。

 渋柿があるのは、この方法を知らないカラスなどから実を守って、多くの人が喜びつつ味わうためでしょうか。おお、その前に、そもそも、カラスに渋い・甘いという味覚があるのでしょうか。

 どなたか、渋柿をつっついて、顔をしかめて飛んでいったカラスを見たことがおありですか? カラスのしかめっつら ・・・そんな映像があるとしたら、見たいですね。

  あれこれと疑問を連ねて、すみません。ご多用の中、このブログを訪れてくださったかたがたにお詫び申し上げます。

 待てば海路の日和あり。いろいろ考えるのは、なしにして、この柿たちをおいしく食べられる日の来るのを楽しみに待つことにいたします。 

  いただいた柿がおいしくなることは、この柿を収穫してくださった青年のお母上が作られたつるし柿がおいしかったことで証明済みです。息の合った親子の連携の恵みに感謝いたします。本当にありがとうございます。

 今日も、よい日となりますように。

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2016年11月14日 (月)

納豆はお好き ?

 サガンという人に「ブラームスは お好き」という小説があったように思い、今日のタイトルは、それをまねてみました。

 実は、「納豆どんぶり」のことを以前にも書いたことがあるのですが、今回、めずらしく私の写真を伴侶が褒めてくれましたので、タイトルだけ変えて、掲載させていただくことにいたしました。
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 右上の細ネギは菜園から収穫したてのを、刻まずにあしらってみました。 ← お察しの通り、家内がです。 私には、こういうセンスはありません。 これから身につく かな ?
 納豆そのものがお好きでない方には、関心を持っていただけないことでしょうね。実は、家内も納豆が好きではありませんでした。 けれど、あるお家で、「さあ、どうぞ」と納豆が登場したとき、義理堅さからと申しましょうか、家内は決心して、食べたのです。
 すると ・・・ 予想に反して、美味しかったのです。 家内の場合は、納豆に関しては食わず嫌いだったのですね。
 さあ、それから1週間というもの、私は家内が納豆を刻む音で目が覚めるのがならいとなりました。 初めて口にしたのが、刻み納豆だったのです。 トントントントン  トントントントン トントントントン トントントントン
 そのうち、刻まない納豆に挑戦し、それも美味しいことが分かってから、トントントントンという音はしなくなりました。 我が家に納豆が堂々と登場することになったいきさつは、上記のようでした。 そのきっかけを作ってくださった方、ありがとうございます。
 さて、納豆どんぶりの作り方です。
 とても簡単です。
・サラダ油あるいはオリーブオイルをフライパンにたらして、点火。
・あたたまったら、納豆をフライパンに。 
・納豆をドーナッツ型に広げて、ドーナッツの穴に当たる部分に卵を割って落とす。 
・フライパンにふたをする。 
・ほどよいところで、暖かいご飯の上に 納豆に囲まれた目玉焼きを移す。 
・納豆のタレ、あるいは醤油をかける。 
・ネギなどを添える。 黒コショウをふる。 鰹節をかける。  
※ 写真を撮った後で今回は鰹節をのせました。
 私にも、(見栄えは別として) 短時間で作れるようになりました。 よろしければ、どうぞ。
 今日も、よい日となりますように。
 11月14日 ・・・ 二男の誕生日です。 幼いとき、気象衛星ひまわりのニュースが大好きでした。 ある日、新しいひまわりが打ち上げられたニュースを見てひとこと。
「なーんだ ほんとうのひまわりじゃなかったのか」  地球の周りをひまわりの花がまわっていると思っていたのですね。 とーっても昔のことです。  誕生日、おめでとう。

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2016年11月13日 (日)

大きな目と心で

 おはようございます。 昨日に続いて、イチョウの木の写真で、申しわけありません。けれど、印象がだいぶん異なることと思います。 そうです。今日のは青空が背景で、明るい陽ざしのなかで撮影したのですね。
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 そして、後方の建物は岐阜市の幼稚園です。この幼稚園は、残念なことに少子化に伴って廃園となったのですが、育った子どもたちは、元気に成長していろいろなところで、活躍しています。 昨日掲載した夕暮れが迫る街の中で撮影したイチョウの木の写真とは、こんなにも印象が変わってくるのですね。
   昨日は、生と死のことについて書かせていただきました。私の手に余ることを書いてしまい、振り返って恐縮しています。 「虎は死して皮を残し、人は死んで名を残す」という言葉がありますが、今日は、そのことについてある牧師さんのお話を紹介させてください。
  以下は、昨11月12日の関根一夫さんという牧師のメール通信からの引用です。、こんなお話でした。
聖書の言葉 「箴言」 11章30節
神に従う人の結ぶ実は命の木となる。知恵ある人は多くの魂をとらえる。
+++
  神様に教えられつつ、謙遜に生きる人の後ろには「人を生かす実」がついてきます。
「実」はその人の生きた結果、結ばれるものです。
  この箴言の言葉を借りれば、神に従い続けた人、神の心を求めつつ生きた人は、その結果「人を生かす実」をたくさん結実させたことが「他者」によって、また「神」によってわかることになるのです。
  自分の人生の結果としての「実」は、自分ではわからないことも多くあるように思います。また、不遇な作曲家や芸術家の傑作は彼らは死んでから、大いに評価され世の人に知られることになったというものがたくさんありますが、これなどは、「実」を生きている間に味わえなかった実例なのかもしれません。
  でも、間違いなく誰かを癒し、誰かを励ます音楽や絵画をこの世に残し、それによって実が結ばれたと評価されることになるわけです。
  もしかすると、私たちはあまりに近視眼的に「実」を求める傾向があるのかもしれません。神様に従い、礼拝の心を大切にしながら、与えられた役目を丁寧に果たし、与えられた能力を活用し、怠惰にならないよう心がけながら生きる時、いつになるかわかりませんが、「実」はどこかに稔っているはずなのだと思います。  後略
    ◇    □   ○   ※   ☆
 たとえば、多くの人に、愛され、親しまれているバッハの名曲は、バッハの死後、メンデルスゾーンが楽譜に巡り合って演奏するまで、実に長い年数、眠り続けていました。そんな風に発見されることなく、今も眠り続けている素晴らしい作品が、まだまだたくさんあるのではないかと思えてきました。
 人生の実りを、大きな目・大きな心で見つめてみたい、と思います。
 今日も、よい日となりますように。
 日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけくださいますように。

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2016年11月12日 (土)

銀杏の木

 あなたも、どこかでご覧になっているでしょうか。黄色い葉をいっぱいまとった銀杏の木を。

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  これは、一本の銀杏の木です。銀杏公園というところには何本もの銀杏が立っています。早い、遅いはあるのですが、緑色だった葉が、どんどん黄色くなり、そして・・・そして、散るのです。 そう、一枚残らず。

 日本で「死生学」を講じ始めたデーケン先生は、講演の始めに、よくこうおっしゃるそうです。

 「みなさん、大事な発表があります。この世に生を享けた人の死亡率は、実に100%であることが判明しました。」

 会場は、明るく笑い、そしてしーんと静まる ことが多いようです。

 人間は、いつかこの世での生命を終える そのことは、ようく知っている。けれど、っそれは他の人のことであって、自分は死なないと思っている、あるいは思おうとしているというのが、正直なところではないでしょうか。

 私は、通勤していたとき、ほとんどは車を運転して通いましたが、都合があってバスに乗ったときがありました。そのとき、事件は起こったのです。なんと「どうぞ、お座りください」と席を譲られたのです。

 とても大きなショックを受けました。いいえ、感激したのではありません。わたしの目には、明らかに私より年配に見えていた女の方が、そう言いながら席を譲ってくださったからでした。

  同級生がだんだん老いてゆくのはいろいろな場面で見てきました。でも、自分は、同じ年齢の割には若いと思っていたのです。ごく自然に、その女の方は座るように声を掛けてくださったので、とっさに笑顔を浮かべて(引きつって見えた可能性が高いのでしょうけれど) ご厚意・好意を受けました。

 でも、その日、一日、バスから降りた自分がどんな仕事をしたのか、思い出せません。

 ごめんなさい。ここまで読んでいただいても、暗くならないでくださいね。むしろ、明るい笑顔で、「ムーミンパパは、自分が老いていることを認めたくないんだな」と読んでいただいているほうがありがたいのです。

 けれど、紅葉・黄葉を美しいと愛でると同時に、やはり、少なくとも時々はデーケン先生のおっしゃった言葉を正面から自分のこととして受けとめて考える時間を作らなければ、と今日は真面目に思っている私です。

 『葉っぱのフレディ』という本をご存じでしょうか。 日野原重明先生は、この本を訳し、ミュージカルに仕立てて、アメリカに行って、ステージで歌い、踊られたのですね。 軽やかにとは言えないかもしれませんけれど。 もし、機会がありましたら、お読みくださればと思います。童話に託して、死と生をテーマに書かれた本です。

 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけください。

 今日も、よい日となりますように。

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2016年11月11日 (金)

変身願望 ?

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 私は、ゆるやかなダイエットを心がけ、「ムーミンパパ → スナフキン」へと変身しようと時々口にしているのですが、いただいたビスケット袋に、たまたまこの二人が一緒に登場しているを目の当たりにして、思いました。 

  うーむ、「ムーミンパパ → スナフキン」への変身は、どうもむずかしそうだと。

 そこで、考えました。「ムーミンパパ → スナフキン」への変身は無理がある。 それに、ムーミンパパにはムーミンママがいるけれど、スナフキンにスナフキンママはいない。  ここは、変身をやめて、少しスリムなムーミンパパを目指せばいいではないか。 実際にここ2年で数キロ体重が減少し、特定健診の結果も赤い文字の項目が減って、お医者さんが一緒に喜んでくださいました。 「もう数キロを健康に減らせば、血圧の薬を飲まなくてもよくなりますか」とお尋ねしましたら、「もう少し減量できたら、それは、可能です」とのこと。

  このお医者さんは、昨年、「顔が黄色くなっていますね」と一目で黄疸になりかけだった症状を見て取り、おかげで私は胆嚢の摘出手術までの道のりをスムーズに進むことができたのでした。

  このお医者さんと相談しながら、健康でスリムなムーミンパパへの道を歩んでいきたいと思います。 ちなみに、105歳の現役医師、日野原重明先生は、「ちょいふと」(少し太め)のほうがお年寄りの健康生活だと書いておられます。

 ◇   □   ○   ※  ☆

 そういうわけで、無理な変身をして「あなたは、どなたでしたっけ」と親しい方に見間違われるおそれをなくすことにしましたので、これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

 一日一万歩はなかなか歩けませんが、数千歩は歩き、古稀を迎えると岐阜市の体育施設の卓球台も無料で利用できるようになっているようですので、卓球を身体に思い出させようと考えています。

 そういえば、味覚・食欲の秋、読書の秋、芸術の秋について書くことはありましたが、スポーツの秋について、あまり意識していなかったように思います。 意識して取り組みますね。

 なお、このビスケットの袋に、こんなことが書かれています。

ムーミンパパ

 シルクハットをかぶり、ステッキを持っている。海と自由と危険、そしてキャラメルを愛する冒険家。

スナフキン

 ムーミンの親友。自由と孤独をこよなく愛し、ひとり気ままに暮らしている。規則が大嫌い。

 うーむ・・・ そろそろ、ムーミン谷の住民は、松葉をお腹に蓄えて冬眠に入り、スナフキンは旅に出る、そんな季節ですね。

 今日も、よい日となりますように。

 

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2016年11月10日 (木)

卵のフライ  枝元なほみさん

 卵フライ、以前、ご紹介したような気がいたしますが、今回は写真がきれいにとれたということで、アンコール掲示です。

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  おいしそうでしょう !  おいしいんです (^J^)

  フライパンに大さじ1~2杯の油を入れ、強めの中火で熱する。油が温まったら、まず、卵1個分あたり大さじ1くらいのパン粉を油の中に入れ、菜箸(さいばし)で、ちょっと広げ、この上に卵を割り落とす。

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 するとフライ衣を作るときに、卵をつけてからパン粉をつけるのと同じで、パン粉と卵が必ずくっつくんですね。卵の上にも、パン粉をパラパラと大さじ1くらいまき、中火にしてフライパンの中の様子を見ます。下のほうのパン粉が少し色づき、白身が固まってきて「返せそうだな」と思ったら、フライ返しなどでひっくり返す。で、裏面もこんがりするまで挙げ焼きする。 これで完成。

 『枝元なほみの おしゃべり レシピ はるなつあきふゆ5のごはん』 から。

 河出書房新社 2005年5月20日 初版発行

 よろしければ、どうぞ。 なお、実際の調理、写真撮影は、ムーミンパパの伴侶によるものです。

 今日も、よい日となりますように。

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2016年11月 9日 (水)

飛騨市 古川町の銘菓

  私のふるさと、高山のJR駅が新しくなったことは、ニュースで見かけました。まだ新しい高山駅を訪れてはいないのですが、楽しみにしています。岐阜市の友人ご夫妻はワイドビュー飛騨に乗って訪れたそうで、元地元市民としては感謝しています。

  さて、その高山市と隣接している飛騨市古川町の銘菓をいただきました。

0008 味噌煎餅です。

  「ちょこっと珈琲入り」と、「ちょこっとえごま入り」の二種類があり、「ちょこっと」とあるのは、お察しの通り、チョコレートのことです。

 えごまは、飛騨ではあぶらえと呼ばれています。そういえば「えごま油」もよく健康食品として名前が上がるようですね。

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 創業百年という自家製味噌がベースとなっているこの味噌煎餅・・・全国菓子大博覧会名誉大賞・日本交通公社社長賞・岐阜県知事賞を受賞している飛騨名産だそうです。

 おいしくいただきました。ありがとうございます。

 余談です。私は高山市出身ですが、生まれたのは、このお菓子と同じ古川町弐之町です。幼い内に高山市三之町に引っ越しましたので、物心ついて自分がこの世に生きていることに気がついた記憶は、高山市から始まっています。

 古川町については、起こし太鼓の祭り、NHKの朝ドラに登場した和ろうそくのお店があること、音楽祭が開かれていること、最近ではアニメ映画「君の名は」の舞台となっていることなどをご存じの方はご存じだと思います。

  とりとめのない記事にここまでおつきあいいただき、ありがとうございます。

 今日も、よい日となりますように。

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2016年11月 8日 (火)

元気になる書 「再生」 武田双雲 書

0002_2 書道家 武田双雲さんの「書で元気に」第19回 NHKテキスト 『きょうの健康』2016年」10月号から引用させていただきました。

 武田双雲さんは、幼いころからよく怪我をされたそうです。冒険心が強いのですね。自転車に乗っている時に目をつむってどこまで行けるのだろうとそのまま地に落ちて大怪我。中学2年の時、休み時間にテニスコートの審判台から飛び降りたときに救急車で運ばれ、30針を縫う大怪我をなさったそうです。その傷跡は今でも残っているものの、後遺症もなく治ったことに驚いたとのこと。

 ◇   □   ○   ※  ☆

 ・・・僕は驚きました。【治る】ということのすごさに。なぜ再生できるのか、どのようなメカニズムで再生するのかということに興味を持ちました。それから細胞の本を図書館で借りたりして、のめりこんでいきました。・・・人間は約37兆個の細胞で構成されていると言われています。肌を構成する細胞、免疫を司る細胞、神経細胞、消化のための細胞など無数にあります。僕が大けがした時なんかもいろいろな細胞が手を組んで補修工事をしてくれた。もしかしたら過去に傷ついた心も細胞が癒やしてくれているのではないかとさえ思えてきます。今一度原点に戻って自分の身体に感謝したいと思います。

  ◇   □   ○   ※  ☆
  
この文のタイトルは「再生してくれる自分の体に感謝」です。

 デ・アミーチスの書いたクオレ物語の中で語られた「母を訪ねて三千里」で、マルコが苦しい長旅をして、ついに母親の病床にたどりつくことができたとき、母親は治癒が難しい状態から快復への力が湧いてきました。そういう力が人間の心と身体に備えられていることは、確かだと思っています。双雲さんのように、「再生してくれる自分の体に感謝」していると、備わっている力も意気に感じて前向きになって、さらに活性化してくれるのではないでしょうか。そうあってほしいですね。

 今日も、よい日となりますように。




  

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2016年11月 7日 (月)

ユーモア話

  笑いは元気のもと ということで、ユーモア話を ・・・

1.料理番組で、小林カツ代さんがイワシの料理をしていたとき、質問が出ました。

 「イワシを焼くとき、頭の向きは どのようにしたらいいでしょう」

小林カツ代さん 「 向きは、こだわらなくてよいですよ。イワシが会議するわけではありませんから」

2 .ある神学生が、試験を受けていて難問に苦しみ、答案用紙にこう書いて提出しました。

  「答えは、神のみぞ知る」

 しばらくして届いた合否の通知には次のように書かれてい た。

  「あなたの答案によって、神は合格しました。けれど、あなたは、残念ながら不合格です。」

  張り切って仕事に出かけようとしている月曜日の朝から、こんな内容のブログだと、力が抜けてしまう、とお思いになった方、すみません。

 でも、インドの詩人、タゴールは申しました。

 張り詰めすぎた弦は、よき音色を奏でることができない

   ◇    □    ○    ※    ☆

  適度なユーモアは、人生のスパイス (^J^)

  今日も、よい日となりますように。

※ 今日の記事、書いていたのですが、掲示が遅れました。 心のどこかに朝からこういう内容は控えようかなという思いがあって、今の時間になったという、そういう成り行きになるぶんしょうだったのだなと思っています。すみません。

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2016年11月 6日 (日)

『郷愁の詩人 与謝蕪村』 萩原朔太郎 著

『郷愁の詩人 与謝蕪村』

 萩原朔太郎 著

岩波文庫 1988年11月16日  第1刷 発行

       2016年4月15日   第28刷 発行

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 この表紙にも書かれていますが、与謝蕪村をいち早く認めたのは正岡子規だそうです。そして詩人 萩原朔太郎さんが与謝蕪村(よさ ぶそん)を郷愁の詩人として、みずみずしい浪漫性を認めたのだそうです。そして、書きあらわしたのがこの本なのですね。

 NHKラジオ深夜便で、そのことをお聞きになった方から、この本のことを教えていただきました。 序文から少し引用し、紹介にかえさせていただきます。

  ◇    □     ○   ※   ☆

著者(萩原朔太郎さん自身)は専門の俳人ではない。しかし元来「詩」というものは和歌も俳句も新体詩も、すべて皆ポエジイの本質においては同じであるから、一方の詩人は必ず一方の詩を理解し得べきはずであり、原則的には「専門」ということはないはずである。専門というべきものは、単に修辞の特殊的な練習にのみ存しおり、感傷上には存在の区別がないはずである。しかも今日の日本では、僕らのいわゆる詩人(「新詩人」)が、他の伝統詩の歌人や俳人に比して、比較的に自由な新しい鑑賞眼を所有している。 (中略)

 著者は昔から蕪村を好み、蕪村の句を愛誦していた。しかるに従来流布している蕪村論は、全く著者と見る所を異にして、一も自分を首肯させるに足るものがない。

 よって自ら筆を取り、あえて大胆にこの書をあらわし、著者の見たる「新しき蕪村」を紹介しようと思うのである。 

 もとより僕は無学にして、文献に暗く、考証などに笑うべき蒙失があるかもしれない。しかし著者の意はその辺の些事になくして、蕪村俳句の本質を伝えれば足りるのである。

 読者乞う。これを諒してこれを取読せよ。

        ◇    □     ○   ※   ☆

  何と申しますか、凛としていて歯切れがよい感じですね。

 高い山同士は、間に雲など、視界を遮るものがなければお互いを眺め合うことができる道理ですが、人間同士にも、そういうことはあるのでしょうね。よい出会いは、時代を超えて成り立ちうるという好例かもしれません。

 今日も、よき出会いにつながる日となりますように。

 日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけください。

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2016年11月 5日 (土)

『健康に長生きしたければ 1日1曲歌いなさい』

『健康に長生きしたければ 1日1曲歌いなさい』

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著者

斎藤一郎 医学博士

周東 寛 医学博士

EIMI        ボイストレーナー

田才 靖子 スタジオボーカリスト

監修 日本音楽健康協会 2015年10月8日 第1刷

 ◇     □      ○    ※    ☆

  著者が多いのは、それだけ多くの分野の専門家から、歌うことがどのように健康寿命を支えるかを根拠を上げて論述し、奨励したいという構えからだと思います。

  歌手のかたが長命な例はたくさんあると思います。

 この本は5章で構成されているのですが、全部の章を上げると、差し障りが出てくるでしょうから、第1章と第2章の項目を画像で紹介させていただきます。 クリックすると、少し見やすい大きさになると思います。

Photo  「過ぎたるは及ばざるがごとし」という言葉もありますので、過度にならずに適度に実行していただくのがよいと思います。

  歌ではありませんが、ショパン・ピアノコンクールで優勝したブーニンも、自宅でピアノを練習することを近隣の方から訴えられて裁判になったことがあるそうですから、歌う時間、音量、周囲との兼ね合いなど、ご配慮くださって、歌に親しみ、ますます健康になっていただければと願う私です。

 今日も、よい日となりますように。

 明日は日曜日。キリスト教会の礼拝にお出かけくださると、あなたを愛している神さまが喜んでくださいます。

聖書

 わたしの目には、あなたは高価で貴い。わたしはあなたを愛している。


 

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2016年11月 4日 (金)

秋から冬へ

  私の通っているキリスト教会の周囲は自然に恵まれていて,なかなかすてきです。

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  ドングリ、ザクロ・・・そして睡蓮の咲く池があり、その池には、カモ、そして用心深くてなかなか写真に撮れませんがカイツブリもいます。 ← 自信はありませんが、多分そうです。

  あなたは、どんな自然を楽しんでおられるでしょうか。

  どうか、豊かな自然に恵まれていますように。

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 11月初旬も進行中。   今日も、よい日となりますように。

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2016年11月 3日 (木)

11月の庭

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   11月初旬の庭です。庭の担当は、もっぱらムーミンママ。

 畑はムーミンパパが主任で、今のところ、里芋、小松菜、パセリ、細ネギ、ラディッシュが植えられています。 菜園主任と申しましても、頼りになる上司がいますので、大いに上司に活躍いただいております。

 今日は、文化の日。 宮城谷昌光さんの著書に書かれている「正しいことが必ず力をもつ。これを文化という」 ・・・このことばが、心に響いている私です。だいぶん前に読んだことばですけれど、無理が通れば道理引っ込むという事例をいくつも数え上げることのできる世の中ですので、よけいにこのことばを忘れることができずにいます。

 今日も、よい日となりますように。

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2016年11月 2日 (水)

『ピアノの巨人 豊増 昇』

『ピアノの巨人 豊増 昇(とよます のぼる)』

小澤征爾・小澤幹雄 編著
小澤昔ばなし研究所2015年12月21日 初版発行
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  小澤征爾さんは、中学校時代から、この豊増 昇先生にピアノを教えていただいていたそうです。
 ラグビーにも夢中だった小澤さんが、中学三年生になる春休みの試合で指を痛めてしまったときに、「ピアノだけが音楽じゃない。小澤君、指揮というものがあるよ」と活路を示したのが、この豊増先生だったということです。
 小澤さんがお母さんに相談すると「指揮なら、親せきに斎藤秀雄という指揮者がいる」・・・お母さんのおじいさんと斎藤先生のおばあさんが仙台で兄妹だとか( ← 本文に、こう書かれているのですが、お分かりですか。私の頭は、どうもこういう関係がさっと呑み込めない仕組みになっているようです)
 とにかく、高校を卒業した小澤さんは、桐朋女子高校音楽科の第一期生として入学し、斎藤秀雄先生に指揮を学ぶことになりました。  ← そうなのです。この女子高校、音楽科だけは男女共学だったので、四人の男子が正式に生徒だったのだそうです。
 うーむ、話がなかなか進まないので、あとは、この本の帯の写真で概略を紹介させていただきますね。 よろしかったら、お読みください。 豊増昇先生が気概と豊かな見識・実力を備えたすばらしいピアニスト・教育者だったことが伝わってまいります。
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  ベルリンフィルと協演した日本人音楽家の第一号 ・・・ そして、ドイツの高名な音楽評論家に激賞されたバッハのプログラムのコンサートなどなど。
0006 なお、小澤幹雄さんは、小澤征爾さんの弟さんで、この本の制作のため、豊増昇先生の奥様・娘さんにお会いして聞き書きなどを担当されました。他にも著書が多数おありです。
 本の帯の写真だけで済ませては申しわけありませんので、豊増昇先生の奥様、豊増敏子さんがベルリン・フィルとの協演のときにヨーロッパに同行し、演奏会が成功裡に終わったあとに訪れたマジョルカ島のショパン記念館を訪ねたことをもとに小澤幹雄さんに語られた内容を少し、紹介させていただきます。
  ◇    □     ○    ※    ☆
 ショパン記念館に置かれていたショパンが弾いていたピアノ・・・あの「雨だれのプレリュード」もこのピアノを弾きながら作曲したと思われる・・・について
 ピアノの周りには紐が張られていましたが、豊増が手を伸ばしたら鍵盤に届いてしまって弾けたんです。 ところが、そのピアノは手が小さかったショパンのために造られた、鍵盤が普通のピアノより幅が狭い特製のピアノでした。豊増も手が小さくて悩んでいたので、ショパンも同じだったのだと、とても驚いていました。
  ◇    □     ○    ※    ☆ 
 わぁ、ショパンの手が小さかったとは ・・・初めて知りました。
 上の文に続いて、豊増昇さんが、大橋幡岩(はたいわ)さんに頼んで、自分用の鍵盤の幅が狭いピアノを作ってもらっていたこと、 中田喜直さんも手が小さくて苦労していたそうですが、豊増さんから大橋ピアノを紹介してもらってエッセイ「めぐりあい」にそのピアノのことを喜んで書いておられることが記述されています。
 私事ですが、音楽科に落ちた私を音楽科に合格した同期生がうらやましがってくれたことが一つだけあります。 
 「大塚さんの手は大きいなぁ」
 私の答え ・・・ 「いやぁ、量より質  大きさだけ褒めてもらってもなぁ」
 やはり、音楽科は音楽科 ・・・ 素晴らしい同期生たちで、落っこちた私とは、しっかりと一線を画すものを備えていました。
  私の二人の妹の内、山に登り、元気に降りてくる妹でないほうの、もう一人の妹は音楽科に合格し、(← どうも今日の文章は、ややこしくなる傾向があって、すみません) 高校の音楽教師を勤めた後、郷里の高山でピアノ教室を開き、今日にいたっています。音楽活動を通していろいろな音楽家ともよき交流があるようです。
 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。長くなってすみません。
 今日も、よい日となりますように。

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2016年11月 1日 (火)

「いけ花展」

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   岐阜市の高島屋デパートで開催されている「いけ花展」を見に行ってきました。 いけ花と不調法な私は縁がありませんが、いけ花展に出展しているかたとは、縁があると申し上げたら、よろしいでしょうか (^J^)
 ふだんは、テレビのプレバトという番組で、夏井いつきさんが品定め・論評する俳句コーナーを見たついでに、生け花の部を見ることもあるという程度です。
 そんな私なのに、静謐(せいひつ)な中に、いけ花の美の世界が伝わってくるのが感じられたのです。 芸術の力というのは、心得のない私にも何かを感じさせずにはいないものなのですね、きっと。
 いろいろな流派の方のコーナーがある中で、縁のある方とそのお仲間のいけ花を特に見せていただきました。  お一人お一人のいけ花それぞれの凜とした雰囲気と美しさ、そして、そうしたすてきな作品によって構成されている全体のレイアウト、しつらえもすばらしく思われました。 素人の私にも、そうした奥深さが伝わってくる美の世界でした。
 よい時間をすごさせていただき、ありがとうございました。
 このいけ花展は、二日間ずつ、三期にわたって開催されています。先日、高山でお目にかかった方が第一期に出展しておられ、ムーミンママは、その方の作品も見せていただきました。 ただ、お名前をうかがっておくのを忘れたそうで、そのことを残念がっておりますす・・・ でも、そういう出会いも含めて、すてきな展示会なのだと思っております。  もし、ご都合のつくかたは、足を運んで、芸術の秋をお楽しみくださいまし。と申しましても、会期が今日までとなってしまいました。お知らせするのが今日になってしまいすみません。 
 さて、霜月のスタート!! 今日も、よい日となりますように。

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