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2016年11月 6日 (日)

『郷愁の詩人 与謝蕪村』 萩原朔太郎 著

『郷愁の詩人 与謝蕪村』

 萩原朔太郎 著

岩波文庫 1988年11月16日  第1刷 発行

       2016年4月15日   第28刷 発行

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 この表紙にも書かれていますが、与謝蕪村をいち早く認めたのは正岡子規だそうです。そして詩人 萩原朔太郎さんが与謝蕪村(よさ ぶそん)を郷愁の詩人として、みずみずしい浪漫性を認めたのだそうです。そして、書きあらわしたのがこの本なのですね。

 NHKラジオ深夜便で、そのことをお聞きになった方から、この本のことを教えていただきました。 序文から少し引用し、紹介にかえさせていただきます。

  ◇    □     ○   ※   ☆

著者(萩原朔太郎さん自身)は専門の俳人ではない。しかし元来「詩」というものは和歌も俳句も新体詩も、すべて皆ポエジイの本質においては同じであるから、一方の詩人は必ず一方の詩を理解し得べきはずであり、原則的には「専門」ということはないはずである。専門というべきものは、単に修辞の特殊的な練習にのみ存しおり、感傷上には存在の区別がないはずである。しかも今日の日本では、僕らのいわゆる詩人(「新詩人」)が、他の伝統詩の歌人や俳人に比して、比較的に自由な新しい鑑賞眼を所有している。 (中略)

 著者は昔から蕪村を好み、蕪村の句を愛誦していた。しかるに従来流布している蕪村論は、全く著者と見る所を異にして、一も自分を首肯させるに足るものがない。

 よって自ら筆を取り、あえて大胆にこの書をあらわし、著者の見たる「新しき蕪村」を紹介しようと思うのである。 

 もとより僕は無学にして、文献に暗く、考証などに笑うべき蒙失があるかもしれない。しかし著者の意はその辺の些事になくして、蕪村俳句の本質を伝えれば足りるのである。

 読者乞う。これを諒してこれを取読せよ。

        ◇    □     ○   ※   ☆

  何と申しますか、凛としていて歯切れがよい感じですね。

 高い山同士は、間に雲など、視界を遮るものがなければお互いを眺め合うことができる道理ですが、人間同士にも、そういうことはあるのでしょうね。よい出会いは、時代を超えて成り立ちうるという好例かもしれません。

 今日も、よき出会いにつながる日となりますように。

 日曜日、キリスト教会の礼拝にお出かけください。

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