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2016年11月 2日 (水)

『ピアノの巨人 豊増 昇』

『ピアノの巨人 豊増 昇(とよます のぼる)』

小澤征爾・小澤幹雄 編著
小澤昔ばなし研究所2015年12月21日 初版発行
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  小澤征爾さんは、中学校時代から、この豊増 昇先生にピアノを教えていただいていたそうです。
 ラグビーにも夢中だった小澤さんが、中学三年生になる春休みの試合で指を痛めてしまったときに、「ピアノだけが音楽じゃない。小澤君、指揮というものがあるよ」と活路を示したのが、この豊増先生だったということです。
 小澤さんがお母さんに相談すると「指揮なら、親せきに斎藤秀雄という指揮者がいる」・・・お母さんのおじいさんと斎藤先生のおばあさんが仙台で兄妹だとか( ← 本文に、こう書かれているのですが、お分かりですか。私の頭は、どうもこういう関係がさっと呑み込めない仕組みになっているようです)
 とにかく、高校を卒業した小澤さんは、桐朋女子高校音楽科の第一期生として入学し、斎藤秀雄先生に指揮を学ぶことになりました。  ← そうなのです。この女子高校、音楽科だけは男女共学だったので、四人の男子が正式に生徒だったのだそうです。
 うーむ、話がなかなか進まないので、あとは、この本の帯の写真で概略を紹介させていただきますね。 よろしかったら、お読みください。 豊増昇先生が気概と豊かな見識・実力を備えたすばらしいピアニスト・教育者だったことが伝わってまいります。
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  ベルリンフィルと協演した日本人音楽家の第一号 ・・・ そして、ドイツの高名な音楽評論家に激賞されたバッハのプログラムのコンサートなどなど。
0006 なお、小澤幹雄さんは、小澤征爾さんの弟さんで、この本の制作のため、豊増昇先生の奥様・娘さんにお会いして聞き書きなどを担当されました。他にも著書が多数おありです。
 本の帯の写真だけで済ませては申しわけありませんので、豊増昇先生の奥様、豊増敏子さんがベルリン・フィルとの協演のときにヨーロッパに同行し、演奏会が成功裡に終わったあとに訪れたマジョルカ島のショパン記念館を訪ねたことをもとに小澤幹雄さんに語られた内容を少し、紹介させていただきます。
  ◇    □     ○    ※    ☆
 ショパン記念館に置かれていたショパンが弾いていたピアノ・・・あの「雨だれのプレリュード」もこのピアノを弾きながら作曲したと思われる・・・について
 ピアノの周りには紐が張られていましたが、豊増が手を伸ばしたら鍵盤に届いてしまって弾けたんです。 ところが、そのピアノは手が小さかったショパンのために造られた、鍵盤が普通のピアノより幅が狭い特製のピアノでした。豊増も手が小さくて悩んでいたので、ショパンも同じだったのだと、とても驚いていました。
  ◇    □     ○    ※    ☆ 
 わぁ、ショパンの手が小さかったとは ・・・初めて知りました。
 上の文に続いて、豊増昇さんが、大橋幡岩(はたいわ)さんに頼んで、自分用の鍵盤の幅が狭いピアノを作ってもらっていたこと、 中田喜直さんも手が小さくて苦労していたそうですが、豊増さんから大橋ピアノを紹介してもらってエッセイ「めぐりあい」にそのピアノのことを喜んで書いておられることが記述されています。
 私事ですが、音楽科に落ちた私を音楽科に合格した同期生がうらやましがってくれたことが一つだけあります。 
 「大塚さんの手は大きいなぁ」
 私の答え ・・・ 「いやぁ、量より質  大きさだけ褒めてもらってもなぁ」
 やはり、音楽科は音楽科 ・・・ 素晴らしい同期生たちで、落っこちた私とは、しっかりと一線を画すものを備えていました。
  私の二人の妹の内、山に登り、元気に降りてくる妹でないほうの、もう一人の妹は音楽科に合格し、(← どうも今日の文章は、ややこしくなる傾向があって、すみません) 高校の音楽教師を勤めた後、郷里の高山でピアノ教室を開き、今日にいたっています。音楽活動を通していろいろな音楽家ともよき交流があるようです。
 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。長くなってすみません。
 今日も、よい日となりますように。

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