クリスマス
クリスマスは、クライスト・・・キリスト (救い主) とマス・・・ミサ(礼拝)を合わせた言葉です。 救い主イエスキリストの誕生を感謝し、礼拝することが、クリスマスの中心です。
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洗濯物を洗うときには綺麗な水が代わりに汚れてくれています。(ドライクリーニングの仕組みは知らないのですけれど。)
罪を犯した人間を、完全無欠の神様に赦していただけるように聖くするために、イエス・キリストは、身代わりとなって、むごく、苦しい十字架の刑を受けてくださった そのことを感謝するのがクリスマスです。
映画にもなりました「ナルニア国物語」でアスランというライオンが魔女の前に無抵抗となってたてがみをそられ、辱めを受けて死刑になること、しかしアスランは何も罪を犯さず、少年の身代わりになって死んだことによって、復活しました。 これは、先ほど書かせていただいたこと、そしてこの後紹介させていただく聖書の内容を物語にしたのですね。
聖書は、旧約聖書39巻、新約聖書27巻、合計66巻からなる書物です。その内容を凝縮して表していることから、小聖書と呼ばれている箇所をご紹介いたします。
神は、実にそのひとり子を遣わされるほどに世を愛された。それは御子を信ずる者が一人として滅びることなく永遠の命を得るためである
ヨハネによる福音書 3章16節
青函連絡船が運行されていた時代、洞爺丸が遭難して多くの人が命を落としました。 そのとき、手にしていた救命具を日本の若者に譲って、海に沈んでいった宣教師がおられました。
北海道の塩狩峠というところで、険しい坂道を登っていた列車が機関車とのつながりが外れて逆走したとき、自らの身体を投げ出して列車を止め、自分の命に代えて他の乗客たちを救ったクリスチャンがいます。
こうした気高い行いを知るとき、身も心も引き締まります。そういう場面に出会ったとき、同じような行動を自分は取ることが出来るだろうか、と思います。
もう一つ、東南アジアで起こった実話があります。
ひどい吹雪の道を通行していた旅人が、寒さに倒れている人を見つけました。自分自身も身体が冷えて、どうなるか分からない状態だったのですが、この人は、倒れている人を見捨てることが出来なくて、その人を背負って、人家を求めて苦しい歩行を続けました。
その苦しい歩行が、彼の体温を上昇させ、その暖かさが背負われた人にも伝わって、二人は命を取り留めたとのことです。
キリストに倣(なら)って生きる人のことをクリスチャンといいます。他の人のために自らの命を投げ出す決心が出来る人になりたいと思いますが、自信が持てません。せめて、吹雪の中で倒れている人を見捨てない人になれたらと思います。
そうした場に直面したとき、神様が力を与えてくださるようにと祈り、願います。
クリスマス、おめでとうございます。
今日も、よい日となりますように。
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コメント
いつも感謝。
クリスマスのこと、今後自分の生き方を考える重要なメッセージでした。
昨日現役教師、元教師、そして市会議員2名その他子育てに大きくかかわっておられる方12名の集まりに参加させていただきました。
わたしのだいすきなムーミンパパのシルエットを開いて頂くようおすすめしてまいりました。
何もプレゼントできない私のささやかなプレゼントとして、、、、、。
※ ムーミンパパより
大切な会に出て、ムーミンパパのシルエットのことを話していただいたこと、ありがとうございます。身に余ることですが、大きなプレゼントとして、たゆまず、力まず歩んでまいりたいと思います。 改めて、クリスマスおめでとうございます (^J^)
投稿: 夢希 | 2016年12月25日 (日) 08時42分