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2016年12月 1日 (木)

『イチローの流儀』

『イチローの流儀』

小西慶三  著

新潮社 2006年3月30日 発行

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 著者の小西慶三さんは、1966年生まれ、共同通信社に入社し、1994年からオリックスを担当。野球記者となり、2000年12月にシアトル支局勤務となり、全米野球記者協会の会員となって活躍されているとのこと。

 イチロー選手の日本時代から、シアトルマリナーズでの大リーガーとしての活躍、いろいろなエピソードを熱意と愛情を持って知りしておられることが伝わってまいります。

   イチローの試合を見続け、何回も直接話し・・・要するにイチローに惚れ込んでいる小西さんの書いた本ですから、紹介されているイチローの言動は魅力に満ちています。でも、いいところだけを書いているのでないのもこの本のよいところです。印象に残った二つを紹介させていただきます。

    ◇    □    ○   ※   ☆

 アオダモの木、1000本の角材からプロ野球選手の使うバットは300本ほどしかとれない。イチロー仕様バットとなると1000本中約12本。

 イチローは1995年頃から特性ジュラルミンケースに入れて持ち歩いている。ケース内には乾燥剤を入れるポケットがあり、湿気による重量増を防いでいる。

 2004年、マリナーズのアリゾナキャンプを訪れた久保田・・・バットの制作者・岐阜県養老町にあるミズノバット工場。2003年1月 厚生労働省認定の現代の名工100人に選出されている・・・には印象的なシーンがある。フリー打撃を終えた選手たちがそれぞれのバットを芝生の上に平気で放り投げる中、イチローだけがバットをグラブでそっと包み、まるで眠った赤ん坊をベッドに横たえるように老いていた。

 バットのコンディションを可能な限り一定にする努力を続けながら、不振の理由を道具に求めることは絶対にしなかった。

 「あれだけのバットを作ってもらって打てなかったら自分の責任ですよ」とイチローは語る。実は、1996年7月6日、近鉄戦で三振を喫して思わずバットを叩きつけたことが一度ある。その後、我に返って久保田に謝罪メールを送っていた。

 「何人かの選手から、自分の手がけたバットについてお礼を言われたことは過去にもありました。でも、バットへの行為そのものを謝罪されたのはあの一度だけですね」と伝説的バット作り職人は語った。道具に対する意識の高さはイチロー流準備の特徴だった。

    ◇    □    ○   ※   ☆

 引用が少し長くなりましたので、もう一箇所は、明日にさせていただきますね。

 今日も、よいヒット、いえ、よい日となりますように。 師走のスタート、よい12月を (^J^)

 

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