« 『映画音楽への招待』 | トップページ | 開拓  »

2016年12月12日 (月)

『マリー・キュリーの挑戦 科学・ジェンダー・戦争』

『マリー・キュリーの挑戦 科学・ジェンダー・戦争』

川島慶子 著

トランス・ビュー 2010年4月5日 初版第1刷 発行

0003
 私たちがよく知っている「キュリー夫人」「マダム・キュリー」という呼び方は、一緒に研究してラジウム・ポロニュウムを発見した夫、ピエールの夫人ということを示しています。 男性だったら、「誰々の夫」という言い方は、ほとんどされないでしょうね。

 こういうところに焦点を当てるのが、「ジェンダー」という考え方です。女性初のノーベル賞受賞者、マリー・キュリーさんは、国際的な科学の会の委員長や、外国の科学アカデミーの会員になっていたのに、パリの科学アカデミーの会員には加われずにいました。17世紀に起源を持つこの権威ある組織は設立以来、女性会員を受け入れたことがなかったそうです。

 マリー・キュリーさんともう一人の候補者のどちらを会員にするかという投票が行われ、科学的業績ではキュリーさんが明らかに上位なのに、もう一人の候補者、男性が選ばれました。フランスが後進的だということが世界に明らかになってしまったと嘆いた人も多くいたとのこと。

 この本のタイトルに「戦争」が入っています。第一次大戦の時、キュリーさんは、50歳近くでしたが、砲弾などを受けた兵士たちの治療のため、前線にレントゲン車を送ることを提案し、これが認められて、18台の小型トラックがレントゲンを積んで戦場を駆け巡ることになったそうです。彼女も運転免許を取って、この指揮をしたといいますから、すごいですね。

   ラジウムは、癌の治療に使われる・・・それは、癌細胞が健康な細胞よりも放射線に破壊されやすいという性質を弱いということを治療に使用するわけですが、健康な細胞が放射線の影響を全く受けないというわけではないことも、ある程度予測がついていたそうです。毒と薬は、はっきりと分かれていない・・・ そのため、最初に体調をくずしたのは、キュリー夫妻でした。

 夫ピエールは交通事故で亡くなりました。実は、それは放射線によって、疲れやすいなど、体調の不調が進んでいたことがおおもとの原因ではないか、とこの本に書かれています。マリーさんも9キロほど体重が減り、ノーベル賞を受賞したときに行われる講演は、この夫妻の場合、受賞の1903年12月から延期されて1905年6月に行われたという異例の事態となったそうです。

 放射線の影響を身をもって感じながらも、研究を続け、娘さんもそれを受け継いだということ、頭が下がると同時に、惜しまれます。

  医学の進歩の陰には、こうした人々の尊い犠牲、献身があること、粛然とした思いになります。

 生かされて、こうしてある命 ・・・一日 一日を大切に歩まねばと,改めて感じました。

 今日も、よい日となりますように。

 

|

« 『映画音楽への招待』 | トップページ | 開拓  »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『マリー・キュリーの挑戦 科学・ジェンダー・戦争』:

« 『映画音楽への招待』 | トップページ | 開拓  »