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2017年4月24日 (月)

詩 「最上のわざ」

  今日の詩は、一か月ほど前から交流の始まったクリスチャンの友人から、教えていただきました。

 上智大学の学長もお務めになったヘルマン・ホイヴェルス神父(1890-1977)が、長年の日本での働きを終えてドイツに帰国され、そのご友人から贈られた詩だそうです。感銘を受けましたので、お裾分けさせていただきます。

 

「最上のわざ」

この世の最上のわざは何?
楽しい心で歳をとり
働きたいけれども休み
しゃべりたいけれども黙り
失望しそうな時に希望し
従順に、平静に、己の十字架を担う!

 

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役立たずとも、親切で、柔和であること!

 

老いの重荷は神の賜物。古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことの故郷へ行くために!
己をこの世につなぐ鎖を少しずつはずしていくのは真にえらい仕事
こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。

 

神は最後に一番よい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために!

 

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ。われ汝を見捨てじ」と。

   ◇     □     ○     ※    ☆

   読ませていただいたとき、ヘルマン・ホイヴェルス神父を初め、多くの外国から日本を訪れて、大いなる働きをしてくださっているカトリックの神父のこと、また、私自身が出会ったたくさんの宣教師のことを心に覚えました。中には、故国に帰ることなく、日本で生涯を終えられた方々もおられると聞いています。深く感謝いたします。

  また、「最上のわざ」の結び近くの祈りのところでは、ふるさと高山の母を思い浮かべました。1921年(大正10年)・広島生まれの母は、体育の時間か行事としてか、遠泳の時間があると、長時間、広島の海を泳ぐことが出来たそうです。バレーボールや走ることにも力を発揮していたとのこと。六十歳代になっても、高山市の市民プールで、一日に合計何百メートルかを泳いでいました。

  現在は、ベッドでの生活時間が増えていますが、日夜、多くの方々・そして私たち家族のことを一人一人名前を上げて神様にお祈りをささげてくれています。

  クリスチャンにとって、祈りは呼吸のように欠かすことが出来ないものといわれています。いそがしく、大変なときほど、祈りの時間を増やした先人のことを聞いたり、読んだりしますと、一番祈りの必要なときに、あたふたと祈りを忘れて右往左往しがちな自分を恥ずかしく省みることがしばしばあります。

  自分のためだけではなく、イエス・キリストがその方のために十字架上で身代わりとなって命
を捧げてくださったほどの人のために、心から、とりなしの祈りを献げることのできる人へと、成長してまいりたいと思います。

  すてきな詩をお送りいただいたかたに心から感謝申し上げます。そして、お祈りいたします。

  今日は、これからの人生で一番若い日 そして一番成熟している日

  よい日となりますように・

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