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2017年6月 7日 (水)

毛筆がふるえるということの素晴らしさ

 「心墨会手ならい展」という書道展の開催を新聞で知り、毛筆で作品を仕上げるかたたちに敬意を表して、おっかなびっくりで、展示を見せていただきました。

  すばらしい作品 ・・・ と申し上げたいのですが、そのすばらしさが正当に感受できないのが、私のレベルの悲しさです。墨痕あざやかに筆を揮(ふる)うことが出来るかたに憧れを感じながら、私は筆を持つ手がガタガタふるえるというほうの、「筆がふるえる」です。

 教え子には、書道何段、あるいは師範とか錬士の腕前の子がいましたし、お世話になった校長先生には、「チョークで黒板に書いても、毛筆の味わいがある」と評判の書道の達人もおられました。

  ・・・とこんなことばかりを書いていましても申し訳ありませんので、その書道展の作品から印象に残ったことばについて。

 こんな俳句が書かれていました。

何の木の花ともしらずにほひ哉   芭蕉の句だそうです。初めて知りました。

無山不帯雲    雲を帯びない山はがい

  経典からのことば、そして聖書のことばもありました。

  毛筆 肉筆 のよさが 展示会場全体に みなぎっているのを感じさせていただきました。 

  そうした空気にふれる時間をすごさせていただくだけでも、会場を訪れさせていただいた意味があったと思います。  ありがとうございました。

 あらためて、毛筆を揮うことが出来るかた、精進しておられる方々に敬意を表させていただきます。

 今日も、よい日となりますように。

 

 

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