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2017年6月11日 (日)

日曜日  聖書からのメッセージ

  今日は、日曜日。 関根一夫牧師先生のメールマガジンのメッセージを紹介させてください。 関根先生は、毎日、聖書マガジンを発信されていて、そして神様を賛美する歌も作曲を重ねておられる、すばらしい方です。

 聖書の箴言からのメッセージで、子育ての構えについて、ご自分のことも謙遜しながら語ってくださっていて、良き学びをさせていただきました。

  □    ◇    ○   ※   ☆

【箴言】
19:25 不遜な者を打てば、浅はかな者は熟慮を得る。聡明な人を懲らしめれば、知恵を見分ける。
++++
新改訳聖書による訳は「あざける者を打て。そうすれば、わきまえのない者は利口になる。悟りのある者を責めよ。そうすれば、彼は知識をわきまえる。」
となっています。
ある人の姿勢を正すために叱ったり、責めたりすることは、その受取り手によって反応や影響が違いますが、それ自体は決して無駄なことではないということがわかります。
「叱らない子育て」が大切なこととして評価されています。でも、それは「叱らない」ということよりも、むしろ「頭ごなしに怒りつけない」 「人格否定しない」 「叱る前に子どもの考えや気持ちに耳をかたむける」「その上でダメなことはよく言い聞かせる」ということではないのかなと思います。
先日友人とレストランで食事をしていた時、後ろの広いセクションのところで幼稚園児とおぼしき子どもたち5人ほどが大声で歌い、走り回り、踊っていました。子どもたちによるどんちゃん騒ぎ。
友人に「あのセクションは貸し切りなのかなぁ」というと、「いいえ、そんなことないでしょ」というので店のスタッフに「ちょっとやかましすぎますね」というとスタッフが「申し訳ありません」と謝っていたので「あなたが謝る必要はないですよ」と言ったのですが、その後しばらくその騒ぎが続きました。
最終的には店のスタッフが彼らのところに行って注意したようですが、
あぁ、あの親御さんたちは「叱らない」のではなく、「叱れない」のかもしれないと思いました。
親の倫理観が不安定で、「叱れない」とすれば、子どもたちは気の毒です。
それでも、きっと子どもたちがお母さんの髪の毛をひっぱったり、家のテーブルの上に上がったりすれば、頭ごなしに怒りを爆発させるのかもしれないなとも思いました。
「ダメなことはダメと言って聞かせる」これは人格形成の上で大切ですね。私はおばあちゃん子だったので、そのへんは今でも甘いです。困ったものです。
           □    ◇    ○   ※   ☆

  今日も、よい日となりますように。

 よろしければ、キリスト教会で神様に捧げられる礼拝に おいでください。

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