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2017年7月23日 (日)

『俳句は下手でかまわない』 2

 昨日に引き続き、結城昌治さんの『俳句は下手でかまわない』から、書かせていただきます。 まず芭蕉さんと柳田国男さんの言葉を紹介しておられます。

 「芭蕉が弟子にこう言ってるんです。(『俳諧問答』)傑作なんて滅多にできるもんじゃない。優れた句が一生のうち三句から五句もあれば一人前の作者、十句あったら名人だというので、こう聞くとだいぶん気が楽になりますね。・・・いずれにせよ作っていなければお話になりません。壁につき当たったようで句ができないとか、マンネリズムから脱けられなくて作句意欲が湧かなくなったなどという人がいますが、壁もマンネリズムも、そうと気づくところまで進歩した証拠で、壁なんて何度でもぶつかる仕掛けになっていると思えばいいんです。

 「民俗学者、柳田邦男は『俳諧評釈』のはしがきで次のように書いています。

 ・・・俳諧の活きて居るということは、これからもどしどしと作られることであって、ただ古い文献が版になることだけではなかった。そうして勿論そうあるべきものと前人も予期していたのである。へたでもいいぢゃないかということを、たった一言いい忘れたばかりに、みんな芭蕉翁を最高峰と仰いで、それからは降り坂となり、或いはなまけて麓の草原に寝転んでしまった・・・必要なことは俳諧が現世の憂鬱を吹き散らすような、楽しい和やかな春の風となって、もう一度天下に流転することであって、私の今解して居るところでは、それも決して不可能なこととは言われない・・・」 昭和22年春 (一部表記など文語から変えさせていただきました)

  ◇   □    ○  ※   ☆

 さて、上記に続いて書かれている結城さん自身の言葉です。

 俳句も俳諧と同様へたでかまわない、とにかく作ることで、つぎつぎに作り、たちまち忘れられ、それでもつぎつぎに作って、類句なんかもおもしろがってしまえばいいし、楽しむことのほうが大事です。芭蕉や弟子たちにしたって、楽しいから作っていたに違いありません。そして後世にまで伝わる秀逸の句が三句から五句、まさにそんなところじゃないでしょうか。

 ・・・ 「秀逸の句 三句から五句」 そして俳句は「へたでもいいぢゃないか」

 私がお話したかったことはその2点に尽きます。

 ー この本は、1987年夏から翌年はるにかけてNHK第二放送「四季のうた」という番組で結城さんがお話になったことを元として編集・発行されましたー

     ◇   □    ○  ※   ☆

 引用が長くなりましたが、お付き合いいただき、ありがとうございました。

 なお、結城さんの句集『歳月』・『余色』は0001

『死もまた愉し』講談社 

1998年1月24日 第1刷発行 

に収録されています。

  戦争の渦巻く日々を体験し、そして今ほど医学が進んでいなかった時代に若くして肺結核との闘病生活を余儀なくされ、死と隣り合わせの日々を長く送られた中で培われた死生観を前面に出された書名ですね。 決してやせ我慢ではなく、くじけずに歩まれたたくましさに満ちています。

 今日も、よい日となりますように。

 日曜日。キリスト教会では神様に献げる礼拝が開かれます。どうぞ、おいでください。

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